第12話「アミリス・オナーの海峡砲」
市壁にほど近いこのあたりには最早日常の姿はない。武装し緊張した面持ちの兵士や、汗を拭いながら飯場へと急ぐ人夫たち。街の向こうに日が沈んでいく。パートル氏によれば、殺人機械の到来は早くて明日の未明、遅くて明日の昼前。それまでに私たちは砲台へと向かい、兵士たちと共に殺人機械を待ち受けなければならない。
「なんだいなんだい。そんな難しい顔しちゃってさ。そんなんじゃ兵隊は着いてこないよ」
外が混乱していることもあり、砲台へ向かう私へパートル氏が案内人を付けてくれた。リシアさんという傭兵だ。肩まで伸びた真っ直ぐな赤毛が、浅く焼けた肌とよく調和している。背丈は私と同じくらいだから、平民の女性としては相当に大きいし、私よりずっと締まった体つきをしている。不慣れな部類の人から急に距離を詰められたので、息が詰まりそうになった。
「そんな顔してましたか」
傭兵というのは身分制度上特殊な人たちだ。私たち地方貴族やその領民のように領地に属しているわけではないし、中央官僚のように国に属しているわけでもない。今日私たちと肩を並べて戦っていても、明後日には北辺帝国に雇われてヒンチリフの兵と戦うかもしれない。強いて言えば地域や国を跨いだ同業者組合に属していると言えなくもないが、それだって全員というわけではない。地域を支配する貴族とその地域に属する平民という構造で作られている現在の身分制度において、土地との結びつきがあやふやな人々は扱いきれないのだ。
こうした身分制度から外れた人々にとって、貴族というのはその地域の有力者ということに過ぎない。ある程度の敬意は払ってくれるけれども、それだけでしかないのだ。
涼やかな目元を挑戦的に細めて彼女は笑う。
「真っ暗真っ暗。負け戦ってわかってる隊長の顔だよ。しっかりしとくれよ」
わかってはいるんだけど。地面を見る。石畳の上には泥汚れやぼろ切れ、その他よくわからないごみが掃除もされないまま散乱しており、今日までの混乱が窺える。泥にしては赤い染みもいくらか見えたけれど、それについては深く考えないことにした。
「緊張状態にある方へのそのような注意は、かえって状況を悪化させます」
後ろからアトミールの声がした。振り返って表情をうかがうけれど、彼女の感情は読み取れない。
「あー」
前方のリシアさんは頭を掻いた。。
「アトミール。そんなに気を使わなくていいよ」
だって、彼女の言葉は本当だから。
私たち貴族が税を取ることを許されているのは、それ以上の利益を民にもたらすことができるからだ。
貴族が兵を率いること、すなわち、自分ではなく誰かの命を犠牲にして勝利を得ようとすることを許されているのも結局は同じことだ。一人一人が別々に自分の命を犠牲にするよりも、あるいは敵の軍門に降るよりも少ない犠牲で、多くのものを得られるからこそ、指揮権が認められる。兵の足を引っ張る将がいるならば、その人物には将としての資格はない。
いつのまにかずり落ちていた眼鏡を持ち上げて、上を見る。
逃げることなく立ち向かうと決めたんだ。
「リシアさん。ありがとうございます。気を使われるのは指揮官失格ですもんね」
つとめて微笑みかける。彼女は目を見開いたかと思うと、私に負けじと笑う。
「ん。あたしは渡門前の陣地だからね。神さま砲台さまって感じさ。頼んだよ」
会話がやんでしばらく歩くと、砲台の入口が見えてきた。低く分厚い構えから大砲に備えた近代的な城塞であることがわかる。二人の歩哨が立っているが、退屈そうだ。
「じゃあ、あたしは門の方に行くから」
踵を返そうとする彼女を私は引き留めた。怪訝そうな顔にためらいを覚えながら、ずっと気にしていたことを訊ねる。
「あなたは傭兵です。この街でなくても暮らしていけるんじゃないですか。その……どうして、戦おうと思ったんですか」
ふうん、と彼女が漏らすのが聞こえた。
