第2話「隔壁の向こう」

 薄青の壁紙が貼られた小さな広間。床には弾性を持つ白い素材。天井は全体がぼんやりと赤く光って部屋の全てを照らしている。正面には受付口と思われる小さな開口部。その右には腰くらいまでの簡素な門がある。この広間は来客を待たせる空間だろうと推測した。選別された客人だけが門を通じさらに奥へと進むことを許されたのだろう。観察を続ける。形態から機能を見通せという教えを思い出しながら。

 不意に、世界が白く変化していく。天井の光の色が滑らかに変化して強さを増していく。赤暗い部屋に慣れていた目に白が突き刺さって思わず目を細めた。

 その細められた世界の向こうに突如人影が現れる。驚き目を見開くと、受付口の向こうに女が立っている。

「何者!」

 ミューンが前へ出る。剣が抜き放たれる鋭い音が硬質な壁に反響する。

 女はそれに動揺することもなく穏やかに微笑んでいる。状況にそぐわない笑顔はいっそ不気味にも見えた。

「いらっしゃいませ。ようこそ連邦自律無人機開発機構『星の浮島支所』へ。私は受付用端末のエトラです。お客さまのご用件をお伺いします」

 洗練された使用人のように流暢で落ち着いたトーンの声が発される。あまりに無機的だからピンときた。これは当時使われたという無人機に違いない。人の代わりに人の仕事をする道具。手ではなくて言葉によって用いるもの。彼女は歯車仕掛けの門番なのだ。なら、どのように向き合うべきで、どのように向き合うべきでないかは予想がつく。

「ミューン、これは多分……大丈夫。私に任せて」

 受付口に立った私は右足を後ろに引いて左膝を落とす。頭を下げて、右手は保護帽のてっぺんを優しくおさえる。野外の敬礼だ。古代に通じた礼式なのかは不安だが、とにかく私は伝えなければいけない。私たちに害意のないことを、エトラさんの作り主に。

わたくしはクロエラエール・ヒンチリフ。ヒンチリフ行政区行政長官アストフォルトが次女。突然の訪問という非礼をお詫びいたします」

 エトラさんからの反応はない。汗が一筋顔を流れ落ちる。私は失敗したのだろうか。

「お客さまのご用件をお伺いします」

 もしかして。思い当たる。エトラさんは私が思っているよりもずっと単純な存在なのではないか。一応、確かめてみよう。

「ミューン、何か言って」

「うわあっ」

 剣が宙を舞う。私の指名がよっぽど驚きだったみたい。あれよあれよと言うまに剣は切っ先を向けて地面へと落下し、床へと突き刺さった。

 ミューンの目は斜め左を向いている。自分の失敗を恥じているとき、彼はいつもそうする。こっちはこっちで声を掛けた手前きまずい。

「えー、私ですか。お騒がせしてかたじけない。私はミューナルト・レキシロイ――」

「お客さまのご用件をお伺いします」

 私は吹き出しそうになった。まるで会話になっていない。

「な、何なのですかこの女は!? クロエさまも、一体何がおかしいのです!」

「ごめんごめん。でも今のでよくわかった。決まった受け答えをするだけだよ」

 私たちのやりとりを前にしてただ曖昧に微笑み続けるエトラさん。彼女の実態は、水力旋盤や機械時計と大きく変わるものではないのだろう。ずっと高度な技術で作られて、ずっと複雑なものではあっても。

「私たちは、施設内部の調査に伺いました」

 一瞬思考をするような素振りを見せたあと、エトラさんは再び元のような笑顔を浮かべた。

「施設のご見学ですね。ただいま問い合わせ中です。しばらくお待ちください」

 ややあって、エトラさんは再び話し始めた。今までしていたような身振りを何一つせず、口を開くこともなく。抑揚のない言葉がどこからか流れ出る。

「本施設は、放棄から百七十二万八千時間以上が経過しています。公的研究機関に関する特別措置に基づき、全自律無人機収容室を開放することができます」

 何が何だかわからないが、重要な部屋に入れてくれるというのはわかった。

「開放を」

「あの、クロエさま」

「希望します」

「本当に大丈夫なんですか?」

 ああ、もう。彼の心配が私を思ってのことだとわかっていても尚、内心の苛立ちは拭えない。こんな大発見が目の前に転がってくるのが悪いんだ。こんな状況に置かれたら、誰だって私と同じ事をするに決まってる。

