第13話~16話
13
シルバたちは、トウゴ宅の寝室に入った。二つのベッドに半分占められる小さな部屋だ。ベッド間の窓から星の光が仄かに全体を照らしていた。
ジュリアが窓の下の小さな机に蝋燭を置き、トウゴとシルバは少女をベッドに横たえた。 すうっと、少女が目を開いた。
「気が付いた? あなた、名前は? いったいぜんたいどうして襲い掛かってきたの?」
背後のジュリアが、冷ややかな口振りで矢継ぎ早に問うた。
焦点の定まらない風な少女は、小さな口を僅かに開いた。
「--名前、リィファ。襲うって、私?」
寝室の静かな空間を揺らす鈴の音のような声だった。
「覚えてないの? ここは、
ジュリアの口調には、驚愕の色が混じり始めた。リィファはなおも、ぼんやりと天井のあたりを見詰めている。
「
何かに導かれるように囁いてから、リィファはゆっくりと目を閉じた。
(箱庭? 何を訳のわからんことを抜かしてやがる?)
シルバが困惑する一方で、リィファはすーすーと穏やかな寝息が聞こえ始めた。
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寝入ったリィファは、起きてくる様子がなかった。
三人は相談し、とりあえずリィファをトウゴ宅に一晩だけ泊めると決定した。話し合いが終わって、シルバは一人で帰宅した。
翌日は日曜日、週に一度の休日だった。アストーリの統治者は、休日を初めとして種々の制度を定めていた。
ただ、統治者の姿は誰も見たことがなく、その実在すら疑われていた。
シルバはジュリアにカポエィラを教えるべく、午前八時に寮を出てトウゴ宅に向かった。
トウゴ宅の敷地に入ると、笑顔のジュリアが家の建物への道に立っていた。トウゴは、仕事で出掛けていた。
溌剌とした朝の挨拶に、シルバは軽く返事をした。そのまま連れ立って家の左の芝生広場に移動し、準備運動を始める。
「センセーが帰った後も様子を見てたけど、あのリィファって子、ずーっと寝てたよ。登場の仕方といい、着てた服といい、なんか不思議な子だよね。センセーとのバトルでもみょーにかくかく動いてたし」
開脚前屈をしながら、ジュリアが平静に呟いた。身体はぺたりと地に着けられている。
屈伸をするシルバは、昨日の戦いを苦々しく想起する。
「あの動きは、俺の知ってるどの格闘技にも見られないもんだ。身体能力の差があったから昨日は勝てた。けど、これから連中が例の技を使ってくるとなると、苦戦は免れねえな」
シルバの台詞に、「なんとかしないとだよねー」と真剣なのか呑気なのかわからない風なジュリアだったが、すぐにぴたりと静止した。シルバはジュリアの視線の先に目を遣る。
家の扉のすぐ前に、昨日の青い服のままのリィファがいた。シルバたちを見つけて深刻げにきゅっと口を引き結び、駆けてくる。
二歩分の距離を取ってリィファは立ち止まった。すぐさま、ぺこっと頭を下げる。
「昨日はああ答えたけど、私、今はあなたたちを襲ったってうっすら記憶にあるの。ほんとにほんとにごめんなさい。怖い思いをしたよね」
真摯な声音の言葉の後も、リィファは微動だにしない。
シルバはジュリアと顔を見合わせてから、責めていると取られないよう軽く尋ねる。
「どういう経緯で俺たちを攻撃してきたんだ? 自分の意思じゃなかったのか? 詳しく教えてくれると助かる」
「というかあたし、あなたについてほとんど知らないよ。どこで生まれて、どこで育ってきたの?」
ジュリアが質問を重ねた。リィファが姿勢を戻した。俯いた顔には、憂いの影が差している。
「私の記憶の始まりは、昨日の晩。宇宙から見たこの国の景色が、ぼんやりと頭にあります。自分については名前以外、覚えてない。記憶をなくしたのかもしれないし、ほんとに昨日、生まれたのかもしれない。この国の
二人が返答に迷っていると、リィファの眼差しが強くなった。
「迷惑を掛けてごめんなさい。邪魔者は、すぐにいなくなります」
くるりと振り返って、リィファは歩き出した。
「どうやって生活してく気だ?」とシルバが訊こうとすると、「待って! ストップ、ストップ!」とジュリアが早口で喚いた。
リィファはきょとんとした顔で、ジュリアに向き直った。
「リィファちゃん、ここを出ても行く場所はないでしょ? あたしたちを襲っちゃったし、役所に行くわけにもいかないしね。居候しなよ。センセーの部屋に」
ジュリアの明るい提案に、「俺かよ。女子なんだから、大人の女に預けるべきだろ」とシルバは思わず突っ込んで、ジュリアを見た。
