第11話「殺人機械」

 朝、外が騒がしくて目が覚めた。昨夜かすかに漏れていた酔客の騒がしさとはどこか違う。胸騒ぎがした。上体を起こして扉の方を見ると、誰かが立っているのが見えた。サイドボードをまさぐる。柔らかくきめの細かな布の感触。これは違う。ひやりとした金属の感触。これかと思うが、小さすぎる。針金のような感触。これだ。ようやく見つけ出した眼鏡を掛けると、ぼやけていた視界が一挙に細やかな像を結ぶ。長身から垂れる豊かな翡翠色の長髪。カーテンの隙間から差し込む朝日を浴びて輝く赤い瞳。ようやく私はそれがアトミールだと気付いた。

「何があったの」

「階下で演説がなされています。お聞きになった方が良いかと」

 彼女はいつ宿を飛び出してもいいくらいに準備万端だ。私も急ぎ最低限の身支度をして部屋の扉を少し開いた。朗々とした声が隙間から流れ込んでくる。吹き抜けの下、食堂の入り口付近に立った男性が取り巻く聴衆に呼び掛けているようだ。武官然とした派手な装い、立ち居振る舞いも洗練されている。身分章は遠くてよく見えないけれど、私より格上なのは間違いない。

「我々は! この危機に際して共に戦う市民を求めている! 危難は重大、偉大なる代統領陛下の治むる連邦の東門たる我らがアミリス・オナーは、今や灰塵に帰す瀬戸際に至らんとしている。勝算はある。勝算はあるがそのための人手が足りぬ。誰ぞおらぬか。元からの国々が一つの統治者にして文明世界の守護者、環宝冠山脈連邦大統領の職権を代行する者によって定められしアミリス・オナー行政区の政務を総攬そうらんするトルシメス・アバドレー行政長官の名において、勝利の暁には志願者の全てがその働きに応じた手厚い報いを受けることを約束する!」

 私は扉を音がしないよう閉じて、アトミールの方を見た。

「戦争?」

「殺人機械がオナー川沿いの集落を破壊しながら接近中との報です」

 背中を冷たいものが流れた。

「殺人機械というものは、とても深刻な脅威であるようですね」

「名前の通りだよ。古代の武器を積んでいて、銃弾も何も通さない。普通の殺人機械は遺跡の近くを離れないから不運な古術学者が殺されるくらいで済んでるけど……動き回るやつが稀に出てきて……そのたび、大変なことになる」

 目眩がしそうだ。流れの殺人機械が大都市を襲うなんて、ティル・ヴィリスの惨劇以来じゃないか。

「有名な事件だと、百二十年前。ティル・ヴィリスっていう街が襲われた。突然殺人機械が現れてね」

「どうなったのですか」

「そこそこ大きな国の都だったんだけど。駄目だった。攻撃は何一つ通じない。立ち向かった人はみんな殺されて、お堀も城壁も全部破られて、民も兵も貴族も王さえ逃げ出して。今は誰も住んでない。居るのは、ティル・ヴィリスの殺人機械、灰の王だけ」

 灰の降り積もる死の都に君臨するその怪物は、灰の王と呼ばれている。

「自動整備機能が生きていれば、あり得ないことではありませんが。戦闘無人機が現存しているなんてことは――」

 そこまで言って、彼女は急に言葉を切った。

「待ってください。まだ、その戦闘無人機は稼働しているのですか」

 早口で訊ねてくる彼女の顔色は悪い。何か深刻なことに気がついたかのようだ。

「ええと……わからない、かな。でも、動かなくなったっていう話は聞かないね。確か最後の調査は三十年くらい前……そのときの調査隊は灰の王に襲われて殆ど皆殺しにされたそうだから、そのときには動いてたんだと思う」

