第18話「東部諸州」

 眩しい日の光が車内に差し込む。新鮮な風が開いた窓から車内へ吹き込み、淀んだ空気を一掃する。その風と一緒に流れ込んでくる賑わい、そして微かに香る食べ物のにおい。隧道群に差し掛かって五日、車を牽くオニカブトたちを休ませるため、ここゴーフル村で列車は丸一日の休憩を取る。

「大変な賑わいですね」

 外を見たアトミールの声が弾んでいる。彼女も退屈していたのだろう。路上にはみっしりと屋台が立ち並んでいる。

 屋体の天幕は、開放感に酔う乗客たちを誘い込む甘い罠。食品、工芸品、その他住民たちが工夫を凝らした商品と引き換えに、哀れな犠牲者たちは大切な路銀を捧げていく。

「山向こうからも来てるらしいよ。みんなお財布の紐が緩んでるからね」

 人々の装いや家の造りはこんな山間の村にはあり得ないほど立派なものだ。農具も、ちょっと見たところだと鉄の使い方が豪勢だ。

「ティンさん、うまくやれたかな」

 彼女には宿屋を確保することをお願いした。村人たちの商品の中には、暖かいお風呂と広いベッドでの眠りというものもある。宿屋はいつも満員御礼だ。だから、なるべく安くていい宿をいち早く確保するということが大切になってくるのだ。身のこなしだけでなく、判断力や交渉力なども大切になってくる。私やアトミールが得意な分野ではないので、彼女に任せた。前来たときに出遅れてしまったことを思い出す。あのときは結局車内で眠ることになってしまったのだった。一手間で寝床にもなる便利なソファで見る夢は、悪くないはないが快適とは言えない。なにより寝返りがつらい。せめて今日くらいは大きくて柔らかなベッドで眠りたい。

「ティンさんなら最善を尽くしてくれるでしょう。……ところで、一つお伺いしたいことがあります」

 アトミールの声が一段小さくなった。何事かと振り返ると、真剣な表情を浮かべる彼女の姿があった。

「ティンさんの故郷には、一体何が起きたのでしょうか」

 彼女のことだ。いつか聞いてくるだろうと思っていた。私たちはこれからさらに東を目指すのだ。彼女も知っておくべきかもしれない。

「たぶん、ティンさんは東部諸州の出身なんだ。東部諸州っていうのはね――」

 私に説明しきれるだろうか。一抹の不安を抱えつつも、私は連邦と、東部諸州の間の百年以上もの因縁について説明を始めた。


 †


 東部諸州という呼び名は、連邦から見た呼び名だ。そこには古代の商工業者が築いたという豊かな小国が林立している。

 これらの国々は国土こそ小さいが、古代文明の遺産をよく受け継いでいた。なまじに国土が広くないから、管理が上手くいったのだろう。そんな遺産の一つに、電気芋があった。

 電気芋は、電池の材料だ。芋と言うだけあって食べることもできるそうだが、味はひどい。練って固めて金属板で挟み、日干しにする。使うときは水で戻す。古代のような劇的な力はないけれど、それでも色々なことができる。例えば、夜を昼に変える力は、国力全体に効いてくる。人々が活動できる時間が長くなるし、暗くて危険な作業場が多少安全になる。単純な贅沢品としても魅力的だ。火の灯りより火事にもなりづらい。


「では、資源を巡った争いですか?」


 アトミールの想像は当然だ。最も商才のない商人であっても電気芋に計り知れない価値があることは明らかだったから、商人の流れをくむ東部諸州の国々だって、独占の誘惑に駆られたことは間違いない。けれど、彼らはそうしなかった。彼らが売ったのは芋そのものではなく、栽培方法だったのだ。それも、廉価に。

 もともと方法さえわかれば栽培は容易だったから、電気芋はたちどころに広まった。ヒンチリフでも作っているし、連邦首都ケイレアの近郊でだって作っている。北辺帝国や、もしかしたら海向こうでだって作っているかもしれない。

