第34話「石柱の島々」

 一階の他の部屋は概観した限り特筆することはない。アトミールに測定だけしてもらって私自身の記録は後回しにした。手を抜いているようで嫌なんだけど、フェリの優先順位を付けないとという意見も正しい。

 二階に昇る方法は二つ。広間の中央にある昇降機と、建屋の北端にある怪談だ。昇降機は電源が落ちていて使えないので、階段を使った。階段は金属製。ガラス張りの壁面があったようだが、砕けて吹きさらしだ。階段にもところどころ貫通痕がある。裏側は花が咲くようにめくれ上がり、貫通した銃弾の威力を物語る。こわごわ二階に上がったところにもガラス製の扉があったが、これまた粉々に砕かれている。

 部屋の中には、重厚な机が整然と並べられていた。この雰囲気、知ってる。典型的な古代の事務所だ。

「足下、気をつけて」

 注意を促しながらガラスの破片を踏み越える。じゃりじゃりという音が硬質の空間に反響する。

「情報端末が生きていれば――」

 ティンさんの声が期待で弾む。古代には現場での作業を機械がやっていて、人は指揮監督に専念していたという。だから、当時の事務所は情報の海のような場所だった。その一端に触れることによってなされた学問的な進歩は少なくない。独立大学連合が比類ない科学力・技術力を持つこと自体、アリュネー島にある工場や研究施設の多くが状態の良いまま保存されてきたことも理由の一つだ。そんな進歩が私たちの手に届くなら……。いけない。よだれが出そう。

 私たちの期待は、足を踏み入れてすぐ失望へと変わった。

 部屋の状態はとてもいいのに、備品の一部だけが徹底的に破壊されているのだ。板状の道具、天面にガラスの嵌め込まれた机、電線の繋がった四角い箱。いずれも叩き壊されていて、内部にあった小さな部品が零れ出ている。この事務所は情報の亡骸だ。

「人為的ですね」

「うん……。敵に渡したくなかったのかな」

 他にめぼしいものもない。この施設の情報を丹念にまとめれば十分な成果にはなるのだから落胆なんてしてられない。遺跡に対して失礼ですらあるのだけど、最初の期待が高すぎた。私たちは意気消沈しながら記録を取る作業を進めた。

 日が暮れ始める頃には記録作業が終わった。私は大きく伸びをして、窓辺へと近付いた。

 大きな建物の屋根が夕陽に照らされている。平屋の建物で、殆どが水没してしまっているようだ。私たちのような小規模の調査団で調べることは不可能だろう。アトミールに丸投げすれば、できなくはないのかもしれないけど。それをやってしまうのはなんだか違う気がする。きちんとした大規模調査団に任せるべきだ。

 遠くへ目を向けると、練岩造りの古代建築が空気を求めて喘ぐように水面から突き出ている。

「今の私たちみたい」

 ぽつりと呟いた言葉に、ティンさんが反応した。

「どういう意味ですか?」

「ごめん。ちょっと回りくどい言い方だったかも。足下はぐちゃぐちゃなんだけど、昔積み上げたものを使ってかろうじて息継ぎしてる、みたいな。それって、私たちの世界が今やってることみたいだなって」

「ちょっと、クロエ」

 咎めるような声だった。

「敗北主義的じゃない? あなた、そんな風に感傷に浸って衰退を受け入れるような人だったの?」

 フェリは厳しいなあ。そのことが嬉しくって、つい笑顔になってしまう。

「その批判は受け入れられないな。私はの話はしたけれど、未来・・の話はしてないよ」

「じゃあ、未来の話をして頂戴な」

 詰問するようで、期待に満ちた目。困ったな。あんまり適当なことは言えないぞ。

「そうだね……。私たちは足下だっておぼつかない。でも、私たちの父さま母さま、爺さま婆さまたちは、前崩壊文明の遺産をなんとか使って息継ぎのできる状態まで持ってきてくれた。ここからは私たちの仕事。私だって、フェリには期待してるんだよ」

