第42話「消された段落」
突然訪れた私たちにフェリはさして驚く風でもなかった。
「元気になったみたいじゃない。それで、私に何の用事?」
書類に目を通していたフェリは机から立ち上がり、部屋の隅にある面会卓――簡単な打ち合わせをするための空間――の席へ私たちを勧める。
「ティンさんのこと。フェリのことだから、何か調べたんじゃないかなって」
「ご明察。そんなことだろうと思ってたわ」
フェリは先程の書類をこちらに押し出してきた。獣皮紙で書かれた古い書類に記されていたのは、まさにティンさんの身辺についての調査報告だった。
シュテリ・エミ・ティン。旧「シュテリ王家」エミ氏族の一員。シュテリ家は民族的経緯から姓名の順が通常と異なることに注意すること。独立大学連合古機学研究室調査助手。「シュテリ王家」とは、民間企業東星谷重工業の経営者が戦後の「暫定的期間」の後も環宝冠山脈連邦の行政下に服することを拒絶し、ついに王国を僭称したものである。
シュテリ家の一族は第四次東征の後僭称していた王位を返上し、平民として各地を転々としていたものと見られるが詳細は不明。親族は他界または蒸発しており天涯孤独である。警備総監部特別局の調査によればティンが死去した段階でシュテリ家は断絶する。死後この事実を公表することによる東部諸州に及ぼす影響に関しては参照資料Cを閲覧すること。
建前含みの表現だけど、つまりは
私たちは、従属を選んだ。その詳しい理由についてはわからない。でも、想像はできる。北辺帝国の脅威もあったろうし……。両方に対して独立を勝ち取るよりは、比較的
でも、彼女のご先祖さまたちはそうしなかった。勝ち目があったんだろう。連邦の東征は何度も失敗してるから、その見込みはそう外れてもいなかったに違いない。――西の果ての小さな領地の主が実行した奇策が的中しなければ。なるほどティンさんが怒るはずだ。ヒンチリフ家の繁栄は、彼女の父さま母さまたちの屍の上に築かれていたんだ。
こんなこと考えてたって始まらない。暗澹たる心を奮い立たせ、脇道に逸れた思考を引き戻す。文書はその後も細々とした情報を伝えているが、特筆すべきものはない。しかし、それこそが奇妙にも思えた。
「よくこんなものがあったね。管外民の情報なんて普通ないでしょ」
管轄の外にある平民つまり管外民は出身地の管轄だから、資料が共有されているなんてことはない。照会もせずにすぐこんな情報が出てくるということは異例のことだ。
「それねえ……」
頬杖をついたフェリがため息をついた。
「資料室で見つけたのよ。その書類、おかしいと思わない?」
うーん。書式は特に間違っていないけれども。眼鏡を外して紙を近づけ、隅々まで目を走らせる。目線が下端に差し掛かったとき、ついに発見があった。
「あっ」
紙面が削り取られている。ちょうど一段落分くらいだろうか。書き損じを直したり、紙を再利用するときにはよくあることだけど……。
「記載が消されてる?」
「そ。書き損じって線もあるけど、どうも怪しいの。どちらかというと何かの情報を後から消したみたいな……」
「試してみたいことがあります。貸してもらえませんか」
アトミールが声を掛けてきた。フェリに目配せ。彼女の目が「よろしくってよ」と返事するのを待って書類を彼女に手渡す。
「受動可視光ではやはり難しいですね。ですが紫外線を使えば……読めました!」
弾んだ調子の声と裏腹、待てども話の続きは聞こえてこない。おや、と思って彼女の顔を見上げる。
「フェリエスさん。……ここに書かれていることを知っていることが他に知れれば重大な危険があるかもしれません。それでも知ることを望みますか?」
突然の指名。フェリは驚いたように目を瞬かせたが、それも一瞬のことだった。
「私を甘く見ないで。知らずに足下をすくわれる愚か者でいるくらいなら、知ったことで敗れた敗北者でいるほうがましだわ」
「それでは……。『条約軍司令部(Embere Enigniletiasii vi Trakt Agrii)』連絡員として地方監閣下に接触したいとの申告を受け所管にて対応。確認のため調査を行った。本件に関し今後警備部は関与を厳禁する。周知の後は本項自体をただちに抹消せよ」
フェリが小さく咳払いをした。
「これは……つまり。そう。少し事態を整理する必要があるわ。まず……。条約軍司令部って誰か知ってる?」
「わからないなあ……。たぶん一般名詞としての条約ではなくて、何か特定の条約、ということだよね。原始条約?」
フェリが首を傾げる。
「原始条約には同盟的性質はないわね。軍という単語と一緒になっているのは考えにくいんじゃないかしら」
「ほら、秘密議定書みたいなやつがあって、とか……」
ないよね、と思いながら。
「あり得ないと思うけど、こんな物騒な情報が出てくると――」
言葉を止めたフェリが、アトミールへと視線を向ける。
「私、担がれてる? 本当に書かれているのよね」
「懸念されるのはもっともです。これを見てください」
アトミールが卓の中央に書類を置く。
「紫外線という目に見えない光があります。日焼けはご存じでしょう。あれは日光に含まれる紫外線が原因です。紫外線は光の中でも物質に干渉する力が強いのですが、筆記跡にも作用します。見ていてください」
言い終えるなり削られた紙面の一部が鈍い紫色に照らされ、その中に文字が浮かび上がった。色が薄くひと目には読み切れないが、大筋アトミールが言ったとおりのことが書かれるように見える。
「紙を傷めるのでこの辺にしておきましょう」
紫と文字が瞬時に消えた。紫外線というものの性質を聞いて、放射線みたいなものかと思い至った。放射線っていうのはよくわからないんだけど、それがある場所に立ち入ると死ぬ。生半可な死に方じゃないから、噂されてくる事故者の話を聞くと身の毛がよだつんだよね。
アトミールの口ぶりからするとそこまで危険なものではないようだけれども、似たような種類のものなんだろう。新しい知識を頭に詰め込めた満足感を味わいながら、私は心の中で二人に詫びた。ごめん。ちょっと脱線させて。
「あのさ。話違うんだけど……。その紫外線って、どこから出てたの」
うう。フェリの目が冷たい。
「目です。私の目は
そこまで言って、彼女はいたずらっぽく目を細める。
「続きは今夜にしましょう。今はもっと大切な議論があるはずです」
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