 だが、それに満足しない人々がいた。ケイレアの連邦中央政府だ。ケイレアは、東部諸州の国々が密かに独占しているもっと重大な遺産を人類のため解き放つと称して東部諸州に侵攻した。国力の差は歴然、普通に考えれば連邦の勝利は揺るぎない。ところが東部諸州が連合した湖群同盟軍は三度ケイレアの軍勢を撃退した。三度目の出兵に至っては逆に侵攻を受け、ケイレア前面まで迫られたという。この戦いでは戦場からは遙か北西にあるヒンチリフにまで動員が掛かり、当時の当主であるキシュトルさまが敵将を討ち取ったのだ。


「アトミールが選んだ拳銃はね、そのとき貰ったものなんだ」


 故郷からの旅立ちのとき、彼女が私の護身用として宝物庫から持ち出した古代銃・流星銃は、その敵将が持っていた武器だ。

 高い結束と巧みな用兵で大軍を相手取ってきた彼らは、将を失ったことでそのいずれをも失った。総反攻に出た連邦は次々に同盟諸都市を呑み込み、ついに降伏に限りなく近い講和へと同盟を追い込んだのだった。


「もともと連邦政府の目的は古代技術の解放でしたよね。それは見つかったんですか」

 私は首を横に振る。

「わからない。当時の家伝を見てもそういう話はなかったし。大学でも聞いてみたんだけどね」


 それから百年以上も旧湖群同盟勢力圏は連邦の保護国として扱われるようになった。これは実態としてはヒンチリフと同じ行政区扱いだから、極端に悪い待遇ではないと思う。もちろん、独立国としての誇りみたいなものを奪われてはしまったろうし、税も納めなければいけないけれど。敗戦という結果の割には寛大だったんじゃないかなとも思う。

 転機になったのは、つい十年ほど前のことだ。

 東部諸州で電気芋の疫病が発生した。罹った芋は根が縮み上がって腐る。当然電池など作れない。

 ケイレアは疫病の封じ込めを理由にして農作物の輸出入を停止した。東部諸州は戸惑い、飢え、混乱した。そして、それを待ち構えていたかのように、ケイレアは宣告したのだ。


「保護国の混乱を収拾するのは宗主国の使命だから、無策な現政権を除いて直接統治を開始するってね」

「合理性がありません。それによって連邦にどのような利益があるのですか」

「……私もわからないけどね。何か仕方のない理由があったのかもしれない。それとも、何か国以外のもののためにそう決めた人がいたのかもしれない」

 私が、必ずしも世のため人のために行動できないことと同じように。

「疫病は収まったけど、今の統治は本当に酷いって聞くよ。統治が大変そうなのは誰が見てもわかるから、領主をやりたがる人がいない。仕方ないから、失脚しかかったような人を送り込む。こういう人たちは向こう三年くらい中央に良い報告ができれば返り咲けると思っているから、十年後のことなんて考えない統治をする。農民も商人も職人も、もともと地元の貴族だったような人たちもみんな貧しい思いをしている。領主には従うわけがない。従わせるために逆らう人を殺す。殺せば民心は離れる。離れればまたまともな人は領主をやりたがらなくなる」

 聞いた話を口で言ってはみるけれど、そんな領地、想像もできない。

 だって、自分のすぐ目の前で苦しんでいる人がいる。私たちは、その苦しみを除くために位を与えられている。そのこと自体はとても窮屈だし、なるべく目を逸らしていたいことだけど……。でも、積極的に人々を絞り上げよう、みたいな気持ちには到底なれそうにない。

 領民も、私たちのことを慕ってくれている……と思う。何だかんだでヒンチリフ家は領地を豊かにしているし、きちんと目配りもしている。私と言うよりは父さまや母さま、兄さま姉さま方の力だけど、それでも私を見かけると、皆嬉しげに手を振ってくれる。領主を憎んで隙あらば滅ぼそうとする領民が大勢居るようなところでは、眠ることすらままならないに違いない。

 ティンさんが宿の一つから出てくるのが見えた。こちらに手を振っている。表情は明るい。どうやら、うまくやってくれたようだ。ティンさんが笑顔で手を振っている。その内で燃えている静かな怒りを思うと、彼女を正面から見ることができなかった。

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