第33話「古術学者と盗掘者」
外観の記録を取る作業はアトミールのお陰であっという間に終わった。殺人機械を調査したときもそうだったけれど、寸法を計測する作業をアトミールがやってくれると、信じられないくらい速くて正確だ。自分自身の中に遺跡の状態を叩き込むという意味があるからスケッチを彼女任せにするわけにはいかないとはいえ、検算作業を彼女がやってくれるだけでも随分違う。こういうときはもちろんお礼だ。
「えへへ。これくらい私にとっては容易いことです。何でしたらもっといろいろなことをお任せ頂いてもいいんですよ」
身振り手振りで喜びを表現してくる彼女を見ていると、なんだかとても嬉しくなる。
「いろいろなこと、ね……」
おどけた調子で言ってくるから、きっと何かひどい冗談を言うつもりだ。身構えていると、案の定の言葉が飛んできた。
「呼吸だって代行できますよ」
「今のところ自分で出来てるよ」
「配偶者のような社会的役割を要求されるのでしたら、そのように振る舞うことだって可能です」
「それは……えっと、要求するようなことじゃなくない?」
ごほんと咳払いの声。しびれを切らしたフェリが私たちを現実へと引き戻す。
「入る前からこんなに時間を掛けていたら日が暮れちゃうじゃない。ちゃんと予定通りに進んでいるの?」
「まあ、最悪明日の日没までに船に戻れればいいから大丈夫だよ。明日のお昼過ぎには出ないとだけど、早起きすれば今日と同じくらい作業できるはずだし」
「……いいこと。攻撃の危険があるっていうのはクロエ、あなたの言葉よ。そんなのんきにしてはいられないわ」
「調査しないで入るわけにはいかないの! それをやったら盗掘者と一緒になっちゃうんだよ」
古術学者と盗掘者。新しい知識を得るために遺跡へ足を踏み入れるのが古術学者で、経済的な利益を得るためにするのが盗掘者だ。言葉の上では綺麗に分かれる。けれど、実態の境界線はとても危うい。なぜなら、古術学者を後援する人々はほとんどいつも、知識だけでない、ただちに利益に結びつくような発見を望んでいるからだ。例えば強力な武器、美しい装飾、素晴らしい道具。いくら我こそは古術学者と胸を張ったところで、私ですら武器を求めてここへとやってきたという現実がある。
現代における実用のために遺物を積極的に収集すべきかについては激しい議論が交わされているけれど、現実的には役に立てざるを得ないというのが大部分の意見だ。私は、未熟な管苺を噛みしめたみたいな渋っ面を浮かべた上で、この意見に賛成する。将来の記憶を保つために、今この瞬間失われつつあるものを諦めてはいけない。
かくして、辞書的な定義の他に、より妥協的な基準が発明された。記録を残すか残さないかだ。
古術学者は、遺物を時に持ち去り、自らやその後援者の役に立てる。しかし、必ず、必ず遺物を持ち去る前の状態を克明に写し取る。自らの能力の全てを費やして写し取る。それと引き換えにして初めて、古術学者は自らを古術学者と名乗り、盗掘者を非難することができる。
私は手帳を取り出して、ぱらぱらとページをめくった。
「これはネルジコシム第二商業遺跡の実習調査記録。うわ、スケッチ下手。それでこれが遺物の調査実習記録。昔はこの黒い板で時間がわかったらしいよ。こっちは飛んで星の浮島の遺跡。賊に追いかけられながらだったからすっごく雑で悔しいんだけど……一応ちゃんと書いた。この辺は全部アミリス・オナーで殺人機械を相手にしたときのやつ」
こうして並べていくと、自分の学者志望者としての人生を振り返るようで、どこかむずむずとした気持ちがする。フェリエスは答えず、私の示すページの一つ一つを見つめている。
「記録は、私たちが立ち入ることで失われてしまう遺跡の記憶を一欠片でも多く世界に留めるための方法なんだ。これをやめたら、私は二度と古術学者を名乗れなくなる」
腕組みをしたフェリが私の目をじっと睨んでくる。え、何、怖い。そうは思いつつも、ここで目を逸らしちゃいけないと思った。
「見上げた矜恃。巻き込まれてさえいなければ、もっと良かったんだけど。……いいわ。あなたがそう言うなら、好きになさい。でも、なるべく武器探しは急いでね」
「まっかせなさい。このクロエラエール・ヒンチリフの名にかけて、完璧な調査をしてみせるよ」
「やれやれ。先が思いやられるわ」
フェリのため息を後ろに聞きながら安全確認を済ませる。
「アトミール。お願い」
無言で頷いた彼女は、外壁の破口から足を踏み入れる。数秒後、彼女の笑顔がこちらを振り返った。
「少し粉塵がありますが、有毒な気体はありません。防塵さえすれば問題ないでしょう」
ポケットから防塵布を取り出して口を覆った。ティンさんもピルナさんも問題なし。いざ入ろうと思ったとき、視界の片隅で防塵布を前に悪戦苦闘しているフェリが目に留まった。
「手伝う?」「お手伝いいたします」
ピルナさんとかぶってしまった。気を悪くしないかな、と表情を伺うけども細剣のような彼女の顔は無色で何一つ伝えてこない。
