第19話 リップガール誕生の秘密 その4

 濡れるような赤い唇である。

 美しいと言えばよいのか、なまめかしいと言えばいいのか、唇だけを見つめたことがありますか? じー、っとガン見したことありますか?

 そこの男子! 鏡、見ない! 女子の唇に決まってるじゃありませんか!

 男子の唇など、髭あとに囲まれて、美しくもなんともない!

 こうあるべきで考えてはいけない! 正しいはずだで左脳で考えてはいけない!

 右脳で、DNAの導きに、素直に……女子の唇に勝てるものなどあるものかあ!


 いささか興奮してしまったようだ……反省……。


 「紅をさす」

 震えがくるほどに、いーい言葉だ。古今東西、化粧は唇に施されるのである。

 「寝化粧に薄紅」

 なーんて、もう、髪の毛をかきむしってしまうのだー! 


 ……反省が足らん……な。ふーう……。話を進めよう。




 チューは唇なのだ! 接吻は愛なのだ! ……はい、すみませんでした。


 自己顕示欲はこれぐらいで……ではシズルさん、はりきって、どうぞ!




 あいにくの雨だった。

 少し大きめの透明なビニール傘をさして、シズルがたたずんでいる。

 うつむき加減の彼女は真新しい真紅のワンピース姿である。昨夜の大きな紙袋はこの洋服だったにちがいない。


 いつもの時間。何時とは聞かなかった。だからシズルはいつもより三十分ほど早めに来ていた。

 シズルが行くとケンジは、すでにそこにいるのが常だったからだ。待たせては悪い。彼女がそう思って早めに来たのは相手を気遣う優しさからだった。


 傘に落ちる雨音が響く。


 1時間が過ぎた。

 うつむいたシズルは、泥が跳ねて少し汚れた赤い靴を眺めながらつぶやいた。


 「雨だから、自転車で来れない……歩いてくるのかな、メール……知らないし」


 木々や草花に雨粒が当たり、付近は雨音だけが聞こえている。

 

 2時間が過ぎた。ケンジは……来なかった。

 シズルは放心したように空を見上げた。


 「夢……か、な?」


 彼女は、傘を外して灰色の空に顔をさらした。大粒の雨が目をつぶった彼女の顔に降り注ぐ。濡れた唇に、真っ赤なルージュの口元が、悲しそうに下がる。

 傘をさし直した彼女は、目元をぬぐい、駐車場へ向かおうとした。

 と、赤いハイヒールが、うつむいた彼女の目にとまった。


 「行かないの?」


 顔をあげた彼女は、不似合いな黒い大きな傘をさして微笑む、熟年の美しい女に目を奪われた。

 赤いフレアスカートに白いブラウス姿の女は、真っ赤なルージュの唇をいたずらっぽくすぼめる。


 「……え?」

 「ふふ、趣味が合うみたいね」


 女は自分の唇に人差し指を当てた。シズルは反射的に唇を片手で覆う。


 「彼は来ないわ……会いたい?」

 「その……お知り合いですか?」

 「まあね」

 「何かあったんでしょうか?」

 「雨の日は出れないのよ……待っても来ないなら、行けばいいことでしょう?」

 「あたし……彼の事、何も知らなくて……どこにいるか、ご存じなんですか?」

 「ケンジもかわいそうに、この雨じゃねえ」

 「えっと……その……」


 女は自身の顔を隠すように、黒い傘を傾けた。


 「誘われたところへ、行ってみれば?」


 女は、シズルの横を猛烈な勢いで走り抜ける。


 「きゃ!」


 驚いた彼女が後ろを振り返ると、女の姿はない。


 「え?」


 辺りを見回すシズルに、一段と激しい雨が降り注いだ。


(リップガール誕生の秘密 その5 へ、つづく)

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