「ありがとうございます。クロエさん。今の情報は非常に重大です。なぜなら、その戦闘無人機が何らかの支援を受けていた可能性を示唆するからです」

「それって……まさか」

 信じていた足下が崩れるような気がした。だって、彼女が言おうとしていることは――。

「外部の整備設備に依存しない自動整備機能には、少なくとも偽独立型微小機械の介在が必要です。ですが私の知る限りでは、一般的な戦闘無人機は微小機械を使用しません。戦闘環境では暴走のリスクが高まりますからね。従って、三つの可能性が指摘できます。一つは、ティル・ヴィリスという都市に自動整備機能に対応した設備が存在した可能性。最も穏当な解釈です。そして、もう一つは、その灰の王が第二世代全自律無人機であった可能性。最後に、事後的に整備設備が建設された可能性です」

「ティル・ヴィリスは確か、遺跡型の成立経緯だったと思う。昔の大きな商店を中心に作られたの。だからさ、ほら、その設備っていうのがあることは、考えられるんじゃない? 別に、そんな」

「商業施設に戦闘無人機用の整備設備が存在することは考えられません。武器類は中央政府が厳重に管理している社会でした」

「じゃあ……その、第二世代? ってやつではないの」

「第二世代は現存しません」

「どうしてそう言い切れるの」

 そのあまりに切って捨てるような言い方に、私は少しばかり反感を覚えた。あまりにも恐ろしい予測が彼女の口から語られようとしていることが恐ろしくて、私はそれ以外の可能性を必死に考えているというのに。けれど、彼女の次の一言が、そんなささやかな抵抗も次々と退けていく。

「現存していたなら、既にこの惑星はそれらに制圧されているからです」

 真独ネラルは歯止めを失って地上を埋め尽くす恐れがあるという彼女の言葉を私は思い出した。

 彼女の考えでは、誰かが灰の王を操ってティル・ヴィリスを襲わせた。その後にティル・ヴィリス周辺に灰の王を整備する拠点を築いて今も占拠を続けている。そんなことができる何者か。それは、まるで、私たちを追う何者かではないか? 私の表情を見て、彼女は私の理解を察したようだった。

「これは我々の『未知敵対者』そのものである可能性があります」

 ぐにゃりとした足下。気づくと私はベッドにへたりこんでいた。

 この街は今、歴史の焦点にある。殺人機械というレンズによってアミリス・オナーの街に映し出されるのは、恐らく炎だろう。先程の武官は勇ましいことを言っていたが、殺人機械は常人に歯の立つ相手ではない。もし彼らと戦うならば、機械狩人と呼ばれる遊牧民たちを雇わなくてはならない。彼らの持つ門外不出の術のみが、殺人機械に肉薄することを許し、そしてその装甲を貫くことをも可能にする。一般の人手を募っている時点で、見込み薄と言わざるを得ない。

 一方、今私の目の前にいるもの、アトミールは間違いなくもう一枚のレンズとなりうる。私が剣をとり、彼女にもそれを命じたならば、街に映し出されようとしている炎をぼかし、霧散させることすらできるかもしれない。それはこの街の経済を、ひいては東岸の物流に依存しているヒンチリフのためにかけがえのない貢献となるだろうし、何より多くの人々の命を救うだろう。

「どう思う? 私たちはどうすればいい?」

「これは……多目的最適化問題です。すなわち……評価の指標となる目的関数が複数存在し、両立することができません。単純な最適化は困難ですし、根拠となるデータが不足しています。ですが、現時点の情報のみで推論するならば……」

 彼女の髪がひとりでにふわりと広がり、風に吹かれでもしたかのように一本一本が靡く。熟考するときには放熱のためこのようになるのだと、前に訊ねたとき彼女が言っていた。広がった髪は数呼吸ほどで元通りとなり、思考をまとめたらしい彼女は再び話し始めた。

「純粋な利得で考えるならば協力せずに離脱する方が僅かに有利でしょう。当該の戦闘無人機が未知敵対者の制御下にあると仮定すると、その目的として有力なのは威力偵察です。私たちの存在が露見することは、彼らを利することになります」

