第2話 世界樹ユグドラシル

 ミリア達3人がヴァナディール魔法学園に編入してから気付けば4ヶ月の月日が流れていた。

 今は獅子宮の月の最終週。季節は夏の真っ盛りである。


 ジリジリと肌を焼く強い日差しを避けるように、人々が避難する場所。その1つに図書館の存在があった。


 ヴァナディール魔法学園のある学園都市に鎮座する大図書館はヴァナディール王国内でも屈指の蔵書量を誇り、学生だけでなく一般の人や研究職の魔道士達もよくこの図書館を訪れている。種類やジャンルなど千差万別。まさに、魔法王国の知識の泉とも呼ぶに相応しい場所だった。


 そんな大図書館の一角。幅広のテーブルの上に分厚い書物を開いたままシルカは突っ伏していた。


「あう〜、難しすぎる。紋章術って覚える事が多過ぎて頭がパンクしそう」

「ふふふ、ミリアちゃんもほとんど同じ事言ってましたよ」

「ほとんど同じ格好でね」


 唸るシルカを見てクスクスと笑うエクリアとリーレ。彼女達2人もミリアに付き合ってよく大図書館を訪れていた。シルカが思うに、この2人も魔力や知識共に並外れている。前に行われた筆記の中間テストでもほぼ学年のトップクラスの成績だった事は記憶に新しい。

 ちなみにミリアの学科の成績は中の上程度。魔法に関連する知識はほぼダントツなのだが、それ以外が全然ダメだった。特に地理が酷く、お隣の国の名前すら知らない始末。

 そんなミリアだが、現在は一心不乱に調べ物の真っ最中。エクリアが言うには極度の集中状態の時は周りの声は一切耳に入らないらしい。最初、ミリアに色々と聞こうとしたが、全く反応しないため、無視されているのかとその時はムッとしたものだ。


「それにしても、あんなに真剣に何を調べているんだろう」


 ほとんど呟きに近いシルカの言葉にリーレが答えた。


「何でも世界樹について調べてるらしいですよ」

「世界樹?」

この世界エンティルスのどこかにあるとされる巨大な樹だそうです。この世界に満ちる魔力の源、魔素を生み出している幻の樹と言われていますね」

「ただ、あくまで伝説でしか語られていないのよね。どこにあるか、どんな外見かはもちろん、そもそも本当に存在するのかどうかすら明らかになってないそうよ」


 リーレの向こう側からエクリアが言葉を付け足した。


「どうしてそんな物を」


 脇目も振らずに書物を読み耽るミリアを見ながら、シルカはそう呟いた。




    ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




 それは今から数日前の事。

 首元にタイの付いた半袖のシャツにチェックのスカート。濃紺ではあるものの、生地が薄く風通しの良い夏用の外套。そんな魔法学園の夏用の制服に身を包んだミリアは学園長アルメニィの元を訪れていた。


「セフィロトの樹からの試練か。

 全く、君と関わっていると退屈せんな」


 アルメニィは面白げに笑った。


「それで、アルメニィ学園長はそれらしい噂でも良いので何か知らないかと思いまして」


 ふむ、とアルメニィは柔らかそうな椅子に深く腰を下ろす。椅子がギシッと音を立てた。


「正直、今のところはセフィロトの樹に関する知識は全くと言って無い。そもそも、セフィロトの樹の端末があると言う事自体、それなりに長く生きている私でも初耳の話だ」

「そうですか」

「セフィロトの魔法すらほとんど眉唾扱いされていたのだ。おそらく誰に聞いても私と似たような答えになると思う」


 『賢人』の名の通り、知識に関してはおそらく世界でも有数と師匠のベルモールから聞いている。その知識量は大魔道アークであるベルモール自身よりも上だとも。そのアルメニィ学園長ですら全く知らないと言う。おそらくこの先、いくら探しても情報は皆無の可能性が高そうだとミリアは肩を落とした。


「ただ、諦めるのはまだ早いな」


 そのアルメニィの声を聞いてミリアは顔を上げる。


「セフィロトの樹の端末がこの世界にある。私はその話は初めて聞いた。それはつまり、セフィロトの樹の端末がなんなのかを知らないからだ。

 そのセフィとか言ったかな。セフィロトの精霊が言うにはセフィロトの樹の端末は世界に1つだけだったな。ならばその世界に唯一無二の存在を探せば良いというわけだ」

「唯一無二、ですか」

「あくまで可能性の話だが、私が知っている知識の中に1つだけ端末の可能性が高いものがある。

 ただ、それはこの私自身、どこにあってどんな形をしているのかを全く知らない。これもセフィロトの魔法同様に伝承でしか残っていないものだからだ」

「それは一体……」


 アルメニィは立ち上がると、学園長室の壁一面に広がる大量の書物から一冊の書物を取り出した。その書物の表紙には『世界の秘境・伝承』と書いてある。

 その書物をミリアの前で広げると、ペラペラとページを捲る。そしてあるページで手を止め、その書物をミリアの前に差し出した。


 そのページには大きな1本の樹とそれを覆うような沢山の木々がひしめく森。そして周囲を取り巻く濃い霧が描かれた秘境の絵だった。


 その絵を見て、ミリアはハッとする。

 その絵の風景があの世界。セフィロトの聖域と重なって見えた。


「……『ユグドラシル』」

「そう、通称『世界樹』と呼ばれる巨大な樹だ。伝承によれば、この樹は私達の住むこの世界の魔力の元、魔素を生み出して世界を満たしていると語られている。ただ、この本にもあるように、あくまで伝承として語られているだけだが」


