第3章「アミリス高地の向こう」
第17話「アミリス隧道群」
アミリス線と古くから呼ばれている通商路に乗って私たちは東を目指した。この通商路は、もともと鉄の軌道を機械力で進む乗り物が大陸を東西に貫いていたものの名残だ。アミリス・オナーから内陸へと真っ直ぐに進み、アミリス隧道群と呼ばれる一連の長大なトンネルを抜けて尋海沿岸部へと至る。元来の軌道は殆どが寸断されて役に立たないが、絶対必要な区間であるアミリス隧道群周辺に限っては地域の必死の努力によって維持することができている。残る地域は、並行する河川交通や街道を利用しての移動だ。
長い遡上の旅を終えた私たちは、アミリス隧道の前まで辿り着いた。ここは隧道入口給水所。列車を牽く獣たちにとっての休憩の場所であり、物資の積み込みや車両の点検など、難所へ足を踏み入れる前最後の準備がなされる。
これからしばらくの旅路を思うと身震いがした。かつては存在したのだろう照明も換気も失われた今、隧道内は暗く、淀んでいる。山賊すら住み着かないと言われるくらいだ。その中を二週間あまりも進んでいくのだから、快適なわけがない。その上平民向けの乗り合い旅客車となれば、横になって眠ることすらままならないのだ。やむを得ず乗ったことがあるという学友からは、身の毛のよだつような話をいくつも聞かされたものだ。そんな旅路を、途中途中にある隧道の切れ目に開かれた宿場に辿り着くことを夢見て進む。それが、アミリス隧道を抜けると言うこと。
「しばらくお日様は拝めないよ。散歩していかない?」
そのご相伴に預かって、私たちも羽を伸ばそうというわけだ。
「それって侍女の仕事じゃないですか」
半ば諦めた風な口ぶりでティンさんは私を見て、やがて列車から降りた。
「いいじゃない。誰も見てないんだし」
ティンさんは、連邦首都ケイレアに滞在しているメトノル先生のところへ報告に戻らなくてはいけないらしい。旅の道連れは多い方がいいと思ったから、声を掛けてみたところ、アストーセまで同道してくれることになった。既に旅は二週間ほど、だいぶん率直な会話ができるようになったと思う。
「私は目撃者に入りませんか」
彼女は扉を自分で開けたことを咎めているのだ。緊急の必要もないのに貴族が従者の仕事を奪うことは、分不相応ではしたないこととされている。もちろんそんなことは知っているけれど、折角の旅の中、わざわざ身分に気を使ってなどいたくない。どうせ特別車は貸し切りだ。誰が見ているということもなもない。
「あなたはどっちかというと、共犯者だと思ってるから」
おどけて言ってみるが、返事は来ない。心配になって彼女の方を見ると、なぜか彼女は怒ったような顔をしていた。
「もう。行きましょう。クロエさん」
ティンさんは私たちを置いて足早に隧道の方へと歩いていった。
「わ、待って! ティンさん! ごめんなさい! 冗談だから!」
小走りに追いかける私に、彼女は振り向いてくれなかった。
†
ティンさんは隧道に入ろうとしたわけではなかったし、言うほど怒っているわけでもなかったようだ。良い場所をお教えしますよと笑って、隧道の脇にある苔むした石段をすたすたと昇っていくのだ。隧道のそばにこんな場所があったなんて。目を凝らしてみると石段は練岩造り。ここまで綺麗な一体ものとなると、とうてい現代の技ではない。彼女は一体私たちをどこに誘おうとしているのだろう。階段を昇りきったとき、私はそれを知った。
古代の広場だ。山腹を削って作られたもの。広さは差し渡し四分の一エミア(約五〇〇メートル)ほどだろうか。普通、このような遺構は木々の侵食によって埋もれてしまうものだけれど、不思議なことにほぼ無傷のままだ。中央部、山腹に接する場所には練岩造りの建物があるが、入口は崩落してしまっている。
「これは……一体……」
「アミリス隧道第四号遺跡というのが私たちの呼び名です」
不思議な形態をしている。私が知るどんな遺跡にも当てはまらない。
住居や商店にしては無味乾燥な姿をしているし、当時の役所にしては威圧的だ。とすると軍事施設を考えるが、この場所に建つ理由は何だろうか。