「折角ですから、クロエさまにお願いしてはいかがですか」
顔色と同じように透明な声で、ピルナさんが言う。その言葉に、フェリは虚を突かれたようだった。
「ええ……そう。じゃあ、クロエ、お願い」
いいのかな。ためらいがちに彼女の防塵布を受け取る。菱形模様の上等な織物だ。口を覆い、彼女の髪が私の指をくすぐってくるのを感じながら、後頭部に回した余りの布を縛る。
「できたよ」
「助かったわ。普段、こういうことはしないもの」
かくていよいよ準備万端整った私たちは、遺跡への第一歩を踏み出した。
一歩踏み入れると、粉っぽく乾いたにおいが布を通じて伝わってくる。練岩製らしい床の感触は硬い。薄暗さに目が慣れてくるにつれ、私は息を呑んだ。
「ひどい……」
床にはいくつものテーブルが横倒しにされてあちこちを向いている。一部散乱しているものもあるが、おおまかには部屋の開口部に天板を向けているという規則性があるから、意図的に並べたものだろう。多分、外敵に対する盾として使ったのではないか。
テーブルの数、そして空間の一端にある特徴的な給仕台。恐らくは食堂のような部屋だったのだろう。穏やかな憩いの空間がこうも無残に破壊されてしまっているのを見ると、胸が締め付けられるような気がした。
壁はところどころズタズタに引き裂かれ、筋金が露出している。今まで崩落しなかったのが奇跡のようだ。不安になり、思わず天井を見上げる。駄目、こんなところで臆病になっていては。
勇気を出そう。よく観察すると、一つのテーブルには古代銃らしいものが固定されていた。外観からすると、古代銃の中でも射撃に電気を使うものだ。前に探索した人々が持って帰ってもよさそうなものだが、電気式古代銃は現代では実用性が殆どないので、重さもあって放置されていたのだろう。でも、アトミールならもしかしたら。
「これ、使えないかな?」
記録のため近くへ寄ってみる。普通の銃の倍はある大きさ。持てるはずがないので、このように設置して使うものだったのだろう。机に固定してあるというよりは、金属製の台座に据えてあり、この台座と射手を机で守っているという方が正しい。机の裏には緑色の袋が積んである。補強材だろうか。台座の周囲は汚れていて白い石が散らばっている。どうしてここだけこんなに――。
「ひゃああああっ!?」
「大丈夫ですか!?」
駆けつけてきたアトミールに思わず抱きつくと、早鐘を打っていた胸が次第に落ち着いてくるのを感じた。
「ごめん。その……骨が落ちてて、驚いちゃった」
黒い眼窩が私たちを見上げて笑っていた。平和の訪れを喜んでいるようでもあり、落ちぶれた今日の人類を嘲っているようでもある。いずれにしても、と私は筆を執った。
「死人も記録するのね」
戸惑うようなフェリの声。彼も、それとも彼女だろうか。今まで遺跡に入って遺体を見たことはなかったけれど、ともかく記録の対象であることには違いない。それに――。
「銃が墓標になるよりは、本の中で眠りたいと思うよ。私はね」
言葉にして見ると、なんだか独りよがりな気がしてきた。
「もちろんちゃんとお祈りもするよ」
言い訳めいているけど、事実、言い訳だ。筆を片付けて、遺体へと向き直る。
はて、古代の死者を弔うには、どの神様にお祈りを捧げればいいんだろう。
「ティンさん、こういうときは誰にお祈りすればいいんだろう」
「史神に捧げるのが普通ですね。死者がどんな人であれ、史神の懐に抱かれるのは変わらないですから」
とりあえず史神を出しておけば無難。古代の人にも変わらないのか。粛々と祈りを捧げてから、もう一度アトミールに尋ねた。
「この銃、どうかな。使える?」
彼女はおもむろに銃へと手を伸ばして、優しく撫でた。
「難しそうですね。かなり腐食が進んでいますし、入力電流の規格がわかりません。試行の中で破壊してしまう可能性が高いでしょう。ですが、この寸法、どこかで……」
少しの沈黙を挟んで、彼女は驚きの声を上げた。
「アミリス・オナーの殺人機械が搭載していたものと酷似しています。恐らくあちらが車載型で、こちらが設置型なのでしょう」
意外な繋がりだ。ということは、あの殺人機械は当時の連邦軍が作ったものということになるのだろうか。
「そっか、残念。じゃあ、次の部屋に行こう。ティンさんは何か意見あるかな」
「地下もあるようですが、上を先にしたほうがいいと思います。下はどうせ暗いでしょうから、明るいうちに日が入る場所を見た方がいい」
納得しかけて、彼女の言葉に小さな違和感を覚えた。その正体に私が気付くより早く、アトミールが尋ねた。
「下方には確かに空間があります。どうやって気付かれました?」
「歩いた感覚ですよ。少し虚ろな感じがしたので。ここは結構わかりやすいですね」
そんな、馬鹿な。試しに何度か歩いてみるけれど、私には全然わからない。経験の違いというものを見せつけられて、少し気が遠くなるような気がした。
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