第10話~12話
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全員にスープが渡った。声を揃えた「いただきます」の後に、鍋を囲んだ夕食が始まる。
頭上の満天の星は宇宙の果てしなさを感じさせる。風はさやさやと吹き、夜の神秘性を幾許か深めていた。
「そうか、今日の授業は練習試合だったのか。どうだジュリア、楽しかったか?」
背中をやや丸めた胡坐のトウゴは、気易い口振りだった。すぐに細長い楕円状のパンをスープにどっぷりと浸し、大きく齧り付く。
スープをこくりと飲み込んで、ジュリアはトウゴに物言いたげな視線を遣る。
「お父さん聞いて聞いて。あたし今日なんか、過去最高にレオンに完勝したんだよ。もうみんな、『おおっ! さっすがジュリアちゃん! 誰一人として従いちゃあいけねえぜ!』って感じでね。もう、あたし注目、独り占め。」
真剣な顔のジュリアは、説得するようにすらすらと話した。背筋は張っているトウゴと同じ胡坐姿だ。大好きな父親の真似をしているみたいで、シルバには少し可笑しく感じられた。
「確かにジュリアは、授業は精力的に取り組んでますよ。毎日一度はやらかす空回りが、玉に瑕ではあるけど」
器を傾ける手を止めたシルバは、半ば茶化しで静かに指摘をした。
即座にジュリアは、「むむっ!」とでも言い出しそうに顔を顰める。
「センセー! あたし空回りなんて、十二年の長ーい人生の中で一回たりともしてないです! それに、カポエィリスタに空『回り』なんてメーヨキソン(名誉棄損)です!」
両手を強く握るジュリアは、語尾をやたらと強調して喚いた。
「そうかそうか、それは結構。後半のよくわからない言い分も、まあ流してやる。けど、誰だったけな。授業の最初に空気を読まず、空回りの象徴みたいなアウー・セン・マォンを見せつけてくれた人は」
シルバの冷静な指摘に、ジュリアは「うっ」という表情を浮かべた。
「で、でもさでもさ。修身の授業って、なんで格闘技ばっかなんだろ。球技もやればいいのに。あたし、友達と時々するけど、フットボールとかバスケとかとっても楽しいじゃん」
「格闘技なら自衛の手段にもなるし、一石二鳥だからな。球技はあくまでスポーツだ。あんまりたくさんは、時間を掛けられない」
「なるほど。わかりやすい説明、ありがと。なんてゆーか、みんな色々考えてるんだねー」
シルバが平静に答えると、ジュリアは納得のいった風に感慨を口にした。
僅かな間を置いて、穏やかに微笑んだトウゴが口を開く。
「今朝の授業についちゃあ、俺は何も言えない。詳しい状況を知らないからな。ただジュリア。毎日、後悔をしないように、ぜーんぶの事に取り組んでくれ。空回りなんか気にせずにな。人間なんていつ死ぬかなんてわからんからさ」
トウゴは、いつにない静穏な口振りだった。
唐突な重い台詞に、シルバはやるせない気分になる。
母親の件が浮かんだのか、ジュリアはふっと思い詰めたような面持ちになった。やがて「うん」と、こくんと頷く。
その瞬間、ジュリアの上方で何かがきらりと光った。しばらく注視したシルバは、すばやく立ち上がった。あまりにも見覚えのあるシチュエーションだった。
「ジュリア、トウゴさん! 離れててくれ! 人型の奴が、このあたりに落ちてくる! 俺がずっと、夜間警護で相手にしてる連中だ!」
シルバはただちに、ぴしりと叫んだ。ジュリアとトウゴは起立し、敷地の端までダッシュで向かった。
空気を切る音は、どんどん強くなっていった。シルバが注意を促してから十秒も経たないうちに、トウゴたちとは逆の端に落下。国中に響き渡りそうな、轟音を生じさせた。
シルバは、飛来した物に目を凝らし始めた。土煙はしだいに収まっていき、姿が徐々に明らかになる。
服装は銀色ずくめで、いつもの侵略者より二回り小さかった。初めは俯せだったが、すぐに手を突きむくりと立ち上がる。
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銀服は、シルバたちをじっと見詰めている様子だった。生気を感じさせない棒立ちは、いつも以上に不気味だった。
「センセー! あたしも手伝うよ! みんなで囲んで、ぱぱーっとやっつけちゃおう!」
危機感を匂わせるジュリアの声が、耳に飛び込んできた。
「問題はねえよ! 落下の衝撃が危ないってだけで、こいつらとんでもなく弱い! 十二のお子様の手助けは要らねえ! 突っ立って見学してろ!」
シルバは早口で切り捨てたが、本音ではない。すでに家族を失っているトウゴたちは、少しでも危ない目には遭わせたくなかった。