「まぁったくセンセーったら、おてんばさんなんだから。その人が通報したらどうするの? センセーの寮なら色々ゆっるゆるだからだーいじょうぶだよ。あたし、照れるセンセーにめちゃめちゃ頼み込んで、何回か泊まったことあるし。夜勤でバテバテのセンセーの、奥さん代わりだと思えば良いんだよ。うちは日中は留守にしてるしね」
ジュリアは、「完璧なアイデアでしょ?」とでも自慢したげな力強い表情だった。
「本当に良いの?」リィファが申し訳なさそうに呟いた。
「いーっていーって。だよね? センセー。あたしもバリバリ様子を見に行っちゃうからさ!」
ジュリアから快活な返答が来た。しばし考え込んだシルバは、リィファに冷静な視線を向けた。
「そこまで言うならわかった。男の一人暮らしの生活環境で良いなら、俺の部屋に泊めてやる。ただしその分、働いてもらう。家事か何かでな。それと、神に誓って妙な真似は働かんから安心しろ。口に出すのも馬鹿馬鹿しいがな」
シルバが淡々と告げると、リィファは「ありがとう」と再びお辞儀をした。
「そうと決まれば、準備をしないとだよね! リィファちゃん、あたし、着る物とか貸したげるよ! リィファちゃんに似合いそうな服、いーっぱいあるからさ!」
返事を待たずにジュリアは家へとダッシュを始めた。だが唐突に動きを止めて、そろそろと振り返る。
「そういえばさ。リィファちゃん、昨日、『この世界は箱庭』とかって冷たーい感じで喋ってたけど、どうゆう意味? ……あたし、けっこう怖かったんだよね」
不安げに眉を寄せたジュリアが、囁くように尋ねた。
「ごめんね。覚えてないの。でも内容に心当たりがないから、ただの寝言だと思うよ」
リィファが自信なさげに答えた。「なら良いんだ」と軽く返して、ジュリアは今度こそ家に向かっていった。
15
二日後の午後六時過ぎ、授業とカポエィラの指導を終えたシルバは寮に帰った。廊下を通り抜けて、自室の扉を開く。
余りの二人用の部屋を充てがわれていたため、両奥には古びた木製ベッドが二つ並んでいる。仕事用の木の机と小さな箪笥以外には目立った物はなかった。
壁と天井は面が滑らかで、薄黄色や薄緑などの班になっていた。床には、赤茶色の地に花や葉の柄の付いた絨毯が一面に敷かれている。
全体的に、薄暗い印象の部屋である。
左方にある小窓を拭いていたリィファが、シルバに遠慮深げな顔を向けた。
「……お帰りなさい。窓拭き、私なりにしてみました。これでどうですか」
控えめな、怯えているとも取れる話し方だった。
シルバはろくに窓も見ず、「ありがとう、助かった。問題ねえよ。もう上がってくれ」と角が立たないように答える。十二、三の女子に無茶な労働をさせるつもりはなかった。
荷物を置いたシルバは机に着いて、仕事の日報を書き始めた。
視界の端では、リィファがベッドにちょこんと座っていた。ジュリアから借りた子供向けの小説を、胸の前で持って読んでいる。
日報を終えたシルバは、羽ペンを置いた。リィファに話し掛けようと面を上げるが、なんとなく話しづらくやがて元に戻った。
(どうも会話がねえな。ジュリアなら向こうから勝手にぺちゃくちゃ喋ってきて、話が続くんだが。他の奴らは、どうしてるんだ? 性格が合う生徒とばかりじゃないってのに)
シルバが悩んでいると、扉がばたんと開いた。
「リーィファちゃん!」と、歌うような大声とともにジュリアが入ってきた。リィファへ向ける目は力強く輝いている。
「ジュリアさん、嬉しい! 今日も来てくれたんだ」
起立したリィファは、ジュリアと視線を合わせた。高めの声は、僅かながらも弾んでいた。
リィファはジュリアとは打ち解けていて、昨日も放課後に二人で出掛けていた。シルバは密かに、ジュリアの社交性の高さを羨んでいた。
突然ジュリアは、むっとした面持ちになった。
「まーた『さん』付けをしたよね。水臭いよ、リィファちゃん。なーんか距離を置かれてるみたいでやだなー。お互いのハート、ぴたっと密着させてこーよ」
不満げなジュリアに、リィファは決意を感じる眼差しを向けた。
「わかった。ぴたっと密着、だね。私、頑張るよ。ほんとに今日はありがとう。これから何をしよう?」
軽い問い掛けを受けて、ジュリアは笑窪を作った。
「リィファちゃん、そろそろ身体の調子は良くなった?」
「お陰様で、もう全然大丈夫だよ」リィファは深い感謝を感じさせる口調で答えた。
「そんじゃあちょっと教えてくんない? センセーとバトってた時の、ちょっと変わった格闘技。あれっていったい何なわけ? あたし、ずーっと気になっててさ。夜もお目々ぱっちりのぎらぎらだったんだよ」
「あれはね、『八卦掌』って名前の武道なの。でもどこで身につけたか、由来も何も全くわからないんだ」
リィファが静かに嘆くと、沈黙が訪れた。
やがて「そうだ!」と、ジュリアが、ぱんっと両手を合わせた。