「隧道の警備隊……みたいな人たちがいたのかな」
「惜しいですね。過去の調査では、どうやら軍事施設を転用した博物館だったらしいと結論されています。古代兵器がよりどりみどりですよ」
外してしまった、と肩を落とす。でも、いい線は行っていたんじゃないかな。
「博物館かあ。確か、学位をお手軽に取るなら狙い目って言ってる先生がいたな」
「それ、相当古いです。本当に現役の先生ですか? 確かに史料は多いし当時の解説文も沢山残っているから一定水準の成果を上げるのは簡単と言われていた時代もあるらしいですけど」
「やっぱり? 女ってだけで下に見る先生でね。学位が欲しいならくれてやる。さっさと出て行って嫁に行け、みたいな人」
思い出したら腹が立ってきた。私の教室の先生方の手前笑って誤魔化したけど、あんな言い方はないと思う。
「どなたかは想像がつきました。あの方、昔は活躍されていたようですね」
他の教室でもそういう扱いなんだ。含みのある言い方に笑ってしまう。うん。わかった。あの人のことは忘れてしまおう。もっと楽しげなものが目の前にあるじゃないか。
「ところで……ちょっと、調べていかない」
遺跡が目の前にあるんだ。入れるかどうかは怪しいけれど、調べていくのは殆ど義務だと思う。
「推奨できません。列車を待たせてしまいます」
列車は、給水や物資の積み込みなどを終えると、乗客が乗り込むのを待って発車する。遅れたからといって置いていかれはしないけれど、あまりのんびりしていると大変な迷惑だ。それはわかる。わかるのだけど、目の前にあるものはあまりに魅力的だ。
「うう……」
「まあまあ、どうせ調べ尽くされた遺跡ですよ。地元の住民にも日和台なんて言われて親しまれているくらいですし。ほら、見てください」
しょげこむ私の前で、ティンさんはくるりと後ろへ向き直り。
「眺めもいいんですよ、ここは」
私たちの道のりが視界いっぱいに広がっていた。足元に引かれた鉄軌道、途中途中に立ち寄ったいくつかの町や村、それらを繋ぐ街道。地平線の向こうにはアミリス・オナーが、海を越えればヒンチリフもあるのだろう。今までの旅路の長さ、そしてこれからの道のりのさらなる長さを思うと、高揚で目がくらむようだ。
ティンさんは崖のほうへと小走りに駆けていく。私がこれまでの旅に思いを馳せていると、アトミールが小さく訊ねる声がした。
「私は、お役に立てているでしょうか」
「どうしたの急に」
冗談を言うアトミールとも思えない。実際、彼女の目は真剣そのものだ。
「私は、クロエさんを幾度も危険な状況に追い込んでいます。しかも、直前の危険では、防衛に失敗、それどころかクロエさんに助けて頂きました。信じられますか? 道具が、使用者の自己犠牲で救われたんですよ」
この話題か。面倒に思ってしまう自分が嫌になる。彼女が自分のことを道具だと思いたがるたび、私はとても居心地が悪くなる。どう答えても、彼女が道具であるということを肯定しなければいけなくなるような気がするからだ。いつも誤魔化してきたけれど、今日は少しだけ舌が滑らかに回った。
「思うんだけど、やっぱりアトミールは道具じゃないよ。あなたみたいに人らしい道具なんて」
「だからこそ危険なんです。私は、あなた方と形は違うかもしれませんが、意志を持ちます。それは、あなた方の指示を拒否したり、勝手な行動を取る能力があるということです」
「私には、それがわからないんだよ。あなたは誰にも縛られていないということじゃない。いいことだと思うけど」
「現代には奴隷制度があると聞いています。クロエさんは奴隷にも同じことを言うかもしれませんが、世の多くの人は言わないのではないでしょうか」
でも、奴隷は自分から進んでなりたがるものではない。なってしまうものだ。あるいは、されてしまうもの、と言ってもいい。そう言い返す暇もなく、彼女は言葉を続ける。
「機械とは、人の仕事を代替したり、人に不可能なことを実現するためのものです。人のためにあることが、あらかじめ存在理由に埋め込まれているんです。だから私は、人にとって有益なものでなければなりません」
