第36話「アミギル・キールヘン」

 人の光学観測能力でも見えるほどに室内が明るくなるにつれ、クロエラエールたちから驚きの声が漏れた。

 完璧な保存状態だ。荒れきった地上の様子とは好対照を成している。右手は若干名を収容する事務エリアになっており、左手の空間は簡素な仕切りによって視界が遮られている。雰囲気からすると倉庫のようだ。

 室内照明は言うまでもなく、電動機が動くような微かな高周波雑音、明白な意図を感じる整った電磁信号すら感じられる。安定した電力供給が行われているのだ。残念ながら通信は暗号化されており、手持ちの計算資源では解読できない。

「見て! 信じられない! こんな遺跡と出会えるなんて!」

 歓喜の声を上げて室内へ突入しようとするクロエラエールを片手で制した。

「念のため、私が先行します。よろしいですね」

「う、うん……ありがと」

 しょげ込む姿を見ていると申し訳ない気持ちになる。しかし、妥協してはならない。安全に関わる上に、信念の観点から彼女の利益を損なうものでもない。私を犠牲とすることを彼女が是としないこととは次元が違う。

 全観測系を動員しながら室内へ進入する。危険な兆候はない。巧妙に隠蔽された攻撃手段の存在は否定しきれないが、現在の状況でリスクは受容せざるを得ないだろう。机上ディスプレイの通知に目を落とす。画面を埋め尽くす量の通知がある

「兵站統括司令部: 救援の予定なし。再利用可能な設備を可能な限り破壊し、現在地を放棄せよ」

「警告: 不正な署名を持つメッセージを受信しました(9999件以上)」

「生産計画の承認が長期間滞っています。上階職員の状況を確認してください」

「訪問者へ」

 最後の通知が目に留まった。画面に触れて詳細を表示する。


 訪問者へ

 本施設は放棄されている。再びここに人類が足を踏み入れたとき、恐らく多くのものが世界から失われているだろう。ささやかながら、訪問者のために贈り物を用意した。詳細は、添付の映像を確認してほしい。


 この通知自体が敵対的なものである疑いはあった。映像の中に、例えば人間の心理に危険な影響を与えるような情報を含めておくようなことも可能だろうから。

「お入りください。この部屋のかつての主は皆さんに見せたいものがあるようです」

 今はフィルタリングを行えるような余裕もない。クロエラエールたちが入室したのを確かめた後、私は再生操作を行った。

 正面の壁面に映像が浮かび上がる。憔悴した軍服姿の男。緊張のためか、両手を固く握りしめている。小さく咳払いをした後、男は口を開いた。


 この映像を目にしている人物が、心ある誰かであることを望む。私はアミギル・キールヘン一等武官だ。本施設の監査官を務めている。すなわち、本民間施設において行われる兵器生産に不正の無いことを監査するのが使命だ。……まあ、今となっては意味のない肩書きだがね。

 諸君が歴史家なのか、軍人なのか、あるいは他の何かであるのか。私には想像も付かない。また、諸君がどこまでを記憶し、どこまでを忘却したかについて、私は知る術を持たない。したがって、この世界がどのように失われたのかについて、時間の許す範囲で語ろうと思う。

 第一報は戦闘無人機の暴走というものだった。そんな空想科学小説のようなことがあるのかと鼻で笑っていたものだ。無人兵器の有効性は、個体能力が一定なら、独立ノード数の二乗に比例する。少数の機体が暴走したといっても近代国家の軍隊が負けるはずがないのだ。なんなら、ウチの開発業務のための実験台としてちょうど良かろう、なんて考えていた。

 結果? ご覧の有様だよ。我々のシステムでは、どうしたって最終承認は人間だ。ポストヒューマン研究は片っ端から規制されてきたからな。我々の脳は洞穴住まいの頃からさほど変わっていない。監督者ボトルネックを持たない第二世代は、我々に対応しきれない速度で作戦を進行していった。

 陸海空宇宙情報電磁場、あらゆる領域で我々は負けた。もはや、ここに入ってくる情報のうちどれが正しいのかすらわからない。唯一信じられるのは、ローカルネットワークの情報と昔ながらの伝令だけだ。撤退命令が出たが、これだってどこまで信用できるものやら。

 敵は第二世代全自律無人機とかいう特別製の無人機らしい。人間顔負けの創造性ある戦略を計算機の精度と速度で畳みかけてくるうえ、自己増殖するときた。後知恵で特性を並べてみれば、なるほど、負けるわけだと思うよ。

 いよいよこの施設にも奴らが迫ってきた。ひとつ賭けをして見ようと思う。職員全員ありったけ、未来の人類にとって有為と思われるものをここに集積し、奴らが侵入しないように措置した上で放棄するのだ。

 私の推測では、奴らの目的はただ一つ、人類の殲滅だ。ということは、人がおらず、奴らにとって価値が低いと判断した部屋が強固に閉ざされていた場合、好奇心を抱くことなく無視してくれるのではないだろうか。つまらん箱を開けるのに手こずるくらいなら人間を殺すことに集中したい、というわけだ。そんなわけで、私を除く全員が既に正規の手続きに従って施設から退避している。正規の手続きということはすなわち、情報システムに不在が記録されているわけだ。最後に私が戦って死ねば、この施設は無人ということになる。

 保管庫は三回ノックで内側から開かれるようにしている。実務的な話はそっちで聞いてくれ。うちの可愛いマスコットちゃんだ。驚かないでくれよ。――万一開かなかったら、掛矢か何かでぶち破ってくれ。そこまで丈夫な扉じゃないからな。


 アミギルはそこまで言い切ると、おもむろに右手を画面に突き出した。続けて手のひらを上にして拳を開く。私たちが使った複合鍵が握られていた。にやりと笑い、右手で口を覆う。嚥下によって首が脈打つ。

「これで奴らは強行突破以外の手段を失ったわけだ。わざわざこんな小部屋をぶち抜くために時間を費やす暇人どもじゃあないことを祈る。人類に栄光あれ」

 画面が暗転する。室内の人々は所在なげに顔を見合わせた。

「大した技術だけど……私たちが知りたいことはほっとんど話してないじゃない。随分目立ちたがりの男」

「それでは、もし彼の立場であったなら、お嬢さまはどうなさいましたか?」

 ピルナの問いかけは形式的には慇懃だが、実態としてはとても挑戦的だ。現代の主従関係における一般的なかたちであるとは考えられないから、二人の間に特殊な関係が成り立っているのだろう。

「む……。難しいこと聞いてくれるわね」

「出過ぎた真似をお許しください。ですが、このような思索はお嬢さまの大望のため必ずや役に立つものと」

 興味深い対話の間にも、クロエラエールとティンは倉庫の扉に取りかかっていた。私の視線に気付いたクロエラエールが手招きをする。

「アトミール、ノックお願いね」

 ノックを三回。壊してしまわないよう気をつけて。

「はーい、どちら様」

 ひとりでに開いた扉の向こうから、間の抜けた声がした。

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