【アニメPV配信中】明ける世界の夢見る機械

壕野一廻

第1部「再び夢を見る日まで」

第1章「旅立ち」

第1話「浮島の遺跡」

 世界神の灯火が大洋を照らし魚たちを目覚めさせるよりも早く漁師たちは海へ出る。寝ぼけ眼の魚たちは動きが鈍く、そのくせ貪欲だ。意気上がる漁師たち。その賑わいを掻き消すように号砲が鳴り響いたのは、まさにそんなときだった。号砲は貴族わたしたちが領民に呼びかける方法として最も大げさな方法の一つだ。それが一度に八発も。漁師たちは顔をしかめたに違いない。

「八発ってぇと、どんな意味だったかね」

 そんな戸惑いの声を漏らす者もいたかもしれない。正午二発発令四発などと市井の童歌にもあるように、号砲によって時間を伝えたり、新たな通達の掲示を伝えたりすることは人々にも馴染み深いことだろう。けれど、八発とは? そんな疑問への答えはやがて明らかとなる。市内の聖堂は盛んに鐘を鳴らし始め、兵舎から飛び出してきた兵士は沿岸砲台へと駆け込む。港の詰め所には出港止めの赤旗が掲げられた。漁師たちは呆れたような身振りをして、三々五々家路につき始めた。

 私、クロエラエール・ヒンチリフは三等地方政務官の位を賜る歴とした貴族の一員だ。領民の営みが妨げられているときこそ私たちは戦わなければならない。そんななけなしの責任感から立った戦場いくさばの空気は私向きのものとは到底言えないものだった。悲鳴混じりの耳慣れない銃声が散発的に聞こえるたび、その声の主が自分となる幻影を思い浮かべ足が竦む。

 一昨日の朝にそのマストを海面に現した海賊は、当家の沿岸砲を避けて星の浮島へと上陸した。星の浮島は港のある湾口を塞ぐ格好で浮かんでおり、港を外洋の荒波から守っている。ここを抑えられれば港と外海との行き来は彼らの思うがままだ。漁業と貿易とに支えられて急成長を成し遂げたこのヒンチリフの街にとって死活問題になる。経済的に締め上げられた私たちの前に悠々と現れ「交渉」の手を差し伸べる。彼らの目論見はそこにあるのだろう。でも、そんな要求に屈するわけにはいかない。だからこうして討伐隊が招集され、私もその一員として島に足を踏み入れたわけだ。所詮は海賊。訓練され装備も充実した当家の兵の前にはひとたまりもないだろうと思われたのだが――。

 けちがつき始めた最初の瞬間を、私はありありと思い浮かべる。散開しながら進む前衛部隊の兵たちを頼もしく蜥上から見ていたとき、突如一人の兵が倒れた。何事かと思ったそのとき、彼方から轟く乾いた銃声。たちまちの内に膨れあがる不安は、次の瞬間には証明されてしまった。先程の一発を合図に銃弾が雨のように降り注ぎ、前衛隊は瞬く間に壊滅してしまった。恐るべき威力と射程、たちまち兵は動揺し、その場に釘付けになってしまった。

「クロエ、ちょっと教えて」

 ロラン兄さまの声が私を現実に引き戻した。ロラン兄さまはいつも通りの飄々とした風で、まるでちょっと書類の置き場を尋ねるかのよう。いつどこから弾が飛んでくるとも知れない状況でどうしてこんな平然と! こんなに平気なら兄さまを盾にできないかしら。そんな考えが頭に浮かび、その浅ましさに思わず顔をしかめた。

「何ですか」

 無愛想に聞こえるかな、と思いつつも、今の私に取り繕う余裕はない。ロラン兄さまはそんな私の動揺なんて気にも留めないで銃声の方を指差した。

「あれだけどさ、古代銃だろ。あんなに派手に撃って壊れたりしないの」

 まさしくあれは古代銃だ。いにしえの文明が作り出した恐るべき武器。音よりも速く鎧を抜き死を振りまくもの。現代のあらゆる飛び道具はあれと比べたら玩具でしかない。由緒ある家々がまさに危急存亡の時に備えて家宝として大切に扱っているはずのもの。海賊などが持っているべきものではない。

「保存状態にもよります。製造当時なら数千発は持つようにできているはずですが、現代まで残ったものとなれば」

「そっか。悪いね」

 兄さまは極めて残念そうに言い残して再び父さまのもとへ戻っていった。今後の策について議論をしている最中、私の意見が欲しくなったということらしい。気取られないよう横目で見ていると、中々に紛糾しているようだ。私は兵学については最低限の知識しか持っていないので、参加しても銃弾に怯えるばかりで大したことはできないだろう。兄さまに冷やかされないよう自然を装って、木の陰へと隠れた。

