第2話 去る嵐、残る静寂
ベッドから少女は上半身を起こした。
その姿がスタイルのいい女性の前のドレッサーの鏡に写る。鏡の方向を向いていた女性は振り返る。
「起きたのね。」
女性は少女に向かって歩き、抱きしめた。頰と頰を合わせ、少女の背中を軽く叩き、頭を撫でる。
「怖かったね。もう大丈夫よ。」
少女は今までにない程の安心感を感じた。自然と目尻が熱くなり、顎から涙が滴る。涙は女性の鎖骨のあたりに落ちている。
頰と鎖骨のあたりを濡らしに濡らし、少女は泣き止んだ。
彼女は女性に出された水を飲みほし、涙で乾いた喉を潤す。
「私はソフィア・カゼーレ。あなたは?」
「カルラ。」
「上の名前は?」
少女は首を横に振った。
「知らない。おぼえてないの。」
2人は顔を暗くした。少女はそのとき、自分の服装が変化していることに気が付いた。下は長いジーパンに上は白いシャツに胸の周りを太く黒い模様がつき、その上から黒を隠すように白いレースが付いていた。
レース模様はカタバミの葉だった。
今まで着ていた汚くて、着心地の悪い服とは変わって綺麗でとても気持ちのいいものだった。ジーパンも動きやすいものだった。
「これ、ソフィアおねえちゃんがくれたの?」
ソフィアが微笑みながら頷くと、少女は無邪気に笑って
「ありがと!」
そう、お礼を言った。
お礼を言った彼女は辺りを見回した。
窓の外はさっきまでのことがなかったかのように静まり返っていた。
その一室は広く、大きなテーブルとキッチンドレッサー等が部屋にあった。ドレッサーの上に行くつかの化粧品とラベンダーのリーディフューザーが綺麗に整えられて置いてある。その隣の長机の上には、四角く黒いラジオのようなものと、たくさんの紙とペンが置いてあった。
部屋は全体的にモノトーン調で揃えられていた。
「レインコート…」
見るとカーテンが閉められた窓際に、黒と白の中で綺麗に映えて干してあった。
ソフィアは彼女に言った。
「今乾かしているからちょっと待ってね。」
「ライター…」
カルラの目的はレインコートではなく、そのポケットの中のものだった。ソフィアはドレッサーに置いた少女のライターを彼女に渡そうとしたとき、ライターに文字が刻まれていることに気が付いた。
『シュタイン・プロッツェから可愛い孫娘カルラ・プロッツェへ』
ソフィアは驚いた顔をしたあとすぐに、ライターと彼女の名前を渡した。
「はい、そしてあなたの名前はカルラ、カルラ・プロッツェらしいわ。忘れないようにね。」
少女は、カルラは頷きつつ頭の中で自分の名前を繰り返した。
カルラ、カルラ、カルラ・プロッツェ
カルラは嬉しそうにベッドから降り、ソフィアに抱きついた。小さなカルラはモデル体型のソフィアの腰のあたりに抱きついた。
ソフィアはそんなカルラの頭を撫でる。
「あ、そうだ。カルラはお母さんのこと覚えてる?」
カルラはうつむいた。
「じゃあ、私のことをママって呼んでいいよ。」
「ママ?」
「そう、ママ。でも呼びたく無かったら、別にいいのよ。」
カルラの顔が少し明るくなる。
「ママ、おなかすいた。」
恐らく今まで親という安心できる人が居なかったのだろう。カルラはソフィアを信じ安心感を得ていた。ソフィア自身もそう呼ばれて嬉しくなった。
ソフィアには子供がいる。場所を転々としていて、なかなか会うことができない。だからママ、と呼んで欲しかったのだ。
「そっか、じゃあちょっとだけ待っててね。」
彼女は部屋に備え付けられているキッチンへと向かう。
「何がいい?」
「おいしいごはん!」
カルラは料理名など知らないのだろう。尋ねた問いに抽象的なもので答えた。
ドイツ料理のシュニッツェルをテーブルに出した。
「たくさん食べな。」
カルラはナイフとフォークを器用に操り、次々に口の中へと運んでいく。
食事中、カルラは終始笑顔だった。
平らげられた皿をかたずけながら、味をどうだったか聞いた。
「美味しかった?お腹いっぱいになった?」
「うん!とってもおいしくて、おなかいっぱいだよ。あと、なんだか前食べた味がした。」
カルラは笑顔でソフィアの問いに答えた。
ソフィアも喜んでもらって、嬉しいようだ。それに、カルラの懐かしい味を引き出せたのだ。
そんな幸せな時間の中で。ふとあることを思い出す。
もうそろそろ時間だ。
ベッドに座り、まだテーブルの席にいるカルラを呼んで膝の上に座らせた。