 そう語るアルメニィ。

 それを踏まえてミリアはもう一度脳内で情報の整理を試みた。


 セフィロトの精霊セフィが言うには、セフィロトの樹が前に力を貸したのは今から二千年以上前の事だそうだ。その頃に誰かがセフィロトの樹の下まで辿り着いた。

 仮にその端末がこのユグドラシルだとするならば、この絵はその人の話を参考にして描いたに違いない。


 ならば次に行き着く問題は、このユグドラシルの絵は何を参考に描いたのかと言う事だ。少なくともこの書物は二千年以上なんて昔のものには見えない。それ以前に二千年前の物が経年劣化もせずに現代にまで残っているなど到底ありえない。

 この世界において、今のところ最も長寿なのはエルフ族の最長老とされる。だが、それでもその年齢は1200歳ほどだとされる。流石に二千年以上前の当事者は今ではもう生きていないだろう。場合によっては千年前の邪竜大戦や第1次、第2次アーク大戦で亡くなっている可能性もある。


 どこから手をつけるべきか頭を悩ませるミリアに、アルメニィは1つの道しるべを指し示した。


「まずはユグドラシルの情報を集めたらどうだ?

 この本の他にもこの学園都市の大図書館にいくつかの文献があるはずだ。その中でより詳しい情報を載せている書物を見つけ出し、その著者から直接話を聞くのが良いのではないかと思うんだが」

「なるほど。流石は学園長先生。そうする事にします!」






 そして現在に至る。




「ふぅ」


 ミリアはペンを置くとぐぐ〜っと背伸びをする。長時間同じ体勢でいたために凝り固まった身体がパキパキと音を鳴らす。


「調べ物は終わった?」

「あ、エクリア。リーレも来てたんだ」

「1時間以上前からいましたよ」

「ホントに集中してると周りの様子が目にも耳にも入らないのね」


 呆れたように言うリーレとエクリアにミリアは苦笑いで答えた。


「で、世界樹ユグドラシルについて何か分かった?」


 そのエクリアの質問にミリアはやや困った顔をする。


「アルメニィ学園長ですらほとんど知らない事だからね。どの文献もやっぱり眉唾物ばっかりだし。簡単には見つかりそうにないわね」

「そりゃあ、世界樹と言えば世界の名だたる冒険家達が夢見る秘境中の秘境だからね。簡単に見つからなくて当然よね」


 うんうんと頷くエクリア。

 そこにシルカも首を挟んだ。


「それで、これからはどうするの?」

「うん、とりあえずこの書物の著者に直接話を聞きに行こうかなと思ってるんだけど」


 言われてエクリア、リーレにシルカまで一緒に本を覗き込んだ。


「バリアン・ザックストンさんですか。

 お住まいはカイオロス王国の都市マグナリア」

「カイオロス王国ってお隣さんの国か。ここヴァナディール王国とはそれなりに友好な関係の国だけど」


 シルカが眉を顰めた。

 顔を見合わせたエクリアとリーレも同じような顔をする。

 

「流石に国境を越えるとなると、色々と手続きが面倒なのよね」

「お父様のお仕事について行った事がありますけど、領主と言う立場であってもかなり細かい手続きが必要でした。正直、一から十まで全部は分からないです」


 詳しく知ってる人は? と言う意思を視線に乗せてエクリアとシルカに向けるが、2人とも揃って目線を逸らした。今まで個人で国境を越えた事がないし、その必要もなかったのだから知らなくて当然とも言えるが。


「さて、どうしようかな。いっその事――」

「国境破りは重罪だからね」


 シルカに先手を打たれた。忍び込むか、などと考えていたミリアはギョッとしたように目を見開く。


「な、何で考えてる事が分かったの? ま、まさか、いつの間にか読心術を会得したんじゃ」

「何だろうね。エクリア達の言ってた通り、ミリアの考えって意外に想像がつくのよね」

「ふふふ、そうでしょうそうでしょう。シルカも分かってきたじゃないの」


 お互いに笑い合うシルカ、エクリア、リーレの3人。本当に気付けば随分とフレンドリーになったものである。


 そんな生活が卒業までは続くものと、ミリアは思っていた。

 しかし、そんな彼女らを巻き込む騒動は唐突に幕を開ける。


 その日、アザークラスにはシルカの姿はなく、風邪でも引いたかなと思い始めたその時、ヴィルナが慌てて教室に飛び込んできて、開口一発。


「た、大変よ! シルカが学園を辞めさせられるかもしれないわ!」



 ミリアやカイト達は一瞬何を言っているのか分からなかった。



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