第23話「フェリエス・ノアラ」

 水は時として城壁にもなるし、道を作るための最も優れた材料の一つでもある。母なる穣海に面したヒンチリフの街造りにおいて、水運が大いに活用されていることは言うまでもない。辺境の一商業都市であるヒンチリフですらそうなのだから、尋海を有するアストーセもまた、水運の街なのだ。私たちは折角踏みしめた大地から再びお別れをし、運河向きの細長い船へと乗り換えた。目的地である涼園館には学生時代の友人であるフェリが住んでいる。

 涼園館までと頼まれた船頭は少々驚いたようだ。

「ノアラさまのお屋敷でございますか。お客さん方、ノアラさまへは初めてで?」

 そうですと答えると、船頭は眉をひそめた。

「左様で。もし陳情の御用向きでしたら、悪いことは言いません。先にお宿を取って使者をお立てなさいませ。ノアラ家の方々は多忙ですので、その日のうちのお目通りは難しいかと」

 フェリはアストーセ地方監を交替で輩出する名家の一つ、ノアラ家に連なる。忙しかろうとは思っていたが、街の船頭が旅人を気遣うほどに忙しいとは。でもまあ、私とフェリの仲だし、なんとかなるんじゃないかな。

「気遣いありがとうございます。でも、一番の使者は私ですから」

 言ってから、ふと思いついて。

「そうだ。とんぼ返りになるかもしれませんし、こちらからお知らせするまで待っていてはもらえませんか」

 待機分のお金を渡すと、船頭の顔がほころんだ。

「これはありがたく……。是非滞在中はあたくしの船をお使いください。星に三の印と言えばどこの船宿でも通じますんで。おおい、出してくれ」

 船頭が指示を出すと、岸辺で待機していた少年がオニカブトの肩を叩いた。のっそりと動き出したオニカブトによって、船もまたゆっくりと動き出す。

 舌も滑らかに船頭はアストーセの話をしてくれる。

「最近は北辺帝国海向こうとの戦がなくてありがたいことです。これもノアラさまを筆頭とした尋海三家の皆さまのお陰ですよ」

 ちらと私の顔色をうかがう船頭。私をノアラ家に好意的な人と見てのことだろう。これもまた、船代の内ということだろうか。

「それは喜ばしいですね。そうしますと、最近は交易も盛んでしょう」

「もちろんでございますよ。うちの船も大概はそういう荷を運んでます。連中、武器の細工は巧みですし随分と良い木を育てますが、食い物は取れないし、文化っていうんですかね。そういう上等な細工はいかんようです。鍛冶屋も武器を作るところは随分少なくなりましたね。穀物をたんまり積んで、空いた隙間に首飾りとか絵とか、そういうもんを押し込んで港まで運ぶんでさ」

 細工物は大きさの割に高価だけれど、沢山積むのは難しい。食料品の単価は安いが、沢山載せられる。なるほど、まとめて積むのが合理的なのか。市井の人の話を聞くと、意外な発見があって面白い。統治の方法論みたいなものは無知な民衆の手を取り足を取り、というような形を取りがちだけど、実際の民衆はもっと賢いものなんだよな。すると、私たちがやるべきことは、彼らの手に付けづらい大がかりなところとか、あるいは俯瞰で見ないと気がつきづらいところにあるような気がする。なるほど、港を再開発するというヒンチリフ家が数代を掛けてなした事業は、まさに代表例といったところか。うーん、政治、面白い。

「でも、自分がやれって言われるとなあ」

 つい言葉が漏れてしまった。怪訝そうな目が三人から向けられて、肩をすぼめる。

「ごめん。考え事してました」

 私の独り言が場の流れを断ち切ってしまった。なんだか居心地が悪い。私の気持ちを察してか、ティンさんが話題を探すように目線を走らせる。

「フェリエスさんというのはどういう方なんですか」

 難しいことを聞く。どんな風に呼び現せばいいだろう。フェリは、フェリとしか言いようがない。傲慢で、優秀で、器用。だけど、そんな言葉で表現しきれるほど簡単な人ではない。

