第2話
3
高天原から出雲国までは凡そ十五キロの道のりがある(下界と神界の距離判定を間違えてはならない。神界は下界の十分の一しかなく、距離もそれ換算となっている)。それを甘いものを食べながらゆっくりとかけてスサノオとヤタガラスは進んでいた。
「今日は暑いな……。どうして、バスが走ってないんだか」
「なんでも今日はお祭りの準備でバスを運休しているらしいですよ?」
「何かあったっけ? 花火大会?」
「似たようなものですねー」
ヤタガラスは小さく頷く。
スサノオは覚えていないのかもしれないが、今日は高天原の『創生記念日』である。何千年か、何万年か、覚えているカミは少ないが、この高天原ができたのは、はるか昔の今日であるのだ。ヤタガラスはそれを知っているのだが、いかんせん彼女の性格からして教えることはまずありえないだろう。
「ところで……どうしてお前がついてくることになったんだ? まったくもって理解できないんだが」
「それは私に言われても困りますよ……。私も『オオヤシマ』の職員なんですけれどね? それで、イザナギさんに急に『お前も草薙剣の補完に行ってこい~』だなんて言われても、心の準備もなく行けるわけないじゃないですか?」
「いや、知らんよ。というか路銀はもらってるんだよな?」
「へ?」
「は?」
スサノオの言っていることが理解できなかったのか、ヤタガラスはその言葉を聞いてそのまま固まった。それを見て、スサノオも行動を停止した。
そして、暫く時間が流れ、ようやくスサノオが行動を起こしたのは、それから一分後のことだった。
「……って、どういうことだよ! お前もらってないのかよ!」
「ふぇぇ……、そんな怒らないでくださいよぅ……」
「お前がわるいんだろ! まさか俺の自費で出せとでも!?」
「だってスサノオさんは散々悪いことをしたとか……」
「そうだけれどさ!」
もうこのテンションで話すのも疲れた――そう思った、その時だった。彼らの目の前に小川が見えてきたのだった。
「ちょっと疲れたな……少し休憩でもしないか?」
「さんせー」
ヤタガラスの了解を得たところで、スサノオは川岸にある手頃な岩に腰掛ける。そして、川に手をつっこみ、水を掬ってそれを顔に擲つ。
「うっひゃー、気持ちいいや。どうだ、ヤタガラス。お前もやらないか?」
「服が濡れるのでちょっと」
ヤタガラスが言葉を言い切る前に、彼女はスサノオがかけた水にあたってしまった。それによって服が濡れ、少し際どい黒の下着が顕になってしまった。
「おー……意外と大胆だな」
その言葉に、ようやくヤタガラスも下着が透けている事態に気づき、わなわなと肩を震わせた。
そして。
「………………っ! 何をするんですか、いったい!!」
――ヤタガラスの強烈な左ストレートが、スサノオの右頬にヒットした。
「……別に悪気はなかったんだがな……」
そう言って、スサノオは川にそのまま倒れ込んだ。
◇◇◇
「まったく、ひどい人です!」
ヤタガラスはスサノオを殴ったあと、自らの服を岩陰で脱ぎ、絞って、乾かしていた。あいにく、陽も当たっていたので、寒くなるということはなさそうだが、問題は寧ろあのスサノオの方である。
「さっきも何かしたし……、何をしでかすかさっぱりわかりませんよ、まったく」
そう言って、ヤタガラスは顔を赤らめながらスサノオの方を見た。
「……おーい、乾いたのか?」
スサノオはそれを見て、ヤタガラスに問いかける。
「なんとか乾きましたかね……。まったく、次からはやめていただきますよ」
「いいじゃん暑いんだから」
「何か言いましたか!?」
「何も言ってねえよ」
めんどくさい奴だ、とスサノオは思い、一先ずあたりを見渡す。
すると、そこにはひとりの女性が腰掛けていた。俯いた顔で、少し悲しげにも見えた。
「……ヤタガラス、ちょっと待ってろ」
「へ。あ、はい」
ヤタガラスをそこに放置し(スサノオの飼い犬に見える行動といっても強ち間違いではない)、スサノオは女性の元へ向かった。
「やあ、どうなさったのです?」
スサノオは手を挙げて、女性の方に向かった。女性はスサノオの姿に少し驚いた様子だったが、直ぐにうつむいて、再び川面を眺めていた。
「私は、あと一日の命なのです」
「一日? どういうことだ?」
まず私はクシナダヒメと言います――そう言ってクシナダヒメは話を始めた。
クシナダヒメの話では、親はアシナヅチ・テナヅチであり、クシナダヒメの上に姉が七人もいたらしい。しかし、今はクシナダヒメひとりとなっているとのことだった。
理由は、川上にある洞窟に住むという伝説の大蛇、ヤマタノオロチ。
ヤマタノオロチが一年に一度、ちょうどこの時期に一人づつ娘を食べていく。
そんな理不尽なことが許される所以。
それは、この地区に広がる干ばつにあるのだという。もう八年近く、ある期間を除いて雨ばかり降っているか、曇っているかの何れかであるという。今の晴れはまさに奇跡といえる状況らしく、一年に一日あればいいほうというほどの天候であった。
ヤマタノオロチに、娘を差し出すと、この小川を伝って食べ物が流れ着くのだという。それはいつしか、ヤマタノオロチに娘を代償として送り、村は生活を続けるというサイクルが成立してしまったのだ。
そして、今年で八年目。ついにクシナダヒメが食べられてしまうことになってしまった――というわけだった。
話を聞き終えて、スサノオは眉を潜めた。
神界は『高天原』を含む幾つかの都市においては電化が進められていてインフラも整備されているのだが、そこから少し離れてしまえば話が違う。いくら神界を八日で作り上げたという『オオヤシマ』でも、神界を端から端まで警備するというのは不可能に近い。『オオヤシマ』はなんでも神界を僅か数時間で巡れるという『アマノトリフネ』なるものがあるらしいが、それはあくまでも伝説によるものであって、確証はない。
だからこそ、こんなことが起きてしまうのだ――オオヤシマはそれを知っていたし、けれどもそれを対処することは難しかった。
「……難しいからって放置しやがってイザナギのやろう……。オオヤシマの怠慢がここまで来てるじゃねえか……!」
スサノオの言っていることは、クシナダヒメには理解できないものでもあったが、クシナダヒメはあまり気にしていないようだった。
「もう……これ以上、私の親を悲しませたくないんです……」
そう言うと、クシナダヒメは涙を零す。今まで、この辛さを誰にもぶつけることが出来なかったのだろう。それが、スサノオという、謂わば、赤の他人にぶつけることで一気に感情が爆発したということだ。
「解った」
「え?」
「え?」
その言葉はクシナダヒメだけでなくヤタガラスももう一度その言葉を訊ねたくなるほどだった。
「とりあえず、俺がなんとかしてやるよ……。ちょうど、そんな時間もかからねえだろうし」
そう言ってスサノオは剣を手にとって、それを構えた。
彼が持つ剣は、太刀ほどの大きさはないが妖気を纏っていた。それこそが、彼が生きてきた証でもあり、彼の生きた人生(神生?)というものが理解できるというものだ。
「……出来るの?」
「出来るかどうか言われて出来ないなんて答えるやつが何処にいるんだ」
そう言って、スサノオは俺に任せろと言わんばかりに、笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます