第三幕 ミスミミミと深夜のバスケット(3)


 夜の校舎を、一人で体育館に向かって進む。部室からだと遠いのが難点だ。

 静かすぎて、自分の足音さえ響きそうで怖い。

 とりあえず、0時ぐらいには体育館を覗いて、何もないって確認して、戻ろう。いや、適当に何もなかったって報告すればいいんだけど。変なところで真面目な自分に苦笑する。

 そんなことを考えている間にも、体育館にたどり着いた。

 っていうか、そもそも開いてないんじゃねーの? そんな当たり前のことに気づく。

 しかし、幸か不幸か、体育館の扉は少し開いていた。

 誰か、いるのだろうか? 明かりもついている。

 そっと覗いてみると、別に誰もいない。ただ、バスケットボールがこれ見よがしに一つ、転がっている。片付け忘れた?

 菊の盛大なドッキリとかだろうか? でも、怪異を愛している彼女が、こんな怪異を馬鹿にするようなことするわけないしなー。

 そんなことを思いながら、どうしたもんかとボールを眺めていると、

「え?」

 ゆっくりと、ボールがひとりでに弾み始める。

「共振、とか?」

 思ったことを呟いてみる。誰も答えてくれないけど。

 ちょっと身を乗り出して、体育館の中をさらによくうかがう。誰も、いる気配はしないけど……。

 いつの間にか、ボールは一定のリズムを持って跳ねるようになっていた。透史の腰ぐらいの高さまであがって、落ちる。

 例えば、誰かがドリブルしているような……。

「深夜の、バスケット……」

 いやいや、まさかね。絶対なにかトリックがあるのだと、それを暴きたいと、体育館に一歩足を踏み入れた瞬間、ボールが透史の方に飛んでくる。

「うわっ」

 思わず受け取る姿勢をとると、

「触っちゃ駄目っ!」

 どこかから声が飛んで来る。

 でも遅かった。咄嗟にがしっとキャッチしてしまった。

「……駄目っていったのに」

 言いながら現れたのは、

「……三隅さん?」

 意外な人物だった。

 どこか不満そうな顔をしたミスが体育館に向かって歩いてくる。私服だ。ジーンズに黒いチュニック。私服も、黒いのか。

「あら、一人参加者きまったの?」

「ミナが人払いしなくていいとか言ってたからこんなことに」

 しかも見知らぬ人を二人連れている。

「だって、夜の学校に人がいるなんて思わないじゃない?」

 責めるような目つきをする男性に、メガネの女性が答える。二人とも、無駄に美形で、無駄に背が高い。目元が似ているけど、きょうだい?

「じゃあ私、抜ける。やりたくない」

 ミスがそう言うと、

「ミィ」

 呆れたように女性がミスに向かって話しかける。

 み、ミィ? ミスのこと?

「あんたの担当でしょう? ジュン、お願い」

「へいへい」

 女性に言われて、男性が透史の方にやってくる。ミスもため息をつき、こっちにきた。

「ちょ、一体何が?」

 ボールを持ったまま、三人を見比べる透史に、

「バスケ経験は?」

 ミスが冷たく訪ねてくる。

「え、一応中学のときバスケ部だったけど」

「あら、頼もしい」

 入り口付近で腕を組んで見守っていた女性が、のんびりとつぶやく。

「そ、じゃあやるよ。バスケ」

「は!?」

「言っておくけど」

 黒いシュシュで、その長い髪を束ねながらがミスは、

「負けたら最悪死ぬから」

「はぁ!?」

 とんでもない事を言い放った。なんだそれ?!

「っていうか、一体誰と……」

 そう尋ねようとして、言葉につまる。

 体育館の温度がぐっと下がった気がする。肌が粟立つ。

 何かを、感じる。例えば、ミスにあったあの変な通り。そこに入った時のような、なんだかわからない不安感。

 がさり、と背後で何かが動く音がした。

 入り口の女性の視線が、自分の背後に向けられている。

 一体誰と、バスケをするのか。

 それとも、何、と……?

