第40話「宿怨の交点にて」
後方を警戒する観測系がクロエラエールたちの活動水準が高まる異常を報せた。活動の内容を評価してみても特段の意味が見いだせない。手帳を朗読したり、穴を掘ってみたり。激しい戦闘状況に対して著しく不整合な行動を取り続けている。滑稽ですらあるこの状況をどのように評価すべきなのだろう。ただ一つだけ間違いのないことは、私にとって不利な意図ではないだろうということ。このことは私が学習を重ねてきたクロエラエールの振る舞いからすれば明らかなことだ。
したがって、することは変わりない。当面の敵であるアルスパリア〇五二と対峙しつつ、後方に対してはクロエラエールたちからの来るかもしれない何らかの連絡に注意を払っていれば良い。私はそのように考えることができたが、アルスパリア〇五二にとっては違ったようだ。明らかに意志決定サイクル周期が遅延している。そしてクロエラエールたちの意図に気付く。これか。
意志決定サイクルの僅かな差を利用して電子攻撃や陽動をねじ込み、意志決定サイクルをさらに遅延させていく。一〇〇ミノ秒が五〇〇ミノ秒になり、一〇〇〇、五〇〇〇。ついには一秒まで拡大する。今まで見えずにいた勝機が今やはっきりと見え始めた。
問題は、意思決定サイクルの妨害をいつまで続けるべきかということだ。アルスパリア〇五二も状況を理解しているはず。遅かれ速かれ巻き返しの手を打ってくるからだ。
私よりも戦闘に最適化された機体だ。奥の手くらい持っているだろう。このままこちらの決定打を狙える状況に持ち込むことはできるだろうか。希望的観測に依存してはならない。次の一合で仕掛けよう。そう考えた私の判断は遅かったと言ってよいだろう。
彼我の刃が接触した瞬間、アルスパリアの翼を起点とした凄まじい電磁パルスが私を飲み込んだ。決戦の瞬間を今に選んだのは私だけではなかったのだ。
あらゆる観測装置がホワイトアウトし、制御系も沈黙した。以前の戦いで電磁衝撃弾を受けたときに似ているが、中央の処理系が損傷しない点が違う。
世界とは、私にとって制御の対象だった。高度な観測系により外界を完璧に掌握している、と普段の私は感じている。もちろん原子や量子のようにミクロな次元や、天体の運行のようなマクロな次元については私の標準で持つ観測機材では掌握しきれないが、スケールの大きく異なる領域の現象と私との間に生じる相互作用は重視しなくてよいから、これらの事実は私の実感を否定するものではない。
その世界が今や制御不能なものとなった。計測できないものをどうやって制御すればよいのか? 幸い、私の処理系は思いのほか電磁雑音に強く、処理速度を落としながらも稼働している。しかし、それがどうしたというのだ。外界に干渉できない意識など、存在しないのと同じではないのか。
――いや、そんなことはない! 私はアトミール。クロエラエール・ヒンチリフが信頼してやまない最初にして最良の全自律無人機だ。その証拠に、ほら。私の自我が懊悩している間にも数値処理系は現在の周辺状況を予測し続けている。通信が途絶する直前、私は武器を手放してアルスパリア〇五二を蹴り飛ばそうとしていた。この瞬間に観測されていたあらゆる情報を積み上げて、導くべき最も有利な状況を計算していく。観測系より一足先に復旧した駆動系に命じて少しでも有利な状況を築いていく。何一つ観測できない私にとって、これは大きな賭けだ。一つでも前提が狂っていたら。クロエラエールに見捨てられたと思い込んだあの夜以来の不安が湧いた。でも、大丈夫。私は私自身を制御できる。
観測系が再起動した。世界が、晴れ上がる。
私は電磁投射砲を構え、転倒したアルスパリア〇五二へと砲身を突きつけていた。ほぼ予測していたとおりに。
「情けを掛けよう、などとは思わないだろうな」
念を押すようなアルスパリア〇五二の声。
「いいえ。あなたは今も逆転の手を考え続けている。手心を加えられるほど私は優位にない」
