第14話 トリガーワード



 西の空が茜色に染まる夕暮れ時。

 カラーン、カラーンと終業を告げる鐘が学園に鳴り響いた。各授業の教室からはゾロゾロと生徒達が出てくる。本日の授業はこれで終わり。生徒達は和気あいあいと下校して行く。



 授業終わりのシルカはまるで追っ手から逃げるように早足でグラウンドに向かう。と、言うよりも実際に逃げていた。しつこく自分の取り巻きに入るよう勧誘する1学年上の先輩、風のロードの次男坊カリバン・エアリーズから。


「良いじゃないか、僕のグループに加わってくれても。一体何がそんなに不満なんだい?」

「それはこっちのセリフです!

 そんなにゾロゾロ引き連れて、まだ足りないんですか?」

「あっはっは、綺麗なものはいくつあっても困らないからね」


 綺麗なものと言われ、背後の女生徒達が「キャー」と黄色い声を上げる。正直、何がそんなに良いのか分からないシルカは速度を上げた。


「とにかく、私は先輩のグループに入る気はありません! 放っておいてください!」


 シルカは振り切るようにグラウンドに向かって駆けて行った。

 アザークラスは、カイトは演習場にいるはずだと思って。





 カリバンを引き連れたまま、シルカは演習場近くのグラウンドに差し掛かった。その時である。


「よ〜し、今日はここまでにしておいてやる。

 帰ってじっくりと体を休めるように。以上だ!」


 そんな聞き覚えのない声が聞こえた。


 声につられるようにそちらを見るシルカ。






 そこはまさしく地獄だった。



 模擬剣を肩に担ぎ、仁王立ちする鬼と。その周囲に散らばる2つの変わり果てた姿が。





 

 その内の1つにシルカは見覚えがあった。それはずっと共に歩いてきた幼馴染だったのだから。


「か、カイト!」


 シルカは慌てて倒れたカイトに駆け寄り抱き起す。


「ああ、カイト、どうしてこんな事に。アザークラスに入ったばっかりに。

 私、これからどうやって生きていけば良いの?」


 カイトにすがって嘆くシルカ。

 そんなシルカに呆れたように声をかけるミリア。


「あー、シルカさん。カイト君は死んでないから。バテバテで動けないだけだから」


 なかなかノリの良い少女だった。







「はぁ〜、やっぱり久しぶりのパパの特訓は効くわ」


 軽く汗を流し、運動着から制服に着替えたミリアがサッパリした顔でそんな事を言う。

 それを横目で見るカイトとレイダー。


「なあ、カイト。何で魔道士学部のミリアが俺達と一緒に特訓受けてるんだ? てか、何で同じ特訓を受けてあんなに元気なんだ?」

「そんなの分かるわけないだろ」


 と、そこへ、


「だーかーらー、あたしが誰と帰ろうが勝手でしょうが!」

「しかし君も誇り高き火の精霊サラマンダーのクラスなんだ。水の精霊ウンディーネのクラスでもアレなのに、アザークラスの奴となど」

「何だと貴様! 火炎バカどもが、我ら水の精霊ウンディーネクラスに対する宣戦布告か!?」

「面白い、やるか!」

「うるさいわね。あんた達の選民思想にはウンザリなの!

 あ、ミリア! さっさと帰るわよ!」


 言い争う赤と青の2つの集団。

 その先頭にはウンザリしたエクリアとリーレがいた。あの教師2人の関係から仲が悪いのかとは思っていたが、どうやらまさに犬猿の仲と言うやつだったらしい。


「あれ、デニスさん?」


 リーレとエクリアの目が仁王立ちする鬼に止まる。

 2人はすぐにデニスの元に駆け寄って礼をする。


「ご無沙汰しております、デニスさん」

「リーレちゃんとエクリアちゃんか。ミリアと仲良くしてくれてるみたいだな」

「もちろんです。ミリアはあたし達の親友ですから。

 それよりも、ベルモールさんだけじゃなく、どうしてデニスさんもここに?」

「俺もこの学園で体術を教えることになってな。早速アザークラスのこの2人を鍛えてたんだよ」


 エクリアはチラッとそちらを見る。

 地獄の特訓を思い出したのか、カイトとレイダーが青い顔をしていた。


「ったく、素振り2万本程度で情けないぞ」

「情けないぞー」

 

 デニスの隣でミリアが煽っている。

 カイトはエクリアの元まで詰め寄って、


「ミリアさんって一体何者なんだ?