「先にあたしが聞きたいな。お前さんはどうなんだい」
「それは……私が貴族だから、じゃあ駄目ですか」
「駄目だね。傭兵稼業っていうのは、雇い主が本音を言ってるかどうか読めなきゃ商売にならないんだ。それがあんたの本音じゃないことはわかるよ。あんた、私はヒンチリフの人間だからとか、私は貴族だからとか、そういうタマじゃないだろ?」
意外な方向から核心を突かれて私は思わず声が出そうになった。呆然としていると、諦めたように彼女は肩を竦める。
「そんなに時間もないだろ。貸しにしとくから考えときな。あたしは今ね、定期便の用心棒で食ってるのさ。アミリス・オナーから
たっぷり時間を取ってから、彼女はにかっと歯を見せて笑う。
「戦争と違って、単純でいいのさ。悪い奴らをやっつけてればいいんだからね」
†
リシアさんと別れて砲台へと向かった。だらけていた歩哨たちは私たちを認めると背筋を伸ばし、敬礼をしてきた。はて、どんな態度を取ろうか。リシアさんの言葉を思い出しながら、一言一言、胸を張って告げる。
「ご苦労様。臨時砲台司令官のクロエラエール・ヒンチリフ三等地方政務官です。射撃長をここに」
「はっ。お待ちしておりました。今しばらくお待ちください」
歩哨の一人はいそいそと中へと入っていった。
残されたもう一人の歩哨に目をやる。彼は私よりやや背の低く華奢な風体をしていた。鳶色の瞳と浅黒い肌をしているところからすると、東方系の血筋なのかもしれない。年の頃は、私と同じくらいだろうか。
こういうとき、何かしら気の利いたことを言って現場の事情を聞き出すのも指揮官の務めだ。得意じゃないけど、やってみよう。
「あなたはずっとここの勤務?」
「は。その通りです」
彼の顔には、突然話しかけてきた上官にどう反応すればいいのかわからないという様子だ。これじゃ駄目だ。気まずい沈黙を、私は再び破る。
「守らないとね。私たちの働きでこの街の行く末が決まるんだから」
彼は答えない。何か、まずいことを言ってしまったろうか。私が不安に思い始めたとき、彼は答え始めた。
「この街には私の家族がいます」
頷き返す。彼の目には、どこか思い詰めたものがあった。
「家は小さな服屋をやっています。古着を安く買って、痛んだところを直して売るんです。父と兄が縫って、母と妹が売ります。手先が器用じゃないから、自分は兵隊になりました」
私の言葉のどこかが彼の心に響いたらしい。釣り鐘が音を弱めつつも反響を繰り返すように訥々と語る。彼の言葉は止まらない。
「お金が無かったので、みんな逃げる船には乗れませんでした。領主様のお屋敷に逃げています。自分たちが負けたら、みんな」
恐ろしくてこれ以上は言えないとばかり身震いする彼。
「立派ね。あなたのもとにラギアさまのご加護がありますように」
私は、無数の彼のような人々に背を向けようとしていたのだ。彼への激励には、そんな後ろめたさから逃れたいという気持ちもあった。負けるわけにはいかない。
†
砲台に着任した後、側防櫓の各部署を点検して回った。建物は四角柱の形をした地上三階地下一階の構造だ。空堀に埋め込まれた形の一階にはごく簡単な炊事場と食堂があり、二階と三階は戦闘室になっている。地下室もあって、ここは倉庫になっていた。屋上は見張り台だ。戦闘室のうち三階は海峡砲のような大型の兵器を設置することを前提に作られており、前向きに広い開口部を持つ。二階までの射撃孔が非常に狭く、市壁に並行な形で開いていることとは対照的だ。一階は堀に足止めされた敵を、二階は隣接する側防櫓に貼り付いた敵を狙い、三階は河川を通行する敵や、敵の攻城兵器を狙う。隣の側防櫓までの距離は五〇〇ミノエミア(約一〇〇メートル)ほど。
夕食には私とアトミールに加え、施設を案内してくれた射撃長と衛兵班長を呼ぶことにした。