「なんとなくは、わかったよ。威力偵察っていうのは……攻撃して様子を見ることだっけ」

「概ねその通りです。今回私が利用した定義は、攻撃行動によって敵の反撃を引き出し、その内容から敵の位置や規模、能力を探知する行動というものです」

 彼女の言葉を糸口にして、兵学の家庭教師から聞いた話を思い出す。普通の偵察というものは、密かに敵に近付いて情報を得る。けれど、このようなやり方で敵の奥の手を暴き出すことは難しい。なぜなら、敵もこちらが斥候を放つことを知っているからだ。奥の手を巧みに隠したり、斥候が満足する程度の情報をあえて目立つ場所に置いたり、張りぼてを置いて実態以上に強力な奥の手を持っているように偽ったりする。

 そこで威力偵察だ。攻撃を受けたら反撃するという戦いの原則を逆手にとって、敵が伏せている手札を自ら明らかにするのを狙う。敵が全力を見せたと判断したら直ちに後退し、本格的な攻撃のための情報を持ち帰る。引き際の難しい大変高度な戦術だ。

「ですが、アミリス・オナーが失われることも重大なリスクです。その場合、恐らく東海岸の経済は冷え込むでしょう。それはクロエさんに対するヒンチリフ家の政治的経済的後ろ盾が毀損されることを意味します。そして、何より」

 彼女は少しだけ頭を下げて、私を気遣うように見上げた。

「多数の人々の生命財産を保護できます。人道上はこちらの方が遙かに好ましいのではないでしょうか。あなたの――社会から期待されている役割などについて論じているわけではなく、より一般的な議論として、です」

 彼女の言うことは、わかる。純粋な利益だけ考えるなら逃げることが好ましいと言いつつも、実際には脅威に立ち向かう方を勧めていることも。私の心の中の誰かを思いやることのできる部分も、同じ事を望んでいることも。

 でも、恐ろしい。

 思えば、私の人生の中で、何かに立ち向かうということは殆どなかった。好ましくないと思うものを前にしたとき、私はただ静かに距離を取る。立ち向かうような素振りを見せているときも、そのとき背後には私よりもっと大きくて強いものがあって、それに寄りかかっていた。

 私の中の臆病で利己的な部分が叫ぶ。お前にはできっこないと。折角アトミールがお前を気遣って逃げることを勧めているのだから、それに甘えてしまえと。

 二つの私が心の中で真正面から言い争うのをどうすることもできず、私は部屋の中を無為に往復した。時は流れ、外から聞こえてくるざわめきは一層激しくなるばかり。

 その争いは長時間続いたものの、根源的な恐怖を味方に付けた消極派が徐々に優勢になっていく。逃げ出す分には、今日明日で死ぬことはあるまい。明日にも無為に破滅するよりはずっといい。

 私は街を出ることに決めた。


 †


 内港は混沌を極めていた。地面はもはや人に埋もれて見えない。順番争いの怒声や子供たちの泣き声が四方八方から飛び交う中に耳を澄ませると、既に街は無数の殺人機械に囲まれているというような出所の怪しい噂話も広まっているようだ。死者の国のどん底にも似た光景を尻目に私たちは官港へと向かう。軍用船を主とした公用船が停泊する場所で、衛兵もいる。まだ平穏が保たれているはずだ。

 また人のもみ合うのが見える。私の心が小さな無数の針で刺されたように痛む。

 これでいいのだろうか。結論は出ない。アトミールに聞いたとしても、最終的な決定権は私にあると言うだろう。

 結論を先延ばしにして、先延ばしにして、先延ばしにしたまま脅威から背を向ける。その気まずい行程も今や終盤に差し掛かり、目的とした門が見えてきた。

 煉瓦造りの壁に囲まれた鉄の門扉。その上には銃を持った衛兵たちが並ぶ。そして門扉の前は槍で武装した衛兵たちが固めているようだ。けれど、予想とは異なってここも混乱と無縁ではないようだった。百人ではきかない人だかりが、門扉を中心に弧を描くように取り巻いている。彼らの顔には疲労の色がありありと浮かび、縋るように衛兵を見つめていた。