 透史の顔を見てミスは少しだけ眉を動かすと、

「知っているでしょう? あなたなら。深夜のバスケット」

 知っている。学校の七不思議。菊のはしゃいだ声がよみがえる。

「深夜になると誰もいないのにバスケットボールが跳ね始めるの。それはさながら、見えない幽霊達のバスケットの試合のように」

 幽霊と、バスケット?

 息を吸って、吐いて。

 覚悟を決めて、それでもゆっくりと振り返る。

 バスケットボールが、誰もいない空間で跳ねていた。そして、それが宙に浮き、斜め左方向にとんでいく。そのままだと落下するはずのそれは、透史の胸あたりの位置で止まった。

 誰かがパスをして、受け取ったような。

 誰が?

 ……幽霊が?

「み、みみみみすみさん!」

「み、多くない?」

「ちょ、これは、一体っ!」

 飄々とストレッチなんかしている彼女に食ってかかる。

「だから、深夜のバスケットボール、学校の七不思議」

 当たり前のようにミスが答える。

「それは知ってるけど! だって、あれはっ」

 デマじゃ、ないのか?

「信じていたんじゃないの?」

 お菊さんは信じていた。だけど、自分はそんなことあるわけないって、思ってた。今だって。だけど、

「わけがわからないのは理解できるけど、やらないと。あなたがボールを受け取ってしまったのだから」

 今、何かに自分が巻き込まれてしまったのだけはよくわかる。わかりたく、なかったけど。

「対戦相手を彼らは求めていたの。ボールを受け入れたあなたの参加は、運命付けられた」

「だからって!」

「軽い気持ちで近づいたあなたがいけないのよ」

 冷たくそう言われると、返す言葉がない。

 自分が悪いことをした、という自覚はあった。夜の学校に忍びこんで……。

「で、でも、見えない相手とどうやってっ!」

「見えない?」

 不思議そうにミスが言い、

「あ、そっか」

 納得したように頷いた。

「あなたには、見えないのね」

 その言い方、つまり……、

「見えて、るの?」

 ミスは一つ頷いた。

「もちろん、私たちもね」

 壁によりかかり、腕組みしながらこちらを見ていた女性が微笑む。男性の方も、何も言わずに透史を見たので、多分そういうことなんだろう。

 なんだか、くらくらしてきた。

「見えないなら仕方ないな」

 男性が呟いた言葉に、免除されたかと一瞬思ったが、

「ゴール下で待機しててもらおう。ボールがいったら、シュートしてくれればいい」

 さらっと具体的な要求をされただけだった。

 男性は、透史の返事は待たずにさっさとコートの中に入っていた。

「ちょっ、まっ」

「うん。よろしく」

 ミスもなんだか納得したかのように頷くと、コートの方に向かっていく。

「え、あの」

 ミスと男性がこっちを見てきて、心なしか反対側のチームからも視線を感じる気がする。早くしろよ、的な。

「え、あー、くっそ!」

 感情を持て余し大きく叫ぶと、床を踏み鳴らしながらそちらに向かう。

「やればいいんだろ、やればっ!」

 何がなんだかわからないけど、

「お菊さんに頼まれるといっつもこれだ! っていうか、なんであの人いないんだよっ! 本物なのにっ」

 とりあえずお菊さんのせいにする。身近なもののせいにしたら、ちょっとは安心できた。本当、ちょっとだけ。

 なんとなく横並びになって、見えぬ相手に一礼する。

 試合が始まった、多分。多分っていうのは、透史には何が起きているのかよくわからないから。

 男の指示どおりにゴール付近で待機しているが、実際にそれ以外に自分にできそうなことが思いつかない。

 とんとんっとボールが跳ねる。誰もいない場所で。でも、誰かがドリブルでもしているかのように。意外にも軽やかな動きで、ミスが誰もいない場所からボールを奪い取る。何かを避けるように体を捻る。

