第6話 霊草フロムエージェ



 翌朝、さっそくミリア達は荷物を持ってメノン山地へと向かった。

 メノン山地は標高約2000メートル級の山々が連なる山岳地帯を中心とし、その中腹辺りまでを鬱蒼とした森が覆っている。張り巡らされた枝葉が屋根となり太陽の光がほとんど差し込まないために内部は薄暗く、明かりのような物がないと奥までは見通せなくなっている。

 買ってきたランプに明かりを灯し、注意深く奥へと向かう3人。


「霧の怪物ねぇ。リーレは何か知らない?」


 エクリアに問われてしばらく考え込むリーレ。


「……霧の竜、ミストドラゴンとか」

「それ神獣じゃない。そんなの出てきたら即刻撤退よ。勝てるわけないわ」

「そうだよねぇ」


 霧の竜は神族最強種とも言われる竜族の中でも特別厄介な相手だ。その体は実体を持たず、霧によってその形を保っていると言われている。そのため、物理的な攻撃も魔法による攻撃もほとんど効果がない。ただ、神獣は基本的には天界に存在する種族だし、このミストドラゴンに至っては今のところエンティルスでは発見された事例がないため、これに関してはあまり心配はしなくてもいいかもしれない。

 とは言え、


「あくまで噂に過ぎないかもしれないんだけど、まあ警戒はしておいたほうがいいかもしれないわね。火の無い所に煙は立たないって言うし。さすがに霧の竜はないとは思うけど」


 奇妙な緊張感を持ったまま3人はさらに奥へと歩を進める。

 方位磁針を片手に方向を確認しながら進む事4時間ほど。やがて森を抜け、剥き出しの岩肌が露出した岩盤地帯に出た。と、そこで、


「ち、ちょっとミリア。少し休憩しない?」

「あぅ~、疲れました~」


 エクリアとミリアが揃って休憩を進言し始める。一方のミリアはといえば、


「まだ4時間ほどしか登ってないんだけど、もう疲れたの?」


 まだまだ余裕とばかりにキョトンとしながらそんな事を言う。

 その背中にはミリアの身長以上もある大荷物。それを背負いながら山登り4時間ぶっ通しでしておいて全く疲れた様子のないミリアに、正直目を疑うしかない2人だった。


「出来るだけ早めに先に進みたいんだけど」


 そう呟くミリアだったが、リーレとエクリアはとてもそのまま進めるような状態ではなさそうだった。

 上を見上げれば、太陽はほぼ頂点に来ようとしている。そろそろ正午くらいの時間帯だろう。眩い太陽の傍に羽ばたく鳥の影が1つ、まるでエサを捜すかのように周囲を飛び回っていた。

 あの鳥もそろそろお腹が空いてきた頃なのかな。そんな事を考えつつ、


「ま、いいか。折角だからここでお昼ご飯にしましょう」


 言って、ミリアは背負っていた荷物を降ろす。ズシッと荷物が実に重そうな音を立てた。


「……」


 エクリアはミリアが降ろした荷物の取っ手を握って持ち上げてみるがまるでびくともしない。リーレと一緒に持って何とか持ち上がるくらいだ。

 魔王候補と三大女神の娘は化け物かと心底2人はそう思った。



 エクリアに焚き火を付けてもらい、ミリアは干し肉をスライスして焙り焼きにする。さらに保存用のパンを切り分けて、鉄板を使って軽く焼いた。そして最後に水洗いした野菜を食べやすいサイズに千切ってソースをまぶした肉と一緒にパンに挟み完成。


「はい。ミリア特製サンドイッチの出来上がり」

「相変わらず手際がいいわね」

「なんだか羨ましいです」

「これくらいなら少し練習すればできるようになるよ」


 そんな感じで和気藹々と昼食を取る3人だった。







 結局、その日進んだ距離はフロムエージェが自生していると思われる中腹までの距離の約3分の2。特に魔獣に襲われる事もなく、目の前に現れるのは精々野生の獣程度。

 大気に満ちる魔素によって変異、凶暴化した魔獣とは違い、獣は魔法で脅かせば追い返す事ができるため特に時間を取られる事もない。

 ここまでは至って順調。予定通りに進んでいると言えた。



 そして、いよいよ翌日のお昼ごろ、3人は目的地付近に到達した。

 その場所は入り口ほどでないにしろ、そこそこに深い森になっていた。ただ、上に広がる枝葉の群れは屋根のように空を覆うほどではなく、その隙間から太陽の光が差し込んできている。