「ならん!」

 低くよく通る大音声があたりに響き渡った。声の主は、門の上に立った背の低い兵。他の兵を束ねる立場のようだ。四人の銃兵が不動の姿勢で彼の両脇を固めている。

「官港入港艦船は、全て公務のためにある。諸君の窮状は理解するが、ここを通すわけにはいかん! 速やかに退去しろ!」

 私は頭を抱えたくなった。ここを通ること自体は私にとって簡単なことだ。一応、私の旅は公用ということになっている。身分章を示してそう告げればいいのだ。でも、そのためには、この人たちを押しのけ、背を向けていかなくてはいけない。お年寄りや子を抱いた母親らしい人だっているのに。

 元々ぐらついていた脱出の決意は、今やますます頼りないものになっている。いったん様子を見よう。人だかりから距離を取り、建物の陰にもたれる。

 そのとき、どこからか車輪の転がる音が聞こえてきた。

「あれは、なんですか」

 視線を向けると、アトミールはもう音源の方を見ていた。先頭に旗印を掲げた兵の一団がこちらへ向け進んできている。先頭に長槍兵を並べ、道幅一杯を威圧するように進む。私たちは進路を譲って道路から身を引いた。

 完全武装の兵たちの向こうに、豪奢な蜥車や荷車の姿が見える。

「逃げる貴族とか、大商人とか、だと思う」

 隊列は人だかりを裂くように進み、門前で止まった。

 門付近の様子が見たいけど、人が邪魔で中々見えない。つま先立ちをして見ようとしたとき、お尻をしっかりと抑える力を感じた。何事かと思う間もなく体がふわりと浮く。気付けば私の視点は群衆よりずっと上にあり、周囲が一望できるようになっていた。

「なんだ、アトミールか」

「驚かせてすみません」

 普段と違って彼女の声が低いところから聞こえる。

「ありがとう。本当に力持ちだね」

「駆動系の出力が……人体と比べて高いだけ、です。何も、賞賛されるべきことではありません」

 下の方から上擦った声がした。自然と出たお礼だったのだけど、またもや彼女を動揺させてしまったようだ。気を取り直して様子を見ると、門衛がちょうど何かを隊列の代表者から受け取ったところだった。公用通行証だと思う。一人一人の身分章や用向きを確認する代わり、部隊などをひとまとまりで通行させるためのものだが、本来公用ではない人を、公用名目で通行させるときにもよく使われるものだ。

 群衆の中の一人一人に目を向ける。つい昨日まで勤勉に働いていたのだろう肩幅の広い中年の男性、泣きわめく子供をあやす若い母親、寄り添い合う老夫婦、商品を入れているのだろう大きなかばんを抱きかかえた商人。彼らは一様に、隊列を複雑な表情で見つめている。憎むでもなく、羨むでもなく、諦めるような表情。それを見ていると、胸が締め付けられような気がした。

 彼らの思いとは無関係にゆっくりと開かれる門。異変が起こったのはまさにそのときだった。

「お願い! この子だけでも!」

 幼児を抱き抱えた一人の女性が群衆から飛び出したのだ。さっき見かけた顔。いつの間にか最前列に出ていたらしい。彼女はそのまま開かれた門へと迫る。

 いけない。思わず声が出る。衛兵は、遠巻きにしている限りは決して手を出さない。少なくとも常識的な家の者なら固くそう戒められている。しかし、何らかの条件が満たされたとき、無条件で引き金を引くようにも訓練をされているはずだ。その条件はその家の流儀によっても違うだろう。でも、通行が禁じられた場所に駆け寄ったなら。貴族の車列に突然何かを抱えて駆け寄ったら。

 多数の銃声が轟き、世界が凍てついた。

 凍てついた世界の中で、駆けだした女性ただ一人が動き続ける。口から赤いものを吐き、前のめりに倒れ込む。子供を高く掲げて頭から石畳に突っ込んだ彼女は、そのまま動かなくなった。

