第14話「調査助手」

 管弦楽器に樹脂の打楽器、賑やかを通り越して騒がしい大広間の片隅で、私は息をひそめご馳走にありついていた。居心地が悪い。もともと社交の場は苦手だけれど、ここまで肩身が狭いのは初めてだった。

 私に握手を求める人々によれば、私とアトミールはこの街の救世主なのだそうだ。

 酸鼻を極めた戦いは終わった。戦闘による直接的な死者は数百人にも及ぶというし、戦闘前の騒乱で失われた命にいたっては全く不明だ。それに終止符を打ったのは、確かに私の指示だし、アトミールの働きだ。

 けれど、私の行動が十分なものだったかというと、はなはだ自身がない。強くパートル氏に主張して、アトミールを最初から前線に立たせていればよかったのではないか、とか、海峡砲の射撃準備にももっとやり方があったのではないか、とか。

 実際、アトミールは私の指示で戦った結果、一時的とはいえ片足を失った。今彼女が平然と立っているのは信じられない。彼女の脚は、たしかに二つにちぎれ飛んでいたはずだ。

 彼女に直接尋ねる勇気が出なかった私は、目を逸らさず戦いの一部始終を見ていた砲員の一人に尋ねてみた。彼女は、落ちていた脚を押し当てて、繋いだように見えたという。身体能力だけなら英雄譚を引いてどうとでも言い訳ができるけれど、再生能力は言い逃れようがなく人の枠を超えている。あの方ほどの英傑が義足とは思いもよりませんでしたと言われたときには本当に返事に困った。

 ともかく、彼女は義足の英雄としてこの街の人々の印象に残ることとなった。こういう勘違いはさせておいたほうが都合がいい。アトミールとも口裏を合わせ、この街にいる間はそのように振る舞うことにした。嘘をつくようで気持ちが悪いけど、この街を出るまでの辛抱だ。

 広間の中央部で歓声が上がった。剣術試合の決着がついたようだ。

 アミリス・オナー行政区を司るトルシメス・アバドレー行政長官は、戦勝を寿ことほいで人々を屋敷へと招いた。酒食が盛大に振る舞われ、人々は勝利という美酒に文字通り酔う。つい先日の惨劇から目を背けようとでも言うように。

 目下行われている剣術試合はその余興の一つで、身分を問わない腕自慢たちが木剣を手に舞い、宴に華を添えている。アトミールは剣戟が珍しいようで、興味深げに見物している。

 息が詰まるような気がして、私はひっそりと屋敷を抜け出した。

 大広間は招待客の領域だが、屋敷の前庭は一般客の領域だ。列柱の陰に隠れるようにもたれ、庶民の喧騒からも距離を置く。

 なぜこんなに居心地が悪いんだろう。自分の気持ちを整理すると、自ずからその理由はわかってくる。つまり、私はこの勝利を敗北だと思っているからだ。確かに殺人機械は倒れた。しかし、それはあまりにも高くついた。その代償の中には、もしかしたら、リシアさんもいたかもしれない。彼女は住む世界が違う人ではあったけれど、こちらの世界との間に橋を架けようとしてくれる人だった。あの凜とした笑顔が永遠に失われたとしたら、世界の損失だ。そんなことを考えながら石畳を眺めていたとき、聞き覚えのある声がした。

「よお」

 期待を抱いて顔を上げると、思った通りの人が立っていた。

「リシアさん!」

「いやあ、酔っぱらっちゃってね。風に当たろうと思ったら先客がいるじゃないか。元気だったかい」

「お陰さまで。それより、リシアさんは大丈夫でしたか。砲台から見ていました。あんな酷いことが起こるなんて」

 彼女の表情に陰が差したのを見て、我が身の迂闊さを呪った。彼女も、皆と同じようにあの悲劇を忘れたがっているだろうに。

「あたしは元気も元気さあ。でも、仲間が大勢やられちまった。……ロキタのやつも駄目だったんだって?」

 回した軸に巻き込まれるということわざの通り、自分の言葉が今度は私に返ってきた。ロキタ射撃長の死は、私が忘れたがっていた出来事だったから。

「駄目でした。私が居ながら、何もできなくて」

 うなだれる私の前で彼女は苦笑いして手を振った。

「今日はそういう話はやめとこうぜ。それより、あいつの死に様を聞かせてくれ」

「ロキタ射撃長は殺人機械の掃射を受けて亡くなられました。アトミールの警告で、他の兵たちは皆伏せていたから無事だったんですが、射撃長だけは海峡砲のそばに立っていて。でも、おかしいと思ったんです。あの方はしっかりした方でした。警告に気付かれないはずがありません」