「ジュン兄!」

 ボールを男性に向けて投げた。男性が受け取ろうとするが、何かに阻まれたかのようにボールは途中で軌道を変えた。とか思っている間に、ボールが反対側のゴールに吸い込まれる。

 ちっとミスが舌打ちした。

 何が起きているのか、全然わからない。だけど、負けたら死ぬという。

 相手が見えないとか、自分は正直圧倒的不利だ。それでも、やるしかない。万年補欠だったけど、背が伸びなかったけど、自分だって元バスケ部なのだ。

 再び試合が動きだす。覚悟を決めて、透史はゴールより少し前に出た。

 ミスが男性にボールを投げる。男性がドリブルをしたが、相手に阻まれたらしい。動きが止まってしまう。

「はい!」

 手を上げアピールすると、ふっと体の前に何かの圧を感じだ。なるほど、まったく見えないけど、マークされたらしい。

 しかし、見えないというのはアリかもしれない。相手の体に阻まれて、味方が見えなくなるっていうことがない。

 無駄にポジティブに考えながら、少し腰を落とす。男性が動いたのに合わせて、右に踏み出す。意図に気付いてもらえたのか、男性からボールが飛んできた。

 しっかり掴むと、ドリブルしながらゴールめがけて走りだす。

「前っ!」

 悲鳴のようなミスの声。

 なんとなく感じる、圧。まったく見えないけど。

 左に抜けると見せかけて、右に踏み出す。うまくいったらしい。何にもぶつからず、邪魔されず、ゴールに近づく。

 ディフェンスされてるのかもしれないけど、なんか今ならいける気がする。勘でそう結論付けると、ボールをゴールへと放った。放物線を描いてとんだボールは、

「よっしゃー!」

 かつてないほど綺麗にゴールに吸い込まれた。無駄に本番に強いのだ。バスケ部時代は、本番に出たことがないから、輝かなかっただけなのだ。

 一点入れたら、なんだか調子が出てきた。というか、調子に乗った。

 相手は見えないけれども、なんとなく圧というか、存在は感じる。完全にではないけれども、察することはできる。避けられないわけじゃない。

 でも、二本目のシュートがなかなか決まらない。ボールを放っても、ゴールに入らない。

 残り時間がなくなってくると、さすがに焦る。だって、負けたら死ぬとか言うし。

 調子に乗れたのも一瞬で、すぐに気持ちが急いてくる。

 入れなくちゃ。

 男性から飛んできたボールを受け取ると、ゴールに向かって放つ。もう時間がない、点をとらなくっちゃ、入れなくちゃ。

 手元からボールが離れ、その瞬間、失敗したと思った。これじゃあ、入らない。

 リングにぶつかって跳ね返ったボールを、笑いながら奪い取ろうとする何か、見えないものの姿が見えたような気がして、でも、

「え?」

 たたたっと走ってきたミスが、そのボールを奪い取った。

 普段のクールで一人本を読んでいる感じからは想像のできない素早さで、ボールを奪い取り、綺麗な白い手で、投げた。

 ボールがリングに乗り、くるくるとリングの上を回転する。

 頼む! 入れ!

