第2章「ケイレアへの道」

第41話「褒め言葉の予測可能性」

 アストーセに帰還した私の心はどんよりと曇っていて、一週間ばかりも塞ぎ込んでいた。

 成果はあった。論文が書けるような発見だらけだし、アトミールのための強力な武器を沢山持ち帰ることができた。イコさんを連れ帰ることができればもっと良かったんだけど、現地の機械から離れることができないと言っていたので諦めた。

「あなたたちのような麗しい女性たちからのお誘いを断らざるを得ないのは一生の不覚です」なんて。ふざけた人だったけど、また会えたら良いな。いや、人じゃないのか。受け答えだけはアトミールより人間味があるから凄い。前にそんな感じのことを言ったらアトミールからへそを曲げられた。「人間から自然に見えるように作られていますからね。人間の振りがうまいだけの機械と、人間と異なる独自の知性、どちらがお好みですか」だそうだ。ほんと、こういうところは子供っぽいんだよね。

 問題は――。寝椅子の肘掛けに乗っていた頭を少し持ち上げて、後頭部に触れる。先週ここを触れていたのは、冷たい金属の銃口だった。

「あーあ、何がダメだったのかな」

 そういうことじゃないってことはわかってる。彼女には彼女の目指すところがあって、たまたま私はその道の上にぽかんと口を開けて立っていた。彼女は邪魔な私を突き飛ばして道を進んだ。そういうことだ。いわば、運が悪かった。単にそういうこと。

 でも、と思う。もっと彼女の思いに寄り添えていたら、手を取り合って目指せる何かがあったんじゃないかと。そんな心の文を知ってか知らずか、アトミールがそばに椅子を置く。

「クロエさんには何らの責任もありません。ですが――」

 座る椅子が僅かに軋む。見かけよりずっと重いのだ。

「ですが?」

「いえ、クロエさんはおわかりでしょう。……ですが、過去の最善手について悩み続けることは合理的ではありません。あなたの苦悩を私が分担できれば良いのですが」

 私を見下ろし肩を落とすアトミール。私のために気を揉んでくれることのうれしさと一緒に、彼女をもっと巻き込みたいという意地悪ないたずら心が首を出す。

「いいよ、いいよ。そういう風に思ってくれるだけでも心強いから」

 何気ない感じを装って口にした言葉の効果は覿面だった。見る間にアトミールのまなじりがふにゃりと下がる。

「卑怯ですよ。その……肯定的な感情を伝達していただけることは非常に、ええ、非常にありがたいのですが、もっと予測可能な状況でないと困ります」

「どうして?」

 心がささくれてるから、意地悪をしてしまうのも仕方ない。自分に言い訳しながらアトミールの拗ね顔を観察する。

「……意識解釈機が動揺すると物語記憶に基づく動作フィードバックに支障を来します。そちらがそのつもりならこっちだって相応の対抗手段を取りますよ」

 もっと詳しく、と尋ねようとした私の頬をアトミールが甘くつねる。

「や、やめろー」

 形ばかりの抵抗をしながら、心は裏腹に弾む。ほのかな痛みがなぜだかおかしくなって、私は笑い出してしまった。釣られてくすくす笑う彼女の様子を見て、私の胸に疑問が湧いた。

「あのね、変な意味じゃないんだけど……。アトミール、その気になったらあのまま私のほっぺを千切るくらい簡単じゃない」

 彼女は小さく眉を動かす。

「ええ。技術的には、そうですね」

「もっと大きい話として、世界を滅茶苦茶にすることだってできちゃうって、言ってたよね」

「はい」

「……そうしない理由って、聞いたことなかったなって思ったの。したくないと思っているのはわかってるんだけど……理由を聞いてみたくて」

 アトミールは何度か瞬きをすると、ぐいと顔を私に近づけた。

「その質問は、ティンさんのことと何か関係がありますか?」

 ティンさんに裏切られて神経質になっているんじゃないかと思われてる。

「いやいやいや。そういうことじゃないよ。……もしかしたら心のどこかでそういう部分もあるのかもしれないけど、少なくとも私の気持ちの中では純粋に気になっただけ」

 安心したらしく、彼女の顔が遠ざかる。あんまり近くなるとドキドキしちゃうんだよね。危なかった。

「結論を先に言います。そのことに何らの価値も見いだせないからです。私は、その……。ヒトと異なり、他者に対する社会的優越性を得ることに喜びを覚える性質を持ちませんから」

 言葉を選んでそれ? 思った以上に手厳しい人類への評価に私は目を丸くした。

「結構厳しいね」

「ヒトの本性の善悪のような話をしたいわけではないので、お気を悪くされたなら謝罪します。むしろ、私のような態度こそある種の傲慢さの現れに過ぎないのかもしれません」

「そうかなあ」

「私は支配することを望みません。これは言葉を換えると、全てが他人事である、ということです。クロエさんのお知り合いにもいませんでしたか。訳知り顔で外野から何事かを言いはするけども、実権を握って責任は負いたくない類の人が。私はそういう部類の存在です。傲慢でしょう?」

 おどけた様子で手を広げている彼女を見上げながら、私からの言葉を裏切りと感じて激昂した彼女の泣き顔を思い出していた。

「全部を他人事でやっていくなら、もう少しいい加減に生きた方が良いよ」

 話していたら気が紛れた。体を起こして体を伸ばす。

「アトミールって……思ったよりも良いやつだね」

「だから、そういう発言はもう少し予測可能に――」

 抗議する彼女を横目で見ながら立ち上がった。後回しにしていた仕事を片付けるときだ。

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