滴る水

狼狐 オオカミキツネ

旅の始まりは船旅で

第1話 船旅

 雨の降る荷物置き場。あまり高く積まれていないコンテナに雨が降りかかる。

 その上に黄色の古いレインコートをきた少女が雨水と寝ていた。くるぶしから膝まで海風と雨に晒していた。雨は色白の肌を濡らした。


 起き上った彼女の頭に痛みと共に記憶がフラッシュバックする。






 夜空に澄んだ星が映る。

 その空とは裏腹に、海は荒れていた。白波は兎が飛んでいるように見える。

 揺れる船内で、少女は祖父のライターを握っていた。


「沈まないで。」


 今は何処に居るか分からない祖父に助けを求めた。

 船員達は慌てる様子もなく、客は部屋にへばっているか、座るなどして揺れが収まるのを待っていた。



 船の灯りに照らされた群青色の海を少女は見ていた。


 突如、海が盛り上がり、大きな黒い影が見える。


 それは鯨でもなく、鮫でも、メタンハイドレートでもなかった。


 




 ロボットであった。


 そいつは、船員達を次々に、6本指で掴み海に投げ飛ばしていった。


「逃げろー!客に指示を出せ!先ずは落ち着かせるんだ!」


「うわぁぁぁぁぁ!」


「ボー・・・ボートを・・・・出し」


 避難を促す者、空中に放り出され絶叫する者、荒波に飲まれ助けを乞う者。客室からも悲鳴が響いて来る。救命ボートを準備している所に、客が押し寄せる。何人乗れるのか、家族と一緒に乗れるのか、安全なのか、客からは身勝手な言葉しか出てこなかった。それもそのはず、あの金属の怪物が襲ってきたのだ。誰も責めてはならない。


 少女は、海面から伸びる冷たい鉄の4本の足と腕。

 海水に濡れ黒光りする、2つの大小の球体。そして、小さな球体に不気味に赤く光る8つのモノアイ、それらを脳裏に焼き付けた。いや、焼きつかされた。

 彼女のライターは更に強く握られる。


「たすけて。」


 聞こえることのない祈りを声に出す。その声は震えていた。同時に『逃げなきゃ』、その思いが強くなる。


 走り出した。あの恐怖の権化から距離を取りたかった。


 荒れる波で飛んだ水に濡れ、鈍く輝いた大きく重い白い扉。ごく普通の白い扉は返り血がついているわけでもなく、ましてや冷たくなった人が寄りかかっているわけでもなかったが、何処か不気味だった。

 扉を開け、幾つもの豪華な明かりに照らされた廊下、客が固く閉じた茶色いドアに部屋番号が彫られた金板、その廊下を走り抜ける。廊下に小さな観葉植物が小さな机と共に多く倒れ、茶色が赤い絨毯に広がっている。その土は彼女の靴を汚した。


「緊急事態です。これは訓練ではありません。緊急事態です。これは訓練ではありません。脱出ボートの準備が出来次第再度アナウンス致しますので、落ち着いて救命胴衣を着てお待ちくださいますようお願いいたします。」


 アナウンスが静かな廊下に響いた。それと同時に、物音がしはじめた。部屋に隠れていた客が救命胴衣をつけているのだ。


 少女はそのまま白い手摺りがついた階段を降り、地下にある食堂へと向かった。上から下まで伸びた太い持ち手、革張りのドアを体重をかけて開ける。


 食堂に入ると壊れてネジが3つ取れた排気口が彼女の目に一番に入り込む。排気口を見つけた彼女は辺りを見渡す。人気はなかった。

 床には様々な皿の破片が散らばり床を彩り、IHの火は点き上のフライパンは空焚きされていた。調味料がだらしなく垂れている。

 

 少女は床の彩りに茶色を加えていく。

 隣に伸びた水道管を見つけて器用に登り、排気口に頭をかがめてはいる。

 中は暗闇に包まれていた。

 彼女の手によって温かくなったライターの灯りは暗闇に揺らいでいた。


 ニオイがする。


 肉料理、魚料理、ラベンダー、獣の匂い、薬の匂い、そして手元のライターとオイルの燃える匂い。


 排気口は狭い迷路のようだった。おまけに激しく揺れ、五体を壁にぶつける。

 ネジなどにぶつけると特に痛かった。火は彼女の頬をたった一度だけ少し焦がした。排気口の中は冷えていて火傷は冷やされ、悪化は抑えられた。


 排気口が上と奥に伸びている。両手両足をつっかえ棒の様にし登っていく。

 3つめの奥へ進んだ少女は疲れ切っていた。

 外の明かりが見えた少女は外に近づいていく。外への希望に満ちた彼女はここが3階である事を忘れていた。


 勢いよく飛び出た少女はそのまま落ちていった。火の消えたライターは彼女よりも早く落ちて行った。







 落ちて気絶したのだ。


 少女は自分の近くに冷えているライターを見つけた。

 ライターを見つけた少女はそれだけでは安心しなかった。手をライターの屋根の様にし、火を灯す。


 それを確認した彼女は安心した。かざした手に温かみを感じる。

 鼻の中にも、オイルの燃える匂い、そして祖父の懐かしい匂いも思い出す。


 船の揺れも止み、落ち着いていた。しかし、雨は酷くなっていった。

 雨がコートと客の荷物等が入っているコンテナに打ち付けられる。彼女は雨で滑らないように、登ることのできる荷物を探し歩くも、見つからなかった。彼女の周りには超えられない大きさの荷物が積まれていた。


