第6話「イオミアの呪い」

 戦勝を祝した前夜の宴は夜通し続き、ヒンチリフに戻ったのは翌日の昼前になった。くたくたになっていた私は翌日をだらだら過ごしてしまったけれど、こうしているわけにはいかない。骨休めを終えた翌日、身支度を済ませた私は執務室へと足を運んだ。鼻をくすぐる紙のにおい。部屋の突き当たりには古風な机が置かれ、窓からの光を浴びている。手前にある打ち合わせのためのテーブルには女中頭にお願いしていた通りにティーポットが置かれていた。その傍らではアトミールが私を待ってくれている。

「おはようございます」

 ぺこりと彼女が頭を下げた。彼女は殿方でも滅多にいないくらいに背が高い。女の背丈はだいたい八ミノエミア(一四八センチメートル)から九ミノエミア(一六八センチメートル)と相場が決まっている。その中でも私は背が高い方だというのに、彼女と話しているときには見上げなければいけない。本人によれば、九・七ミノエミア(一八〇センチメートル)にもなるらしい。こういうときでもなければ目線の高さが揃うことはないから、なんだか得した気分だ。

「おはよう。よく眠れた?」

 父さまの計らいでアトミールには客間の中でも一番上等な部屋を使ってもらっている。彼女は私とミューンの危機を救った我が家にとって大恩ある相手だからだ。でも、いくら上等といっても古代の水準と比べたら寝心地にも差があるのではないか。それとなく訊ねてみる。

「特段問題はありませんでした」

 彼女の言葉に納得しかけ、まてよと思う。彼女は機械だ。機械に眠りは必要なのだろうか。

「私にとっての睡眠は、処理速度を大幅に落として静止しエネルギーを節約する処理です。人や社会は夜間に活動が低下しますから、それと共にある私も夜間は活動を低下させることが合理的です」

 私の疑問に彼女はそう答えた。

「いいな。じゃあ、寝てなくて疲れる、みたいなことはないんだ」

「そうでもありません。各部の動作が停止している時間というのは、動作中には手が出せない破損部を修復する絶好の機会ですから。長時間の連続稼働は信頼性を低下させます」

 思ったより人間みたい。彼女の体の仕組みに気を引かれつつも、私はかろうじて本題を思い出す。一昨日決めた方針をもとにして、彼女のいう攻勢戦略を実現するための具体的旅程を考えるために彼女を呼んだのだった。私が勧めた席に彼女が遠慮がちに座ると、動かすとき重くて不便を感じるくらいがっしりした椅子が苦しそうな音を上げる。彼女は見かけよりも重いらしくて、椅子や床などが思いもよらず軋むことがあった。

「こんなの借りてきたよ」

 図書室から持ってきた黒い樹脂の筒から紙を慎重に引き出すと、机の上に広げた。幅いっぱいに描かれた複雑な図形の内部は何色にも塗り分けられており、ヒンチリフやアストーセやケイレアというような地名があちこち記されている。

「ポカル大陸の地図ですね」

「ご名答」

 気取って相づちを打ってみるものの、よくよく見ると地図の状態はだいぶ良くない。黄ばんでしまっているし、線もところどころ掠れているようだ。いくら三樹紙が保存に強いとはいえ時間の流れには抗いきれないのだろう。そろそろ地図師を呼ぶ必要があるかもしれない。

 さて、と私の意見を説明しようとして、国の形や仕組みについて説明しておかなければいけないことに気がついた。そのあたりがわからないままにいくら説明をしたところで、彼女にとっては雲をつかむような話だろう。そう思ったとき、彼女が口を開いた。

「まずは国内の憂いを断つべきと考えます。アストーセ地方監部および連邦政府に接触しましょう。中立であれば味方に付けられますし、未知敵対者と関連があることがわかれば攻勢の糸口が見つかります」

「……へ?」

 あまりに予想外の言葉だったから、私は思わず凍り付く。それを見下ろす彼女は、心配そうに首を傾げた。

「何か、不適切な発言がありましたか」

「いや……そうじゃないんだけど」

 彼女の見立ては正しい。私も同じようなことを考えていた。問題は、なぜ彼女にそんな結論を出すことができたかだ。地方監部、連邦政府。いずれも彼女に話した記憶はない。誰か家の者が説明したのだろうか?