 魔道士なのに何であんなに体力があるんだよ」

「まあ、ミリアは小さい頃からデニスさんの特訓を受けてたからねぇ。ま、強いて言うなら慣れかなぁ」

「私達も時折特訓に付き合ってますよ。素振り2万くらいならまだ序の口ですね」


 とんでもない事をさらっと告白する赤と青の魔道士2人。明らかに2人ともミリアとその家族に毒されていた。


「あ、そうだ」


 デニスが思い出したように手を打つ。


「セリアラが家で夕飯を作ってるそうだ。みんなで行ってくると良い。アザークラスのみんなの分も作るそうだからな」

「えっ、ママの!? やった!」


 途端に目が輝き出すミリア。


「何だよ。ママの飯が恋しいのか?」


 レイダーが冷やかそうとするが、その言葉を遮るようにナルミヤが声を上げた。


「ちょっと待ってください!

 セリアラ・フォレスティ?」

「な、何だよ」

「まさか、『料理の女神』」


 震える口でナルミヤはそう呟いた。対してミリアは、


「ああ、そう言えばそんな風に呼ばれてたわね」

「やっぱり!」


 ミリア以上に瞳を輝かせるナルミヤ。


「なあ、『料理の女神』って」

「調理師、料理人、コック、シェフ。とにかくあらゆる料理に携わる人の頂点と言われる人です。料理本を出せばベストセラー。いろんな一流の料理人達が教えを請いに押し寄せると言う。

 女性であれば一度は必ず憧れる人です!」


 拳を握りしめて語るナルミヤ。流石にその姿には精霊達も引いていた。


「まあとにかく、みんなも行く――」

「行きます!」

「ちょっと、近い。顔が近いよ」


 迫ってくるナルミヤをミリアは押しのけた。


 こうして、エクリアとリーレ、シルカを加えたアザークラスの面々は、デニスとセリアラが引っ越したと言う家に向かう。

 圧倒的な力を見せつけられたサラマンダークラスと、その実力に度肝を抜かれたウンディーネクラスの面々。そして風のロードの次男坊とその取り巻き達は、ただ彼女達が去っていくのを遠巻きに見ているだけだった。





 その晩、ミリアとそのクラスメイト達は、『料理の女神』と呼ばれるセリアラの丹精込めた料理の数々を堪能すると共に、女性陣は越えられない壁と言うものを思い知るのだった。







