第20話「階下での騒動」

 何か面白いことをしなければならない。降って湧いた難題に心地よい湯上がり気分も吹き飛んで、などと言えば文学的かもしれないが、案外そんなことはない。私の頭脳はすっかりお湯でとろけてしまって、目の前に難題が立ちはだかっているということを真剣に受け止めることすらできずにいる。

 部屋の安楽椅子にだらりともたれて、他人事とばかり冷えた水を楽しんでいるティンさんをぼんやりと眺める。そうだ。ティンさんにやって貰えばいいのでは? 自分が言い出したことだし、文句は言わないのでは? そんな考えを自分で打ち消す。それはまずい。二つの意味でまずい。一つは、あの主人との約束には、間違いなく「私が」何かをするという事項が含まれるだろうということ。自身の義務を手近な平民に押しつけるような行いは、決して珍しいことではないけれど――恥ずべき事だ。なるべくやりたくない。もう一つは、ティンさんが考えた「出し物」がどんなものになるかわかったものではないということだ。ティンさんが所属している古機学研究室の主・メトノル先生は、宴会では相当に苛烈な人だと聞いている。有り体に言えば、我が身を犠牲にして場を盛り上げようとする者を評価する。漏れ伝わるエピソードの数々は、思い出すだけでも赤面ものだ。巻き込まれたら脱がされる程度では済まないかもしれない。

 じゃあ、と真面目に考えてみる。宿の主人はいかにも平民然とした人だし、宿泊客も決して貴族ばかりではないだろう。私のできる話題といったらだいたいが古術学の話。基礎的素養のない人に楽しんで貰えるかというと、相当厳しいのではないか。じゃあ、他に私にできること。学生時代に演劇をやらされたことがあった。かなり恥ずかしかったけど、なかなかできない経験だった。あれをやってみようか? でも、脚本がない。あのときは変わり者の学友が脚本を書いたり手取り足取りやってくれたけど、今から筋を作るのは大変だろう。うーん。悩んだ末、いつものごとく彼女に頼ることにした。

「ねえ」

「夕食時の出し物の話ですか?」

「察しがいいなぁ」

「ほぼ連続した学習データを取っていますからね。クロエさんのことについては相当予測精度が上がっていますよ」

 頼もしいんだか怖いんだか。でも、彼女の得意そうな顔は見ていると嬉しくなるので、黙っていることにする。

「古術学の話題は受けが悪そうなんだよね。何かないかな。話題とか、出し物とか」

「観客からの注目を最大化する方法ならありますよ。お勧めはしませんが」

 始まった。私が採用しないとわかっていて極端な提案をするやつだ。

「……一応、聞かせて」

「観客の前で私に向けて拳銃を撃ってください。直ちに極めて大きな注目が得られるでしょう。私は銃弾を捕獲して観客に示します。この時点で観客から喝采が得られるであろうと予想します」

「欠点は、目立ちすぎるってことかな」

 既にアミリス・オナーでは目立ちすぎるくらい目立っているのだから、ここでまで余計な目立ち方をしたくない。私を信頼してくれるのは嬉しいけどさ。

「その通りですね。あくまで常人として違和感のない範囲の行為という束縛条件を付けるなら、例えば――」

 階下から地響きがしたのは、そのときだった。


 †


 広間では大騒動が持ち上がっていた。受付に立つ主人の周りを兵士たちが取り囲んでいる。その後ろには、腕組みをする貴族の姿があった。

「この方をどなたと心得ているか! 畏れ多くもジュリフス行政区行政長官ノーン・ジュリフスさまにあらせられるぞ! 平民風情が宿泊を拒むなど片腹痛いわ!」

 主人の正面に立つ男が声を張り上げ、机を蹴飛ばす。どうやら先程の地響きはこれだったようだ。身なりからすると、他の兵と比べると上位にあるようだ。武官補クラスではないだろうか。

「どなたさまが何と言われようと、うちは泊めるべきお客しかお泊めできません。だいいち、もう部屋がございませんよ」

「適当な者を追い出せばよかろう! お前が追い出せぬというなら、兵を貸してもよい」

 ううーん。関わりたくない。関わりたくないなあ……。ジュリフス行政区なんて聞いたこともないところだから、うちと直接利害関係があるわけではないだろうとはいえ、行政長官さまだ。二つも位階が上の相手を止めるのはかなり厄介だ。でも、放置していれば下手をするとご主人が殺されかねない勢い。う、うーん……仕方ないか……。自分の身分章がきちんと見えることを確認。二人に目配せをして、私は一歩前に出た。