 ああ、どうしたらここを逃れられるだろう。こんな肝心なときに限って私の知性は何の答えも出してはくれない。三年間も最高学府で学んだのは一体なんだったのか。古代の文明にばかり詳しくてもこんな状況では何の役にも立たない。足下を小さな虫が歩いて行く。虫すら戦を嫌って逃げるのだ。もうやだ。帰りたい。足下の土は湿っていて、ねちゃりとした感触が気持ち悪い。

「ここにいたのか」

 今度は父さまとファル兄さまが私の前にやってきていた。ファル兄さまは軽薄なところのあるロラン兄さまと比べるとずっと落ち着きがある。家督の後継者としての風格は流石だ。

「お前にも任を与えることにした。ファルシールが手勢を率い東回りの迂回を行う。クロエラエール、開かずの横穴までの道のりには親しんでいよう。供回りを連れ前衛をなせ」

 それを聞いた私は、最初どう反応したらいいかわからなかった。開かずの横穴というのはこの島の東端にある遺跡だ。あの遺跡へ向かう間道を通ったなら、賊が盛んに撃ってきているあたりの後ろへ出ることができる。父さまはそこに勝機を見いだしたようだ。そして考えてみるとこれは悪い話じゃない。こんな戦場のど真ん中より迂回路のほうが余程安全な筈だし、戦いが始まったら戦力外の私は離れていればよい。

「しかし父上。その作戦はクロエラエールを危険に晒しますまいか。地方監部の救援を待ってからでも遅くはありません」

 ファル兄さまがここで口を挟んでくるのは意外な気がした。こんなに慎重な人だったろうか。

「その後に残るのは、海賊程度も独力で撃退できぬ腑抜けという風評だ。それが何を招くか、わかるか」

「……古代銃を持つ相手です。一筋縄ではいかないことなど明らかでしょう」

「遠方の出来事は、得てして都合良く歪められるものだ」

 父さまの言葉で、以前あった騒動を思い出した。連邦の要港であるヒンチリフは直轄地とすべしという提言が連邦首都ケイレアで行われたのだ。あのときは代官を送り込んでの遠隔統治が非効率的だと商務長官に納得して貰えて立ち消えになったけれど、その裏では代官を送り込みたいケイレアの大貴族の動きがあったという噂を耳にした。父さまはこうしている間にも目前にある戦いとは別の戦いを同時に戦っているのだ。領主の重責を担う気分というのはどんなものなのだろう。私には到底できそうにない。

 この島は上から見ると三叉路の形をしている。それぞれの道にあたる半島には、北から順番に上中島かんなかじま中突堤なかとってい下中島しもなかじまと名前が付けられている。彼我が対陣しているのは、その交差点にあたる場所だ。私たちは上中島にあり、賊は下中島に布陣している。父さまの考えは、中突堤を経由して賊の側面を突く作戦だ。考えれば考えるほどこんな良い作戦はない。なんといっても銃弾が飛んでこないのが素晴らしい。私はなるべく堂々と見えるよう背筋を伸ばして言った。

「行かせてください」

 ヒンチリフ家のために。領民のために。そして、私の身の安全のために。


 †


 ワタトカゲに乗って私たちは進む。これは羽毛の生えた二本足で歩くとかげというのが最も的確な形容だと思う。身のこなしは軽く、きちんと飼い慣らせばこのように、跨がって操ることができる。オニカブトと並んで騎乗動物の定番だ。草花が恐るべき生命力を発揮して築き上げた壁をこの騎蜥きせきの首が押し破って進む。農作物がこんな風に育ってくれたら私たちも領民も楽だろうに。足元には石灰質の砂利。古代の道路に使われていた素材だ。往事が偲ばれる場所も、今になってはただの藪。人の足では一歩進むも一苦労だろう。毛むくじゃらの首を撫で労ってやるともっとやってくれとばかり首をこちらへ押しつけているのだ。しばらく続けてあげる。サラサラとした毛が手を撫でて心地よい。

「クロエさま。お疲れではありませんか」

 隣に並んだミューンが訪ねてくる。彼はミューナルト・レキシロイといって、古くから我が家に仕えてくれているレキシロイ家の三男だ。まっすぐで、ともすれば危うさも感じる眼差しは私たちが幼かった頃から代わらない。

「大丈夫。こうして話せるのは久しぶりだね。最近は堅苦しいとこばっかりだったから」

 なるべく親しげに話しかけたのだけれど、声は見えない壁に跳ね返されて彼には届かない。子供の頃とは違って、身分という透明で分厚い壁が立ちはだかっているのだ。彼は力なく笑う。そこに感じる心の距離。一抹の寂しさを感じてしまう。