 岸辺の方に目を向けると、オニカブトが小さな尻尾を小刻みに振りつつ船を牽いている。ぴんと張り詰めた綱がちぎれたときは、ちゃんと立ち止まってくれるんだろうか。

「あえて言うなら……あのオニカブトみたい、かな。真っ直ぐ全部を押しのけて、泥もかぶって、どこまでも進もうとするんだよ。そこに、理想のある限り」

 フェリが私たち一行と会ったとき、どんなことを言うだろうか。思いを馳せたら、なんだか不安になってきた。

「ティンさんは、あんまり会わない方がいいかも。喧嘩になりそう」

「さっきのことはすみませんでした。余計なことはもう言いませんよ」

 ムッとした表情を浮かべるティンさんを見て、私は慌てて手を振る。

「違うんだよ。ティンさんじゃなくてフェリがね。悪い意味で、ティンさんのことを信用しちゃいそうだから」

 フォローに失敗したらしくて、ティンさんの顔がいよいよ険しくなる。まずい、また何か誤解させちゃった。

「悪い意味で信用というのがよくわかりません。私が騙したりでもすると?」

「違う違う! フェリはね……。世の中の人を、部下にしたいかどうかで値踏みするところがあるんだよ。第一印象で不合格だと無難にやり過ごされるからいいんだけど、下手に合格しちゃうと、いろいろふっかけてきて試そうとするんだ。たぶん、ティンさんの故郷の話題とか、出してくる」

 ようやく得心がいったようだった。危ない危ない。冷や汗が出る。

「わかりました。人の値踏みを誤魔化すのには慣れていますが、クロエさんのご学友に対して不誠実なのもよくないですね。そうしたら……どうしましょう。私は外で待っていればいいですか」

「面会の時だけ外してもらえばいいよ。控えみたいな場所があるはずだから」


 †


 船頭が心配したとおり、面会は簡単ではなかった。私が想像していた困難は面会を申し込むとき門番に難色を示されるというものだったが、そもそも申し込むことが困難だったからだ。面会希望者の列が伸びており、私たちはその後ろに並ばされる。一人一人の手続きにも随分時間が掛かるらしい。しかも、手続きを終えると皆肩を落として帰っていくところから見ると、即日の面会は難しそうだ。船頭さんに待機をお願いしていた私、かしこい、なんて思っていると、門番の一人が近寄ってきた。

「恐れ入ります。お姿から拝見しますと、地方から面会にいらした官人の方とお見受けします。差し支えなければ、御用向きをお伺いいたします」

「お勤めご苦労様です。私はヒンチリフ行政区から参りました、クロエラエール・ヒンチリフでございます。フェリエス・ノアラさまに職務のご相談がてら挨拶に伺った次第にございます」

 門番は身分章を改めてから門の奥へと消えていった。

「うーん。良いのかなあ」

「何がですか?」

 怪訝なティンさん。私は首を傾げる。

「これで、門番の人が戻ってきて、どうぞお通りくださいってなったら、特別扱いでしょ。それで良いのかなあって」

「私は好きじゃないですけど、どこでもやってることじゃないですか

 ここで妥協して良いのかどうか。特別扱いに甘えていいんだろうか。他に並んでいる人たちだって、それなりに理由があって並んでいるはずだ。でも、何日も待たされるのは困る。

 列が三人分ほど前に進んだ頃、門番が戻ってきた。順番はあと五人くらい。今ちょうど正午くらいだから、お昼過ぎには受付ができるだろう。

「フェリエスさまより確認が取れました。ご案内しますので、どうぞ」

 手で列を抜けるよう示した門番に、私は手を振って応えた。

「どうせ、あと少しですから。受付を済ませてから伺ってはいけませんか?」


 †


 久しぶりに姿を見せたフェリは、以前と変わらぬ尊大で鷹揚な様子で片手を挙げた。

「久しぶり。元気にしてた?」

 問いかけには答えず、フェリは私の目をじいっと見つめてくる。え、何、怖い。

「……何かついてる?」

「門番から話は聞いた。変わりないみたいで安心したわ。地方からの面会者なんて珍しいと思ったら、あなたなんだもの」

 私の困惑になんて興味がないとばかりに視線をアトミールに向ける。

「それで、この子は?」

「アトミール。話すと長いんだけど……。『遺産』なんだよ」

 アトミールを物みたいに言うことには抵抗があるけど、一言で伝えるのに遺産という言葉はわかりやすい。学生時代に一緒に受けた講義の中でも使われた用語だから、彼女にも伝わるだろう。前崩壊文明の製作物で、一定以上の機能を現在も果たしているようなもののことだ。独立大学連合の持つ電気炉や発電設備が代表例だ。

「ふうん」

 あまり興味がないように装ってはいるが、実際には興味津々だ。私にはわかる。

「予定を動かしてでも会ったのは正解だったわね。それで、何の用? わざわざ私の顔を見るためだけにやってくる程あなたも暇じゃないでしょ」

「ごめんごめん。突然来ちゃってさ。忙しかったでしょ」

「そうじゃないの。困ってることがあるんじゃなくて?」

「んー……」

 政治経済の中心だけあって、アストーセにはよからぬ人も多いらしい。その中には、「未知敵対者」の息が掛かった人だっているかもしれない。彼女のように信頼の置ける人に頼りたい。でも、どこまで頼るべきか。巻き込んでしまうことに今更迷いが生まれた。

