第三幕 ミスミミミと深夜のバスケット(2)

「まあ、もう、百歩譲ってお菊さんの言うとおり、忍び込んだのはいいとしてさ」

 夜の部室、持って来た毛布にくるまって暖をとりながら呟く。

「なんで肝心のお菊さんがいねーんだよ!」

 大声をだしたらまずいので、小声で怒鳴るという器用な芸当をする。

「仕方ないよー。お菊部長の家、門限厳しいらしいし」

 隣で同じように毛布にくるまりながらのんびり呟いたのは弥生だ。

「なんかもうそういうことじゃないだろう」

 溜息。溜息をついたら幸せが逃げるというが、それならば自分の幸せは逃げまくりだ。

「っていうか、俺は男だからいいけど、葉月さんの家、平気なの?」

「え、あ、うん。友達のところに泊まるって言ったから」

「……ならいいけど」

 放課後、家に一度帰り、荷物を持って来てから、ずっと部室に隠れていた。ただでさえ、校舎の端っこ、陸の孤島の文芸部の部室は下校時の警備チェックは甘い。本なんかもたくさんあって隠れるところには事欠かないし。二人、じっと時が経つのを部室で待っていた。

 夜ご飯としてコンビニで買って来たサンドイッチと、菊に渡されたお菓子を広げて、ちまちま食べながら小声で話を続ける。

 明かりは小さな懐中電灯だけだ。

「あたしは……、お菊部長いなくてよかったけどな」

「なんで? うるさいから?」

 弥生の言葉に思わず常日頃から思っていたことを言うと、

「違うよぉ」

 弥生が少し膨れる。じっと横顔を見られて、視線をそちらに移すと、思ったよりも真面目な顔の弥生がそこに居た。

「……石居くんと二人っきりだから」

 囁くように言われた言葉に、思わず動きを止める。

 ごくり、と喉がなった。

 そうだ。イレギュラーなシチュエーションにかき消されていたが、二人きりなのか。

 言ってから恥ずかしくなったのか、てへへと弥生が笑う。

 憎からず思っている異性と夜の学校で二人っきり。意識すると急に、どうしたらいいかわからなくなった。

 やばいこれどうしたらいいんだ。

 さっきとは別の意味で菊を恨む。

 というか、もしかして菊はこれを狙っていたのかもしれない。お互い憎からず思いながらも、別段距離感を縮めることもない後輩二人に、密かに菊が苛立っていたのも知っている。

 いやいやだからといって学校ですし。

 なんだかよくわからなくなって、食べかけだったサンドイッチを、一気に口に押し込む。

「ぐっ」

 喉に詰まった。

「わっ、大丈夫」

 隣で弥生が慌てたような声をあげて、ペットボトルのお茶を差し出してくれる。素直にそれを受け取り、流し込む。

「げほ、死ぬかと思った……。葉月さん、ありがとう」

 それを笑いながら返そうとして気づく。あ、これさっきまで弥生が飲んでいたやつか。

 ……いやべつに、高校生にもなって関節キスがどうこう言う気はありませんが。ありませんけれども、あるよ!? とかなんとか思っていると、

「あのっ」

 声をかけられる。弥生がじっとこちらをみてくる。真剣な眼差しに少したじろぐ。へたれだから。

「あのねっ」

 弥生は少し頬を赤くして、一瞬躊躇うようなそぶりをみせてから、

「透史くんって呼んでもいいっ!?」

 早口で尋ねてきた。

「へ?」

 思わぬ言葉に間抜けな声をだしてしまう。

「ち、違うのっ」

 それをどう受け取ったのか、弥生がさらに顔を赤くして、両手を無意味にばたばたさせながら続ける。

「お菊部長のことはお菊さんって呼ぶでしょう!? で、お菊部長も、あたしたちのこと名前で呼ぶでしょう!? だから統一したほうがいいかなって、それだけなのっ!」

 そのばたばたした動作を見ていたら、少し気持ちが落ち着いた。

「だめかなぁ」

 呟いて俯く。

 寧ろ、でれでれしてしまう。なにその動き、可愛いなぁ。

「いいよ」

 そう言うと、ぱっと弥生が顔をあげた。

「俺も、弥生って呼んでいい?」

 ちょっと照れながらそう言うと、ぱぁぁぁっと弥生の顔が明るくなった。ぶんぶんと首が飛んでいきそうな勢いで頷かれる。

「ありがとう、透史くん!」

 ああ、この子はやっぱり、すごく可愛い。

 改めてそんなことを思って、また気恥ずかしくなる。

 ついつい視線をそらしてしまうと、

「あ、やっぱり、ダメだった?」

 小さな声で呟かれる。

「や、そうじゃなくて」

 慌てて再び視線を向けると、泣きそうな顔。ああもう、そうじゃなくて。

「恥ずかしいなって思っただけ」

 言うと、弥生の顔も赤くなった。

「うん……、あたしも」

 てへへ、と笑う。照れ隠しのように。

 なんとなく、お互い微妙な笑みを浮かべながら見つめあってると、

「わっ」

 ぶーぶーとポケットのケータイが震えた。

 なんだよ、誰だよ、びっくりするだろ。今、ちょっといいところだったのに!

 弥生に謝りながら取り出したケータイには、メールが届いていた。

「お菊さんだ」

 開く前にわかる。絶対、ロクでもない用件だ。

 それでも渋々開封すると、

「どうせいちゃついてんじゃないのー? むっつりすけべめ! そろそろ体育館へゴー!」

 ふざけた文章が書いてあった。

 っていうか、見てんのか? どっかに監視カメラでもあるのか?!

「お菊部長、なんだって?」

 覗き込もうとした弥生から、さりげなく画面を隠す。いやだって、いちゃついてるとか書かれてるとさぁ!

「体育館行けって。いないくせに、偉そうに」

「あ、もうそんな時間?」

 確かに、そろそろ日付が変わる。

「お菊さんじゃないけど、何か起きるなら0時だろうなー」

 言いながら立ち上がる。命令には素直に従う、悲しい習性。

「そーだね」

 言いながら、弥生も立ち上がろうとするのを、

「あ、葉月……じゃない、今のなし」

 苗字で呼ぼうとしたら、弥生が悲しそうな顔をしたから慌てて言い直す。

「弥生、はここにいて」

「え、でも……」

「万が一、出歩いているところを誰かに見られたらまずいじゃん? ここにいた方が、隠れられるし安全だと思うから」

 まあ、部室に一人にするのも心配っていえば、心配だけど、怒られるなら自分だけの方がいい。

「いいよ、ついてくよ? 怒られるなら一緒に怒られるよ?」

「いやー、男女二人で学校残ってたってばれた方がややこしそうだし」

 一人で忍び込んでたよりも、すっげー怒られそう。

「どうせなんでもないだろうからさ、すぐ戻ってくるよ。そしたら、また話の続きしよう?」

 弥生は考えるようにしばらく透史の顔を見ていたが、

「ん、わかった。気をつけてね」

 やがてちいさく頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る