第32話「湿原の兵器廠」
泥の頼りない足元と、水に引かれて重い足取り。湿原を進む長い行程もいよいよ終わり、私は半日ぶりにしっかりした大地を踏みしめた。
「やっと着いたーっ!」
解放感に叫ぶ。あちこち崩れ落ち苔むした古い建物が正面に見える。アストーセを離れて船で三日、湿原に上陸して辿り着いたのが今回の目的地だ。とても面白い形。全体が波打つような輪郭を持つ二階建てで、さほど大きくない建物だ。だいたい、うちのお屋敷より一回り小さいくらいだろうか。実用一辺倒の建物という感じはしない。かつては兵器工場だったというから、なんだかちぐはぐな感じがする。兵器廠というのはもっと無骨な作りをしているものだと思ったのに。
この遺跡は最近見つかったものだとかで、まだ大規模な調査は行われていないらしい。あわよくば、何か大発見があるかもしれない。
私が古代との対話に夢中になっていると、後ろから湿った足音が聞こえてきた。
「もうくったくた。こんな沼を歩かされるなんて聞いてなかったわ」
「無理にでも着いていくとおっしゃったのはノアラ様の方ではありませんか?」
フェリとティンさんが小さな火花を散らしている。絶対に相性が悪いからあまり一緒にしたくはなかったんだけど、フェリがどうしても付いてくると言って聞かなかったのだ。案の定の結果ではあるけれど、恐れていた最悪の事態と比べたらずっといい。振り返ってみると、ちょうど牽いてきた筏をアトミールが岸辺に固定しているところだった。はいてきた樹脂びきの胴長靴を脱ぐ間にも、後続集団の会話が聞こえてくる。
「フェリエスさんもクロエさんが心配だったのでしょう。ご覧の通り、遺跡とみれば後先考えず飛び出してしまう方ですからね」
「それはまあ、そうですけど」
あれ、私けなされてない?
「ちょっと待ってよ。それじゃあまるで、私が遺跡に目がなくって何も考えずに飛び出すお馬鹿さんみたいじゃない」
意外そうな顔でアトミールが私を見る。
「クロエさんの知的能力が平均的なヒトから劣後するとは考えられません。ですが、一般的な方と行動の優先順位が異なることは事実ではないですか?」
ふて腐れた私の顔を見て、アトミールは愉快そうに笑い始めた。
「すみません。意地悪なことを言いました」
むくれてるのが馬鹿みたいに思えてきて、彼女に釣られて笑った。
「ひとまず休憩にしませんか」
「あー」
ティンさんの提案を聞いて、私は空を見上げた。陽は頂天、なるほど、そろそろお昼時だ。皆の視線が集まる。一応、私はこの場のリーダーだ。私が決めなきゃいけない、ということだろう。
「野営地を作ったら休憩にしよう。アトミールは設営。ティンさんは調査の準備を。フェリは、えー……」
一応身分は格上だし、指示を出していいのかな。フェリはそんな私を見てふふんと笑う。
「言ってみなさいな。位階は職分の
彼女の言葉に勇気づけられて、私は言葉を続けた。
「一応、攻撃されたときのことを考えておいて貰えないかな。立ち向かうときと逃げるとき、両方」
「野戦は専門外だけど……やってみるわ。まずは周りの様子を見てくる。ピルナ、手伝いなさい」
そそくさと歩き出す二人を慌てて呼び止める。怪訝な顔のフェリに向かい合う。
「その、ありがとうね。心配してくれて」
「先行投資。あなたに死なれちゃ困るんだから」
フェリは先程より足早になったような気がした。
アトミールはその間にも手際よく筏から荷物を降ろし、あっという間に野営地を作っていく。朝早くに出てこの時間だから、やはり一泊の日程を組んで正解だった。野営地の中心に火が
「天地の神々よ。我らの祈りを聞き届けたまえ。我ら日々の糧をここに得たり。神々よ、イオミアが呪いの故に草木を手折り、獣の血を啜り相争う我らの罪を許したまえ」
祈りを済ませて板パンに管苺のジャムを塗りつけてかじると、ぱりんという音がして割れる。刺さるくらいに硬い板パンを強く噛みしめるたび、痺れるような砂糖の甘さと管苺の酸っぱさが一緒になって舌を刺激する。素朴な旅人料理の味。大満足とまではいかないけれど、とりあえずこれで晩ご飯までは持つだろう。白湯を一口飲んで、ふやけた板パンの欠片を喉の奥へと流し込む。
「あなた本当に食べるわね……。話には聞いてたけど」
フェリが驚きの声を上げたから何かと思えば、アトミールの話だった。彼女は既に板パン三枚目に突入している。普通は少しずつかじって一枚食べたら一食分という食べ物だけど、彼女にはそれじゃあ全然足りないのだ。飲み物もなしにばりばりと咀嚼していく。
「大出力の発揮や高速演算には見合ったエネルギー供給が必要ですので」
淡々と答えるアトミール。食べるペースは一切落ちていない。声を出す仕組みも私たちとは違うんだろう。
「ふ、ふうん。不便なものね」
フェリは感心したんだか呆れてるんだかよくわからない様子だ。
「必要な代償です。
「面白い話。ねえ、クロエ、そうなの?」
フェリがこちらを見る。私の専門分野だとわかっているのだ。