「かしこまりました。全自律無人機収容室を開放します。入場口よりお入り下さい。エスコート機がご案内します」

 小気味よい音を立てて門が開く。その向こうから現れた平べったい機械が高い音程の不思議な音を鳴らしてこちらに注意を促した。

「本機がご案内します。どうぞこちらへ」

 後ろのミューンに目配せを送る。大変不安そうではあるが、しぶしぶといった体でついてきてくれている。これが終わったら、何か埋め合わせをしてあげないといけないな。お菓子でも作らせたら喜ぶだろうか。

 門の先の長い廊下を真っ直ぐ歩いていくと、やがて小部屋に突き当たった。床は凸凹した鉄板で、には箱状のソファが置かれている。

 ミューンが何かを言っているが私はそれどころでない。壁の一部に窓のようなものが埋め込まれていて、中には文字や図形が見える。

「今日の日付……と、時間かな。下にあるのは……接続に問題? なんだろこれ」

 フィールドワークの基本はスケッチだ。手帳を広げて目の前にあるものの姿をありのまま描いていく。そのとき、体がふわりと浮かんだ気がした。

「クロエさま! 罠です!」

 血相を変えたミューンが叫び、いつの間にか閉じられている扉を開こうとしている。扉の傍らには数字が描かれ、独りでに数字を数え上げていく。罠だろうか。そんなことはないと直感が告げた。なるほど私たちはこの小部屋に閉じ込められているようだ。そして落下しているような感覚。うん、もしこのまま地面に叩きつけられれば私たちの運命は明らかだし、そんな未来は勘弁だ。でも、そんな回りくどい罠をわざわざ作るだろうか? 銃か何かを使った方が罠としてはいいんじゃないか。そうだ。こんな部屋に私は心当たりがある。手帳をめくる。昔市場だったという遺跡で実習したときの記録だ。

 見つけた。建物内の移動手段について調べたページだ。

「クロエさま、遊んでいる場合ではありませんよ! このままじゃ私ともどもぺしゃんこです」

「落ち着いて。これだよ、これ!」

 ミューンに問題の部分を指し示す。

「自動、階段? これがなんだって言うんですか」

「その右! 昇降機!」

 ページには、私の走り書きで、「上下動する小部屋。古代の中高層建築には一般的。階層移動用」と書いてある。

 話してる間に身体が重くなるような感覚があった。軽い鈴の音がして閉ざされていた扉が開く。

 長い廊下だ。何重もの扉が設けられていて、その全てが重々しい音と共に開こうとしている。

「はあ……。人を驚かせる趣味でもあったのですかね。古代人というのは」

 驚異の連続に彼はすっかりくたびれ果ててしまったようだ。仕方ないのかもしれない。私もはじめて遺跡に入ったときは目が回るような気持ちがした。驚くべき平滑さの壁、木とも石とも金属とも、あるいは樹脂ともつかない素材の床、光を放つ天井、何一つとして現代の私たちには再現できない。中でもこの遺跡は特別だ。何しろ設備が完璧に稼働している。当時の私だったら今頃喜びと驚きとで気を失って幸せな夢を見ているに違いない。それにしてもこの扉。どうにも違和感がある。ただ空間を隔てるような壁ではない。握りこぶしほどの厚さの金属板だ。軽く叩いてみると、こちらの手がじんと痺れた。僅かに聞こえる鈍い音。まるで城壁を叩いた時のようだ。

