第4話「アトミール」

「よろしいですか」

 隣に立つアトミールに私は頷く。正面にあるのは彼女がエアロックと呼ぶ小さな部屋。命からがら転がり込んだ場所をこのときはじめて冷静に見ることができた。円形の扉に円形の壁。角の存在を忌避しているかのような場所だ。そこから視線を足下へと転じる。靴底が浸る程度に液体が溜まっている。ここは前室と呼ばれる場所だとアトミールは言った。良くないものをこの部屋に持ち込まないよう、あるいは持ち出さないよう作られているのだと。

「でも……」

「どうしました?」

「いや、なんでもない」

 良くないものとは具体的に何なのか。尋ねるのは何だか気が引けたのでやめた。

 がたんと衝撃音がして扉が持ち上がり始める。ゆっくり、焦らすように。やがて賊の足が見え始め、腰、肩、顎、そして視線が交錯する。賊は三人。年かさの頭目らしい男を挟むように二人の手下が立ち、こちらを睨んでいる。

「ち……話が違うじゃねえか」

 頭目がアトミールを一瞥する。右の手下が頭目の顔色を窺うようにちらと見る。

「親分。すいやせん」

 そのときいきなり頭目が手下に拳を振るった。男の頬が衝撃にゆがみ、そのままよろけた男は壁に打ち付けられる。その様子を私たちは見ていることしかできなかった。鼻血を出す男に向けつばを吐き、頭目が言い捨てる。

「てめえのヘマで着くのが遅れたのがけちのつき始めなんだ。きっちり落とし前はつけて貰うからな」

 私はこの時点で自分の選択を後悔していた。こんなに気安く暴力を振るう人が世の中にいるなんて信じられない。信じたくない。こんなことなら時間が掛かっても抜け穴を作るんだった。殴られたはずの男は従順に返事をして再びこちらを向く。

「おい嬢ちゃん。まだ間に合うぜ。その女をこっちによこしな」

 歪んだ笑顔がおぞましい。頭目がその太い腕をこちらに突き出す。従うことができたらどんなに楽だろう。けれどこの種の人々を前に譲歩することは、限りない譲歩の第一歩に過ぎないということくらいは私だってわかる。笑い出しそうになる膝をなんとか踏ん張り私は宣言する。