 祈るように、ボールを見る。そして、

「やったー!」

 そのボールは、ゴールへと吸い込まれていった。

 そして、時間終了。

 ぎりぎりだが、勝てた。よかった。安心して座り込んだ透史を無視して、

「こちらの勝ちね」

「お引き取り願おうか」

 ミスと男性が、見えない何かと会話している。

 ああ、マジでこれ、お菊さん案件じゃねーの。

「おつかれさま」

 一人、コートの外で試合を眺めていた女性が、いつの間にか透史の横に立っていた。

「あ、どうも」

 背が高いので、かなり見上げる形になる。

「ミィのお友達?」

「あー、クラスメイト、です」

 残念ながら、友達ではない。

「そう。どうしてこんな時間に学校に居たの?」

「取材で」

「取材?」

「文芸部なんですけど、学校の七不思議を部誌で特集してまして」

「ああ、じゃあ、これを取材していたわけね」

 女性はバスケットボールを指差して、楽しそうに笑う。

「いい体験できたじゃない」

「いや……、あの、これって、その…」

「本物よ」

 綺麗な笑顔で言い切られた。

「マジですか……」

 いや、本当。なんでお菊さんいないんだよ。本当タイミング悪いな。

「ねぇ」

 いつの間にか、透史の目線にしゃがみこんだ女性が小首を傾げる。すごく綺麗な顔がすぐ目の前にあって、思わず距離をとった。

「これ、どこかに書いて載せる?」

 まっすぐに目を見て問われた言葉に、

「……誰が、信じるんですか?」

 少しだけ考えてから苦々しく返事をした。信じるのは菊ぐらいだろうし、その菊も写真がないのならば、不服に思うだけだろう。

「そう。それなら」

「忘れた方がいい」

 見えない何かとの話し合いは終わったのか、ミスがこちらを向いて冷たく言い放った。

「ミィ」

 咎めるように女性が呼ぶ。

「その方が、あなたのため」

「……そりゃ、そうなんだけど。言い方ってもんがあるでしょうが」

 呆れたように女性がため息をつき、

「まあ、言い方は悪いんだけど、ミィの言うとおり。今日のことは、忘れた方がいいわ」

「……はぁ。忘れられるなら、そうしたいですけど」

 ずいぶん強引でマイペースな人たちだな、と思う。まあ、自分のとこの部長もそうだから、こういう慣れているけど。

「さてと!」

 女性は勢いをつけて立ち上がると、

「もう遅いし、おうちまで送りましょうか?」

 と、ズボンのポケットから取り出した車のキーを揺らす。

「あ、いえ」

 慌てて首を横に振った。まだ、学校には弥生がいる。一人、残すわけにはいかない。とはいえ、弥生がいることを明らかにして、弥生までこのへんな人たちに目をつけられたら嫌だし……。

「あの、家には友達のとこ泊まるって言ってあるんで帰れないですし、大丈夫です」

「あらそう? 夜の学校、一人で大丈夫?」

 脅かすような女性の言葉に、苦笑いする。

「ケータイでゲームでもするんで」

「あらあら、現代っ子ね」

 そんな会話をしている間にも、男性はさっさと体育館から出て行ってしまう。いろいろなぞだが、あの男は妙に感じ悪いな……。

 ミスは女性のそばにいたが、結局、追加で口を開くことはなかった。

 謎の三人組と分かれて、部室に戻る。ゆっくりとドアを開けると、

「……弥生?」

 そっと呼びかける。

「……透史くん」

 ほっと、安心したような顔をして菊が物陰から出てきた。後ろ手でドアを閉めると、隣に座る。

「遅かったから心配した」

 泣きそうな顔をする弥生に謝る。

「見回りがいて、なかなか戻れなくって」

 困ったように笑ってみせると、弥生が納得したかのように頷いた。

 あのへんな人たちのことを弥生に知らせて心配させたくない。今回は黙っておこう。っていうか、言っても信じてもらえない気がするし。

「体育館、どうだった?」

「この時間だし、閉まってたよ」

「あ、そっか……。無駄骨だったね」

「まあね。でもま、冒険みたいで楽しかったし」

 おどけてみせると、弥生が笑う。

 狭い空間にいるから、少し動くと肩が触れてドキッとする。でも、彼女が距離をとらなかったので、透史もそのままにしておいた。へんなことがあった後だから、肩から伝わる熱で安心する。

「あとはまあ、朝になるまでおしゃべりでもしてようか」

「そうだね」

 にっこりと弥生が笑う。そのまま、とりとめない話をして、朝を待った。

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