「カルラ、ごめんね。カルラがここにいると貴方が危険なの。あの怖いロボットが捕まえに来ちゃうから、このお船から先に降りててね。海岸までは一緒に行けるけどそこからは1人で行ける?」
カルラは少し寂しげな顔をしたが、頷いた。
「ごめんね。」
ソフィアは膝の上のカルラを抱きしめた。
「そろそろ行かなくちゃならないから、レインコート着て、一緒に行こ。」
カルラは決心したかのように大きく頷いて、ソフィアの膝の上から降りて掛けてあるレインコートを着た。カルラとソフィアは手を繋ぎ、ボート乗り場まで歩いて行った。
階段を6階分降りていき、襲われた廊下についた。あの時のまま、まるで時が止まっているかのようだった。
廊下で、タイヤの付いた一本足の華奢なロボットが向かって来たが、ソフィアはあるカードをロボットに見せると、彼女たちに軽くお辞儀をし、廊下の端に避けた。
カルラはその様子を不思議そうに見ていた。と同時に、ソフィアの手を引いた。
「おトイレ行きたい」
「わかったわ。」
ソフィアは少しだけ急いで、トイレまで連れて行った。トイレは廊下の荒れ放題の現状を全く知らないようなほど綺麗だった。
個室の外で待っているソフィアに聞いた。
「あのロボットさんとなかよしなの?それともやさしいの?」
ソフィアはちょっと考えてから
「ちょっとした魔法よ。」
「ママってすごいんだね!」
ドアに隔てられて、カルラの表情が分からないが恐らく目を輝かせているのだろう。本当は、特殊人権所持証明カードを見せただけである。
このカードは、研究職や作家などの新しいものを生み出す職業に与えられた特殊人権を所有していることを示すものである。一昔前は、人権は人が生まれながらにして持っているものだが、今は違う。ロボットによる支配が始まっているのだった。この人権を持たない満18歳以上の全ての人はわずかな労働力として工場や農場などで、働かされる。奴隷制の様だったが、どちらかと言うと会社に入って働く、と言った方が適切であろう。今までの奴隷制よりも良くなったことの1つが配給される食料だった。今までの人が行ってきた奴隷制では、最低限の食事が主だったが機械の彼らに食料は必要ないのだ。だから、人に十分な食事が与えられる。さらに、住居や日用品の支給、男女関係の自由、健康など今までの生活では考えられないものだった。番号で管理されている彼らは、十分な生活に満足し反乱の気持ちなど全く芽生えていなかった。
それに子供は小学校から大学まで義務教育だ。皆、頭が良いが使う場面は少ない。大学生は大学に通いつつ、大人より少ない仕事をした。
そんな中でも、研究職や作家は旅行の自由が約束された。アイデアを詰まらせないためだ。
これらは全て
この様な生活環境を与えることで人からの反乱を防ぎ、支配を続ける。
もちろん私の様な反逆の気持ちを持つ者もいるが、少数であり、少数ならば武力で簡単に押さえつけることができる。
カルラがトイレのドアを開けて出てくる。
手洗い場には、子供用の小さな手洗い場がなかったため、ソフィアが持ち上げてあげた。ソフィアにある感動が湧く。
白い洗面台の底に、蛇口から出た透明な水がぶつかる。そして、シンプルなデザインの銀の排水口カバーに渦巻いて流れていく。そこに、泡が流され水の渦が白くなる。
水が止まり、泡の流れが弱まり排水口カバーの上に泡が丸く積もる。積もったそれに蛇口に残った水滴が落ちて当たり、形状が少し崩れる。
カルラ達が廊下に出て不意に左を見ると、先ほどの華奢なロボットが2体増え廊下の掃除を始めていた。まだ始めたばかりらしく甲板に出る扉から2つ目の植木鉢にインクの様に広がった土を戻しつつ、机の上に乗せていた。
清掃作業をしている奴らにソフィア達は背を向け、ボート乗り場に向かって歩き出した。
ボート乗り場の看板は半分に割れ、看板を吊るしていた2つの糸はそれぞれが自由を手にし、割れた看板をぶら下げていた。
その看板とヒモ達の下をくぐり、ボートの近くに行く。
ボートは上につるされていた。床といくつかのボートは濡れていた。脱出用に人間が出したボートをロボット達が戻したのだろう。操作盤の近くにいるロボットを見つけソフィアはロボットに近づいた。
「あのボートを出してくださる?少しネタに詰まってしまったの。」
そして、あのカードを見せた。ロボットがそのカードを認証しているとき
「ママ!」
ソフィアが振り返ると、カルラが巡回に来ていた警備ロボットに捕まっていた。
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