第4話
『――誰だ』
そのときだった。その広い空間の奥から、雄々しい、声が聞こえてきた。
「……それはこっちのセリフだ。お前は――」
そこで、スサノオは何か思いついた。
そして、それを口にした。
「――いや、お前は、ヤマタノオロチ……だな?」
『いかにも――私は、ヤマタノオロチである』
そして、奥から何かが現れた。
それは、蛇だった。
しかし、ただの蛇ではなかった。スサノオの体が縦にすっぽり入ってしまうほどの大きさの頭を持つ蛇が、八匹いた。それぞれ、別の蛇にも思えるが――そうではなかった。それぞれが、同じひとつの蛇であった。尻尾も八つあり、まるで八匹の蛇がくっついたような感じにも思えた。
顔を見ると、その目は赤かった。そして、その体には苔が生えていた。そればかりか、杉や檜の木まで生えているほどである。今、ヤマタノオロチが腹を見せるように立たせているから、腹も見えるが、その腹は血塗れになっていた。いったい、どれほどの人々――いや、神々を平らげたのだろうとスサノオは考えると、思わず身震いした。
「これが武者震いってやつか……」
スサノオは自らを嘲笑うと、ヤマタノオロチの方を見て、言った。
「おい、ヤマタノオロチ。俺がどうしてここに来ているのか……解るな?」
『解らんなあ。高天原を追放でもされたか?』
「いいや。その逆だ。頼まれたんだよ、お前を倒して欲しい、ってな」
それを聞いて、ヤマタノオロチは目を細めた。
『ほう?』
「クシナダヒメという、可愛いやつがいるのだよ。そいつはもう七人も姉が殺されているそうだ。ほかならない、お前に。そして、明日クシナダヒメも殺されてしまう。……彼女は嫌がっていたよ。『死にたくない』と、な。だから、俺はそれを助けなくてはならない。知っているか、守りたい何かのために本気で流すことのできる涙ってやつは、千金の価値があるらしいぜ。クシナダヒメ――彼女は守りたいんだ。もう、これ以上彼女の両親を、悲しませたくないんだよ」
『……何を言うかと思えば、スサノオよ。血迷ったか。わしの知っているスサノオは、もっとやんちゃな存在だった気がするが……』
「人は……いいや、神だって変わるときはあるんだよ。それくらい理解しろこのヘビ」
『……軽口を叩くというところだけは、変わっていないようだな』
「……というか初対面だよね? なんでそこまで詳しいの、俺のこと」
スサノオが訊ねると、ヤマタノオロチはくぐもった笑い声を上げる。
『お主の悪名は名高いからなあ……。なんでも姉の下着をよく盗むそうではないか。本当に、お主は命知らずだ』
「やめろ! そのせいで姉ちゃん一週間天岩戸に引きこもったんだから! 謝っても許してもらえないし、オオヤシマの面々にはボコボコにされるし、弟のツクヨミには『ほんとクズですね兄さんは』ってメール来るし! 散々だったんだからあれは!」
『あれはほんとうだったのか……』
さすがのヤマタノオロチもそれには引いてしまった。そして、一度はそれを聞いたはずのヤタガラスでさえ引いてしまって、最早ホールの部屋の外に出るほどである。
「ちょっと待てよ! ……ったく、ヤマタノオロチめ。許さねえ!!」
『……わしは何も悪くないのだが、』
「クシナダヒメ、彼女を泣かした罪は重いぜ?」
そう言って、スサノオは背中に背負った剣を取り出し、構えた。
その長さはあまりにも大きい――というわけでもない。拳十個分の大きさ、十束ほどの剣だった。『長剣』といえばこれほどの大きさだと一般的に想像できる大きさだ。
十束剣。
それが、彼の持つ剣だった。
それを構えたまま、ヤマタノオロチへ斬りかかる。
しかし、ヤマタノオロチの肌は、恐ろしい程硬かった。まるで大きな岩に斬りかかったような……それは圧倒的で、斬ることもできないほどの硬さであることも意味していた。
「……硬い!」
『蛇を、なめちゃいけないね。鱗の硬さは、想像もつかないほどだ。そんな小さい剣で斬れるとでも思ったのか? そして……』
そう言って、ヤマタノオロチは――身体をうねらせ、スサノオを取り囲んだ。
「――しまった!」
ヤマタノオロチは、呟いた。
『倍返しだ』
そして、スサノオはヤマタノオロチの体に締め付けられた。
「ぐあああああ――――っ!」
「スサノオさんっ!」
ヤタガラスが呼びかけるも、スサノオは止まるよう手で指示する。