 人々は、信じられないという顔をしている。門上の兵たちが構えている銃は、口から白い煙を吐き出し続けている。

「そ、装填! 急げ!」

 兵たちは慌てて次の弾を込め始める。本当なら撃った直後に始めているべきこと。彼らもまた動揺しているのだ。

 人々は潮の引くように門から遠のき消えていく。護衛された行列は門の中へと消え、残されたのは、世の不条理を訴えるように泣き叫ぶ幼子だけだった。

 ぐっと拳を握りしめる。あれは、私がやろうとしたことの犠牲者なのだ。いや、それは責任逃れの言い分だ。もっと強く、はっきりと、こう言うべきだろう。

 あれは、私のしてきたことの犠牲者だ。

 逃げ出すことへ傾いていた心の天秤は揺らぎ、ついにはっきり逆方向へと傾いた。もう、あの門は通れない。

「……行こう」


 †


 昼過ぎには政庁に辿り着き、ヒンチリフ行政区というアミリス・オナー行政区の隣人として可能な協力をすると申し出た。貴族の申し出は相当珍しかったらしく大変な歓迎ぶりで、有事の慌ただしい最中にもかかわらずお茶まで出されたことには流石に驚いた。

 状況を説明すると言われて蜥車に乗り、辿り着いたのは渡門の上だ。アミリス・オナーは穣海の海岸線とオナー川に内接する円のような形の街で、ここはオナー川との接点にあたる場所だ。目の前にはオナー川の雄大な流れが豊海に注ぎ、流れを目で遡れば、彼方には霞んだ宝冠山脈が聳えている。いつもなら港の利用者や対岸からの旅人で賑っているのだろうに、足下を見ればそこには物々しい光景が広がっている。

「結局こうなっちゃった」

 呟いた言葉は、どんなに微かでもアトミールの耳には届いてしまう。

「あなたの行動は一般に賞賛されるべきものです」

 私は曖昧な返事をしながら、足下の光景を改める。

 それは戦というよりは、土木工事に見える。兵や動員された市民が忙しく立ち働き、人の肩幅ほどの穴や壁が作られている。一部の者は、川に無数の樽のようなものを浮かべる工事をしているようだ。よくよく見れば、その樽は互いがロープで繋がれている。

「あなたがご助力を申し出てくださったこと、誠にかたじけない。女の身でありながら戦に身を投じるあなたの勇敢さを逃げ出した腑抜けどもも知ればよいのだ」

 隣にやってきたパートル二等地方武官が言う。悪意のない賞賛だからこそ、その賛辞は私の心にさざ波を立てた。

「……私の決めたことです。男や女は関係ありません」

 つい言ってしまった。彼はこの街の城壁と砲台の責任者、位階の上でも一つ上。気を使わなくてはいけないのに。気分を損ねていないかが不安になって横目で彼の顔色を窺う。

「あなたのような勇敢な方はそうおっしゃるものだ」

 私の言葉は彼にとって都合の良いように捉えられたようだ。それならそれで面倒がない。これ以上ややこしい話題を向けられないように、私は実務的な話題を始めることにした。

「募兵の演説で、勝算があると伺いました。これは具体的には、どのようなものでしょう。殺人機械の討伐といえば機械狩人の生業とするところ。彼らの介入が期待できるのですか」

 パートル氏は鼻を鳴らし、腕を組んだ。

「残念ながら。第一報が入ってすぐに召喚したが、到着は早くて明日の夕刻。我々の見積もりでは到底間に合わない」

「では、勝算とは? 教えてくださいませんか」

 いくらか迷いの表情が浮かんだ。この質問には何らかの秘密が含まれるのだろう。案の定、彼は声をひそめてとんでもないことを打ち明けはじめた。

「五十年ほど前になるか。アミリス高地にある遺跡の捜索に際し、我らは機械狩人を雇った。ご存じの通り、彼らの戦闘を見ることは契約上禁じられている。だが――」

「まさか、見たんですか」

「左様。近付けば発覚の恐れがあるので、秘蔵していた望遠鏡を使い彼らの戦いぶりを仔細に観察せしめた。罠に誘い込むこと。そして我らは見いだした。爆薬を野放図に使うことこそ勝利の術だ」