「ごめん。アトミール。それ……連邦政府とか、地方監部とか。誰から聞いたの」

 彼女は頬に手を当て地図から視線を上げる。赤い瞳が私を捉えた。

「昨日定時通信について話しておられましたよね。ちょうど今夜がその日だと」

 話した。発ケイレア中央通信所、宛連邦所属全通信所、中継アミリス・オナー通信所、何年何月定時通信送信開始。こんなお決まりの言葉から始まる通信で、中央からの通達を伝えるために発信されるものだ。全ての行政区は必ず受信し、近隣の行政区と内容を照らし合わせることが定められている。

 そうだった。彼女は電波を知覚する。それが筒抜けなら相当のことを知っていておかしくない。けれど。

「通信文は暗号になっていたでしょ。その、なんて言うのかな。簡単にはわからないと思うんだけど」

 通信内容は隣国に傍受されないように暗号化されている。ケイレアで教育を受けた暗号師にのみ解くことができるので、全ての行政区の通信所にはこの暗号師の姿がある。彼らが実際にはケイレアから派遣される監視員でもあるというのは半ば公然の秘密だ。

「ええ、暗号化はされていました。解読は容易でしたが」

 そんな暗号すら彼女を前には形無しか。そう思うとどうやって解いたのかが気になってくる。暗号師でない私が暗号の解き方を知ってしまうのは危ないと言えば危ないのだけれど、好奇心には勝てない。

「……どうやって解いたの」

「符号化は古典的な電信プロトコルと一致していましたので直ちに文字列に変換できました。あとは得られた文字列の復号ですが」

 そう言って彼女は具体的な解法の説明を始めた。要旨としてはこうだ。冒頭の書式を私が話してしまったから、あとは受信した内容をその書式に当てはめるような処理方法を見つければいい。文字を置き換え、一定周期で並べ替えると答えが出るらしい。一つ一つの要素については理解できるけれど、具体的にやってみろと言われたらとてもできる気がしない。新しい知識に胸は踊るが、何か気の利いた意見や質問ができるわけでもなく、ただ相槌を打つのがやっとだった。

 圧倒されつつ私は、彼女が連邦の国としてのかたちをどのように理解しているか確かめてみた。

「連邦政府は地方監部と呼ばれる行政機構を経由して末端自治体を統制しています。連邦政府は統括者である地方総監の任命権と各種の行政権限によって地方監部を統制しており、同様の機構によって地方監部は行政区を統制しています。何か事実誤認はありますか」

「うん。だいたい合ってると思う」

 私たちの支配する行政区の内部には自治の原則があるから完全に統制できているわけではない、というような細かい補足はあるけれど、訂正するほどのことでもないだろう。

「それにしても代統領acractase陛下、ですか。実に興味深い表現です。大統領actaseの臨時代行制度であるようですが、実質的には君主ですよね」

 彼女の言葉が露骨すぎて思わず笑いが漏れてしまう。

「それ、外じゃ言わないでね。代統領陛下は君主なんかじゃなくて……指導者、だから」

 自分で言っていても思う。上っ滑りな言葉だ。実態としてはどう見ても君主じゃないか。けれど、代統領陛下を君主や王と形容したことが明るみになった瞬間、その人は少なくとも今の立場を失う。

「ご心配なく。建前という概念を理解できる程度の能力はあります。……ですが、不思議ですね。どうしてそれほど封建的概念を避けるのですか」

「それはね……。連邦政府が連邦政府を名乗るために必要なんだよ。それをやめちゃったら、『あとからの国々』、つまり戦後になってからできた国と連邦は別格だって言えなくなる」

 その偉大な建前によってこそ、連邦は今、ポカル大陸の三分の一にも及ぶ広大な版図を得たのだから。伝承はこう伝えている。戦後散り散りになった連邦は、三つの力によって再び広大な版図を得た。一つは連邦正規軍と呼ばれる強大で規律ある軍隊の力。一つは末端の領地と中央とを結びつける通信の力。そして、戦前からの歴史的役割を引き継いで世界に再び秩序をもたらすという大義の力。連邦正規軍は古代の武器が錆び付くにつれ力を失ってケイレアを警備する中央直轄部隊に名前を残すのみとなった。残る二つの力といえど時の流れとは無縁ではいられず、通信の力も家伝によれば往事と比べれば随分と弱々しいものなのだそうだ。形あるものはやがて崩れる。けれど、理念なら永久に形を留めることができる。連邦政府が自由主義や民主主義といった建前の維持に必死なのは、そんな考えがあるからなのだろう。

