第15話「全自律無人機駆逐機(アルスパリア) 」
オナー川に沿って十五分ほど歩くと、殺人機械撃破の現場に辿り着いた。背の高い草に覆われていた地域のようだが、戦闘への備えのため全て切り払われている。右手には市壁がそびえ、私たちのいた側防櫓も見える。あの場所から私は惨劇を目の当たりにしたのだ。
調査現場の保全を命じられていた兵の一人がこちらに気付いて小走りに駆けてくるのが見えた。
「お疲れ様です。クロエラエール・ヒンチリフです。調査のためやって参りました」
私が申告すると、彼ははたと立ち止まり、何か迷ったような素振りを見せたあと、こちらに背を向けて走り出した。思わず顔を見合わせる私たち。
「どうすればいいのかな」
ティンさんは苦笑いを浮かべて、
「なってない現場だとよくありますよ。上役の確認が要るんでしょう。私たちにできることは、待つことだけです」
彼女の予言は的中した。先程の兵がもう一人年嵩の兵を伴ってやってきたのだ。
「お待たせいたしました。確認をいたしますので、身分章と令状を拝見」
めいめい身分章を示す。年嵩の兵はそれと手元の書き付けを見比べて、それぞれの身元に異同がないことを確かめていった。
「結構でございます。お手数をお掛けして誠に申し訳ございませんでした」
二人は左膝を落とし、野外の敬礼をする。私たちもそれに略礼で応える。
「お勤めご苦労さまです。現場の管理権はわたくしヒンチリフ三等地方政務官が引き継ぎます。どうぞ皆さんは他の任務にお移りください」
私の指示を受け兵たちは市内へと帰っていく。彼らを見送った後、ティンさんはこちらを振り向いた。
「どのような考えですか? 警備の手は多少頼りなくても多い方がいいのでは」
理由は二つある。アトミールがいれば並大抵の侵入者には十分だということ。そして、なまじ哨兵が立っていると、アトミールが非常時に全力を出しづらいであろうこと。それを彼女にどこまで伝えるか、というのは悩みどころだけれど、優秀な調査助手の彼女を相手にして、下手な隠し事はかえって危ないだろう。追っ手がいるということだけを隠して、あとは洗いざらい話してしまった。驚きに目を丸くしたティンさんは、自分に言い聞かせるように言う。
「まさに前崩壊文明の驚異ですね。本来なら山師のほら話を疑うべきところですが、先の戦いでの超人的活躍からすると、説得力はあります。一つ、試させていただいても?」
アトミールの方を見る。目で確認してくる彼女に頷きを返すと、彼女は一歩前に出た。
「アトミールさんは、古代の計算機のように優れた計算能力をお持ちなんですよね。二五一五〇八を素因数分解してみてください」
「二の二乗掛ける三掛ける二〇九五九です」
「……これは認めるしかないですね。少なくとも、常人ではあり得ない」
二人のやりとりを聞いていたとき、私は別のことが気になっていた。アトミールの回答が直ちに正解だと判断するには、答えを知っていなければいけない。ティンさんはどうしてそれを知っていたのだろう。
暗記していた、というのが一番それらしい理由だ。では、なぜ暗記していたのか。暇つぶしに適当な数字を弄んでみるというのは、私もたまにやる。しかし、その結果をしっかりと覚えているかというと、そうではない。
「二五一五〇八というのは、何か特別な数なんですか?」
疑問が湧くと聞かずにはいられない。
「いえ……ちょっとした記念日ですよ。お二人には関係のないことです」
協定世界暦二五一五年八月、だろうか。今から百五十年も前。何が起こった月かと言われると、思い出すことができない。
「そんなことより調査を始めましょう。今回得られた知見については、あなたと、メトノル先生の共同成果になります。細則は覚書の通りに。間違いありませんか?」
「ええと……はい。私は結構です」
「何か?」
彼女の鋭い目は、一切の誤魔化しを見逃すまいという信念で溢れている。決して敵意があるわけではないと思うのだけど、ちょっと怖い。
「いや、なんていうか……。メトノル先生というよりはあなたの成果だなと思っただけで」
しどろもどろの私。彼女は意外という感じで眉を動かす。
「そちらの研究室の事情は存じませんが、メトノル先生のもとでは教室は家族も同然、教員は父、学生長男助手次男坊、です。皆さんのお役に立つことが調査助手の本懐ですよ」