 パートル氏はその逞しい腕を川に向けて突き出した。

「この平原で敵を罠に誘い込む。これは難事だが、情報によれば奴は川を浮かんでこちらに向かってきているらしい。進路は限定される。そこで、あれを」

 さきほど見えた樽をパートル氏は指し示した。

「中には金釘を混ぜた火薬を詰めてある。奴があの線を通過すれば、体に樽がまとわりつく。それを爆破すれば奴とてひとたまりもなかろう。号して連環爆弾」

「点火はどうするのですか?」

「火矢を。樽の上面には導火線があり、おがくずを敷き詰めてある。時至らば岸に伏せてある弓兵が一斉に射かける手筈だ」

 とても昨日今日で立てたとは思えない策だと思った。まるで、ずっと以前から計画されていたかのようだ。そう思っていたら、アトミールが同じ事を尋ねた。

「あの量の火薬を樽詰めするのは大変だったでしょう。事前に準備をされておられたのでしょうか」

 パートル氏は我が意を得たりと顎を撫でる。

「樽爆弾自体は帝国の来寇に備えたものだ。本来はあれで遡上する敵船を阻止する」

 言われてみれば当然のことだ。これほどの交通の要衝、必要とあれば封鎖することは考えているはず。その手筈を今応用したのか。

「同時に海峡砲の配置を転換して防備に当てる。あそこの櫓を」

 彼が指揮杖で指し示したのは側防櫓と呼ばれる形式の櫓だ。低い櫓で、市壁から突き出すように建てられている。市壁伝いの敵を横一列に狙うものだろう。

「あの場所の櫓はもともと海峡砲にも使えるよう作られている。万一連環爆弾に耐えたとしても、海峡砲の直撃には流石に耐えられまい」

 アミリス・オナーの海峡砲といえば大陸東岸で少しでも海に関わりのある人ならば知らない者はいないだろう。これは、世にも珍しい現役の古代砲だ。未知の合金でできた長く軽い砲身を持ち、射撃時には前後から炎を噴き出す。射程は軽く四エミア(約七キロメートル)を超える。二十年ほど前の第三次環北戦争では、来寇した北辺帝国艦隊の軽銀アルミニウム装甲艦四隻を射程外から一方的に海の藻屑に変えたという恐ろしい話もある。

 なんだかうまくいくような気がしてきた。でも、そうすると今度は別の疑問が出てくる。

「どうしてそれを市民に説明しないのですか。そうしたらここまでの混乱も――」

「失礼ですが、このような場に立ったことはおりか」

 黙って首を横に振る。

「一度恐慌に陥った人心を平静に戻すことは難しい。一の事実を伝える間に百もの流言が出回る。上流から逃れてきた者たちが口々に触れ回るから口止めもしきれない。勝算有りとして義勇兵を募ったのは混乱防止の狙いもあったが……かえって裏目か」

 言ってから少しして、小さく呟くのが聞こえた。

まで真に受けおって。嘆かわしい」

 午前中の惨劇を私は思い出す。あれは訪れていた市外の有力者たちなのだろう。

「さて、お二人の専門については伺っております。クロエラエールどのには、あの海峡砲の射撃指揮を行って頂きたい」

「私がですか?」

 これには驚いた。砲一門の指揮というのは普通、砲兵上がりの下級武官が担うものだ。格としても能力としても、貴族の仕事ではない。必要とあらば構わないけれど、なぜ、とは疑問に思ってしまう。

「射撃長はむろん別につける。砲の技術的な部分について責任を負う必要はない。貴官は形式的にはアミリス・オナー臨時第三砲台指揮官だ。古術学の心得があるというあなたに、目標の狙うべき弱点などについての微妙な判断をお任せしたい」

 パートル氏は私の驚きを察したように付け加えた。

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