「無礼者。私を誰と心得ますか。そのような卑劣な恫喝には屈しません」

 男たちが笑う。最高の喜劇を観たみたいに。

「お嬢ちゃん。声が上擦ってるよ」

 左の男がいやらしい冷やかしの声を上げ、自分の言葉でまた笑いだした。

 笑いが一段落すると、男たちは目を細めてこちらを見た。まるで品定めでもするような舐めるような視線だ。ゾッとする。

「アリだな。そっちの女は手を出せねえが、お前のことは何も聞いてねえ」

 頭目が言う。右の男の口笛。

「死んだ女は好みじゃねえ。殺すなよ」

 男たちが銃口を向け、引き金を引いた。

 銃声が小さな部屋にこだまする。私を狙った射撃はしかし、ただ甲高い反跳音を残すのみで終わった。

「な……!」

 アトミールが二人の銃口を掴んで狙いを逸らしている。信じられない速さだ。それを払いのけようとした二人が悲鳴を上げる。

「何だよ! 何だよこれは!」

 銃身が無残に溶け落ち歪んでいる。の力に違いない。

「これ以上の戦闘は無意味です。投降を」

 勝ち誇りもしない。事務的な一言。後ずさる手下二人を後ろの頭目が小突く。

「怖じ気づいてんじゃねえぞ。え?」

 退路を断たれた二人は顔をぐしゃぐしゃにして彼女へ掴みかかった。その背後から自身の銃を彼女へと向ける頭目。

「危ない!」

 私が叫ぶのと銃声が轟くのとは同時だった。一切の仮借がない連射が手下とアトミールの胴体に突き刺さる。何発も何発も。無煙火薬のツンとくる臭いが立ちこめる。

 重くて柔らかいものが落ちる音が二つ。けれどアトミールは悠然と立っていた。

 部下二人の命を使った策が水泡に帰して、いよいよ頭目は万策尽きたらしい。部下たちと同じように後ずさったかと思うと、跪いて頭を床に擦りつけ始めた。

「許してくれ!」

 唖然としている間にも彼の口からは流れるように弁解の言葉が流れ出る。本意ではなかった。強いられたこと。ヒンチリフの街は素晴らしい。あなたは慈悲深い女神のようだ。軽薄な追従ついしょうまで飛び出すに至って、私の心には寒々しい風が吹き込み始めた。

「へへ……。俺たちに命じた連中のことだってお教えしますぜ。あなたさまだってきっと驚く。何せ、奴らは――」

 見え透いた作り笑顔はたちまち驚愕の顔となり、次に苦悶の表情となって彼は胸を掻きむしった。

「ぐ……が……!」

 頭目は床に倒れ込んで転げ回り、助けを求めるようにこちらを見る。アトミールが私を見た。何が起きているのかわからないが、放っておけば死ぬだろう。死んで当然の男だと思う。ミューンを殺そうとした。部下すらも自分のための盾として使う。でも。

「……助けてあげて」

 私は人を裁けない。裁くべきでない。そう思ったから。アトミールは先程と同じように治療を試みる。落ち着いた自信に満ちた表情が、突如驚きの表情に変わる。何事かと思うが彼女は何も言わない。頭目は苦しみ、うめき、わめき、そして動かなくなった。肩を落としてアトミールは告げる。

「失敗しました。……強力な妨害が原因です」

「妨害?」

「体内には既に微小機械が存在していました」

 思わず目が泳ぐ。理解が追いつかない。

「それは……」

「殺害のための微小機械と思われます。恐らく、何らかの条件を満たしたときに作動するものです」

 背筋を冷たいものが流れる。口封じ。それも遺物を使った。彼が一体どんな秘密を抱えていたのか。私は一体何者に剣を向けたのか。

「ここを出よう。ミューンを連れて。なるべく早く」



 空には低く雲が垂れ込め、遠くからは間欠的に銃声が木霊する。まだ戦いは終わっていないようだ。ずっと小競り合いが続いているのだろう。銃声と同じくらい疎らに雨が降っている。

 入口の近くには二人の兵が横たわっていた。一様に頭を撃ち抜かれている。必死の形相。彼らは死んだのだ。軽はずみな私を守るために。野外の敬礼で彼らの冥府での幸福を祈る。剣を抜き、首元に掛かる紐を絶った。これで彼らは現世での官位から解き放たれる。ワタトカゲたちの姿はない。どこかで難を逃れているに違いない。戻ってきてくれるかは、また別の話だけれど。

