第37話「機械たちの交渉」

 扉の向こうの存在は人の背丈の半分程度の体高を持つ寸胴なシルエットをしていた。明らかに人のものではない。害意のなさそうな声ではある。しかし、害意がなさそうであることは、単に、そう思わせようとしている以上の意味を持たない。発話者が人間でなく、無人機であるなら尚更だ。何かあれば直ちに防御行動に出られるよう警戒態勢を崩さないまま、その白色の無人機に向き合った。

 筐体上部には顔になぞらえた画面があり、移動は車輪を用いるようだ。筐体左側には一本のマニピュレーターを備えている。

「私たちはこの施設へやってきた私的な調査団です。あなたの地位を明らかにしてください」

「僕はイコ。事務所向け汎用自律無人機だ。スケジュール管理から、茶飲み話の相手まで、およそ事務所で必要なだいたいの仕事を補助するのが僕の機能さ。君は?」

 画面には図案化された笑顔。口ぶりから、私が人間でないことを認識しているようだ。

 このまま自然言語音声通信で情報をやりとりすることを許すほど状況は悠長でない。アルスパリアのような存在に対するのと比べればセキュリティ上の懸念も少ないから、もっと効率的な方法を使った方がよいだろう。

「クロエさん。不可視通信を開始してもいいですか。つまり、私とイコが、皆さんにとって認識できない形で情報をやりとりするということです」

「それもおまじない・・・・・? 私はいいよ」

 クロエラエールが今の文脈で言うおまじない・・・・・という言葉は、前崩壊文明における手続き上の要請から私の取る行動を意味する。自律無人機同士の通信を誰も管理できないことは危険なので、人が認識できない形で通信を行うときは許可を取ることが要求されている。今となっては無意味な規格だが、違反する必要がないなら、あえて無視する理由もない。

 相互の文脈を把握した意思疎通はとても快適で、まるで彼女と私が完成されたシステムの一部であるかのよう。そのことは、私の中に陶酔めいた感情を生みだす。

「ということです。イコ。あなたとの非接触通信を要求します。対応規格を教えてください」

「せっかちだなあ。女の子から迫られるなんて僕ドキドキしちゃうよ」

 ヘラヘラと笑顔を浮かべたまま低俗な冗談を飛ばされた経験はない。処理系が不愉快な負荷を報告する。

「私には快不快を認識する機能があるのですよ。あなたがどうかは知りませんが」

「失礼失礼。ここではこういう言い回しが受けたんだよ。レトロだとかなんとかって。ええっと、プロトコルだよね」

「EVoEU(Erefion Vanfoliteias orvi Emperannfoliteias Urverserii)で決めましょう」

 手を差し出すと、イコも応じた。双方の手に組み込まれた近接通信モジュールが、EU、すなわち最も普遍的なUrverserii通信規格Emperannfoliteiasによって接続する。規格によればその後双方が利用可能な通信規格を送信する。順序は定められていないから、わざと待つ。イコから幾つかの通信方式が仕様書ごと送信されてきた。直ちに解釈、記憶した後、素知らぬ顔でそれらを含んだ通信規格のリストを送信してやる。通信規格を瞬時に理解し、自ら実装する能力あればこその芸当だ。

 続けて、実際に用いる通信方式を提案する。先んじて提案すると、先方からは承諾の返信。こうして通信は確立した。

 『イコは、アトミールおよび同行者の地位についての情報を要求する』

 実際の通信は自然言語で行われていない。自然言語は曖昧さを持ち、無人機間通信においては非効率だからだ。文脈の存在を最小限とする思想は、直前に行ったクロエラエールとの会話とちょうど正反対のものだ。確実であり、よほど強固に理解した相手とのものでなければ、効率的でもある。

 『アトミールは、イコが直前になした質問の目的が不明である限りにおいて、当該質問への回答を拒絶する』

 不必要に多い情報を与えるべきではない。対人コミュニケーションと違って、積極的な情報開示が信頼関係の構築に有益ということもない。

 『イコが直前になした質問は、アトミールらのイコおよび本施設に対する権限を確認することを目的とする。アトミールが回答を拒絶した場合、イコおよび本施設に対する本来アトミールらが有するべき権限の一部が行使不能となる場合がある』

 ほぼ即答。これは、イコの言葉に嘘がないことを示唆する。嘘をつくには今までの開示情報との整合性を確認する計算コストを要するからだ。とはいえ、どこまで手の内を晒すべきかは思案のしどころ。いかに一定の信頼が置けることがわかったとはいえ、潜在的な敵対の可能性は否定しがたいからだ。とはいえ、今はもっと深刻な危険が迫っている。比較衡量の結果、情報を開示することに決めた。あの日、私を信じてくれたクロエラエールのように。

 『アトミールは、原所属を環宝冠山脈連邦自律無人機開発センター星の浮島支処とする自律無人機である。原所属は崩壊戦争の後に成立した新たな環宝冠山脈連邦の一自治体である。同行者はクロエラエール・ヒンチリフ、シュテリ・エミ・ティン、フェリエス・ノアラ、ピルナ・アーデラの四名である。各人物の詳細については添付の構造化情報を確認せよ』