一階の食堂は兵たちが使っているから、三階を使うことにした。射撃長の背後にぶら下がる海峡砲を横目で見ながら、まずは今日の礼を言わなきゃいけないだろうと思い立つ。
「今日はありがとうございました。皆さんが最大限活躍できるよう計画するのが私の役目です。案内いただいた結果を活用させていただきますね」
「私どもこそ専門の方のご指導を賜り恐縮です。砲台指揮官のご期待に沿えるよう微力を尽くさせて頂きます」
射撃長は比較的弁が立ち、立ち居振る舞いも洗練されている。名をロキタというそうで、背は私と同じくらい。砲という重量物を扱う仕事のためか、足腰はがっしりとした筋肉に包まれている。
「一応、ご指示の通りの、あー、お食事を用意しました。これで大丈夫でしたか」
一方の衛兵班長のフィステさんは対称的に言葉少なだ。背は低く、身体も細い。しかし、非常に身のこなしが軽いようだった。
食事は兵たちと同じものを出すように伝えていた。
「もちろんです。私への配慮のために余計な手間を掛けさせる余裕はありませんから」
そうは言いつつも、内心では想像以上に質素なことにがっかりしているのも本当だった。ビスケットと煮込み料理の組み合わせは覚悟していた。量を作りやすいし、栄養も取れる。けれど、この具は何だ。幼児の手のひらほどの大きさの葉が何枚も透明なスープの中に沈んでいる。食べてみると、妙なえぐみがある。
「この野菜は何でしょう。今まで食べたことのないものです」
「マシラデという野草ですよ。天日に干すとよい香草となるのですが、そのままでも食べられます。もっとも……あまり上等とは言えませんが」
二人と顔を見合わせて苦笑いをした。
「腸詰めにも使われてはいませんか?」
一人涼しい顔をしていたアトミールは何かに気付いたようだった。
「あるかもしれません。確か肉や魚の臭み取りによく使いますから。フィステ、かみさんは肉屋の娘だろう。わからないか?」
フィステ警備班長は腕組みをして考え込んだあと、小さく頷いた。
「前に仕込みを手伝ったことがあったな。確かにこれを刻む仕事をした。えー、アトミール吏員補はどうして気付かれた?」
「以前食べた腸詰め焼きと共通の成分分布が……つまり、味がしましたので」
感心のため息が二人の口から漏れた。
「驚きました。貴族のご侍従ともなると多芸多才でなければならないのですね」
「中々役に立つのでは。料理だとか、毒見だとか……」
「フィステ」
ロキタ射撃長の咎める声でフィスタ警備班長は口をつぐんだ。
「お食事中だというのに失礼しました。この者は実直なのですが、いささか気が利かぬところがありまして。どうかお許しを頂けませんでしょうか」
ロキタ射撃長が深く頭を垂れ、フィスタ警備班長も後に続いた。食事中に毒の話をするのは確かに無神経ではあるけれど、ここまでするほどだろうか。
「そんな。頭を上げてください。私だって気が利く方じゃあありませんし」
笑って誤魔化しながら、私は次の話題を考える。そろそろ本題に移った方が良さそうだ。
「それより、明日の話をしましょう。いくつか聞かせてもらってもいいですか」
恐縮する二人に、私は次の疑問を尋ねた。一つは人数の少ないこと。銃眼の数が十六に対して衛兵の数が八、入口の警戒も含めれば尚足りなくなる。砲兵が三人というのも少ない。普通の大砲であれば、射撃指揮や照準、装填、射撃後の清掃や点火などを考えて最低でも倍の人数が要る。通信兵も三名いるが、これは直接戦闘の勘定には入れられないだろう。これに加えて、現場としてどんな要望があるかということを訊ねた。
最初に答えたのはフィスタ警備班長だった。
「衛兵の八名という人数は平時の警戒戦力です。非常のときは射手や射手一人につき二名の装填手、白兵が増強されます」
ここに警戒要員以外を増強しても殺人機械相手の戦力としては心許ないということか。警戒要員の少なさについては納得した。ロキタ射撃長の方を見る。