 アトミールがミューンを雨の届かない場所へと寝かせていた。まだ意識は戻らないようだが、息はだいぶ落ち着いたようだ。

「ここで後続を待たれるのがいいでしょう。私は、それまでここにいます」

 引っ掛かるものを感じて問い返す。

「来ないの?」

「あなた方の危機は去ったと認識しています。これ以上私が同行することはリスクでしょう。使用者登録を解除してください。私は収容室へ戻ります」

 しばらく虚を突かれた後、突然笑いがこみ上げてきた。笑う私を見て彼女は目を丸くする。

「ここまでされて、あとはさよならそこで寝ててねなんて、言えると思う?」

「それは対人関係の議論でしょう。私は人として扱われるべきではありません」

 出会ってから一番の大声で抗議する彼女を見て、ふと思いついたことがあった。

「出たくないの? 作り物の窓から作り物の景色を見て。それでずっと一人で暮らすの。私は危ないものだからって。それにあなたは満足しているの?」

「ですから、使用者が無人機を擬人化してその意志を尊重するなどということは――」

「満足してないのね」

 長い沈黙だった。本人も気付いたのだろう。自分の言葉が、殆ど私の問いに肯定しているようなものだということに。

「私は使用者個人と人類の幸福のために行動しなければなりません。したがって、それに反する使用者の指示はこれを拒絶することができます」

 呟くように彼女は言う。

「ですが、ですが。私はこの指示を拒絶と考えています。考えてしまっています。これを逃したらまたあの中で……独り……」

 絞り出すような声だった。彼女の気持ちは、私にはわからない。私はこうしたいと思うように生きてきたから。彼女は何を恐れているのか。でも、心の中の相反する部分が衝突して苦しんでいるということはわかった。私が、彼女を信じ切ることができずに苦しんでいたあのときのように。

 彼女の手を掴む。先程よりほんのりと暖かい。

「何を恐れているの。あなたは」

「大切なものが壊れていくのを安全な場所からただ見ていることしかできない。そんな経験はありますか」

 首を横に振って答える。

「私はあります。私が生まれ出た世界が、私を生み出したものによって、私と同じものを使って壊されていく様を。そう。私と同じもの、です。全自律無人機が世界を滅ぼした。そのことは現代まで伝わっているのでしょうか」

「そこまではっきりとは。よい目的のために作られたものが誤って悪しきものとして解き放たれて世界を崩壊させた、というようなことを神話は言ってる」

 アトミールは海の方へと力なく歩いていく。古代の人造岩である筋金岩の崖の下、岩場で波が砕けている。心配になって、彼女の手を引いた。

「よい目的のため? とんでもないことです。私やあれらの製作者は、最初から人に価値を置いていなかった。世界を汚れた画布のように思って、その上にどう工夫して自分の思うさまに絵を描くかしか考えていなかった。そして、それに失敗したなら、躊躇なくその画布を焼き捨てる。そういう人間だったんです」

 彼女の柔らかく繊細な部分に触れてしまったことに気付いて、私は肩身を狭くした。

「……ごめんなさい」

「……いえ。心理的安定を欠いていました」

 気まずい沈黙が流れる。これではいけない。話題を変えないと。

「とにかく。一緒に行こう。それはあなたじゃない。他の誰かの話なんだから」

「私にはそれらと同等以上の能力があります。私がもし世界を壊そうと決意したなら、世界はもう一度、いえ今度こそ立ち直れないでしょう。それを防いでいるのはただ私の意志だけ。こんな高リスクな状態は許容されるべきではありません」

「ひとりぼっちでいるほうが危ないと思うけどな」

 私の口から出た言葉は彼女にとって驚きだったようだ。背嚢から雨具を取り出す。透明な樹脂布製でとても軽く、小さく纏まる。自分の分を被り、予備を取り出して彼女に着せた。

「なぜですか。外というのはここより遙かに外乱の多い環境だと聞きます。その中で私がどのような学習をしてしまうかは予測できないのですよ」

「だって……。あなたにとって、いま大切なのはだけなんでしょう? これから先ずっと暮らしてて、もし、が大切じゃなくなったら、どうするの」

 彼女は再び黙り込んでしまった。遠くから騎兵の進む音が聞こえ始めたころ、彼女はようやく再び語り始めた。

「確かにそのとき、私の挙動は予測不能です。ですが、それはどこにいようと同じです。……やはり、自己破壊が最適であるのかも――」

「同じじゃないよ」

 言葉を遮ってしまったことへのかすかな罪悪感。でも、このまま話させてもきっと良い結果には繋がらない。

「大切なものを作れるから。私は……たとえば、自分自身、父さま、母さま、兄さまや姉さまたち。ヒンチリフ家の家臣。領民。お友達。大学で学ぶことのできた日々。もしもそのどれかが大切じゃなくなってしまったとしても、他のものがあるから、私は私でいられる。世界を壊すような力があったって、きっと私はそうしない。あなたもきっとそう。だから」

 彼女の手を引いて私は歩き出す。

「一緒に行こう。世界の中へ」

 向こうに見え始めた兄さまたちの本隊へと手を振って。

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