「ミリア、予定ではこの辺よね。ベルモールさんが言ってたフロムエージェの生殖場所って」

「うん。そのはずだけどね」


 ミリアとエクリアが歩きながら周囲を見回すが、それらしい植物は見つからない。


「もっと上のほうかなぁ」


 そう言いながら少し歩を早めるミリアに、後ろから植物図鑑を見ながら歩いていたリーレが話しかけてくる。


「ねぇねぇ、ミリアちゃん、エクリアちゃん」

「ん? なに、リーレ?」

「どうしたの?」


 歩を止めて振り返る2人。


「植物図鑑見てたんですけど、丁度フロムエージェの項目がありましたよ」

「へぇ~、あったんだ」

「さすがはベルモールさんの書いた図鑑なだけはあるわ。で、どんな植物だって?」

「う~ん、それがですね」


 聞かれてリーレはちょっと困った顔をする。


「どうしたの?」

「この図鑑によると、フロムエージェってただの植物じゃないみたいです」

「ただの植物じゃない?」

「えっとですね。簡単に言うと、突然変異を起こした植物型の魔獣だそうですよ」

「……」


 ミリアとエクリアはお互いに顔を見合わせて、


「ごめん、リーレ。もう一回言ってくれる?

 何か今、魔獣とか聞こえたんだけど」

「うん。植物型の魔獣です」


 その一言に2人は石のように固まった。


「で、でも、あたし達に依頼するくらいだから、きっとそんなに大きくないものよ」

「そ、そうよね。いくらあのベルモールさんでもそこまで滅茶苦茶な事はしないでしょうし」

「えっと、フロムエージェは全長がおよそ10メートルくらいある大型の魔獣らしいですよ」


 リーレがとどめだとばかりに図鑑を見せながらそう言った。

 ベルモール著植物図鑑によれば、フロムエージェとはとある薬草が突然変異を起こした植物モンスターで、全長は約10メートル。特徴は周辺を特殊な霧で覆い、視界を奪ったところで長い蔦を使って獲物を捕らえようとする。さらに再生力もあり、根の一部分でも残っていれば数ヶ月で元通りの姿に戻ってしまうらしい。

 ちなみに、突然変異を起こした事で薬草としての効能も大幅に強化されており、かなり高度な調合に使われる事が多いと言う。


「食品店のおばさんが言ってた霧を操る化け物ってフロムエージェの事だったんだ」

「どう考えても、見習いの私達が受ける依頼じゃないですよね」

「戦わないといけないのよね、やっぱり……」


 と、そこでエクリアがふと周囲の状況が変わっているのに気が付いた。


「あれ?」


 周囲を見回す3人。しかし、いつの間にか周囲には濃い霧が充満しており、いくら目を凝らしても10メートル先すら見えなくなっていた。


「これってまさか、フロムエージェの霧?」

「ち、ちょっとちょっと。これってまずいんじゃない?」

「完全にフロムエージェの射程圏内ですね」

「って、リーレ、後ろ!」


 ミリアの声で「えっ?」と振り返ろうとするが、わずかに遅かった。リーレは背後から襲ってきた何かに絡み取られ上方へとすくい上げられていた。それも考えるまでもなく、どこから伸びてきたのか分からないほど長い蔦だった。