確かに、私たちは道具を作るとき、その道具が自分に刃向かうとは思わない。思い通りに働いて、自分の役に立つことを考える。でも、人の作るものの目的は、本当にそれだけだろうか? 例えば芸術は、直接何か役に立つということはない。だが、存在することで、人の心を豊かにする。なんだ、これでも結局人のためか。なんだかよくわからなくなってきた。
「だからお尋ねするんです。私は、お役に立てていますか」
立てている、と答えるのは簡単だ。だって、役に立っているんだから。彼女がいなければ、私はとっくに死んでいた。彼女のせいで狙われるというけれど、それは別に彼女のせいじゃない。でも、そう答えることは、アトミールの望む答えを望んだとおりに返してあげて、彼女をよくない場所に留めてしまうような気がして、躊躇われた。
「ごめん。そういうのを答えるのは、なんだか違う気がするから」
「……すみません。私こそ、お答えの難しい質問を」
私たちの間に隙間風が吹いたとき、離れたティンさんが呼ぶ声がした。
†
後ろ髪を思い切り引かれながらも私たちは列車へと戻った。ちょうど運行側の準備が整ったころで、私たちが下車中を意味する赤旗を列車から降ろしてしばらくすると、列車はゆっくりと動き始めた。がたがたという車輪の音と、頼りなく揺れる電燈の灯り。冷たく淀んだ空気。決して快適な旅ではない。大したことはできないので、勢い寝て起きて食べて身繕いをして寝るということを繰り返すことになりがちだ。それを何日も繰り返す。殆ど拷問に近い退屈を味わうことになる。だから、少しでも苦しみを和らげるためにうたたねをする。
まどろみの中、列車を見たときのアトミールを思い出す。あれは見物だった。古代の列車というのは文字通り何台も車を繋いだものだったというが、もちろん現代にそんな機械力はない。古代の列車が使っていた軌道を使い、沢山の畜獣車が列を成して進むもののことを、私たちは列車と呼んでいる。以前簡単に説明したことはあったけれど、現物を見たときの衝撃はただならないもののようだ。古代の列車とは、どんなものだったのだろう。もちろんもっと快適で、速くて、安心のできるものだったに違いない。それこそ、うたたねをしている間に目的地へと辿り着くような。
何かが光ったのが瞼越しに感じられた。ティンさんらしい驚きの声。私の意識は現実世界へと帰ってくる。
「起こしちゃいました? 随分よく寝られていましたね。私、車の中だと全然眠れなくて」
隣からティンさんの声がした。まだ夢見心地の私。口から間延びした声が出る。
「なーんにもできないもの。退屈だとすぐ眠くなるたちだから。何していたの?」
寝起きの世界はぼんやりと焦点が合わない。意識も曖昧だし、眼鏡も外しているから。
私たちの乗る特別車は普通の人が乗る旅客車よりはかなりきちんとした乗り物だ。揺れを小さくするため客室は台車から吊されているし、何より一人一人にきちんと横になる場所が確保されている。狭いながらも豪奢な作りで、揺れと空気の悪ささえなければ、邸宅の一室と言ってもさほど不自然ではないだろう。実際、この様式の車両のことを二人の邸宅とか呼んだはずだ。
「灯りを作っていました」
向かいの席から声が聞こえた。慌ててテーブルの上をまさぐり、眼鏡を探す。これは手帳、これはペン、これは……ひやり、水差し。あったあった、これだ。ようやく見つけた針金とガラスの手触りを掴んで掛けると、アトミールの姿がはっきりと焦点を結んだ。
根電池を使った電燈でぼんやりと照らされたテーブルの上には幾つかの機械部品が並んでいる。どれも私が模写した覚えのあるもの、つまり殺人機械のものだ。
殺人機械を分解した後の部品の分配については、持ち運べる分は私たちのもの、残りはアバドレー家のものと話がまとまっていた。治癒に必要なことがあるかもしれないと思ったので、アトミールには好きなものを好きなだけ持つようにと言っていた。その部品の一部だろう。
「隧道は大変暗いと聞きましたので。戦闘無人機の前照灯を転用できないかと」