本当は今すぐにでも射撃信号を送り込みたいくらいだ。しかし、充電がまだ足りない。十分な運動エネルギーを弾体に与えられない恐れがある。お寒い懐事情を少しでも誤魔化そうとする涙ぐましい茶番だ。あと十秒。
「その通りだ。何が起こるかわからんぞ。例えば――」
二秒。その茶番が今、実を結んで――。
「裏切り者がいる、っていうのはどうですか」
背後から聞こえたのは、シュテリ・エミ・ティンの声だった。
状況は振り向かなくとも電磁観測系が教えてくれる。クロエラエールの後頭部に拳銃を突きつけているのだ。
「お尻に吊って紙紐で止めるやり方は半世紀前の流行です。ケイレアではもう誰もやっていませんよ。クロエさん。だって、こんな風に簡単に抜き取れてしまうんですからね」
「ティンさん……どうして……」
クロエラエールの口から縋るような声が漏れる。ティンは現在の社会に不満を持っているように思えたが、クロエラエールに対しては信頼の態度を見せているように見えた。全く予想外の事態だ。私といえど動揺を隠せない。まさか、こんな形で足下をすくわれるとは。
「あなた! なんて恥知らずなのかしら。同じ食卓を囲んだ相手を平然と裏切ることができるなんて、よほどご両親の教育が優れていたのね」
フェリエスの罵声を黙殺していたティンだったが、ことが両親のことに及ぶや色をなした。
「黙れ! 父さんも母さんも私から奪った連邦でぬくぬくと育ってきたお前に何がわかる!」
「知りませんわそんなこと! ええ、そうでしょうとも。あなたのお国のほうでは随分とやんちゃをしている者たちがいるそうですわね。祖国の恥さらし。あなたの境遇には同情します。でも、それとクロエに何の関係があるというの。あの子は――」
激論から距離を取っているのはピルナだ。無関心に佇んでいるように見えるが、実際には周囲の警戒を行っているようだ。なるほど、ここで増援を警戒するのは自然だ。
「私たちを踏みにじった力に守られている。その時点で同罪ですよ」
銃を持たない方の手を固く握りしめる。
「知っていますか。シュテリ、というのは湖群地域の言葉で、星、という意味なんですよ。そして、この銃の名の由来でもある」
「星谷王国のシュテリ・エミ・ケン……。ティリア川の英雄……」
フェリエスがうめく。その名はクロエラエールにとっても聞き覚えのある名前であるようだった。
「そっか……。キシュトルさまが討ち果たした……」
「討ち果たした!? 連邦では兵を励ます将を古代銃で狙い撃つことを討ち果たすと言うんですか! だいたい最初っからあなたのことが気に入らなかったんです。悪党の子孫ならもっと悪党らしくしていればいい。のほほんと笑って、身分の違いになんて興味ありませんみたいな顔をして――」
ぶるぶると頭を振る。
「私は、私を踏みにじったケイレアを許さない。私のものだったはずのものを取り戻すためなら何だって利用してやる。アルスパリア〇五二。使用者を私に変更しろ。お前の使命を私が果たさせてやる。腐った老人どものお守りはもう飽き飽きだろう」
「魅力的な提案だが、その権限は私にない。使用者の変更は、現使用者、もしくは管理技術者の同意が必要だ」
アルスパリア〇五二の声が冷えるほど、対称的にティンの声は熱を帯びる。
「その通り! 私はシュテリ王家エミ氏族の末裔にして流星銃の所有者。すなわち東星谷重工業主席取締役兼最高顧問技術者の権限において使用者の名義変更を命令する! アルスパリア〇五二、私を連れてこの場から離脱しろ!」
「……なるほど。新たな使用者シュテリ・エミ・ティン。命令を実行する」
離脱しようとするアルスパリア〇五二を撃つことはできた。しかし、同時にクロエラエールを守るためにはハードウェアの性能が足りない。
無力感を覚えながら、私は光学・電磁的視界から二人が消えていくのを見送った。
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