「それも海峡砲の驚異とご理解ください。ご存じの通り通常の砲であれば三名では到底足りません。射撃指揮を執る私を除いても、操砲に二名、装填に二名、点火に一名、発砲後に砲を押し戻すのに二名……。七名は要ります。ですが、失礼します、ご覧ください」
ロキタ射撃長は立ち上がると、背後の海峡砲を指差した。三角に組まれた急ごしらえらしい木の骨組みが天井近くまで伸びており、海峡砲はその頂きから綱によって吊られている。
「海峡砲には反動が殆どありません。ですから、あのような置き方ができます。操砲は砲手がちょうど筒を担ぐ感覚で行います。装填も砲弾と火薬が一体となっているので一人で十分なのです」
彼の受け答えは滑らかだけれど、その説明には今一つ納得できないところがあった。
「予備員はどうなのですか。お話からすると、一人でも死傷すればたちまち射撃不能となるように思いますが」
私の質問は答えづらい性質のものだったようだ。ロキタ射撃長は口を曲げて黙り込み、長い間の後に小さな声で答えた。
「第二砲手と予備装填手は砲の移送作業中に戦死しました」
今度黙り込むのは不意打ちを受けた私のほうだった。
「それは……」
言いかけて、どんな言葉を掛けるべきかが浮かばない。殺人機械が現れていない今戦死したということは、誰によって殺されたか自ずから絞られる。友軍か、民衆かだ。一番考えられるのは、混乱した民衆。私が見た母子の悲劇は暴動にまでは至らなかった。けれど、例えば、海峡砲を運ぶ兵を見て、人々が領主アバドレー家の全面逃走と誤解したとしたら? 背中がじっとりと湿気を帯びるのを感じた。
「ご安心ください。私も予備装填手から今の立場になりました。最後の一人になろうとも、私はあなたのご指示のままに弾丸を届けてご覧に入れます」
「……あなたの献身に感謝します」
「武人たるもの当然の勤めです。ところで、現場からの要望についてですが、私からは一つです」
明日はどのように戦うのか、ということだった。これは当然のことだろう。私も話そうと思っていたことだ。
「連環爆弾の威力は期待できないんだよね」
隣の彼女に声を掛ける。
「はい。十アノキュビア(約六リットル)樽に詰めた黒色火薬程度では、水中衝撃波の効果は不十分です。一般的な戦闘無人機、つまり殺人機械の装甲防護標準は歩兵用小火器徹甲弾に対する定格防御を要求しており、これに対する威力としては甚だ不足と言わざるを得ません」
「だから、要になるのはこの砲になります。私たちの放つ一発が、この街の運命を決定づけることになります」
彼らに説明した計画はこうだ。黒色火薬は燃え尽きた後大量の煙を残す。水煙もあるだろう。これを目潰しとして、微かに見える殺人機械に必殺の一撃を加えるのだ。
「どうですか。計画に無理はありませんか」
ロキタ射撃長が首を傾げる。
「煙ということですが、どの程度のものになるでしょうか。全く見えないとなれば射撃は困難ですね」
十アノキュビア樽といえば、火薬を部隊で携行するのに多用される大きさのものだ。だいたい五十人の銃兵が一回会戦をして余裕のある程度の量とされる。煙の量は最終的には試してみないとなんとも言えないが、イメージとしては、銃兵隊が場所を動かず射撃戦をしている状況を想像すればいいだろう。煙は濛々と立ちこめるけれど、見えないということはない。まして、殺人機械は大きいのだから尚更だろう。
「大丈夫だと思います」
少しの間考え込んだあと、ロキタ射撃長は頷いた。
「可能です。我々は十分訓練を積んでいますから。この距離ですし、多少なりと見えてさえいれば」
「わかりました。それでは、お願いします。フェスタ警備班長、すみませんが、砲兵の活動を円滑にするためのご協力を。雑務を押しつけてしまうようで恐縮ですが」
私が差し出した手に、彼の筋肉質な手が力強く重ねられた。
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