「ジュリフス行政長官さま。恐れ入ります。何やら騒がしいご様子ですが、ヒンチリフ行政区におきまして三等地方行政官を拝命しております私、アストフォルトが娘、クロエラエール・ヒンチリフに何かお手伝いできることはございませんでしょうか」

 武官補らしい男は一瞬こちらを鋭い眼光で睨み付けた後、困ったように行政長官の顔を見た。厄介な奴が出てきたと思いつつも、武官補の位階ではどうしようもないのだろう。

「おお、ヒンチリフか。アストフォルトとは幾度か盃を交わした間柄、奇縁であるな。貴殿のように麗しい娘がおったとは知らなんだ」

 式典で同席したことがあれば、慣例上は杯を交わしたと表現する。つまり、面識がある程度ということか。それにしても、やだなあ。こういう部類の人に麗しいなんて言われても、あんまり嬉しくない。

「この男が、我々が公務のために必要とする逗留を許さぬとほざくのだ。平民の分際で全く無礼千万。本来なら手討ちとするところだが、小職は寛大ゆえ、改悛の余地を与えたいと思う。貴殿からも言って聞かせよ」

 敵か味方か、ということだろう。きちんと公務の必要上だと宣言するあたり、最低限の建前を踏まえているようだ。私益のためとはっきり言ってくれたら楽なのに。

「恐れながら、行政区住民の賞罰は当該行政区の管轄にございます。ジュリフスさまの権限にてお手討ちなさいますと、法的問題が生ずる恐れがあります。お怒りはごもっともでございますが、何卒」

 民衆愛護のようなことを言ってもわかってくれないだろう。手続き上の問題という方向で説明するしかない。

「そんなことはわかっている。まだ若いようだが、もっと地に足のついた仕事をせよ」

 鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。うー、やだやだ。現実という言葉を他人に言うことを聞かせる方便として使う人、嫌い。普段だったら曖昧に笑って引き下がっていただろう。嫌いな人とは一瞬でも関わりたくないから。でも、今はそういうわけにいかない。

「この宿に宿泊をなさりたい理由をお教えください。きっとお力添えをいたします」

「……解決すると言ったな。よかろう。仮にも政務官の肩書きを持つ者の言葉だ。決して軽いものではないぞ」

 まるで獲物を見つけた獣のような顔だ。もう部屋に戻りたい。

「小職は畏れ多くも代統領陛下の御親任により行政長官を拝命している。しかるに、十分な品格のある施設に十分な供回りを連れて宿泊せねば、位相応の品位を保つことができない。というのに先遣した当家の小間使いがヘマをしてな。まともな宿を見つけられなんだ」

 話が読めてきた。それなりに胸を張れる宿に泊まりたいのだが、上流階級御用達の宿はどこも満員、貴族の直接的な後ろ盾がなくて圧力が掛けやすい割に名の通ったこの宿に目を付けたというところだろう。民衆のことを欠片も尊重しない態度ではあるが、合理的ではある。

「……つまり、宿をご紹介できればよいのですよね」

「左様。虫の湧くような賤しい宿では困るぞ」

「承りました」


 †


「すまないね。店の揉め事を客に始末させるなんて……」

「お構いなく。私のやりたいようにやっただけですから」

 内心はそこまで真っ直ぐでもない。安請け合いをしてしまったような気がしてならない。

「一行は兵員や侍従を含め十五名ほどでした。この人数を収容できて格式ある施設というのはどれほどあるのでしょう」

 アトミールが宿の主人に尋ねる。

「そうさな。地方監さまの官有宿舎が一番大きいですかね。あとは領主さまの迎賓館とか」

「その辺の場所を交渉で空けて貰うのが一番素直だけど、あとは新しく立派な建物を建てるとか、ジュリフスさんに諦めて貰うとか……」

「そりゃあ無茶だよ。建物を建てるってのには何ヶ月も時間が掛かる。あのお偉いさんの宿は日が沈むまでのあと半日で見つけなきゃいけないんですぜ。諦めさせるったって、あの手の野郎は梃子でも諦めやしません」

「あはは……」

 アトミールが居ればどちらもできそうなんだけど、わざわざ言うことでもないだろう。特に、諦めさせるのは暴力に訴えることになりそうだしね。

「普段あの手の客が来たときはどうしているんですか?」

 とは、ティンさん。

「満杯じゃなきゃ仕方ないから泊めてるよ。しかし、満員だと言っても諦めない奴ははじめてでねえ」

 格式やら見栄やらを言うなら、あの図々しさのほうがよっぽど不名誉だと思う。でも、あの人にとってはそうじゃないんだろうな。

「あの」

 ティンさんが袖を引く。何か内緒の相談事だろうか。

「すみません。ちょっと私たちだけで相談をするので、一回部屋に戻ります」

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