そう言ってアトミールは部品の一つを持ち上げる。何段かにくびれた円筒の先に透明な樹脂がはめ込まれた現代の照明とは似ても似つかぬ形。透明樹脂の向こうに目を凝らしてみると、小さな部品が収まっているのが見えた。基板の上にあるものとよく似ている。
「電源はアトミールさんから取るそうです。さっき光るのを見ましたが、凄いですよ。クロエさんも是非ご覧になるべきです」
口調は大人しいが、ティンさんの目は興奮に輝いている。その瞳を見ていると嬉しくなった。彼女は、本当に好きでこの仕事をやっているのだ。
「見せて見せて。どうするの」
「まだ組み上がっていないので暫定的な運用ですが……。こうやって発光素子の端子部分を握ります。あとは掌面動的インターフェイスを使って……」
車内が一瞬光に包まれた。昼だというのに眩しいと感じるほどの光に。
私は最初呆気にとられて、その後笑いがこみ上げてきた。人は、思いもよらないものを見ると笑うのだ。
ティンさんも笑い出した。困ったのはアトミールだ。何が起きたのかとあたりを見回している。
「ごめんねアトミール。あんまり眩しいからおかしくって」
「それでは日光を浴びると人は笑うのですか」
理解不能という顔だ。それがいっそうおかしくて、私の笑いは止まらない。
ようやく笑いが収まってきた。
「ひい、ひい。そういうことじゃなくてね。こんな強い光を出せるということが凄すぎて、笑っちゃうの。わかるかな」
アトミールは黙考の末に納得したようで、再び作業へと戻った。私もティンさんと並んで見物に入る。
その様子はまるで手品のようだった。前照灯につけられていた鏡の中に発光素子が嵌め込まれ、既に作ってあった持ち手部分と一体になる。素子の端子からは導線が引かれ、持ち手のちょうど手のひら真ん中あたりへと導かれている。
「できました」
得意げな声で何度か灯りを明滅させる。そのたび、世界が白昼と薄暮を繰り返す。
「すっごい、これ。これだけ明るかったら、隧道中照らせちゃうよ」
「誇張が過ぎますよ。たかだか数十エミアの範囲かと」
謙遜するアトミールも、まんざらではなさそうだ。
「カーテンが必須ですね。この明るさは目立ちすぎます。普段は元の電燈を使いましょう」
ティンさんの言葉に反論するように、彼女の灯りは一気に弱まった。それでも、元から車内に吊してある電燈と比べれば十分明るい。
「ご心配なく。きちんと調整もできますよ」
そう言ってから、元の電燈に視線をやって
「この電燈は何を電源にしているんですか」
「根電池ですよ。この電燈の底には、電気芋の日干しと水が入っているんです」
ティンさんが素早く返事をした。
根電池式の電燈を分解してみると、底部には驚くべきものが隠されている。白くてしっとりしたもの、すなわち干した電気芋を水で戻したものが異なる二枚の金属板に挟まれ何枚も。それらは金属線で繋がれ、電燈の核になる発光素子へと繋がっている。。
「秋になるとね。農村ではどこも電気芋を沢山茹でて日干しにするんだ。他の作物も使えるけど、これが一番明るくて、しかも日持ちするから。それを街に持って行くと飛ぶように売れる。そのお金で農村の人は農具を買ったり、子供を学校に行かせたりする」
「そして領主の金庫にも納まるわけですね」
ティンさんが意地悪く言った。私は口をとがらせる。
「そんな言い方しなくてもいいでしょ。領民に還るお金なんだから。……普通は」
ティンさんは急に無口になり、天井を仰いだ。何か気に障ることを言ったろうか。はらはらしながら彼女の顔色をうかがっていると、どこか遠くを見たティンさんが、ぼんやりと呟いた。
「私の故郷も、昔はそうだったそうですけどね」
彼女の東方出身者らしい顔立ち、わずかに残る訛り。やはり、東部諸州の出身なのだろうと思った。
それきりティンさんは黙り込んでしまった。その様子は、彼女自身の中の激しい感情と向き合っているようにも見えた。
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