 こうした事柄を一通り説明すると、彼女は小さく頷いた。

「一通り理解しました。ありがとうございます」

 話題は具体的な旅程へと切り替わった。ヒンチリフは、大陸西部の一角、穣海のさかずきと呼ばれる深く入り組んだ湾の縁にあたるアルスヴィ半島にある。アトミールを見上げる。彼女の目は、私の指す先、アミリス・オナーへと向けられていた。ここはアルスヴィ半島から湾を東に横断したところにある港湾都市で、西海岸最大の規模を誇る。

「まずはここを目指そうと思うんだけど……。船、大丈夫かな」

「と、いいますと」

 怖じ気づいてるみたいだからあまり口にはしたくなかったけれど、察してもらえないなら仕方がない。

「つまり、ほら。ええと、船を沈められたりしないかなー……って」

 ああ、と彼女の口から声が漏れる。こんなことを言うと臆病に思われるかな。

「可能性は低いでしょう。それが可能なだけの戦力があるなら、星の浮島での戦闘はあのような形を取らなかったはずです」

 それもそうか。

 でも、そうだとしたら。

 治りかけの傷口を触ってみたくなるような好奇心が湧いた。

「例えば、どんな手を打ったと思う。十分な戦力があるなら」

「ヒンチリフ自体を焦土化してから私を回収する、などでしょうか」

「ええ……」

 私の想像する戦いとはあまりにスケールが違うから、思わず声が漏れた。街にこもれば街が燃える。船で逃げれば船が沈む。古代の力を思うまま使えるような相手と戦うというのは、そういうことなのだ。だから私たちは、彼らが振るえる古代の力がごく限られていることを祈りながら旅を続けるしかない。

「うん。船で行こう。決まり」

 気を取り直して私は地図に向き直る。指をオナー川に沿わせて遡上し、その分岐点で止める。

「ここで列車に乗り換えるよ」

「鉄道!?よく保守ができましたね。そこも古術学ですか」

 そうだ、と言いたいところだけど、そうではない。

「補修の技術だけが一部の地域で言い伝えられてて。シオール神の言付け、なんて言われているけど」

 国と国、地域と地域を結ぶ要所には、必ずと言っていいほどシオール神の言付けとされるものが伝えられている。その経路を維持する軌道や隧道トンネル、あるいは橋。それらを維持する方法が歌や碑文のような形で残されており、維持を放棄してはならないと強く戒めている。

「それも気になっていたんです。皆さんが信仰されている宗教は、おそらく崩壊戦争より前にはなかったものです。どんな教義なのか、教えて頂けませんか」

「え、そうなんだ」

 でも、確かにそうかも。前から思っていたのだけれど、私たちの教えには崩壊戦争に関する逸話が多すぎる。もっと昔から存在していた宗教なら、もっといろいろな時代の逸話があってもおかしくない気がするけれど。そんな部分を自分の中で整理する意味でも、彼女に現代の神々についての説明をする意義はある気がした。

「空で言うから曖昧なところもあるけど……許してね」


 †


 はじめにはうつろなる海あり。

 天もなく、地もなく、時の流れすらさだかならず。とりどりのうたかたの中にやがて世界神ヴィロメンタ生まれいづる。


 世界神、うつろなるうちにおのが身保たんがためうつろなるうちに有と無の境を作りてまとう。うつろなるなか境にまとわれし有なるもの、すなわち世界なり。

 世のうちにてはじめに生まれしは理神ラギア。御柱は世をたもつ理定めて世のまといし衣を確かなるものとす。かくて漆黒の天に星々あり、競いて輝き舞えり。


 理のなかに時の矢あり。あとさきの別このとき生まれ、史神イストール生誕せり。かの神昨日のもろもろを余さず綴り、神々とそのしもべに示す。かくて我ら死者の国にては現世の所業ことごとくつまびらかとなり、神々死者どもこれを見て我らを吟味せん。


 かくて世はとこしえに平らかならんとするも、社会神シオール唱えていわく、これ燃える星々が冷め果てやがてはいしくれとなるがごとく、果てぬ退嬰たいえいの世なり。世に意志あるものあまた放ち、あらたなるものごとどもを生ませしむべし。神々同じ、生命神イオミアをしてかくなるもの創らせしむ。