「お前には……オオヤシマの職員という仕事がある……。ここでケガしちまったら……、イザナギに何されるか解らねえ。いいから……お前は『草薙剣』の補完をするんだ……!」
「で、でも……」
ヤタガラスは何をどうすればいいのか、判断ができなくなっていた。
「いいから、急げ! 早く逃げろここから!!」
「は、はい!」
そう言って、ヤタガラスは一目散に逃げていった。
それを見送って、スサノオは一言つぶやく。
「……逃がしても良かったのか? 仮にこれで、ヤタガラスがオオヤシマに戻ってそれを言ったら、オオヤシマによる殲滅作戦が発動するぞ」
『……それでわしが逃げるとでも思ったか? そんなわけはない。そんなことはしない。そんなもので逃げるわしでもない』
そう言うと、ヤマタノオロチは更に締め付けを強くした。
「ぐああああっ……!」
『それよりも、心配なのはお主の方ではないのか? お主はまだまだこういうふうに囚われの身になっているのだぞ』
「……いいんだ。俺は叶えられなくても……ヤタガラスが逃げてくれれば……。あいつは……いいやつだからな……」
そう言って、スサノオは頭を下げた。
『スサノオ……お前は変わったな。話に聞いているほど、悪い奴でもないらしい』
「どうだろうな。俺は未だにゆるふわロールケーキが好きだし、姉ちゃんの下着を盗んでいるぜ?」
『だとしても……だ』
ヤマタノオロチは、スサノオを解放した。
スサノオは驚いていたが、そのままヤマタノオロチは話を続けた。
『悪気はない。そしてそのひとりの娘に命を捨ててもいいという心……確かに受け取った』
「何を言っているがさっぱり解らないんだが、つまりクシナダヒメを食べることはしないということでいいんだな?」
『は?』
「え?」
『わしがいつ「娘を食べている」などと言った?』
「……あ」
確かに、今まで一度もヤマタノオロチがカニバリズムを自供したことはない。
つまり……。
『確かに、わしは娘どもをこの洞窟へ迎え入れた。だが、それで食ったというわけではない。ただ、この洞窟に置いているだけで、全員無事だ』
「……何がしたかったんだ、お前は?」
『……この地区は飢えているということを知らないか?』
「飢え? 飢餓ということか?」
『そういうことだ』
そう言って、ヤマタノオロチはこの地区にある状況について語りだした。
八年前から、この地区ではある一週間を除いて晴れることがなかった。だから、作物も育たず、人が飯を食っていけない状況にあった。
だから、ヤマタノオロチが娘を年一人づつ洞窟に招き入れ、洞窟内で作物を育て、そしてそれを川に流すのだという。
「そんな……馬鹿な話……」
そう言ったのは、ヤタガラスだった。
「ヤタガラス! 逃げろと言っただろう……!?」
「だって! スサノオさんを置いて逃げられる訳が……!」
ヤタガラスはそう言うと、大粒の涙を流した。
それを見たヤマタノオロチは小さく微笑み、
『それで……オオヤシマの職員とか言ったな。もし、話が通るならアマテラス様にここも晴れさせて欲しいとは言ってくれないだろうか。このままでは、ここは終わってしまう』
「……解りました。私からきちんと伝えておきます」
そう言ってヤタガラスは胸に手を当てた。
「さてと……一先ずそいつを見せてもらってもいいかな。百聞は一見に如かずとも言うでしょ」
『お主らの周りに、広がっているだろう?』
「は?」
そうして、スサノオとヤタガラスはあたりを見渡した。
すると、そこには小麦畑が広がっていた。
黄金色に輝いていたそれに紛れて、幾人か人間がいた。
『……まったく、ここまでやるのに相当の時間がかかったのだぞ? それでも、彼女がいたからこそ、なった技ではあるが』
「彼女?」
スサノオが振り返ると、ヤマタノオロチの隣にひとりの女性が立っていた。
「オオゲツヒメです」
「……あんたいるならこの小麦畑必要ないじゃん!」
「私を汚らしいと切っておいて、よくもそう言えますね!」
「あれは事故だ、事故!」
スサノオとオオゲツヒメは出会うやいなや喧嘩腰で話をし始めた。それを見て、ヤタガラスはぽつりとつぶやく。
「――なんだか、似た者同士ですね……」
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