 唯一存在する出口は倒れていたすぐ後ろの排気口だ。落ちてきた口と中で繋がっているはず。彼女は小さな頭でそう考えた。


 来た道を戻る。上に行く道を除いて。靴の中に水が入り、心地が悪かった。


 食堂に着くと人影があった。2人の太ったシェフであった。彼らは肉料理と魚料理を持っていた。散乱した皿の破片は片付けられていた。彼女の付けた泥の足跡も綺麗に消えていた。

 少女は彼らに近づいた。


「どうしたんだい?お嬢ちゃん。」


「あそこのお菓子を持って行きな。」


「ありがとう、おじちゃん達。」


 彼らは少女に優しく微笑みかけた。2人からはそれぞれ、香ばしい匂いがした。

 彼女は安心してテーブルに積まれたお菓子を手にとって美味しそうなものを探していた。そこに忍び寄る影。


 幸運にもお菓子を選び終えた少女はその存在に気がついた。

 振り返ると、そこには何かの血のついたナイフを振り上げた肉料理を持っていたシェフがいた。


「お嬢ちゃんお待ちよ。おじちゃん達にも食べさせておくれ。」


 少女は咄嗟に逃げ出した。恐怖が後から彼女を襲う。

 シェフは足が遅く、彼女に追いつきそうもなかった。彼女は少し足を挫いたがそれでも追いつくことはなかった。しかし忘れてはいけないもう1人の存在があった。


 客室に向かう彼女の行く手を阻むのは、魚料理のシェフ。扉を開けて待っていた。


「僕、オリーブオイルが大好きなんだ。」


 魚料理のシェフはオイルを取り出した。ふたをしていない容器は中身を滴らせていた。

 少女は勇敢にもライターを取り出し、オイル溜まりに火をつけ、階段を颯爽と登る。オイルに火を付けたとき、外に出していた右のふくらはぎを外側から内側へ左上がりに約5センチほど火傷をしてしまった。火の壁はシェフらを足止めした。


 必死に階段を登る。足を挫いた痛みと火傷の痛みに耐えながら。


 振り返りもせず走る彼女の耳に階段を金属が登る音がする。


 踊り場で彼らの姿を見たときは足を止めてしまいそうだった。

 衣服を燃やし、火を感じていないかの様に登ってきたシェフがいた。


 階段を登るとき、彼らは何を言っているのかわからなかった。断末魔の意味をわかりたくなかった。


「おあjkまぶjfjえなsjdjfのいおよdbjjdjじそいっfbfhvbvさちfvjrkrんにsfvgjghyfbvcはいdvryhdいくdhrbgdsなっなdfsdcdjnykい」


 彼女は酷い不安感に襲われた。意味の無いように聞こえていた声が、「おまえのおじいさんはいない」、そう聞こえてしまったのだ。

 丁度階段を登ったとき、祖父の死への悲しみと、この旅の意味がなくなった喪失感、狂気にまみれたシェフへの恐怖、足の火傷の痛み、それらが彼女の足を止め心を折った。


 そんな彼女を赤い光が照らし、彼女の足を冷やす風が吹く。その光と風はドアが開けられた客室からだった。

 その光は恐怖で彼女を更に束縛した。


 その手を2つの手が掴もうとしていた。


 シェフの燃え盛る骨が露出したような手か、細く白く長いゆびの手か。


 燃える手よりも先に可憐な手が彼女の手を引いた。


「逃げるわよ。」


 高身長の女の人の顔は見えなかった。

 少女の走り出した後ろで大きな音がした。


「vsbvksウェrkしいぢshfhrv瀬dvbksげフィ絵紙幣kk赤k毛hflhせlふぃlhdぃhlshそvそ」


 シェフの絶叫だけでなく、船員を投げ飛ばした手が燃えるシェフを潰した音でもあった。

 魚料理のシェフからは火のものでは無い火花が散った。

 肉料理のシェフはロボットの腕に阻まれ、進めずにいた。

 不気味な光は、次の客室から伸びていた。光が消えるとそこから腕が勢いよく伸びてくる。そして轟音が後ろから聞こえてくる。その間にも、手に女の人の温かみを感じる。


 廊下の中腹にある階段が見えた。


「あそこの階段よ。もう少し頑張って。」


 温かい手と温かい声が少女を包み込み、追われている状況であっても少し安心した。


 凹んでいる部分にある階段へ曲がる。横目で廊下を見ると、ロボットの手によって半壊になった面影のない廊下に、肉料理のシェフが倒れていた。燃え盛る勢いは徐々に弱まっていった。


 二階に上がるとき船内が激しく揺れ、少女は階段から落ちた。





 目を覚ますと、花の香る甘い匂いがした。

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