「あいつなりの理由があったんだな。続けてくれ」

 射撃長の手に小さな金属製の道具が握られていたことに気付いたのは、戦いが全て終わってからのことだった。砲兵たちに聞いてみれば、砲架から海峡砲を吊る綱の長さを調整するための道具だという。確かめてみると綱の固定は確かに緩んでおり、銃撃を受けたとき砲は既に床へ向けてゆるやかに落下しはじめていた。おそらく、彼はそうして、海峡砲を予期される反撃から守ろうとしていたのだ。

「大変なお覚悟だと思います」

 そして、私の認識の甘さでもある。彼は恐らく、最初から第一撃が失敗する可能性を見越していた。だからこそ、現に失敗したとき直ちに次の行動へと移れたのだ。爪が手のひらに食い込んで、掌中に痛みが走る。

「射撃長とお知り合いだったんですね」

「ああ、そうだよ。あたしが今みたいな暮らしを始めたのも、あいつのお陰なんだ」

 どこか遠くを見つめながら、彼女は話し始めた。


 †


 あたしはもともと流れの傭兵だった。こいつは傭兵の中でもいっとう難儀な商売で、まず信用されない。当たり前だろ? エモノ振り回してそこらをほっつき歩いて、金を貰えば人を殺すんだ。貰うだけ貰って逃げる奴、山賊の奴らと手を組んで一芝居打つ奴。まあ、いろいろいる。あたしだって真っ白ってわけじゃあないよ。

 傭兵団に入ったこともあったが、ああいうところは女だとやりづらいんだ。なんとなく想像つくと思うけどな。だから、食い詰めた。あんときはしんどかったなあ。稼いだ金を全部使えるわけじゃあないし……ああ、いや、こっちの話だよ。

 そんで流れ着いたのがこの港町ってわけさ。こんだけ賑やかな街だし、貿易で食ってるっていうからな。そういうとこには、商隊の護衛っていう仕事がかならずある。

 でも、期待通りにはいかなかったんだよ。っていうのもさ。この辺じゃ護衛人組合っていうのが幅をきかせてて、連中が身元を保証してる奴じゃないと護衛につけないんだ。当然、あたしみたいな流れ者がおいそれと入れるもんじゃない。

 理屈はわかるよ? シマを荒らされちゃあおまんまの食い上げだし、奴らが間に入ることで妙な奴が入り込まないって働きは確かにあるだろう。しかしまあ、わかるのと、納得するのは違うよな。それで、むしゃくしゃしてさ。気付いたら酒場で暴れてた。

 あたしを取り押さえたのがあいつさ。ちょうど去年の今頃くらいだったか。その辺の衛兵詰め所に引っ張り込まれてさ。何されるかと思ったら、事情を言えときた。お前さんも会ったなら知ってるだろ。あいつ、変に気が利くんだよ。たぶん、よっぽどあたしが思い詰めた顔してたんだろうな。

 もちろん話したよ。どうせ失うものは何にもない流れの傭兵稼業だ。恥はかきすてってね。そしたらあいつ、明日また来いって言ってあたしを追い出した。まあ、期待したよ。ちょっとした仕事でもくれるのかなってね。待ちきれなくって、日が昇る頃にはもう行ってたよ。どうせ仕事もなかったしね。気の毒なのはあたしを見張ってなきゃいけない兵隊さ。詰め所の塀に寄っかかってるあたしと半日もにらめっこ。今度会ったら酒の一つも奢ってやらなきゃと思ってるんだけどね。なかなか見つからないねえ。

 で、昼過ぎになってあいつが来た。どれだけ待ってたっていうから、朝からだって答えたときのあいつの顔ときたら! もっとも、次に驚くのはあたしの番だったけどね。

 あいつが持ってきた仕事ってやつは、沿岸砲台の警備だった。ホントに人が足りなかったのか、それとも無理に空けてくれたのか……。そこら辺は今もよくわかんないな。

 こいつは本当に割が良い仕事だったよ。決まった間真面目にやってりゃあ、まあまあ、食っていけるだけの金が貰えるんだ。命の危険なんてものも殆どない。何度か座礁した船を助ける手伝いをしたことはあったけど、そんなもんかな。いいもんだねえ! 敵とか味方とか、ややこしいことを考えないで身体を張れるのは。