 フェリが目を丸くする様子は傑作だった。私が噴き出しちゃうくらいには。

「い、いきなりそんなことを言うの、反則じゃない! もう……」

 湯気が噴き出しそうな彼女を尻目に、私は移動の準備を始めた。

「ほらほら、次行こう。地下があるんだよね」

 階段を逆向きに降りていった私たちは、地下へ向かう行く手が崩落していることに気がついた。

「あちゃあ」

 派手に崩れている。というよりも、崩したのだろう。取付金具と思われる部材を残して、肝心の階段部分が存在しない。

「ロープ持ってきてたよね。降りられるかな」

 階段に括り付けて降りればなんとかならなくもない。

「ここは……深いですね。普通の一階分ではありません。私は可能ですし、クロエさんも可能なのかもしれませんが……」

 アトミールが心配そうにフェリへと視線を向けると、フェリはピルナさんを睨んだ。

「恐れながら、フェリエスお嬢さまをそのような危険に晒すわけにはいきません」

 ははあ、フェリはできないか。

「昇降機の方に行ってみよ。なんとか動かせるかもしれないし」


 †


 昇降機は広間の中央に設置されている。寸法は私が腕を広げたくらいの正方形。ほとんどが透明な部材で作られていて、かごの床面とかごを支える支柱だけがはっきりと見える。入口の手前には制御盤らしきものがあって、上方向と下方向の矢印を描いたボタンが設けられている。以前調べたことのある昇降機と比べて、私は首を傾げた。

「巻上機がないんだ」

 昇降機のかごを上下させる方法として素直に思い浮かぶのは、綱で吊って巻上機を動かす方法だろう。現代でも人力や水力などを使った類似のものはごく一部で使われているし、学生時代に私が調べた前崩壊文明のものもそうだった。ところが、この昇降機のかごには綱がない。昇降路の上を見上げても、滑車のようなものすらない。

「たまに見かける形式ですよ。あの支柱があるでしょう。直線電動機で駆動するんです」

 ティンさんはやっぱり経験豊富だ。そうか。直線電動機は縦に置くこともあったのか。

「待って。直線電動機っていうのは、どういうものなの」

 後ろから聞こえたのは意外な人の声だった。

「フェリが技術的な話に乗ってくるなんて意外だな」

「そのなんとかいうものに命を預けるんだもの。これくらい聞いてもいいでしょ」

 なるほどな。言わんとするところを察したので、目で冷やかすだけでこれ以上追究はしないことにする。

「……何、その目」

「なあんでも。……電動機はわかるよね? 電気を流すと軸が回るやつ」

「それくらいはわかるわよ。水車風車よりずっと便利だったんでしょ」

「そうそう。ずっと小さくできるうえに力も大きくできて、流す電気を調節すれば好きな勢いで回せる」

 もっとも、電気を作るには結局水車や風車が必要なんだけど。こういう細かい話は今しなくていいだろう。

「そこまでわかればあとは簡単だよ。軸を回すっていうのは、こういう回転の動きだけど――こう」

 指をフェリの前でぐるぐると回す。そしてぐいっと左から右へ。

「直線の動きにすることもできたんだって。それが直線電動機。列車を動かすのにも使われていたらしいよ」

 ふうん、とフェリは感心するようなため息を漏らした。凄いだろう。口には出さないけども、彼女にはわかるように表情で見せた。

 のんきな私たちを尻目に、ティンさんはじっと昇降機を見つめている。

「この形式は厄介です。巻上げ式なら工夫次第で動かせますが、直線電動機式は電源がないと手も足も出ませんよ」

 こうなると頼れるのはただ一人だ。視線を向けると、冗談っぽく肩を竦めた彼女が言う。

「やってみましょう。記録を先に済ませてください」

 おおまかな様子は既に記録を終えていたので、細かいところを進めていく。閉ざされた横開き戸の合わせ目。透き通った戸板はとても滑らかで、試しに指でなぞってみても一切の凹凸を感じない。合わせ目自体ぴたりと閉じていて、虫一匹通ることもできそうにない。扉の中には歯車やベルトなど、透明にしきれなかった機械部品が見える。扉を駆動するための機構のようだ。