「ミューナルト・レキシロイ軍務官補、とでも呼ばれたいの? 私に」

 ミューンは答えない。答えられないのだろう。その沈黙が私の胸にちくりと刺さった。これは意地悪な質問だ。ヒンチリフ家の家臣団は両の手で数えられるほど。必然付き合いは濃密になる。濃密になるからこそ、主家としてえこひいきは許されない。もちろんそんなことをするつもりはないけれど、誤解を招きかねない行動自体慎まなければならないというのがたしなみだ。私は私である前に、ヒンチリフ家の次女であり、貴族であり、あるいは、女である。私の人生の行く手にも、しがらみという雑草がこの藪と同じように生い茂っている。古代の道はもっと平らで真っ直ぐだったのだろうか。

 こんな暗いことを考えるのはやめよう。私は行く手にある開かずの横穴について思いを馳せた。その大部分は山をくりぬいた地中にあるとみられ、半円形の入口だけが露出している。三度にわたって大規模な調査が行われたのだが、入口の門扉に傷を付けることすらできていない。相当に重大な施設だったと推定されており、一切盗掘を受けていないであろうその中には古代の神秘が山ほど眠っていること疑いようがない。想像するだけでも胸が高鳴る。その秘密の宝箱はいよいよ藪の向こうに姿を覗かせ始めた。

「ご存じですか? 先日また調査があったんですよ」

 知らなかった。我を忘れてミューンに顔を近づけた。

「本当!?何か進展あったの」

 ミューンの顔にさっと朱が差した。彼も疲れているのだろう。何かを思い出すように視線を宙へ向けながら答えた。

「は、はい。ええっと、クロエさまご帰還の半月ほど前でしたか。いつもよりも随分と小さな調査でしたよ。背のやけに高い女と――古術学者を名乗ってました――中央の役人、それと供回りが何人か」

 妙な話だ。他のあらゆる学問と同じように古術学の世界も女性への間口は狭い。そんな特徴的な古術学者なら当然有名になっているはずだ。

「知らない学者。名前はわからないの?」

 ミューンは決まり悪そうに頭をかく。

「すみません。愛想のない感じの女で、変な髪の色をしていましたね。角度によって見え方が違うというか。金だったり緑だったりしました。それで、人形みたいに綺麗でした」

 へえ。ミューンが女の人の見た目を気にするようになったんだ。私のいない三年間に色々なことが変わっている。面白くなってつい笑みが漏れてしまった。

「え、あっ。いえ、クロエさまのほうが余程素敵だと思いましたよ。そう、あいつは自分のことにしか興味ない感じで不愉快な奴でした」

「あはは。別に気にしないよ。父さまも諦め気味だしね」

 私たちは四人きょうだいだ。ファル兄さまに、シェリ姉さま、ロラン兄さま、最後に私。シェリ姉さまは私が大学に行く前の年に嫁いでいった。嫁ぎ先のユール家は商業や貿易への造詣が深くて商務長官も多数出している。我が家うちはここ数十年で東海岸経済に大きな存在感を示すようになってきたわけだから、その辺りの関係があって決まった縁談なのだと思う。考えてみると、あの新港直轄地化騒動のときの商務長官もユール家の出だったと思うから、その時に何か約束事があったのかもしれない。順当に行けば次は私。でもご覧の通り、学問にうつつを抜かして理屈っぽくわがままに育ってしまった私に縁談など来るわけもなく。父さまも心の内では思うところがあるようだけど、口に出して言ってくることはない。

 これは次女の特権だ。そう考えると私など大分恵まれている方だけれど、それでもなお世間は息苦しいと思ってしまう。つくづく貴族の女というのに向いてない。

 横穴はもう目の前だし、折角だからちょっとくらい調べていきたい。そんな下心もあるけど流石によくない。なるべく見ないようにして通り過ぎよう。そんな私のささやかな努力を嘲笑うかのように視界の端を何か赤い光がかすめた。なけなしの自制心はあっけなく決壊して、私の目は横穴へ釘付けになる。信じられない。固く閉ざされていたはずの門が、開かれていた。


 †


「あの、クロエさま……?」

 声が右耳から入って、左へと抜けていく。ずり落ちた眼鏡を持ち上げて、もう一度確かめる。開いている。扉が。赤い光がぼんやりと扉の向こうを灯し、私を誘っている。電気が生きているようだ。なぜ開いている? 類似の事例は知られていないか? 手綱を引いて乗蜥じょうきを止める。思考が高速回転を始める。

