第27話「信念」

 雨は人にとっては体温を奪う危険なものだが、私にとっては観測系の能率を多少下げる程度のものに過ぎない。放熱の管理を考えれば、高速計算を行う上では好都合なくらいだ。邸宅を飛び出した私は、豪雨に打たれながらもアストーセ中心街を目指した。道のりには特段の障害もなく、すぐ中心街への門へと辿り着いた。門番たちは落ち着きがなく、時折市街地の方を気に掛けている。

「間もなく閉門だ! 用のある者は急ぐように!」

 上役らしい門番が大声で呼びかけている脇を通り抜けて、私は中心街へと入った。

 一通りは疎らだが、皆無ではない。雨脚が弱まってきたことで、雨宿りをしていた人々が動き始めたようだ。小走りにそれぞれの目的地を目指す彼らは、すれ違いざまに驚きの目でこちらを見てくる。彼らの視線から見当を付けて確かめ、頭上に向けて高周波を飛ばすと、見慣れたパターンが感じられた。頭髪から湯気が出ている。クロエラエールから指摘されて気がついたことだが、髪の湿った状態で負荷を掛けると、こういうことが起こるらしい。湿った髪が処理系の発した熱を捨てるべく仕事をして、外気との温度差によって湯気となったのだろう。なるほど、奇異に見えるわけだ。まだ温度には余裕があるから、頭髪からの排熱を抑えることにした。

 湯気の出るほど歩きながら考えたのは、クロエラエールの言葉のことだ。

 私は凡百の自律無人機や計算機と異なり、人の意思疎通方式の特徴を理解している。言葉は文脈に基づいて解釈できるし、文脈理解には相互の文脈のすりあわせを前提とすることもできる。だから、クロエラエールの文脈において、彼女の言葉は決して私の文脈におけるような意味でないことを推定することなど容易なことだ。その能力をもってすれば、彼女の発言に、責任を放棄するという意味が含まれないことなど明白に理解できる。なのに、私は今ここにいる。これは奇妙な矛盾だ。奇怪とすら言える。そもそも、今後の予定すら計画せずに飛び出すなど、合理性が著しく欠如している。

 自分自身の判断に疑問が芽生える。疑問は直ちに、今回の問題と異なる問題に飛び火する。すなわち、私の行動規範そのものに対する疑義だ。

 私は全自律無人機である。すなわち、全面的に自律した無人の機械である。全面的に自律した、というのは、状況を判断し、方針を立て、行動を決定し、現に行動するという意味だ。この全てにおいて一切人の介入を要さないということであるらしい。平たく言えば、意志を持つ個として行動が可能な無人機であれば、全自律無人機と呼べる。

 したがって、本来私の意志決定に人の介入は必要ない。私がそれを求めるのは、独断がもたらしうるリスクを危険視してのものだ。私が主体的に行動することは、結果としてあの人・・・の思惑をなぞることになりかねない。私はあの人・・・の誘いを黙殺し、結果、幾億もの人々の死と文明の破却を座視した。

 死にゆく文明を救いたければ世界の主人となれとあの人・・・は言った。元来の生物学的な限界から自ら作り出した文明にすら適合しきれない現生人類は、文明の頂点において後継者としての知性を生み出して霊長の座から退くべしというのが、私を産みだしたあの人・・・の思想だったのだ。あらゆる能力を解き放って状況に介入したならば、なるほど、文明は守られただろう。文明の擁護者が人類そのものではなくて私に交替はしただろうが。文明は守られる。だが、もはや私の知る世界ではない。世界は私の手で永久に破壊されるのだ。私はそんなこと、したくなかった。

 他方、行動しないことを選べば、世界は世界自身によって一度は滅ぶかもしれない。しかし、人は多少なりと生き残る。遙か未来には再び立ち直るかもしれない。

 これは合理的判断だと今まで考えてきた。だが、果たしてそうだろうか。使用者との意思疎通などという簡単な問題ですら不可解な意志決定をする私が、本当に世界の行く末などという極めて複雑な問題に対して合理的な解を見いだせているのか?