 こうして真面目にやって半年もすれば、護衛人組合としても実績があって身元も確かだって認めないわけにはいかないやね。そんであたしは護衛人の仕事を受け始めて、警備の仕事はだんだん減らした。楽だったけど、額は知れてたからね。


 †


「そんな感じさ。今のあたしがいるのは、あいつのお陰なんだよ」

 彼女の言う護衛人組合というのはこの辺りではさほど珍しいものではない。ヒンチリフにもある。護衛人組合同士が相互に所属する護衛人の身元を保証しあうことで、遠く離れた場所まで安心して旅を続けられる。護衛人からしても、地の果てまで商人と付き合わず現地の護衛人に引き継ぐことができることには利益が大きい。

 一方で排他的に過ぎるという批判はあって、独自の護衛人を連れた制度に不慣れな外国人とトラブルを起こすこともある。領主としても、敵に回すと物流に深刻な影響が出るためおいそれと手を出せない。父さまがいつぞや愚痴をこぼしていたことがあった。そうした大きなくくりでの利益と問題点については知っていたつもりだったけれど、こうした庶民一人一人とその問題が直接結びつくところまでは、想像が及んでいなかったかもしれない。

「そんな方を、私たちは永遠に失ってしまったんですね」

 腰が低く洗練された人だとは思っていた。けれど、見も知らぬ酔客の将来を見かねて手を差し伸べるなんて、私にはとてもできそうにない。

「そうだねえ。イストールさまの御許で胸を張ってるだろうさ」

 私は曖昧に微笑んだ。今の私たちにできるのは、冥界で彼が笑っていることを祈ることだけなのだろう。

 リシアさんが私の顔をしげしげと覗き込んでくる。そんなに不自然な顔をしていたろうかと思っていたら、彼女は出し抜けに口を開いた。

「あのさ、腸詰め姫って、やっぱりあんたのことだろ」

 突拍子もないことを言われて硬直する私を見て、彼女は説明不足に気付いたようだった。

「あー。つまりだな。腸詰め焼き屋台で小銭を出せずにまごついて、釣りは要らねえ後ろの奴らに食わせてやれってペクルを出した身なりのいいお嬢さんがいたって噂が立ってるんだよ。美人のお供がいるとか、いろいろな特徴を合わせると……あんたじゃないかって踏んだんだけど。身に覚え、ないかい」

 腸詰めの冠と腸詰めの首飾りをして、腸詰め焼きを幸せそうに頬張る。そんな自分自身の姿が思い浮かんで気が遠くなった。思わず口に手を当てる。

「なっなっなっ……」

「最初聞いたときはどこの世間知らずなお姫さんだって思ってたけどさあ。まさかヒンチリフのねえ。そりゃあペクルくらいはした金だわ」

 彼女があんまり笑うものだから、最後には私の方も楽しくなってきた。こんな風に面白がって貰えるなら、多少恥をかくのも悪くないかもしれない。


 †


 宴会の日から一週間が過ぎ、私たちは野に出ていた。殺人機械の検分を領主トルシメス・アバドレー地方政務長官に要求していたのだが、幾つかの条件付きで許可するという報せが届いたからだ。

「嬉しそうですね」

 アトミールに言われるまでもなく足取りは軽い。殺人機械の内部構造が論文になった例は今まで一度もなかったはずだ。追われる身とはいえ、こんな好機を見過ごしていてはいつまでたっても古術学者を名乗れない。

「機械狩人の人たちは絶対に見せてくれないからね。記録に残すだけでも物凄い価値があるよ」

 彼らはとても排他的な人々で、殺人機械との戦いの様子をよそ者に見せようとしないというのは前にも述べた。これは、戦いの真っ最中だけを意味するわけではない。平和の訪れを示す三色の旗が掲げられるまでは、決して彼らに近寄ってはならないとされている。うかつに近寄ると、よくて痛い目を見るし、悪くすれば殺されてしまうことだってある。

 彼らはそうしている間に殺人機械をバラバラに解体し、あちこちへ売ってしまうのだ。しかも、まるごとの買い取りには絶対応じない。買い集めようとする努力は今まで何度もなされたが、それで殺人機械の復元に成功したという話は今のところ聞かない。秘密にしている殺人機械の弱点が公になるのを防ぎたいのだともっぱらの噂だが、実際のところはどうなのだろう。