「クロエさま!」

 大声が頭蓋の内を跳ね回って折角回り始めた思考は音を立てて崩れた。くらくらする頭を立て直すと、困り顔のミューンが私を見ていた。

「うう……。もう、何?」

「何、じゃありません。先へ進みましょう」

 目の前の男は、無情にも私を遺跡から引き離して戦場へ誘おうとしている。いや、とんでもない。こんな好機を眼前にして、どうして誰がここを離れられるだろう。向こうには間違いなく宝の山が眠っている。首尾良く見つけ出すことができれば、私の古術学者人生は光輝に満ちあふれたものになるだろう。一生本を読んだり遺跡を調べたりして暮らすのだ。もう、誰に遠慮もいらない。いけない。よだれが出そう。

「ミューン、私たちの使命は何?」

「ええ……。後詰めの到着までの間、中突堤経由の接近路を確保することです」

 こういうとき私の頭脳は抜群の冴えを見せる。ミューンが首を傾げて答えている間にも探険を正当化する理屈をひねり出してしまえるほどに。

「そうだね。で、この扉が開いているのは異常事態。そこには賊の関与が疑われるし、今でも賊が潜んでいる可能性は否定できないよね」

「いや、しかし……。行政長官殿にどのようにご報告申し上げるのですか」

 まだ説得できないか。でも、確かにミューンの言っていることは正しい。冷静に考えてみたら作戦行動中に寄り道をするのは後が怖い。だが、そうはいってもこれを放置するのはあまりに惜しい。次に来たとき空いている保証もない。何か他に良い理由はないか。ああ、そうだ。これだ。なるべく真面目に見えるような顔を作ってミューンに向き直った。

「ねえ。ミューン。ティル・ヴィリスの惨劇って知ってる」

「随分話が飛びましたね」

「飛んでないよ。複数の殺人機械がティル・ヴィリスっていう街を襲った事件。百二十年くらい前のことだけどね」

 殺人機械は古代の産物と思われる人を襲う機械のことだ。古代の軍事拠点だったと思われる遺跡にしばしば見られる。古代銃や未知の装備を持ち、弓矢も剣も通さない装甲を持つ。特殊な技術を持つ人々でなければ決して歯が立たない。

「そんな。殺人機械は遺跡から出ないと聞きますが」

 ミューンの顔が青ざめる。現代を生きる人ならば誰しも殺人機械の恐ろしさは知っているだろう。何しろ、古代の文明はまさにそれらによって滅びたと伝えられているのだから。

「普通はね。でも、たまにそうじゃない奴らがいる。この遺跡の中に、そういう奴がいないって言える? 機械狩人は一週間やそこらじゃ来てくれない。一日でも早く確かめないと、手遅れになるかもしれないよ」

 どうだ。ミューンの顔を伺う。その顔に浮かんでいた恐れは、やがて固く結んだ口元によって掻き消された。

「行きましょう」

 その言葉に、私はほっと胸をなで下ろした。私の説明自体は本当だし、調べる必要があるのも本当。そのついでに、ちょっとばかり別のことも調べるというだけのこと。頬が緩むのを誤魔化しながら後ろを振り返る。私たちの一行は五人編成だ。出口の警戒も必要だし、あまり大人数で中に入っても仕方がない。

「そうそう。じゃあ行こうか。そっちの二人は出口付近を警戒、あなたは後詰めに伝達して。内容はこう。『開かずの横穴が開放されていることを確認した。内部に賊や殺人機械が潜んでいないことを確認するため、一旦内部を探索する』」

 指名した兵は、元気よく返事をすると、乗蜥に飛び乗ってもと来た方へと走っていった。

 ついに念願叶った。岩肌に穿たれた穴から漏れる赤い光は、まるで紅玉の嵌め込まれたようだ。

 乗蜥から飛び降りる。石灰の砂利に足を取られ崩れそうになった体勢を立て直す。ポケットから手帳を取り出す。眼鏡はしっかりかけ直す。

「ミューン、遺跡の中って入ったことは?」

 ありませんと答え。予想通り。

「遺跡の中は何があるかわからない。だから、古術学者は立ち入る前に最善を尽くすの。うっかりで命を落とさないように。私と同じようにして」

 頭に手をやる。硬い感触。

「保護帽よし」

 ミューンが同じことをしている。大丈夫だと目で伝える。最も彼は兜だが。

 足元を指差す。靴紐はしっかりと結ばれ、端末は遊んでいない。

「靴紐よし」

 ベルトを強く何度か引く。これも緩んではいない。

「ベルトよし」

 自分の身を守るためのもの全てを、一つずつ確かめていく。そして、最後にたどり着くのは、二つの武器。

 腰に吊られた剣を抜き、再び戻す。

「剣よし」

 お尻に手を回し、そこにしっかりと固定されたものを確かめる。

「銃よし」

 そして、再び視線は遺跡の中へ。行こう。中に何があろうと、私はそこに何かを掴んでみせる。

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