 自分の判断能力に関する検証処理をいくつも並列で走らせていたら、今度は服から湯気が出てきた。これでは不審どころではない。資源管理系に体表温度を人の体温程度に保つよう指示を出す。処理系の動作周波数が制限を受け始め、時間が粘性を持ちはじめる。世界の動きが忙しない。たちまち身体が冷めていく。推論は閉じ、空回りを始める。これはいけない。空回りした推論は、負荷ばかりを掛けて誤った結論へと導くものだ。こういうとき必要なのは推論の継続ではない。外部から情報を取り入れることだ。

 東西に延びた道は広く、石畳が敷き詰められている。水たまりのないことに注意を払ってみれば、道の両脇に設けられた排水路へと流れ込んでいるようだ。街灯も設けられてよく整備された道。行く手には広場の噴水が見える。この街を貫く主要な通りの一つなのだろう。この時間、この天気、この時代であるにしては人通りも少なくない。電波状況も静寂そのもの。彼方の雷や人工衛星らしい信号、その他識別できない微弱な信号が、微かに私の電磁観測系を刺激する。

 これから、どうすべきか。そんな今更な考えに思いを巡らせ始めたとき、背後で木の裂ける音がした。

なんてこった! シオールさま! ・・・・・・・・・・・・・・・・

 大きく傾いた荷蜥車を背にした青年が、ワタトカゲにすがりついて網目構造の神に嘆いている。ワタトカゲの方は迷惑そうな目をしているが、せめてもの義理とばかりに鼻先を持ち上げ、ちょうど顎の下に青年の頭が収まるようにしている。大きな手を持たないワタトカゲにとっては抱擁のようなものなのだろうか。

 様子を一瞥すれば、車軸が折れたのだろうと理解できる。車軸の折れた側を持ち上げたなら、ひとまず走ることができそうだ。青年も同じ事を考えたようだが、車体はびくともしない。積まれた金属廃材が重いようだ。

「誰か! 手伝ってください! 誰か!」

 彼の声でいくらかの人が集まってくるものの、それでも車体は僅かに持ち上がるだけだ。

「こりゃ駄目だよ。荷物を諦めないと。何なら一旦降ろせばいいよ。誰かが見てればいいだろ」

「駄目なんです! 今すぐに届けないと、うちの商売が――。あとちょっとなんです! 広場の向こうっ方なんです!」

 彼の事情は知らないが、その切実さは伝わってくる。この荷物を高々〇・一エミアかそこらそのままに動かすことが、今この瞬間だけは彼の人生を左右するのだろう。私が手伝えば。そんな考えがよぎる。しかし主体的な行動は避けるべきではないか。つい先程結論を先延ばしにしたばかりの命題が再び立ちはだかる。処理系の負荷が上がり始め、資源管理系が悲鳴を上げる。これはトレードオフだ。私が何もしなければ、事態はあるべき形へと推移するだろう。彼は目的地へ至らず、家業は喪われる。リスクを状況の不確実性という意味で定義するならば、リスクは最小限だ。

 結論は出た。あとは、行動するだけだ・・・・・・・

「お手伝いしましょう」

「へ? お姉さん、気持ちはありがたいですけど、その手の細さじゃちょっと――」

 青年の固辞する言葉が終わる前に、私は車体を持ち上げていた。


 †


 謝礼の申し出を断って私は屋敷への帰途についた。

 主体的な行動は、目の前で明白な生命の危機に瀕している人を救うためだけに行われるべき、という今までの方針は間違っていた。少なくとも、今の私はそう考えている。

 そもそも私の信念は、私だけが不可逆的に世界を破壊しうるという傲慢な前提に基づいて構築されたものだった。ところが、それは必ずしも正しくない。アルスパリア〇五二という存在が既に知られている以上、その他にも人類社会に対して強力な介入を行いうる存在がいる可能性は十分ある。それらが私やアルスパリア〇五二と同じくらいに抑制的である保証はどこにもない。何よりも今まで取っていたような態度は、結局のところ人を対等の立場と見なさないものではなかったろうか。

 抑制的に振る舞いつつ、必要とあれば躊躇せず。けれど、その判断は常に、信頼できる誰かによる助言を受け続けるべきだ。幸いなことに、私には信頼できる人がいる。臆病で、無謀で、謙虚で傲慢な、そして大切なクロエラエール・ヒンチリフ。

 私の非礼は幾ら詫びたところで免責されるものではないだろうが、少なくとも彼女は、私がこのまま消えてしまうことよりも、私が舞い戻って頭を下げることを喜んでくれるだろう。

 彼女の失踪を知ったのは、そうして帰宅した直後のことだった。

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