「再来週に、十二歳以下しか出られない少年少女武闘会があるじゃんか! あたしも出るんだけど、リィファちゃんも出場しなよ! ばんばん勝ち抜いていっぱい試合をしてけば、ぜーったい、八卦掌を知ってる人が出てくるよ!」
ジュリアは活発に捲し立てた。リィファに近づき、ぎゅっと両手で両手を握る。
「それと優勝して、堂々と話せばいーよ! 『地球から来たリィファです。この星に来てすぐはなんか無意識にジュリアちゃんたちを襲っちゃったけど、この通りあたしは全然無害のピュアガールです。今度アストーリ校に入ります! 皆さん、これからよろしくお願いしまーす』ってさ! みんな、『おおっ! あの子、超かっこ可愛いじゃん!』ってなって、最高のアストーリ・デビューになるよ! あたしたちもばっちりお助けしちゃうから! ね? そうしよ!」
ぶんぶんと上下に両手を振り回しながら、ジュリアは喚いた。
リィファの瞳は、ジュリアに劣らない煌きを帯び始める。
「武闘会があるんだ! 私、出たい! えへへ、ジュリアちゃんナイスアイデア!」
リィファの声は高く芯が通っていた。手を掴んだまま、ジュリアはシルバに向き直った。
「センセー! ここは、センセーのセンセー・パワーの発揮しどこだよね! リィファちゃんも鍛えたげてよ! 教え子二人が、鮮やかにワンツー・フィニッシュ! 教師ミョーリ(冥利)に尽きまくっちゃうでしょ!」
二人から熱い視線が飛んできた。一呼吸を置いて、シルバは重々しく話し始める。
「わかった。二人とも訓練してやる。けど、馴れ合いはなしだ。一回でも手を抜いたら、即刻、練習は取り止める。肝に命じとけ」
言葉を終えないうちに、ジュリアは「やった!」と、飛び跳ね始めた。
(俺の思惑の外で、事態がどんどん展開してくな。まあ教え子が乗り気なんだから、俺がやらねえ道理はないよな。本気で教えてみるか)
静かに決意をするシルバの視線の先では、ジュリアに引き摺られたリィファの身体が上下していた。
整った両目は、嬉しそうに見開かれていた。
16
翌日、シルバは夜間警護だったが、敵の地球からの飛来はなかった。早朝に寮に戻り、リィファに軽く挨拶を交わして睡眠を取った。
起床は午後一時に近かったが、起きるなりシルバは、リィファの鍛錬を始めた。
鍛錬は、午後四時に終わった。二人はその足で役所に向かい、武闘会への参加手続きをした。
シルバの予想通り、やる気の全然なさげな職員はリィファの事情を尋ねず、通り一遍の説明をするだけだった。入校の時期に関しては、武闘会後になるという話だった。
役所を辞した二人は、帰途に就いた。一度、通って道がわかったのか、リィファはシルバの右斜め前を行っていた。右足、左足、左足、右足の順で擺歩、扣歩を繰り返し、半円状にくるくると身体を回しながら。
リィファが左を向いた時、シルバは顔を眺めた。幼い印象だが集中で澄んだ表情をしていた。
(常に訓練を意識、か。良いじゃねえか。すぐ試したがる辺りは子供っぽいが、純粋なのは長所だな)
リィファの動きを注視しつつ、シルバは思索をしていた。
五秒ほど歩いていると、びりっとリィファの足下から小さく音がした。リィファは、「あっ」と口を開いてしゃがんだ。
「すみません、シルバ先生。どうしよう。私、靴を壊しちゃいました。ジュリアさんが、せっかく貸してくれたのに」
申し訳なさそうに告白したリィファは、悲しげにシルバを見上げてくる。
(初めて名前を呼ばれたな。ちょっとは信頼されてんのか?)シルバは、リィファの靴に視線を落とした。小さな茶色の革靴は、内側の先の部分が僅かに破れていた。
「死にそうな顔をすんな。ジュリアはアバウトだから、直して返せば許してくれる。……いや、違うな。『ごめんね、すぐ破れちゃう靴なんか貸しちゃって。怪我はなかった?』っつって、逆にお節介を焼かれると見た。変なところで気を揉むからな」
シルバが冷静に予想を告げると、リィファは納得するかのように小さく微笑んだ。
「シルバ先生とジュリアさんって、本当に仲良しですよね。こないだ出掛けた時もジュリアさんは、ずうっと先生の話をしてましたし。なんか羨ましいです。深い絆を感じて」
優しげなリィファの指摘に、シルバは意表を突かれた思いだった。
「六年以上の付き合いだからな。仲が良いかは知らんが、ジュリアについちゃあ色々理解してるつもりだよ」
苦し紛れに返事をする。だが、リィファは訳知り顔でシルバを暖かく見詰め続けている。
「靴屋に持ってって修理してもらおう。ちょうど職人街は、帰り道にあるから」むず痒い思いを抱きながら、シルバはリィファを追い越した。
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