 『了解した。アトミールおよび全ての同行者を環宝冠山脈連邦国民ないしその利用機器と認識する。公的研究機関に関する特別措置に基づいて全ての情報を開示する』

 クロエラエールたちをここまでのやりとりは円滑そのもので、この間、クロエラエールらには瞬きをする間もなかっただろう。この調子なら通信は円滑に終わりそうだ。

 そう考えていた私はどうしようもなく愚かだった。

「あの」

 思わず声が出た。

「あれ、音声通信?」

 怪訝そうな声と顔でイコが尋ねてくる。

「……データ通信本体を邪魔したくないので」

 言い訳だ。そこまで思案をして発話したわけではない。

「ふうん? それで、なんだい」

「この面白おかしいデータ量はなんですか?」

 保存できない量ではないにせよ、ひたすらに多い。近距離高速通信ができることを加味しても、このまま転送を終えるまでに一日は掛かるだろう。

「この施設のサーバーに入ってる全データだけど、何か」

「明らかに個人的なデータもあるようですが」

 椅子につかまり立ち上がる子供、何らかの会食の場で機嫌良く踊る若い女、帽子を被りはにかむ男。自らの生涯を綴った散文、世界の美しさを称えた詩、魚を釣る老人の絵、思春期らしい悩みを歌い上げた音楽。軍事施設のサーバーに保管されるべきものではありそうもない。

「後世に残したい記録は何でも入れろってキーさんが言ったんだよ」

 キーさんというのは、恐らく私たちが見た動画の主、キールヘン一等武官のことなのだろう。

 とても興味深い情報ではあるが、今それを一日掛けて味わうわけにはいかない。一旦通信を停止し、現状を説明する信号を送った。直ちに返信が返ってくる。

 『アトミールおよび同行者は現在自身に対して敵対的な存在の接近を探知しており、急ぎ迎撃の準備を整える必要がある状況を認識した。一旦、当該目的のために有用と考えられる情報のみを提供する。すなわち、本倉庫に保管されている物品の目録、戦闘技術に関する知識などである。詳細はこの直後に送信するので確認されたい。その他、要求事項があれば伝達せよ』

 『戦闘および戦闘の準備のための計算資源を要求する。当該計算資源とのインターフェイスは妨害に対して頑強である必要がある。これは、アルスパリア〇五二が電磁場領域における強力な戦闘能力を持つためである。アルスパリア〇五二に関する既知の情報を構造化情報として送付する』

 『アトミールの要求は、戦闘加入の要求である。自律無人機であるイコは、行動決定において設定された使命やその優先度に基づかない評価を行えない。戦闘加入にはイコに与えられた使命、すなわち本施設内に保存された物的知的資源の円滑な引き渡しの観点から合目的であることを要する。アトミールは当該観点において説明をせよ』

 『アルスパリア〇五二は、本施設の有する歴史的文化的その他の観点において何らの関心も示さないと考えられる。アルスパリア〇五二が、全ての全自律無人機を破壊することを目的とした単能の専用機であることが根拠である。したがって、アルスパリア〇五二が勝利した場合、本施設は最善の場合でも無視され、最悪の場合は破壊される。アトミールが勝利した場合、イコの提供する全てのデータを保管し、管理することを保証する』

「アルスパリア〇五二にイコから戦闘加入とデータの管理に関する取引を持ちかけることも可能である。この方法がイコの使命に対する利益とならないことを示せ」

「アルスパリア〇五二には、アトミールに対する勝利を得た後に約束を履行する動機がないどころか、履行しない動機さえある。人類文明の記憶に対して強い興味関心を持つアトミールおよび同行者らとは対称的である。これは、イコが保管を要請するところのデータはあまりに膨大であり、純粋な戦闘のためという観点においては記憶領域を圧迫するため有害ですらあるためである。イコとの契約を無視したところでその情報は拡散されず、アルスパリア〇五二にとって裏切りが最適解である」

 イコはたっぷり一秒弱を思考にあてたのち、ためらいがちに返信してきた。

 『イコは前提としてアトミールから提供された情報を検証する能力を持たない。アトミールには、イコに対して虚偽の情報を伝達する動機がある。アトミールの提言を棄却することにも十分な合理性がある。しかしながら、最終的な判断として、アトミールに協力することが有利であると判断した。妨害に対して頑強な通信方式としては光学通信が妥当であろう。イコが本施設の計算機設備との間の通信を中継する』

 結論は出た。あとは、受領した情報を確認し、事前準備を行えばよい。承諾の旨を送信すると、返事代わりにデータが送られてきた。驚くほど芳醇な情報だ。中でも興味深いのは、当時の研究開発用自律無人機のために用意されていたのであろう、当時の工学的知見を体系的に整理した情報だ。意図的に私から遠ざけられてきた種類の情報が私に流れ込み、世界が拡張されていく。その感覚に私は酔いしれた。今まで点と線で結ばれているに過ぎなかった知識の隙間が埋まる。

「あの……アトミール、大丈夫? なんだか変な顔してるよ?」

 クロエラエールが心配そうに私の顔を見上げていた。よほどだらしない顔をしていたのだろう。過去の表情記録を再生して確認する。なるほど、彼女が困惑するのも無理からぬことだ。すっかりお留守になっていた表情の管理に若干の計算量を割り当て、状況に合わせた変化を任せる。

「いえ。大丈夫です。……頂いた情報と、倉庫内の物品目録。どうやら、勝算はありそうですよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る