第28話 私はカモメの添乗員 陽子編2

 「やあ」


 西田君は、笑顔で手を挙げた。


 「おまたせえー」


 私は彼のもとへ駆け寄り、目を見張った。彼のスーツは、とても庶民では買えない高級ブランドだ。シャツ、ネクタイ、靴、腕時計。固有名詞は控えるが、どれをとっても超セレブの着こなしだった。ウインドウショッピングの女王を自負する私には、分かる。政治家の秘書って儲かるんだ。それが正直な感想だった。


 「お揃いでいらっしゃいますね。どうぞ、こちらへ。ご案内いたします」


 接客係が笑顔で私たちを案内した。


 「俺も連絡しようと思ってた所だったんだ」


 歩きながら彼はいった。


 「そうなんだ。気が合うね私たち」


 私は、親密さを醸成するために、さりげなくアピールした。

 彼の笑顔は、日焼けした肌に白い歯がきれいだった。同窓会の当日も思ったが、こんなにきれいな歯並びだったっけ? ほぼ間違いなく、歯は矯正しているな。

 彼の高校時代は少し濃い感じで、女子の間では好みの分かれるところであった。だが、この年齢になると濃さが魅力的に見えるから不思議だ。


 席までの途中、化粧室で私を無視した若い女が男と向かい合わせで座っていた。男はブランドに身を包んではいたが、お坊ちゃん風の、あまり冴えない男だった。

 女は私に目を向けた後、西田君をなめまわすように見て、顔をそむけた。


 いよっしゃー! 鮮やかな一本勝ちだぜ。


 私は優越感に包まれて彼女のそばを通り抜けた。


 接客係は窓際のカップル席で立ち止まり、予約席の札を取り上げた。


 「お待たせいたしました。どうぞお掛け下さいませ」


 彼女は椅子を引いた。西田君は立ちつくす私をやさしく促してくれた。

 レディーファーストなのね。胸がキュンとなった。過去これほどやさしく扱われたことがあっただろうか。

 この小さな心づかいが、燃え上がる恋の予感を感じさせた。苦節十年。通り過ぎて行った、ろくでもない男どもにリベンジを果たす時が来たのだ。

 

 「えっ? ハワイ旅行は君の会社じゃないの? 同窓会の時、もう決まったって言ってたじゃない」


 私と西田君はワインを飲みながら会社の事情を話し込んだ。


 「そうなのよ。前の事務局長の時にほぼ決まってたのに、ひっくり返されちゃって、新しい事務局長が他の会社を呼んできてさあ」

 「ああ、梅沢だな。なるほど」

 「担当者が一番仲のいい子でね、社長にしぼられて、しょげちゃって。手配の私も困ってるの、ホテルも飛行機も手配全部済ませてるし」

 「梅沢は色々噂のある奴だからな。裏がありそうだ」

 「ごめんね、こんな話して。うちみたいな小さな会社には大打撃で、相談する人もいなくて」

 「それって、いつの話?」

 「担当者が断られたのは昨日だって」

 「だったらまだ間に合うな。よし、手を回しとくよ」

 「助かります。お願いいたします」


 なんて頼もしい。なんだかんだ言っても、困った時に無理を通せる人は、魅力的だわ。どうして高校生の時に唾をつけておかなかったのだろう。あの悪夢のような辛酸を、なめる事はなかっただろうに。


 「失礼いたします」


 ホール係がスープとパンを運んできた。彼は前菜の空の容器を引き上げ、スープをテーブルに置いた。


 「シェフお奨めの新鮮な魚介類を使いました、ブイヤベースでございます」

 「ああ、君」


 彼は席を離れようとしたホール係を呼び止めた。


 「ワインをボトルで」

 「先程と同じものでよろしいですか?」

 「いや、シャトー・ルパンで頼む。ロマネ・コンティは次回考えておこう」

 「かしこまりました」


 ホール係は笑顔で答え、お辞儀をして去った。


 何を言っているの? さすがの私もワインのウインドウショッピングは畑違いだ。芸能人格付けランキングで超一流なら分かる会話かもしれない。上流階級の会話なのだわきっと。ああ、西田君は遠い高みに行ってしまったのね。

 それはさておき、ついに工作活動を実行に移す時が来た。私はバックからスマホを取り出し、画面を見つめて、かぶりを振りながらいった。


 「もー、いやだわ。ごめんなさい、仕事のメールが入ったんで、ちょっと電話してきます」

 「いいよ、いいよ。旅行会社は大変だねえ」


 笑顔で了承してくれた西田君を背にして、私は駆け足で入り口まで行った。接客係に声をかけて店外の廊下に出た私は、電話番号をタッチしながら化粧室のほうへ歩を進めた。

 非通知設定にしてある電話がつながった。


 「もしもし、そちらで西田哲也さんが食事してると思うんですけど、電話つながりますか? はい、小坂と申します。分かりました、お願いします」


 私は電話をつなげたままで、きびすを返した。


 店内に入って席に近づくと、接客係が西田君に声をかけていた。私はスマホの通話を切り、席に座った。


 「ごめん、今度は俺だ。先生からだよ。ちょっと失礼」


 彼は席を立った。


 「はい、大丈夫。男は仕事が大事だもの」


 私は微笑みながら彼を見送った。正面を向くと彼に隠れて気が付かなかったが、化粧室で出会った年配の女性が席を一つはさんで座っていた。友達であろう同じような年齢の女性と一緒だ。彼女も気が付いて目線をこちらに向けた。私たちはお互いに軽く会釈をした。


 私はバッグから『虜』を取り出した。緊張の一瞬だ。私は深呼吸して辺りをうかがった。年配女性は友人と楽しそうに話し込んでいる。入り口の西田君は接客係から受話器を受け取った。

 今だ! 私は前に置かれた自分のスープに『虜』をふりかけた。


 くおっ、出ない、何なのよ! 


 力任せに『虜』を振ると、白い粉がドバっと、てんこ盛りになった。


 うわあ、全部出ちゃった。うぬ! ままよ! 


 私はスプーンで素早くかき混ぜ、彼のスープと取り換えた。

 一連の無呼吸運動が終わり、息をついた時。


 「お連れ様は?」


 私は背筋が伸びて、振り返った。ホール係がワインを運んできたのだ。


 「い今、ちょっと席外しで」


 声が裏返ったのを自覚した。入り口を見たが西田君の姿がなかった。


 「では、ホストテイスティングお願いできますか?」

 「は? あ、はい」


 ホール係はグラスにワインを少量注ぎ、私の前に置いた。


 「お願いいたします」

 ん? どうしろというのだ? 何をお願いされたのだ? 


 私は黙ってワイングラスを見つめた。


 「お願いいたします」


 ホール係は少しキレ気味に私に催促した。


 そうか、飲めというのだな。味見をしろというのだな。よし、やってやろうじゃないか。


 私はグラスのワインを一気に飲み干していった。


 「結構なお手前で」


 私はグラスをテーブルに置いて満面の笑みを作った。



 つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る