 なれど生命神幼く、年嵩の神々の心を知らず。生み出すべきものを神々の無聊を満たす玩具ならんと定めて創りつる。かくて生み出されし生命いのち、相争わねばたちまち我が身滅ぶ定めを負う。これを喜び曰く、生命これ自ずから戦い、かたちを変え、あいなきつまらないもの滅ぶ。これ第一級の工夫ならんと。


 †


「こんな感じ。まだまだ続くけど……。全部やってると日が暮れちゃうから」

 創世記の朗読なんて大学に入ったとき以来なのに、意外と覚えているものだ。話に聞き入っていたアトミールは、私が話し終えると小さく身を捩った。

「宇宙の誕生に関する記述が非常に興味深いです。アナロジーと推定される部分を除外すれば、崩壊戦争当時の宇宙誕生に関する知見と酷似しています」

 これは面白い。だとするなら可能性は二つだ。古代の科学と神話とが共通の結論に達したか、どちらかがもう一方を参照しているか。ただちに結論を出せることではないけれど、アトミールの話からすれば神話が科学を参照しているのだろう。そのことを聞いても私の心はさほど乱れず、むしろ面白いと思う。イストールの御許に立つときには、この不信心ぶりも死者の国中に知れ渡ってしまうこと請け合いだ。

「昔の人はなんでそんなことしたんだろうね」

 続けてそんな疑問が浮かぶ。今語られている教えが崩壊戦争のあとに作られたものだとするなら、それは自然発生的に作られたわけではなくて、何かしらの恣意があったような気がする。だとしたら、それは一体どんなだろう。

「シオール神の言付けというのは、古代のインフラを維持するよう伝えるものなのでしょう? そこから推定することは可能ですが、憶測の域を出ないですね」

 伝承は言う。シオールは神々の期待を裏切った人類わたしたちを庇い、人の姿に身をやつして世界を旅したと。シオールは自身では何一つできない神だ。世界を作り出すこともできなければ、その内部の法則を定めることもできない。歴史を綴ることもできないし、生命を生み出すこともできない。けれど、何かと何かを結びつけて何かを生み出させるという権能を持っていた。彼は散り散りに滅びゆくだろう人々を束ね、結びつけて、滅びの淵から辛うじて引き戻した。シオール神の言付けは、その旅の中で彼が残した言葉なのだ。

「……シオールさまは、...いらっしゃったんだろうね」

 それがどういう意味であれ。殺人機械が闊歩する危険な荒野を決死の思いで旅し情報と物を運ぶ無数のシオールの姿を思い浮かべながら、私はお茶に口をつける。お腹のあたりが暖かくなったような気がした。


 †


 地方監部の査問会というのはこんな雰囲気なのだろうか。きっと二つ返事で応援してくれるだろうという気持ちも、説明をするほどに険しくなる父さまの顔を見ているとどんどんしぼんでいく。安楽椅子にもたれて腕を組み、一切の誤魔化しを許さないとばかり睨み付けてくる父さまに辛うじて目を合わせながら、私は最後の言葉を絞り出した。

「ですので、再び旅に出る許可を頂きたいと存じます」

「駄目だ」

 取り付く島もない父さまを前に私は言葉を続けることもできず、変わらず注がれる視線を無防備に浴びていた。なんとか言葉を返さなくては。

「なぜですか。恩義に報いてこそと父さまはいつも」

 思いもよらず強い言葉が出たことに驚いたがもう遅い。叱責が飛ぶかと覚悟したけれど、父さまの返事は思ったよりも落ち着いた口調だった。

「恩義に報いるということは、形を取り繕うことではないのだ」

 まるで、できの悪い子供に説いて聞かせるような言い方だ。それに反論する暇も与えずに父さまは続ける。

「お前が魚の糞のようについて行ったところで何になる。それこそ迷惑というものだ」

「そんなことはありません。アトミールは今までずっとひとりぼっちで――」

「かわいそうだから助けてあげたいと? 偉くなったものだな。お前も」

 心外だと反論しようとしたとき、血を吐いて苦しむミューンの姿が脳裏をよぎった。私はあのとき何もできなかった。ただ、アトミールの力に縋っていたに過ぎない。

「お前の報告を信じるならば、立ち向かう脅威は大きい。あまりに大きい。お前がそれを理解した上でなお戦うと言っているならばその豪胆さはまさしく家祖クレオルトさまに連なるヒンチリフ家のもの。お前のような子に恵まれたことを誇りに思う。しかし」