 こんなとっておきの秘密を解き明かす絶好の機会、しかも今回は、心強い味方が二人いる。一人はアトミール、そして――。

「今回は素晴らしい機会を頂き本当にありがとうございます。ご期待にかなう仕事をさせていただきますので、よろしくお願いします」

 彼女はシュテリ・エミ・ティン。ティン家のシュテリではなく、シュテリ家のティンさんらしい。独立大学連合の調査助手をやっているという。姓を名の前に置く東部諸州の文化と違わぬ浅黒く、鋭い目をした風貌を持ち、私より頭一つほど小柄。年齢は、私と同じくらいだろうか。動きやすさを優先した調査助手に典型的な装いをしていて、体つきはとても女性らしいく、どこか肉食獣を彷彿とさせる。

 彼女の調査助手というお仕事は、とても誤解を受けやすい。本の整理でもしているのかと思われがちだ。しかし、さにあらず。調査助手の仕事は文字通り調査を助けること全てに及ぶ。調査、分析、発掘作業。研究活動の全てに関わっているから、優秀な学者の陰には必ず優秀な調査助手がいるとさえ言われている。

 その中に資料整理が含まれることは確かだけども、調査分析発掘作業といった作業にも深く関わっている。優秀な学者の影に優秀な調査助手ありと言われるゆえんだ。

 再び彼女の様子に目を向ける。背筋を伸ばし、知性の光が灯る褐色の瞳は、何一つ見逃すまいと油断なく周囲を捜索している。まさに優秀な調査助手そのものだ。

 彼女が今回同行するのは、まさに殺人機械を検分するための条件の一つだ。彼女の所属教室と領主アバドレー家の間に取り決めか何かがあるんだろう。アバドレー家の機嫌を損ねたくないので、いちいち確認はしていないけれど。

「こちらこそ、よろしくね。調査のときは遠慮しないで、対等な立場でやりましょう」

 歳も近いし同性なんだし、目くじらを立てる人もいない。折角だから、肩肘を張らず調査に没頭したいと思った。

「はい。もちろんです。メトノル先生の調査助手として、全身全霊をもってあなたの調査活動に協力させていただきます」

 彼女の浮かべる笑顔は、私自身が公の場で浮かべ続ける類のもの、つかず離れずの笑顔だ。その笑顔が、私の問いかけで崩れ、意外そうな顔をする。

「メトノル先生というと……古機学研究室の?」

 古機学というのは、古術学の中でも、遺された機械類の分析を主な領域とする学問だ。メトノル先生はその研究室の主であり、実績と人柄とで広く知られている。実績というのは、水力旋盤を使った従来より遙かに効率のよいネジの製造をはじめとした、多くの生産技術上の革新を主導した事績のことで、人柄というのは、研究室総出の遠泳大会をはじめとして、学生を心身ともに鍛え上げようという教育熱心さのことだ。私が古理書誌学研究室へ所属したのは、学問的興味は当然のこととして、こうした「教育」から何としても逃れたいという本音もあった。

 そんな研究室の調査助手をしているのだから、剛の者に違いない。思わず笑顔が引きつる。いけないいけない。

「ええ、そうですが……。ご存じでなかったのですか。それでは、どうして対等などと?」

「ええと、待ってくださいね」

 唐突な問いかけに感じて、何か話の流れを間違えたろうかと思案する。私の顔色に気付かれた? あれこれ考えた末、私の胸元に刺さっている白い身分章に目が行った。彼女が言おうとしているのは、そういうことか。

「ティンさんが言っているのは、第一級研究室の一般調査助手は実務上、環宝冠山脈連邦では三等地方政務官に相当すると取り扱われるから、ということですか」

「ええ、それ以外に何が」

 この一瞬のやりとりで互いの序列を考えている彼女の礼法の洗練ぶりに私は驚いた。自分の単純ぶりがいたたまれない。恥ずかしさに顔が熱くなるのを感じながら、私は早口に白状した。

「その、同じくらいかなと思ったので、歳」

 周囲の草が風にそよいだ。その乾いた音が止むと、彼女は声を上げて笑った。

「ああ、なるほど。よくわかりました。あなたとは仕事がしやすそうだ。よろしくお願いしますね。クロエラエールさん」

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