彼女の顔からは先程までの曖昧な微笑が消えていた。
「遺産機械を調査されたご経験は?」
「いえ、文献調査と実験ばかりでした」
「そうですか。分担が難しいですね……。具体的には何をしておられましたか?」
値踏みされているような気がして居心地が悪い。この雰囲気だと、彼女が主体になって調査をすることになるのだろう。
「[活力
「活力と熱の相互変換ですか。古術学上は既に明らかになっている分野ではないですか」
在学中何度も訊かれた質問だ。答えにだって慣れている。
「ええ。ですが、それは古代の文献にそう書いてあるということに過ぎないんです。それはそれで大切な研究なんですけど……現代の私たちの手で検証できるということも大切ではないかと思っています。私がやっていたのは、文献の記述と実験結果を突き合わせて、矛盾がないことを確かめる研究でした」
このことの大切さをわかってくれる人ならいい。祈るような思いで見つめていると、ふと、彼女が笑った。
「なるほど。それは確かに面白いですね。矛盾は見つかりましたか?」
祈りは通じたのだ。胸の内が暖かくなるのを感じた。
「私が確かめた範囲では誤差の範囲でした。後輩が引き継いでくれましたが、ここから先は実験装置の開発が必要になってくるので、なかなか大変だと思いますよ」
彼女はまだ続きを聞きたそうな顔をしていたが、ふと冷静な顔に戻った。
「すみません。興奮してしまいました。あとでまた詳しい話を聞かせてください。分解は私がやりますので、観察とスケッチをお願いします」
そう、そうだった。意外なところでの素敵な出会いについつい気を取られてしまっていた。自分の頬を二度ほど打って気を取り直すと、私は殺人機械に向かい合った。
†
ティンさんの作業は見とれるほど鮮やかだった。彼女の取り出した工具箱には、ねじ回しや木槌のような一般的なものをはじめとし、明らかに古代のものと知れる見たこともないようなものまで沢山の工具が詰め込まれていた。その一つ一つを揺るぎない自信と慎重さを併せ持つ手つきで操るたび、殺人機械はその外板というベールを少しずつ剥がされていく。
アトミールはそれを目視で記憶し、解析する。私はスケッチを取る。たまに重い部品があればすかさずアトミールが駆け寄って手伝う。私はそうして取り外された部品の一つ一つを夢中になって描いた。
陽が赤みを帯び始める頃、殺人機械はすっかり丸裸になって草原に転がっていた。
「クロエラエールさま。本日はここまでにしたいと思いますが、よろしいですか」
じっとりと額に汗した彼女の提案をむげにできるはずもない。私も集中のしすぎか軽く頭が痛む。
「お疲れ様でした。あとはゆっくり休んできてください。番は私たちがしますから」
殺人機械の残骸は文字通り宝の山だ。警備の兵は帰してしまったから、誰かが見張っていなければならない。
「高貴なお方を野ざらしにして一人だけ屋根の下で眠るなんてとてもできませんよ」
目を見開くティンさん。私は首を横に振る。
「あなたは今日一番大変な仕事をしてくれたし、明日も同じ仕事をお願いすることになります。あなたは今のうちに身体を休める義務があるし、私にはあなたを休ませる義務がある。大丈夫。アトミールが一緒にいてくれるから、危ないこともありません」
何度か瞬きをしてからティンさんは天を仰いだ。私はそんなに驚くようなことを言ったのだろうか。
「……クロエラエールさま。私――」
ティンさんは口をもぐもぐと動かし、何かを言おうとしている。言いたいけれど、言うべき言葉かどうか確信が持てない、という様子だ。
「いえ、何でもありません。……それでは、私は宿に引き上げます。明日、またお目に掛かります」
一礼して去って行くティンさんの背中を私は黙って見送った。
「今の聞こえた?」
「すみません。何の話でしょう」
後ろで火を熾していたアトミールに聞いてみたが、どうやら聞いていなかったようだ。彼女の後ろでたき火がテントを照らし踊っている。テントの手前にはアトミールに任せていた食材行李がある。ぐう、とお腹が鳴った。
「ごめん。なんでもない。準備ありがとうね。ご飯作ろうか」