「言っておくけど、中途半端にしか説明しないつもりなら帰ってもらうから」

 心の壁を一撃で砕くような一言。降参、降参。これだからフェリは怖いんだよ。

 私の話を聞いたあと、彼女は一人で何か考えに耽り始めた。今の彼女はアストーセの警備担当者だというから、何か思い当たることがあったのかもしれない。気になって聞いてみたけれど、私は知らない方がいいとだけ言って、それ以上話そうとはしなかった。

「拠点が要るんじゃない? 離れを一つ貸してあげるから、自由に使いなさいな。あなたたちと、連れがもう一人だっけ。どうして控えに待たせているの? クロエらしくもない」

「あはは……」

「フェリエスさんとティンさんの間に感情的対立が生まれることをクロエさんは懸念していました」

 え、言うの。それ言っちゃうの。アトミール。

「ち、違うんだよフェリ。ただ、あの子はフェリが気に入るタイプだなと思ってね。でも、ティンさんはフェリがやるような試し方は絶対に嫌いだから……」

「ぷっ。何それ。私を何だと思ってるの」

 言って良いのか迷ったけど、今更誤魔化すのは無理だろう。正直に、思っているとおりに。

「……勝手に人を見込んで勝手に部下認定する奇人」

「言っておくけど、ああいう縁はクロエぐらいだからね。誰彼構わずやってるわけじゃないの」

 口は尖るが目は笑っている。フェリが議論を楽しんでいるときの顔だ。

「私が特別って言われるの、悪い気はしないね」

「そうよ。あなたは特別。だから、あの約束・・は忘れないでね。今の私はどう?」

 挑戦的な目を向けるフェリ。彼女は、私を将来の部下として予約・・したがっている。彼女が大学を去る間際に聞いた話だ。でも、私は物みたいに予約をされたくはないから、フェリが今のまま、道を誤らないままであったなら、私自身の意志として協力を惜しまないと答えたのだ。道を誤っているように見えるか、というのが彼女の問いかけの意味だ。

「覚えてるよ、もちろん。でも、どうかなあ。警備なんてやってると、いろいろ妥協が必要でしょ。ちゃんとやれてる?」

 暗殺みたいなことも仕事のうちの役所なんだろう思う。彼女みたいな新人は、いろいろ厄介ごとを押しつけられそうだ。案の定彼女の表情が険しくなる。あー、これは、結構良くないことをやっているんだな。

「……っ。流石クロエね。ご想像の通りよ。情報を武器にして上に行こうとするにはね、情報を情報で買っていては限界があるから……汚れ仕事を押しつけられるの」

 フェリらしいな。この子くらいの家柄なら、黙っていたって上には行くのに。それでは遅いというのだろう。年を経て、しがらみに塗れてしまったあとに高位高官を得たところで意味がない。世界への怒りが冷め切り、世界に組み込まれてしまう前に頂へ上り詰めなくてはいけないと彼女は強迫的に考えている。

「それじゃあ、しがらみを恐れてしがらみを作ってるように見えちゃうけどな」

「じゃあ、クロエならどうするの? 私にはこれ以上の方法は思いつかないわ」

「難しいことを聞くねえ……」

 私には、彼女みたいな野心がない。世界をどうこうしようなんて思わない。私の手が届く範囲で、今日より明日が良ければいいと思う。だから、彼女の立場に立って考えることはできない。でも、何か自分の目的のために妥協しなくちゃいけない状況、ということならあるかもしれない。その状況を考えてみたら……。

「フェリ、何を妥協するかを選ぶとき、一番合理的なものを妥協してない? 私なら、そうはしないかな」

「……そうね。私は、最小限の妥協で済む部分を妥協してる。あなたなら?」

「私なら、一番妥協してもいいことを妥協する。妥協したくないところは、絶対に妥協しない。いい、フェリ。世界はいつだって妥協でできてるんだと思う。だから、今の世界で一番合理的な妥協の積み重ねは――今の世界そのものにしかならない」

 フェリは世界に怒っている。世の中をもっとあるべき姿に変えていきたいという気持ちは素晴らしいと思うけど、焦りと怒りのために方向を間違えたりしないかということが心配だ。でも、彼女のその意志が、正しい形で叶うのなら、きっと世界はよりよく変わる。伝わって欲しい。そんな願いを込めて彼女の瞳を見つめていると、彼女は深いため息をついた。

「クロエ、あなた、本当に大したものね。妥協と言えば綺麗だけど――何をどう妥協するか、考える余地がいくらでもあるわね。ありがとう」

 フェリは椅子から立ち上がって窓辺へと歩み寄る。陽差しを浴びる彼女の顔は見えないけれど、きっと晴れやかな顔をしているだろうと思った。

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