「熱と活力が相互に変換できることは確立してるね。私も実験で多少それに貢献できた。同じ原理が一般化できる可能性は高いと考えられているけど――」
これが古術学の厄介なところだ。突き詰めれば、昔の本に書いてあった、という話に過ぎない定説が無数にある。活力の保存則もそんな法則の一つだと思う。アトミールも知っているくらいだから間違っている恐れは殆どないんだろうけど、私の答えはどうしても歯切れが悪くなってしまう。
多分、古代の人たちは基本的な原理を見つけ出して、それを発展させる形で様々な原理を導き出した。このやり方は軌道に乗るまでが大変だけど、体系的な研究が自然と行える。それと比べて、古術学はどうか。手に入った知識は島のように分散していて結びつきがない。だから、一つの知識を検証しても発展がない。
今までの積み重ねは輝かしいものだし、今から古代の人々の真似をすべきだとも思わない。ただ、もっとうまいやり方がどこかにあるのではないか。
物思いに耽っていると、いつの間にかパンがなくなっていた。
手が空いたのでみんなの様子を見る。先日来そわそわとしていたティンさんも、今日は普段通り落ち着いている。何か問題ごとがあったのだろうけど、きっと解決したのだろうと胸をなで下ろす。アトミールは結局板パン十枚とジャムをひと瓶食べた。フェリは食事を終えて、ピルナさん共々のんびりと白湯を楽しんでいる。刈り払った草地に敷物を敷いて座っているだけなのに、何故だかとても気品がある。本物のお嬢さまというのは彼女みたいな人を言うのだろう。
「フェリ、守りの話は考えてみた?」
「もちろん。そうじゃなかったらこんなに暢気にはしていないわ。今、話す?」
皆の様子を確かめてから、私は首を縦に振った。フェリは指を三本立てる。
「即脱出できる体制を作ること、警戒態勢を作ること。空から敵が来るのなら、湿原上空で撃ち落とせる態勢を取ること。ここで本当にめぼしい武器が手に入ればいいけど、手に入らなかったら逃げるしかないじゃない? 逃げるときの準備は万全にしないといけない。必要最小限のもの以外は置いていく覚悟が必要だし、一秒でも早く接近を知ることが必要だわ。そして、湿原に撃ち落とせれば、倒せなくても大きく時間を稼げる」
「筏を出せばすぐに逃げられるように荷物を載せておく必要がありますね」
と、ティンさん。
「警戒態勢については、屋外に警戒ユニットを置けば実現できます。お待ちください」
おもむろに髪をひと梳きすると、ひと束の髪が彼女の指に挟まれて抜け、靡いた。それらは絡み合い、一つの塊となり、やがて四方に向けて細長い線を延ばした小さな棒状のものへと変化した。
「電波を再送信するものです。アルスパリア〇五二は電波による捜索を多用しますから、これで探知可能でしょう。これを複数個作り、施設内に置いていけば早期探知が可能です」
「裏をかかれることはないかな」
「否定はできません。光学監視が行えればよいのですが、十分な性能を持つ光学監視装置を作ることは技術的知識に関して私の能力を超えます」
万全ではないにしても、もう一段階の対策が欲しいところだ。考え込んでいたとき、ピルナさんが声を上げた。
「私が番をするというのはいかがでしょうか。もちろんお嬢さまのお許しがあれば、ですが」
「構わないわ」
フェリの即答。アトミールが補足する。
「以前目撃した際は電波照射に応じて発光していましたが、今回もそうであるという断定はできませんので注意してください」
「かしこまりました。それでは、クロエラエールさま。フェリエスお嬢さまをよろしくお願いいたします」
うやうやしく頭を下げるピルナさんの目には、何故だか挑戦的な光があった。
「あとは撃墜の話かな。アトミール、できる?」
「射撃武器がありませんからね。この施設で発見できればよいのですが」
思い当たることがあった。お尻を軽く叩くと、そこに吊してある硬いものの感触が返ってくる。
「流星銃は駄目かな」
「拳銃ですからね。アルスパリア〇五二の飛行を妨害するには不足しています」
残念。私が肩を竦めたとき、ティンさんが大きな声を上げた。
「すみません! 流星銃って……あの……東星谷の……」
彼女のまん丸な目を見て、私は自分が何をしでかしたのか気付いた。
「そっか。東星谷ってティンさんの故郷の方だもんね。ごめん。その……気がつかなくて……」
流星銃は湖群同盟との戦いでご先祖さまが得たものだ。ということは、東部諸州の生まれであるティンさんにとってはよくない象徴ということになるはずだ。いたたまれなくなって、もう彼女の目を見ていられない。
「……いえ……戦争で失われたとは聞いてましたけど、まさかこんなところに……。すみません。お互い忘れましょう」
「……ありがとう。ごめんなさい」
気まずい沈黙。このままではいけない。私は手を何度か叩いてから無理矢理明るい声を作り、出発を告げた。
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