「……わかった、見とくよ。でも死なないで。一生のお願い」
(死なねえよ。死ぬわけがないだろ)心の中で即答したシルバは、ジンガに移行する体勢になった。
次の瞬間、直立不動だった銀服が動きを見せた。
腰を僅かに落とした半身で、右前の左足はまっすぐで、右足は膝を曲げている。頭の高さには左手を、臍の高さには右手を据えており、球を掴むかのように両掌を窪ませていた。
(いつもの芝居染みた構えじゃあない? 色の派手さといい……)
今までの連中とは違うってのか? シルバが惑っていると、銀服はそのままの両手でするすると接近してきた。足は爪先から付けており、上下の重心移動が少なかった。氷上を歩くような未知の歩法に、シルバの混乱は加速する。
銀服が右手の甲を打ちつけてきた。シルバは上げた左手で防いだ。
すると銀服は、上腕を接触させた右手を反時計回りに回した。シルバの左手を乗り越えて、腕を制しながら滑っていく。そのまま腹部へと掌底が叩き付けられう。
衝撃。銀服はすかさず左足の踵で脛の低いところを狙う。痛みを覚えたシルバは、大きく後ろに跳び退った。
先ほどと同じ奇妙な足取りで、銀服が追ってきた。シルバはベンサォン(押し倒す前蹴り)を繰り出す。だが、焦りでいつもの切れはない。
銀服は左足を引いた。シルバの蹴りを僅かに外して、内から外へと左手を動かす。
右踵を掴まれたシルバはよろけた。銀服は踏み込んで、右の手刀で頭を狙う。
シルバは左手で受けた。
だが銀服は、小指側を前にした右足をシルバの左足の後ろに遣った。シルバの反応を予測していたかのような滑らかな挙動だった。
銀服の右手がシルバの左手を滑っていった。腹を押されて右足を引っ掛けられたシルバは、左側から転倒。
が、すぐに立ち上がり、間合いの外へと退いていく。
「シルバ君!」
切羽詰まって、トウゴが叫んだ。
「大丈夫です! 動作は妙にぬるぬるしてて掴みづらいけど、見た目通りパワーは全くない! もう落ち着いたから、一人でやらせてくれ! ここは、俺の戦場だ! 俺が片をつける!」
銀服から目を離さないまま、シルバは大声で答えた。
初めと同じ姿勢を取る銀服を見据えて、精神集中。注意深く、ジンガで近づいていく。
銀服の攻撃が及ばないところで、シルバは前進を止めた。右足を引いて一回転。左から右に、伸ばした右足で大きく弧を描く。
銀服は、斜め後方に避けた。
読んでいたシルバは、位置を微調整してもう一度右回りをした。ぎりぎりまで左足を残して捻りの力を溜め、一気に開放する。
二度目のアルマーダが、銀服の側頭部に決まった。銀服は肩から地面に倒れ込み、仰向けになって動きを止めた。
(どうにか勝てたか。だが余裕綽々とはお世辞にも言えねえよな。……もっと強くならねえと、誰も守れやしねえぞ)
苦々しい思いを抱きつつ、シルバは銀服を注視し続けていた。
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「さすがは、あたしの師匠! 連続アルマーダ、もー、かんっぺきに決まったね! こりゃあ、ばっちし、戦闘不能でしょ!」
敵が倒れて緊張が解けたのか、ジュリアの声にもう曇りはなかった。
するとしだいに、銀服の銀の衣装が薄らいでいく。ほどなく衣装は完全に消滅した。
姿を現したのは、少女だった。
少女は幼く、ジュリアと同年代と見えた。艶やかな髪は漆のような黒色で、前は額が出ており、後ろは首の中ほどまでの長さだった。
小さくて細顎の顔は、雪のように白い。整った目や鼻も小振りで、少女の繊細で儚げな印象に一役を買っていた。
服装は、光沢のある青を基調とした半袖長ズボンである。腰には帯が巻かれており、そのままでは開く胸元を白い紐で括って留めていた。美しくはあるが、武道着としても通りそうな感じだった。
「中身、女の子だったの?」と驚きで声を弾ませたジュリアは、ぱたぱたと近づいていった。離れた位置からそーっと首を伸ばし、少女の身体全体を見渡す。
「一回、うちに連れてこうよ。悪者っぽいけど、なんか苦しそうだしさ。センセーの破壊キックを食らったこの子を、外には放っとけないよ」
シルバに心配げな顔を向けるジュリアは、控えめな調子で提案してきた。
「話を聞く必要もあるし、そうするか。この時間だと役所も閉まってるしな。ただしジュリアは離れてるんだ。俺とシルバ君でやる」
厳粛に告げたトウゴが歩き出し、二人は少女を担ぎ上げた。
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