「みんな、大丈夫?」

 皆が頷くのを確認してから、アトミールに頷いた。

「それでは、少し離れて下さい」

 彼女は扉の前に立つと、扉の合わせ目に手を掛けた。

 思ったより滑らかに扉が開き、最後には人が通れるくらいの幅になった。

「どうしました?」

 私の表情を見た彼女は怪訝な顔をする。

「いや、その扉……よく指が掛かったね」

「指の形を変えるだけですよ。そう難しいことではありません。……皆さんには難しいかもしれませんが」

 そう。そうか。最近あまり意識していなかったけど、彼女はそういう存在なのだった。私が気持ちの整理を付けている間にも彼女はかごの中に足を踏み入れて、何度かその場で小さく飛び跳ねた。

「安定していますね。どうぞ入ってください。ここからは少し手荒になります。記録するなら今ですよ」

 中の調査も同様にした。中は透明で平坦な空間で、扉の脇に赤色のボタンがある他は何もない。あまりに何もなくて不安になるくらいだ。

「問題ないですね。それでは」

 アトミールは出し抜けに剣を取り出したかと思うと床の一角を斬りつけ、そのまま剣をてこにして床材を引き剥がした。

「ここも調べられるのではないですか」

 露出している床下には色とりどりの配線が走っている。あるものは小さい箱のような部分から伸びて直線電動機へ向かっており、またあるものは同じ箱から伸びて扉へと向かっている。一際目立つのは他と比べて圧倒的に太い一本の線だ。これは扉側の壁面に取り付けられた板状の部材から伸びている。電源線かな。

「電源が供給されていないので、ここを切断して私から給電します。それなりにエネルギーを消費しますので、後で補給お願いしますね」

 あっさりと切り離された電源線の一端を彼女が握りしめる。その瞬間、世界は一変した。先程まで透明だった壁面が青く輝き、室内に無機的な声が響く。

「尋海支廠一号昇降機。システムを起動中です。自己診断を行っています。電源系……受電設備に異常があります。起動処理を終了……終了……終了……自己診断は正常に終了しました。インフォテイメント系を起動します」

「失礼。少しぐずりましたので、大人しく・・・・させました」

 にこやかに物騒なことを言う。そんな彼女の背後を起点として壁面の様子が変化を始めた。渦を巻くような図案が壁面に現れて動く。何事かと思っている間にも図は変化し、今度は魚が現れた。

「ええっ」

「映像です。実物ではありませんよ」

 アトミールが教えてくれなければ本物と間違えてしまうくらいには真に迫っていた。水草が生い茂り、そこから気泡が立ち上る。まるで海底にいるようだ。

「駆動制御系を起動します。完了。起動処理は正常終了しました。行き先ボタンを押してください」

 赤いボタンの上には二つのボタン。二階へ上がるためのものと、地下へ降りるためのもののようだ。もちろん、今目指すべきは地下。力一杯ボタンを押し込む。私の指を受け止めて凹んでくれると思っていた部分は微動だにせず、指先から衝撃が走った。

「いてってててて……いや、大丈夫。大丈夫だから。ありがとね」

 目的地へは指の痛みと戦っている間に着いた。扉もきちんと自動で開く。

「これって……」

 そこにあるのは、見覚えのある扉だった。

「星の浮島支処と同様の隔壁ですね。どこかに制御装置があるはずです」

 前を歩いていたアトミールが、不意にこちらを振り返った。

「急ぎましょう。地上の警戒受信機が捜索波らしきものを受信しました」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る