「いやに厳重ですね。城塞か何かだったんでしょうか」

 ミューンの発想はいかにも武人だ。でも、その見立てはたぶん違う。

「さっき受付があったでしょう。開発機構というのは研究のための役所のことだから、研究型の遺跡だと思う。とても大切なものを研究していたんじゃないかな。それとも――」

 とても危険なものを。背筋がぞくりと冷える。このまま進んでも大丈夫なのだろうか。

 研究型の遺跡はもともと技術遺産の宝庫として価値が高い。しかもこの遺跡に関して言えば古術学史上空前の保存状態だ。何かしらの大発見があることはほぼ疑いようがない。だが、私たちはそれを生きて持ち帰ることができるのだろうか? この手の遺跡は、決して安全なものばかりではない。殺人機械が徘徊している程度ならばかわいいもので、調査隊が原因不明の病に倒れ、次々と死んでいくような場所すらある。

 大きな通路にこもった足音だけが木霊する。通路の左右にある扉は、いずれも固く閉ざされていて、あくまで最奥部へと客人を誘うつもりのようだ。内心の恐れをミューンに知られないようにしながら、私は先を急いだ。

 それにしても、と私は思う。この色鮮やかな世界はどうだ。白い光に照らされた壁面には、無数の壁画が描き出されている。古い言葉遣いではあるが、今の私たちにも読むことができる言葉で、壁画たちはいろいろなことを告げている。未知の語彙にくすぐられる私の好奇心。ミューンの手前全部というわけにはいかないけれど、これらも手帳に書き留めていく。


 事務局よりお知らせ

 研究計画書の提出はお早めに。期限を超過した場合、資源分配システムによる分配は保証されません。

 現在の提出件数:

 警告: サーバーとの接続に失敗しました(三回)

 警告: ネットワーク管理システムへの対応要求送信に失敗しました(三回)

 警告: 自律可用性維持システムは正常に動作していません。この画面を確認した方は、最寄りの有人管理室に連絡してください。


 全自律無人機開発室よりのお知らせ

 八月三十五日に定例の見学会を行います。第四級以上の保全適格を持つ職員は、システムを通じて申し込んでください


 角を一つ曲がった通路の突き当たりでついに一つの扉に行き当たった。今までの扉とは明らかに作りが違う。ここが終点なのだと私は悟った。灰色に塗られた半円形、無垢の一枚板だ。触れるとひやりと金属の冷たさを感じた。先程と同じように扉を叩く。今度はまったく響かない。厚さも比べものにならないようだ。

 いよいよはっきりした。この奥にあるものと外界とを分離することが、この遺跡の本質的な機能だ。それが全部でなくとも、少なくとも重要な役目だったことはまず間違いない。

「開けるべきか、開けざるべきか」

 呟きながら周囲を見渡す。開けるならどうすればいいのだろう。扉自体に開く仕組みがないならば、別のところに仕掛けがあるはずだ。

「クロエさま、これを」

 壁に貼り付けられている一枚の絵を彼は示した。絵には二つの抽象化された人が描かれ、扉の両脇に立っている。左側にあるレバーを一人が引き、もう一人が右側にあるハンドルを回しているように見える。扉の操作方法を絵解きしたものとわかった。「ふうん。二人じゃないと開かないんだ」

「そこではなく、その上です」

 ミューンの指差す方を見る。黄色く縁取られた枠があり、内には太い活字が読み手を威嚇するように連なっている。


 警告!