「あれはフロムエージェの蔦ね」

「リーレ、今助けるわ!」


 エクリアは火球の魔法を瞬時に完成させ、リーレが捕まっている蔦に叩き込む。植物はやはり火に弱かったらしく、直撃した部分から焼き切れてリーレもろとも地面に落下した。


「リーレ、大丈夫?」

「いたたた、お尻を打ちました~」

「のんびりしてないで、周りを見て!」


 エクリアの言葉に周囲に目を向けると、3人を囲むように無数の蔦がうねうねと蠢いていた。


「完全に囲まれてる!」

「どうしましょう」

「どうしましょうって、戦うしかないでしょ! 大人しく餌にされるなんて真っ平ごめんなんだから!」


 再びエクリアが左右の手に火炎弾を作り出す。


「とにかく、一角を切り崩して包囲網を抜けるわよ!」


 気合一発、火炎弾を蔦2つに打ち込むエクリア。直撃した蔦はその大部分が焼け落ちて地面に転がった。


「よし、あそこから……」

「危ない!」


 駆け出そうとしたエクリアをミリアが横から押し倒す。その真上を後ろから蔦が一閃した。


「ち、ちょっとあの蔦って」


 愕然とするエクリア。そう、今背後からエクリアを襲った蔦は先ほどリーレを捕らえていた蔦。つまり、エクリアがついさっき火球の魔法で破壊したはずの蔦だった。


「あ、あれ見て!」


 ミリアの指差す先には、火炎弾を喰らって焼け落ちた蔦が見る見るうちに再生していく姿だった。そして数十秒後には完全に元通りになってしまった。


「あっという間に元通りになってしまいました」

「う、嘘でしょ」

「あの図鑑にはフロムエージェは再生力があるとは書いてあったけど、ここまですごいなんて書いてなかったわ。多分、蔦の部分は特別再生力が強いんだと思う」

「本体まであの再生力だったら?」

「ベルモールさんには悪いけど、この依頼は諦めましょう」

「やっぱりそうなるか。ベルモールさんに何言われるか分からないから、本体の再生力は蔦ほど高くないって祈るわ」


 さて、問題はこの包囲をどうやって抜けるかだけど。

 注意深く周囲を見回すミリアに、ふと思いついたようにエクリアが声をかけた。


「ミリア。あの触手に火球の魔法を叩き込んでくれる?」


 それを聞いて目を丸くするミリア。


「えっ、いいの? 珍しいんじゃない? エクリアの方から私に魔法を使ってくれなんて言うの」

「余計な事言わない! 多分あそこの一角が崩れるから、そこから包囲を脱出するの。ほら、分かったらさっさとする!」

「よ~し、じゃあ思いっきり行くよ」


 腕を回しながら、ミリアは前に進み出た。

 その内にエクリアはリーレと一緒にミリアの後ろに回る。そしてリーレに小声で、


「リーレ。ミリアが魔法を放つと同時に、水のシールドをあたし達の正面に張って」

「水のシールドをですか?」

「ミリアの火球の魔法は絶対に余波が来るから、それを水のシールドで防ぐの。水の属性と火の属性は相克に当たるから、全開でシールドを張ればミリアの魔法攻撃も防ぎきれると思うわ」

「なるほど。分かりました」


 そんな2人の会話も知らずに、嬉々として魔力を集中させるミリア。その魔力の高さからか、生み出されている火球の輝きが恐ろしいほどに眩くなっていく。

 と、その時、エクリアが狙うように指示した蔦がいきなりミリアに襲い掛かった。だが、それをミリアがジャンプ一番回避する。

 しかも、ミリアはそのまま木を蹴って舞い上がり、さらに枝から上空へと飛び上がった。


「え? ち、ちょっと」


 完全に想定外の動きに、エクリアが慌てだす。

 が、そうとも知らないミリアは練習の時同様に右腕を左手で押さえ狙いをつけた。


「じゃ、火球の魔法いくよ!

 火炎の砲弾ファイアボール!!」


 気合と共にミリアは完成した火球の魔法を下にいる蔦目掛けて撃ち下ろした。

 そして直撃。それも囲んでいる無数の蔦のほぼど真ん中で。

 眩い輝きと共に火球が炸裂し、周囲に衝撃と共に爆炎を撒き散らした。その威力は凄まじく、周囲の蔦全てが瞬時に消し炭と化す。

 それとついでに、爆風はリーレのシールドまでも打ち砕き、その余波で後ろにいた2人も揃って吹っ飛ばされて地面に転がっていた。


「あ、2人とも大丈夫?」

「まあ何とかね……」


 計画なんてものは狙った通りに進む方が珍しい。その言葉の意味を自ら思い知ったエクリアだった。とは言え、水のシールドのおかげで怪我自体は転がった事によるかすり傷くらいで済んだのは幸いと言える。


「見事に蔦が全部消えてなくなったわね。これなら簡単には再生……」


 言いかけたその時、さらにその向こうから無数の蔦が追加で接近してきているのが見えた。やれやれと頬をかくミリア。


「本当に限がないわね」

「とりあえず逃げましょうか」

「是非もなしね。包囲される前にこの場を離れるわよ」


 言うと同時に、三人は蔦が向かってくるのとは逆方向へと駆け出していた。


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