 父さまはそこで言葉を切った。今までの言葉の全てを私が飲み込む猶予を与えたというように。その猶予に私は気持ちと考えを整理する。そして、父さまの導こうとしている結論に辿り着いた。まさにその直後、父さまは予想通りのことを告げる。

「今のお前には荷が重すぎる。失敗がたかだか金や名誉であればよい。帰ってきたお前をよく戦ったと迎えよう。だが……私はその奴ばらの手の者がお前の首を晒すところなど見たくはないのだ」

 道理の通った反論の余地が全くなかった。父さまは今の我が家を支える最大の力であるお金や、貴族の命にも等しい家名すら損なってもよいと譲歩している。けれど、私の命ばかりはかけがえがないと父さまは言う。

 そんなの、ずるい。だって、まともに反論できないじゃないか。

「……それでも、私は嫌なんです。あんな不思議な人を。ひとりぼっちでこの広い世界に放り出すなんて」

 無理に絞り出した言葉は案の定滅茶苦茶なもので、とうてい父さまを説得するに足るようなものではなかった。強情な私に呆れ果てたように父さまは私をしばらく見つめたあと、手元のカップに口をつけた。

「とにかく。クロエ、お前がもう少し頼りがいのある者だとわからない限りは、そしてアトミール殿がお前の身を守れるだけの力がある方だとわからない限り、お前の申し出を認めるわけにはいかない。わかったな」

 これはもういくら議論したところで決して考えを曲げてはくれないだろう。私は黙って頭を下げると、出口の方へと向かった。


 †


 父さまの部屋を出ると、なぜか兄さまたちがいた。

「やられてたねえ。お疲れさん」

 にまにまと笑うロラン兄さまが小さく手招きしてくる。その隣のファル兄さまは何かをこらえるように目を細めて腕を組んで、中庭の向こうに目配せをした。

「話がある。少し付き合ってくれ」

 シオールさまの悪戯に遭ったような気持ちでついていくと、ファル兄さまの執務室に通された。

「お前たちは外で待て」

 使用人たちを外に出して私に椅子を勧める。応接用の椅子はふわふわと柔らかく、張り詰めていた背中がほぐれるようだった。向かい側に兄さまたちが座る。何事かと思っていると、ファル兄さまが口火を切った。

「だいたいの話は聞いている。お前は、あの方と旅に出たいと言っているらしいな」

「駆け落ちっぽいよね。やー、クロエも隅に置けないじゃん」

 ロラン兄さまは相変わらず趣味が悪い。こんなだからファル兄さまと違って縁談も何も纏まらないんだと心の中で毒づいてみたものの、その嫌味が全部自分に跳ね返ってくることに気付いて口の中を噛んだ。

「父さまは私がもっとちゃんとしていて、彼女にも私を守れるだけの力があると示せないと駄目だって」

 二人はそれを聞いて顔を見合わせた。

「なんだ。思ったより前向きなんだな。父さまは」

「え?」

 私はにべもなく却下されたと思っていたから、思わず聞き返してしまった。

「クロエ。父さまの観察力がないよ。父さまが条件をつけてきたってことは、それを満たせば行かせてやるってことじゃん。かなーり譲歩してると思うよ?」

 そうか。そういうものなのか。そう思って記憶を辿っていくと、私を大学に行かせてくれたときのことを思い出した。お前が何年も学問に専念するのに見合うだけの力があるかもわからないままそんな遠くに行かせるわけにはいかない、というようなことを父さまは言った。頭にきた私は、当時問題になっていた政策上のちょっとした議論を数式に整理し、それを解くことで終止符を打ったのだ。当てつけ半分に絵解きまでして懇切丁寧な説明をした翌日、急に行って良いということになって驚いたことがあった。

「……そうかも」

「もっと手ひどくやられるかと思っていてな。ここで不満を洗いざらい言わせた後で励まそうと、まあそう思っていたわけなんだが」

 ファル兄さまが照れくさそうに頭を掻く。

「おい、持ってきてくれ」

 兄さまが声を張る。何事かと思っていると扉が開き、兄さま付の使用人がワゴンを押して入ってきた。軽銀アルミニウムのお皿の上には、所狭しと並べられた甘味の数々。どれも普段の茶菓子としてはお目に掛からない立派なものだ。宝石箱のように鮮やかな色彩。私の目は釘付けになった。

「残念会が激励会に化けたが、まあいい。好きなだけ食べて、頑張れよ」

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