第4話
3
その日は朝から雨が降っていた。雨は降り注ぎ、とても傘を差さないと出るのが鬱陶しくなる。
三途川香織が朝食を持っていく。それを横目に三途川伊織とスサノオ、それにヤタガラスとタケミカヅチは朝食を取っていた。
「……ところで、どうするつもりですか」
ヤタガラスは唐突にスサノオに訊ねる。
スサノオはスプーンを咥えながら、言った。
「どうするかなあ……」
「未だ考えついていない、ってことですか」
「……そういうことになるな」
スサノオの言葉に、ヤタガラスは頬を膨らませる。
「そんなこと言ったって、何も解決しませんよ。先延ばしにすればどうにかなる……とか思っていませんよね?」
「いいや、別に。それじゃ聞くが、ヤタガラス……お前はそれなりに考えついているのか?」
「うーんと、考えついていないことはないですけれど……」
「じゃあ、言ってみろよ。そしてどういうものかきちんと吟味してみようぜ。間違いがあるかもしれないし」
「あるかもしれないし……って、そんなことは無いですよ。あなたは間違っているという証明が出来るんですか?」
「それ以上に間違っていないことを証明するほうが難しいと思うけれどね。だって考えてみろ、モノだってそうだ。そこにモノがあったという証明は出来るかもしれないが、モノが無かったという証明は不可能に近い。悪魔の証明、ってやつだよ」
ドタドタドタ、と音が聞こえたのはちょうどそのタイミングでのことだった。どうやら誰かが板張りの床を走っているようだった。板張りの床は走るとけっこう響く。だから、誰がやってきたのかくらいはだいたい把握出来るものなのであった。
「姉さん、大変です!」
息を切らしながら入ってきたのは三途川香織だった。まあ、彼女しか考えられないだろうと思っていたのは殆どだろう。
三途川伊織は麦茶を飲みながら、
「何ですか騒々しい。それにどうしたのですか、そんなに汗だくで。まだ夏でもないというのに」
「そういうことではありません! 是非、スサノオ様にヤタガラス様もお越し下さい! 大変なこととなってしまいました!」
「大変なこと?」
スサノオは呟く。
「それはいったい、どういうことだって言うんだ」
スサノオはつまらなそうに呟いた。三途川香織が言っていることなど聞く必要がないと思っているのかもしれない。
その反応を大きく覆す言葉を、三途川香織は言った。
「とにかく、社へお急ぎください。フツヌシ様も既に待っておられますから!」
その言葉の真意をスサノオたちが知ることになるのは、それから数分後のことであった。
社内部。
フツヌシが何も言わないのを見て、スサノオは首を傾げる。いったい何が起きたのか、まだ彼は理解していないのだから当然だ。
そして三途川香織が襖を開けた。
死というものは必ず訪れる。
それは人間であっても動物であっても……カミサマであっても同一だ。同一に、死の概念は存在するしそれから逃れることなど出来ない。ただ、それぞれ死へのタイムリミットが異なるだけで、あとはまったく変わらない。死は等しくやってくるのである。
その中でもカミが死ぬというのが滅多にやってこない。それでも外的要因によっては死に至ることもある。しかし、一番死にやすいのは『人間に信じてもらえなくなる』ことだろう。人間がそのカミの存在を信じなくなれば、結果としてそのカミは存在意義を大きく失ってしまう。それによってカミは消え――死ぬ。
そこに広がっていた光景は残忍で残虐で、少しだけ滑稽も混じっているようなものだ。誰かに見せるために、このシチュエーションが作られたといってもおかしくない。
いや、現に実際。
そういうふうになっているのだ。この死体は見せつけるために、『飾られて』いる。
誰の死体か、など今更訊ねる必要もない。
「……アメノトリフネ……」
そこには、アメノトリフネの死体が壁に磔とされていた。
アメノトリフネの容姿をあまり見なかったスサノオだったが、それでもそれは彼女が死んだということを考えたくなかった戯言ではないかと思わせる。
口はだらしなく開かれており、生きている感じをまったく思わせない。そしてその口にはナイフが突き刺さっている。ナイフ、とは言ったが恐らく刀を一気に突き刺したのかもしれない。ただ、刀身の殆どが口内にあるため刀身がどれほどの長さなのか解らないのである。
目は閉じられていた。いや、閉ざされていた。よく見ると縫われていたのだ。わざわざ縫ったのだろうか。理由は解らない。さらに彼女の顔は火傷のようになっていた。全身ではなく、顔だけだったが、それだけでも酷い姿だった。カミもこう呆気なく死んでしまうということを、まざまざと見せつけられてしまった――そう言ってもいい。
決して貧相ではないが、小ぶりな胸も左右に開かれていた。まるで外科手術のように開かれたそれから肋骨や臓器が見える。基本として人型のカミは中身も人間に近い。だから臓器は人間とほぼ同じものが揃っている。そして、臓器は引きずり出され、その場に投げ出されている。胸が開かれた傷は臍を通り越し、股の部分まで到達していた。ほぼ二つにされていた、と言ってもいい。
足も酷い有様だった。足は重力に従ってぶらぶらとしているが、しかしその動きからして骨が充分に通っていないようだった。即ち、足内部にある骨は完全に破壊されたと言って間違いないだろう。
そして目線をひくのが――身体の数箇所に打ち込まれている大きな釘だ。それを抑えるために、壁に抑え込むために打ち込まれたと言ってもいいそれは、頭と両の掌、両の足首、そして心臓に打ち込まれていた。その位置から血が流れていた跡が残っており、白い壁に際立った模様と化している。
血塗れのアメノトリフネが、壁に磔となっている。
その光景を見て驚く者さえ居たし、溜息を吐く者も居た。とにかく、それを見て誰もが何らかの感情を示したのは確かだろう。
そして、誰もが思った。この行為を行ったのは残酷とか残虐とかそういうもの以前に、意味が理解出来ないということに。この行為をした意味が、まったく理解出来ないということに。
それは当然かもしれないし、普通の思考であった。考えられない思考でもないし、一番順当に考えることだろう。
そして――次に目線が動くのは白い壁だ。彼女の身体、その隣に文字が書かれていた。赤い文字だった。血で書いたものなのかもしれない。そして、それを書いたのは被害者であるアメノトリフネではなく犯人だと思わせる。
《剣神よ、これ以上彼女を苦しめるな》
流暢な日本語で、そう書かれていた。
それを見たフツヌシは笑っていた。うっすらと笑っていた。子供のように無垢で、純粋で、無邪気な笑顔。フツヌシの笑顔はそう形容される。
フツヌシは――こんな表情をしたことがあったのか。それを隣で見ていたスサノオは思った。彼と触れ合う機会が無いから情報でしか知り得ていないスサノオだったが、そこでスサノオはフツヌシの本心を思い知る。
狂っている。
「くそったれ……」
スサノオは気がつかないうちに、それを呟いていた。
そして彼は、小さく舌打ちして部屋を後にする。それを追うように、ほかの登場人物も後を追いかける。
ただ、フツヌシだけはそれをしなかった。それについて問う者もいなかった。
フツヌシとアメノトリフネは、見つめ合うように、そこに佇んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます