第18話 リップガール誕生の秘密 その3

 「じゃ、いつもの時間に、ここで」


 シズルに笑顔を向けた後、ケンジは自転車を立ちぎして帰っていった。

 彼女はケンジの背中に小さく手を振る。背中が見えなくなるまで見送り、手を下ろした後、シズルは美術館のチケットを見つめた。


 ウッキー・太助、作品展……知らない。

 太助が名前でウッキーが名字みょうじ? ……変なの。ネットで調べて勉強しなきゃ。


 彼女は駐車場へ向かいながら、エヘラ、エヘラと微笑んでいる。


 「……約束……初めて……」


 独り言が、つい出てしまったが、気にしていない。

 丸いコンパクトカーに乗り込み、シートベルトを締めたシズルは、何か思いついたようだ。エンジンをかけ、車を走らせた。



 

 深夜。

 シズルのアパート「双葉荘」では彼女の部屋だけ、明かりがついている。


 風呂上りのバスタオルを巻いて、シズルは洗面所で鏡と向かい合っていた。

 目は正面を見ながら顔を右横に、そして左横に振って、正面を向く。


 「普通っぽいけど、そんなに悪くないと思うよ、シズル」

 「そーかな、ひと山なんぼのリンゴみたいって?」

 「それが口にあうって人は多いでしょ」

 「否定しないんだ、ひどーい」

 「じゃあ、リンゴの女王とでも?」

 「……ひと山、なんぼです……」


 誰もいないところでは、シズルの独り言が解放されていく。


 「セクシーポイントは唇よね、シズル」

 「よく言われたわ。唇だけなら化粧品のCM出られるって」

 「なまめかしいわよ、シズル」

 「唇だけって……なんか引っかかるんだけど」

 「乳首だけより、ましよ」

 「なにそれー、ヘンターイ! ……男はどんな乳首が喜ぶのかな?」

 「そこ! あまり食いつかない!」


 普段無口なシズルからは想像もできない独り言の連射である。

 ……もう少し聞いてみよう。


 「でもね! でもね! 自画自賛だけど、色だって白いわ」

 「そうね、シズルは白いもち肌かな」

 「スタイルだって悪くないと思う」

 「85、57、88のCカップだからね」

 「なのに経験0っておかしくない?」

 「性格が悪いんだわ、きっと」

 「ちょっと! 失礼ね、性格だって悪くないわ!」

 「患者は、みんな、そー言い張るのよ」

 「あたしゃ、病気か!」

 「アブノーマルなのよ。いよっ! アブノーマル・シズル!」

 「……ウッキー・太助より変態気味だわ……めちゃくちゃされそう……その名前はお返し致します。痛いの苦手ですから」

 「ケンジさんが求めてきたら?」

 「……あんな事?……こんな事?……考えてみますけど……あっ、それはダメ!」


 それが何かは置いといて、初めてのデートのお誘いはシズルを妙な興奮状態へと導いたようだった。

 

 洗面所から出てきたシズルは、台所のテーブルに置かれた大小二つの高級な手提てさげ紙袋を見つめた。あのあと、買い物に行ったのだろう。


 「ちょうど買わないといけなかったんだもん。全部ちょっと擦り切れてた、し」


 大きくため息をついたシズルは小さい方の手提げ紙袋から、黒いブラジャーと黒いパンティーを取り出した。

 ……なるほど、高級下着である。勝負に出るつもりなのか?


 「万が一ってあるじゃない、ねえ?」


 どうやら、保険のようだ。

 と、シズルはバスタオルを取り全裸になった。


 「サイズはこれで間違いない……はず」


 後ろホックのセクシー系黒ブラジャーを身に着ける。


 「ん? んんん? す、透けすぎて、ませんかね?」


 店員さんの言うとおりに、素直に買い求めたシズルであったが、跳び箱三段目から一気に六段跳びに挑戦するような気分であった。


 「うーん、ケンジさん、どー思うかしら? 清楚系のほうがよかったかな……」


 万が一のゴールを前提とした思考が渦巻く、シズルであった。

 だが、パンティーをはかずにセクシー系の黒ブラジャーだけを付けた姿が、もろにエロいことに、彼女は無自覚なのである。

 

 真顔になった彼女は、小さい方の手提げ紙袋からもう一つ取り出す。

 それは、高級ブランドの口紅。


 シズルはキャップを取り、真っ赤なルージュを見つめ続けた。


 (リップガール誕生の秘密 その4 へ、つづく)

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