 翌日、ミリアはベルモールに言われた通りにレミナを連れてエクステリアの街に戻って来ていた。

 そして、薬局エミルモールでは、


「おう、約束通りき…た……」


 カウンターで振り返ったベルモールはそのままの表情で固まった。口から咥えタバコが転がり落ち、慌てて使い魔のニャーミがそれをキャッチする。


「ごめん、ベルモールさん。みんな来ちゃった」


 えへへ、と誤魔化し笑いを浮かべるミリアの横にはハーピーのレミナ。そして後ろには他のアザークラスの4人が並んでいた。





「なるほど。みんな私がレミナをどうやって治すのが知りたいわけだ。勉強熱心なのは良い事だ。それはそれとして」


 ベルモールはジト目で横を睨む。


「何であんたまで来てるんだよ、アルメニィ」

「あはは、まあ良いじゃないか」

「お前は学園長だろうが」

「学園長って案外暇なんだよねぇ。それに、生徒達には念のため大人の付き添いがあった方が良いだろう?」

「その外見で言われても説得力が全くないがな」


 バンシーであるアルメニィは見た目は10歳に行かない幼女だ。ミリア達と並ぶとどう見ても保護されているのはアルメニィの方だろう。

 溜め息を1つ。そして気を取り直して本題を切り出す。


「とにかく始めようか。レミナ君はそこに座ってくれ」

「……はい」


 言われた通りにレミナは椅子に座って首に巻かれたマフラーを外す。首に描かれた魔力封印の紋章が露わになった。

 さて、とベルモールは一枚の紙を取り出す。そこにはミリアには見覚えのある紋章が描かれていた。


「その紋章……」

「そう言えばミリアは見た事があったな。

 これは『魔力霧散』の紋章術だ。ミリア以外に知ってる人はいるか?」

「私は知ってるよ」


 自慢げに胸を張るアルメニィをベルモールは一蹴する。


「お前は知ってて当然だろうが。知らなかったら魔道士協会に報告して学園長から引き摺り下ろしてやるところだ」

「それは酷いな」

「他には?」


 アザークラスの面々を見回すが手をあげる人はいない。魔力霧散は魔道法院の役人を目指している人でないと学ぶ事はあまりないかもしれないとベルモールは判断する。


「この紋章陣は『魔力霧散』と言って、触れたものに宿った魔力を霧散させ消し去る効果がある。魔道法院が魔道士の犯罪者を拘束したりする時に使われるものだ。

 まずはこの魔力霧散でレミナ君の首に描かれた魔力封印を解除する」

「えっ?」


 思いがけない話にレミナは目を見開いた。同時にその瞳に不安が浮かぶ。


「ダメ。みんな、危険」

「私は心配していないがな。君が自分の力の危険性を分かっているし、不用意な発言をしないはずだ」

「……」

「それに、レミナ君の固有魔法の対処はどうしても紋章陣の描き直しになってしまうんだ。その為にはまず、今の紋章陣を消す事から始めないといけないんだよ」

「……」

「分かってくれるな?」


 ベルモールの問いかけに無言で思案し、やがてコクリと頷いた。


「では始めるぞ。まずはこれで」


 ベルモールは手に持った紙の紋章陣を表にし、そこをレミナの首に描かれた魔力封印の紋章陣にそっと触れた。すると、まるで光の粒子となって宙に溶け出すようにして魔力封印の紋章陣が綺麗に消えて無くなった。

 その後ベルモールは、もう一枚の紙にスラスラととある指示を記入した。そしてそれをレミナに見せて、


「これを読んでくれ」

「? 『お座りください』」


 その瞬間、その場にいた全員が足から崩れ落ちるようにその場に座り込んでしまった。それはアルメニィやベルモールも例外ではなかった。


「これは凄いな。『真言魔法』とでも呼ぶべきか。大魔道アークの私であっても問答無用とはね。レミナ君の両親が不安になるのも頷ける」

「……」


 泣きそうな目をするレミナ。そんな彼女を安心させるように、


「大丈夫だ、心配するな。対処法は考えてる」


 そう言うと、ベルモールはネックレスを1つ取り出してレミナの首に掛けた。そして、


「もう一度読んでくれ」

「……お座りください」


 小さく口にするレミナ。だが、今度は誰一人効果を及ぼさなかった。「あれ?」と首を傾げるレミナに、ベルモールはこう指示を出した。


「レミナ君。『真言リルワーズ』と最初に言ってからさっきの言葉を続けてみてくれ」

「はい。真言リルワーズ、レイダー座って」

「へ、何で俺だけってうおっ!」


 再び足に力が入らなくなって座り込んだレイダー。そしてその他の人の目は全部レイダーに向いていた。


「なるほど、トリガーワードか」


 納得したようにアルメニィが言った。


「トリガーワード?」

「紋章陣には紋章の一本一本の線が意味を持っている。それを利用して、魔力封印に対し特定の言葉を使った時だけ効果を発揮する仕掛けを施すんだ。

 それ故に、こう呼ぶ。

 起動言語トリガーワードとね」

「今レミナ君の首にあるネックレスには魔力封印とトリガーワードを設定した。魔法として起動するのはトリガーワードに続く三文節にしてある。

 つまり、『なに』に対して『なに』で『どう』するか。これくらいが丁度いいだろう」


 まだ少し不安げな表情のレミナ。おずおずと言った感じてベルモールに問いかけた。


「あの。もうお話をしても大丈夫なのですか?

 好きにお話ししても迷惑が掛からないのですか?」

「ああ。もう大丈夫だ。

 今まで大変だったな。よく頑張った」


 ベルモールが笑顔でそう告げる。

 そこで初めて、レミナは本来のハーピーらしい、花が咲き誇るような明るい笑みを浮かべたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る