除虫笹に巻かれた棒状の燻製肉を行李から取り出す。熱した旅行鍋に直接切り落としていくと、脂の染みでる心地よい音がする。
街を目の前にした野営というのは愉快なものだ。街灯りは綺麗だし、何より食料に困ることがない。ある程度肉に火が通ったのを見計らって青菜を上に被せた。
「味付けを忘れていませんか」
不思議そうな顔のアトミール。そうか、彼女はまだこれを食べたことがなかったか。
「このお肉自体がしっかり塩漬けされているから大丈夫。他の食材の味付けにもなってくれるから」
葉の張りが失われ、茎と茎の間の隙間から湯気が噴き出しはじめた。そろそろ頃合いだろう。重ねた青菜を崩して全体を馴染ませれば出来上がりだ。
アトミールが肉の一切れを興味深そうに見つめている。
「不合理な形状です」
突然言い出すものだから私はびっくりしてしまった。
「体積に対して表面積が大きい。これでは保存性が悪いのではないでしょうか」
そんなこと考えたこともなかった。旅行の時の日持ちがする肉といえばこれは定番の形だ。崩壊戦争後地上に降りて各地を旅して世界を崩壊の縁から繋ぎ止めたとされる神の名にあやかって、シオールの束肉なんて名前もついている。
「うーん。でも一週間くらい持つよ。一度切っちゃうとそこから悪くなるけど」
これ一本がだいたい一人前という作りになっているのはたぶんそのためなんだろう。今思ったけど。
「私はまだ燻製というもののメカニズムを正確に把握していません。未知のメカニズムがあるのかもしれませんね」
彼女にも知らないことがあるんだ。その後もアトミールは自分の食器に盛られた料理をしばらく睨んでいたが、やがて何かを諦めたように食べ始めた。
「美味しいです」
私も一口。料理人が作る繊細な味など到底望めないし、腸詰め焼きのように香草を効かせた香り高さもない。肉と野菜と油だけの塩辛い料理といえばその通りなのだが、体を動かした後に食べる塩辛いものは美味しいものだ。汗と一緒に流れてしまった塩気を身体が求めているからだと聞いたことがある。
アトミールの顔を見る。彼女は汗をかきそうもないけれど、私たちと同じように味を感じるのだろうか。それとも、私を喜ばせるために美味しいと言っているんだろうか。腸詰めの串すら平らげてしまう彼女の味覚が私たちと同じとはとても思えない。訊ねてみようかと迷っていたそのとき、アトミールが無言で立ち上がって東の空を見上げた。
「クロエさん。見えますか。あれが」
「どれ? わからない」
アトミールが指す方向には何も見えない。
夕陽の中に気が早い星々が幾つか瞬いて見えるけれど、これの話ではないだろう。
「星しか見えないけど……」
「その一つは
アトミールが小さく悲鳴を上げた。
「信号が支離滅裂です。何もわかりません」
上擦った声が上がる。
「落ち着いて! 何があったの」
「電波視界が白くて……沢山の何かが見えます。光学情報との不整合が……」
アトミールがこれだけ混乱するなんて。背中から汗が噴き出した。何か恐ろしいことが起きているのではないか。駄目だ。私まで取り乱したらもう収拾が付かない。無理矢理気持ちを奮い立たせて目を閉じ、深呼吸。一度、二度、三度。よし、いける。アトミールが見ている方を見る。
星のように見えていたものは、もはや星でないことがはっきりしていた。鮮やかに彩られた円が空中に浮かんで輝いている。
「同じものが見えていますか」
「たぶん。いろんな色に光る円があって、こっちに近付いてきてる。真ん中に影があって……あれは、人?」
信じられない光景だった。人が空を飛んでいる。
「光学情報を正と見なします。そうか、これが電波妨害。なら」
アトミールの身体から突如熱気が放たれたような気がした。
「……辛うじて見えます。あと十秒ほどで着地するでしょう」
謎の物体のディティールが明らかになってくる。光る円は翼だった。奇妙な縞模様の服を着た女の人の背中から伸び、いびつに曲がって円形を描いている。鳥の翼と違って硬質で、羽根のようなものはない。そして、翼面はまるで油膜の浮いた水面のような不思議な模様を描いて輝いている。
まるで天使のようだ。
そう思ったとき、彼女は既に地上を踏みしめて私たちを見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます