第35話「物理電子複合鍵」

「急ぎましょう。地上の警戒受信機が捜索波らしきものを受信しました」

 アトミールの切迫した声が危機の訪れを告げた。

「もう逃げた方が……いいかな」

「逃げるには近すぎます。しかし、策を講じるということでしたら、まだ余裕はあると思います」

 策とはいっても、さしあたり思いつくことは、眼前の扉を開くことくらいだ。腕組みをして睨み付けてみるけれど、扉には取っ手すら見つからない。かろうじて鍵穴らしい小さな穴が中央部にあるくらいだ。

「これって本当に扉なの?」

 フェリの疑問はいかにも素人っぽい。仕方が無いんだけどね。

「自動扉だよ。ほら、さっきの昇降機の扉みたいに。人が触らなくても勝手に開くような扉が当時は沢山あったんだ。ここに境目があるでしょ。多分ここから横に開く。アトミール、どう? 開けられないかな」

 鍵穴を調べていたアトミールが顔を上げた。

「遺憾ながら困難です。これは物理電子複合鍵で、物理鍵によって作られる正解・・の回路に対して正しい信号を入力することで作動します。総当たり攻撃も当然想定しているでしょうからうかつな攻撃はできませんね。鍵を見つけられるに越したことはないのですが……」

 こういうものはアトミールに任せておけばなんとかなるとばかり思っていた自分に気がついて、私は恥ずかしくなった。もちろん、彼女にだって限界はあるのだ。じゃあ、私には何かできるだろうか?

 そうだ。私の懐中にはこんなときうってつけの武器があるじゃないか。

「ちょっと待って!」

 手帳を取り出して、調査記録に目を走らせる。何か、何か手がかりは。

 私の期待はついに報われた。最初に発見した兵士の亡骸のそばに、金属製の飾りが落ちていると記録してあるじゃないか!

「ねえ、アトミール! これ、もしかして……!」

 彼女がしげしげと私の手帳を覗き込む。翡翠色の後頭部が私の視界一杯に広がる。

「私の記録と照合します。……本当ですね。確認にいきましょう」

 アトミールが私の背中へ手を回してきた。突然のことに目を丸くしている私をよそに、彼女は片膝を立ててかがみ込んだ。

「困惑させてしまいましたか。……昇降機を使うより、この方が早いです。もしお嫌なら――」

 ああ、なるほど。私はお尻の埃を払うと、彼女の膝へと腰掛けた。

「ううん。大丈夫。頼りにしてるよ。アトミール」

「……!」

 強張った表情を浮かべ身震いをする彼女を見上げる。可愛い。

「ありがとうございます。それでは」

 片腕が私のすねの下に潜り込み、腰との二点で支えられて私は大地から浮き上がった。

 アトミールの正面で横抱きにされている私はまるで花嫁のよう。抱えられて真横から見える鼻筋の通った彼女の顔を意識してしまい、胸が小さく跳ねる。

「あなたたちだけで大丈夫かしら? お熱い新郎新婦さん?」

 フェリのいたずらっぽい憎まれ口が私を現実に引き戻した。

「あはは……」

「残念ながら私は配偶者としてはあまり適切ではないと思いますよ。それでは、クロエさん。しっかりつかまっててくださいね」

 彼女は素っ気ない返事の直後大地を蹴り、私たちは地上へと跳んだ。落とされた階段部分をまるごと跳び越し踊り場を踏む着地の衝撃、次の跳躍で地上階へと辿り着く。目まぐるしく移り変わる視界。やがて優しく下へと降ろされて、再び靴が地面に触れる。

「ありがと。……いやー、凄い速さだったね」

 勢いの割に衝撃は大したことなかったな。立ち上がるべく足に力を込めると、靴裏に砂利のような感覚があった。練岩の破片が散らばっている。アトミールの足下を中心として、放射状に。

「もしかして、結構気を使ってくれてた?」

「クロエさんに加わる慣性力は最小限に制御しましたよ。生命の危険があると判断しましたので」

「そっか。……ありがとう」

 もういちど、さっきよりもずっと真剣に言い直した。

 入口のある部屋へ向かい始めてすぐ、彼女が再び口を開いた。

「くどいとおっしゃることは理解していますが――」

「うん、くどいぞ」

「せめて最後まで言わせてもらえませんか?」

「だって、いざとなったら見捨てろ、みたいなことを言うつもりなんでしょ?」

「それは、その通りですが」

 アトミールは黙り込んでしまった。なんだかこれじゃ、私が悪いことをしたみたいじゃないか。自分の中に湧いてきた罪悪感に戸惑う。

「じゃあ――私以外のみんなには別の方向に逃げてもらおう。そうしたら、あいつはあなたと、たぶん私だけを狙う。そうでしょ?」

 せめて多少の譲歩めいたことを言いたくて、苦し紛れに。少しくらいは機嫌を直してくれる、そう思ったのに、彼女の返事はつれない。

「まあ、そうですよね。そういう方です。クロエさんは」

 すっかり口を尖らせている。

「もー。そんなんじゃわかんないよ」

「いいですよ。そのままのクロエさんでいてください。ほら、着きましたから」

 これ以上考えていても仕方がない。意を決して部屋に足を踏み入れると、遺体は変わらぬ場所にあった。近づき彼の腰あたりを調べると、記録通り、一本の小さな鍵が転がっている。

「ごめんなさい。どうか貸してください。私たちの未来のために」

 小さく礼拝して拾い上げる。平たい持ち手の部分から、差し込み部らしい円柱が伸びていた。差し込み部には何ら凹凸もない。こんなものが鍵になるのだろうか。その疑問は、鍵をいろいろな角度から調べている内に解けた。鍵の鍵としての機能は、差し込み部の内側に隠されている! 差し込み部の円柱は中空になっていて、その内部をよくよく見ると、何やら色々な機構が組み込まれているように見える。どうやってこんな狭い空間に鍵としての機能を作り込んだのか。想像もできないけれど、なるほど、この形なら、合鍵を密かに作るようなことは不可能だろう。

「すごいね、これ」

 思わず言葉が漏れる。

「……行きましょう。あまり、時間がありません」

 アトミールに促され、私は立ち上がる。

 帰途はまた、あの目が回るような跳躍体験だ。小さくため息をつくと、私は彼女に従って、再び抱き上げられる態勢を取った。

 目まぐるしい帰途を終え、私たちは再び扉の前へ立つ。鍵を差し込むと、低い音がして扉が開き始めた。

「さあ、何が出るか……」

 ティンさんが呟くのが聞こえた直後、扉の向こうに明かりが灯った。

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