 特定対象物収容設備(偽独立型微小機械および高度自律無人機)

 許可なき開放を固く禁ずる。不審な行動を取る者は、警告なしで射殺することがある。

 立ち入り中に何らかの異変を察知した場合、室外警戒員は室内の状況に関わらず直ちに緊急閉鎖を行え。一切の例外は認められない。


「……ずいぶん物々しいね」

「クロエさま、差し出がましいとは思いますが、聞いてください」

 ミューンの言わんとしていることはわかった。引き際だ。私一人の手にこれは余る。ちゃんとした調査団がこの扉を開くか否かの判断をすべきだろう。何か、とてつもないものが眠っている。

「そうだね。……うん、引き上げよう」

 巻き上げ機で引かれたかのように後ろ髪を強く引かれているのは間違いない。でも、諦めるしかない。ミューンは深い安堵のため息をして微笑んだ。

「クロエさまならわかってくださると信じていました。賊もいなかったようですし。引き上げましょう」

 じっと扉を見る。この向こうに眠っているものは一体何なのか。その一片にでも、私は将来触れることができるのか。触れられるとしても、きっとそれは今ではなかったのだ。自分にそう言い聞かせて踵を返そうとしたとき、背後から人の話し声が近づいてきた。


 †


 ミューンと顔を見合わせた。何かまずいことが起こっている。息を潜め様子を窺う。耳をすませると、次第に男たちの野太い声がはっきりと聞こえてきた。

「領主の野郎がここに気付いてやがったせいで手間が増えやがった。あの女の話じゃあ、もう誰も気に留めちゃあいないってことだったじゃねえか」

「へへ、まあ落ち着けよ。たった二人だぜ。斥候が偶然見つけたってえとこだろ。感づいてたってわけじゃあねえよ」

 置いてきた兵たちの顔がよぎった。ミューンの顔からも血の気が失せている。私もひどい顔をしているに違いない。

「それにしちゃ必死だったぜ。なんだったっけな。断じてここを通すわけにはいかない、だったか?」

「ああ、言ってたなあ。頭にぶち込んだら静かになりやがったが」

 男たちは笑い声をあげた。なんて野蛮な。そう憤ってはみたけれど、すぐにそれどころではなくなった。次に野蛮さが向けられるのは、自分だ。

「お前ら。うるせえぞ。ちったあ黙って前見て歩け」

 第三の声がして、それきり声は聞こえなくなった。かすかな足音と金属の触れあう音がする。どうしよう。思わず口を押さえる。大変なことになった。もと来た道をこわごわ見る。五歩ほど向こうに曲がり角。音の感じからするとまだまだ遠いけど、いつまでもここにたどり着かないということはないはずだ。通路はよく整理されていて隠れられそうなものはない。古代人がもうすこしずぼらな人たちならよかったのに。

 このままでは私たちは袋の鼠、幾らミューンの剣が巧みと言っても相手は少なくとも三人。けっして弱兵ではないはずの兵二人をやすやすと倒した者たちだ。ミューンが敵うかはわからない。もし負けたら私は――。最悪の予想が頭を離れない。どうする。どうする。浅くなる呼吸、ミューンにも聞こえているのではないかというような勢いの鼓動。そうだ。これしかない。もう方法はない。

 恐怖で震える足を引きずって、私はレバーへと歩み寄った。抗議の眼差しを向けるミューンを目線で反論する。こうなれば賊の狙いがこの遺跡なのはわかりきっている。私たちが敗れたらどうなるだろう? ミューンはきっと殺される。私は、そう、私は女だ。どんな悲惨な末路が待っているか想像もできない、いやしたくない。そして賊は遺跡に眠る遺産を手に入れる。あの口ぶりなら使い道もきっと知っているのだろう。そう。そうだ。あんな者たちの手に渡すくらいだったら、私が。

 ミューンは根負けしたようだった。ハンドルの前に立ちこちらを見て頷く。レバーを引くと、彼もハンドルを回し始めた。

「親方、何か音が聞こえないですかい」

「……まさかた思うが、先客か? おい、手前ら、急ぐぞ」

 後ろの方から声がして足音が早まる。必死になってハンドルを回すミューンを私は見ていることしかできない。空いている右手で拳銃を引き抜き、通路へと向ける。そこに飛び出してくる人影。引き金を引く。動かない! どうして。そうだ。安全装置を外していない。

「いやがった! 構わねえ。撃て!」

 頭が真っ白になったとき、体が強く引かれた。

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