第76話 変わる関係

 そして現在。

 正蔵は寝起きのエリンのために朝食を作っていた。パンとケチャップたっぷりのスクランブルエッグ。それとコーヒー。どこでも食べられている一般的な朝食だ。

「マサゾーってさ、上手いよね」

 エリンはフォークでスクランブルエッグを口に運びながら寝ぼけ眼で言った。

「そうか? これくらいの誰でも作れるだろ」

「ごはんじゃなくって、あれ、セックス」

「ブフッ、そ、そうかな?」

 正蔵は思わずコーヒーを吹き出した。

 あまり意識したことはなかったが、ニンジャの修行の中には夜のテクニックもあった。他国に潜伏した時に男女どちらの立場であれ人を籠絡する技の一つだからだ。

「まあ相性とかあるからさ」

「ホントに~?」

 挑発的に切れ長の目を向けるエリン。町のコンテストで選ばれるくらいの美人だ。正蔵は適当にごまかして手早く食事を済ませた。


 昼は職人街にやってきていた。いつもの鍛冶屋の店だ。

「これでいいのか?」

 南方人のはげ頭の男から超小型のスチームタンクに刃を付けたものを渡された。薄い角錐型の刃に持ち手がスチームタンクになっている。シュリケンの一種、クナイ型のシュリケンだ。

「ちょっと試していいか?」

「ああ、裏庭でやってくれ」

 二人は裏庭、といっても家に囲まれた10メートル四方の金属部品だらけの空間にやってきた。

 壁際に木の的を立てて、反対側に立つ正蔵。受け取ったスチームタンク付クナイの持ち手の底にある紐を引っ張るが動かない。

 持ち手のスイッチを押しながら引っ張ると紐が抜けた。そして的に目がけて投げると同時にスイッチを放すとスチームが噴射して手で投げるのとは比べものにならないぐらい猛スピードで的に当たった。

「どうだ?」

 ハゲ親父は自信満々に訊いた。

「性能は申し分ないけど、片手で操作できるようにしたいな」

「くはぁー、簡単に言ってくれるなあ。まあ改善できるよう考えるよ」

「ありがとう」

 そうして店に戻ると老婆が待っていた。魔女と呼ばれる近くの薬師の老婆だ。

「新しく調合した薬だ。飲んでごらん」

 まるで人体実験のような言い草だが、秘薬でボロボロになった体を癒やす薬だとはわかっていたので正蔵は受け取るとすぐに飲み込んだ。

「ッ! いつもより……苦いですね」

「あたりまえだよ、良薬口に苦しだ。嫌ならもう二度とあんな毒薬飲むんじゃないよ」

「わかってますよ」

 苦笑いをして鍛冶屋と薬師にお金を払うと店を後にした。それからいくつかの買い物を済ませて自宅に戻ると、夜になって再び出かけた。。


 グレイキングダム富裕層が住む街の一角。正蔵はガラス窓を控えめに叩くとバタン、ドタドタと騒がしい音がしてすぐにカーテンが開かれた。部屋着姿の美少女は正蔵の姿を見て満面の笑顔を浮かべると窓を開けた。

「マサゾー、待っておったぞ!」

 パルは、今は女王ゼノビアから一人の少女に戻ったパルは正蔵を招き入れる。

「パルさん、元気にしていましたか?」

 黒装束の正蔵。影の死神と呼ばれる姿で夜に人目に付かないように忍び込む。本来なら玄関から堂々と入れる関係だが、パルの安全を考えて影の死神の正体は臣下でもオルソンしか知らないほど秘匿されていた。影の死神の正体を隠すことで有象無象の敵に対する牽制になるからだ。

「これをどうぞ」

 正蔵は昼間に本屋で買った庶民に人気の小説本を渡した。

「おお、こういうのを読むのは久々じゃ。ありがとうマサゾー」

「気に入ってもらえたならなによりです」

「待っておれ、お礼に女王じきじきにコーヒーを入れてやろう」

「恐れ多くございます」

 二人微笑む。パルは正蔵にコーヒーを自分には熱いお茶を用意するとソファーに並んで座った。

「ありがとうございます。もう本当に恐れ多いのですけどね」

「うむ、ありがたく味わうがよい」

 世界の命運を握っているといっても大げさではないパルも、正蔵と二人だとあの頃の何者でもない子供に戻る。

「もう大変すぎじゃ。みな優秀じゃが仕事が多すぎる」

「俺に出来ることがあったら、何でも言ってくださいね」

「ふむう、マサゾーが出来るのは人殺しぐらいじゃからのう」

「や、やだなあ、そんな、ハハハ」

 ブラックな冗談も正蔵相手には気軽に言うパルだ。パルは両手で正蔵は顔を挟みじっと見つめる。

「よいかマサゾー。マサゾーは人でなくてはいかんぞ」

「ええ、もちろん」

「影の死神でもニンジャとやらでもない、ウチのマサゾーは一人の人間じゃ」

「はい……はい」

 真剣な眼差しに面食らいながらも正蔵は答えた。

「うむ」

 パルはとびっきりの笑顔を見せて手を離した。

 出会った頃と変わらない心地よい関係。二人はそう思っていた。でもずっとそのままではなかった。

 自由に解き放たれたニンジャは真に仕えるべき女王と出会い再び道具に徹する喜びを感じていた。でもそれはパルが望んでいないことを知る。

 子供と大人の間にいる少女は保護者や友人、仲間、そんな関係とは別の感情が心に中に生まれていた。正蔵といる時が一番楽しい。正蔵と一緒だと安心する。正蔵と一緒だと心が温かくなる。

 でもそれが恋だとは気づいていなかった。


 正蔵とは違う方向ではあるが、もう一人パルに心から仕えている人物がいた。フレイルである。フレイルは秘密工場で的を飛ぶ刃で斬っているムリョウを見ていた。

 ムリョウはカタナを上段に構えると、柄についたスイッチを押した。そして斜め切りにカタナを振る。ブシュッという音と共にスチーム機構で圧縮されていた水がまるで刃から出たかのように半月に飛んでいくと、太い藁束を両断した。

「ふむ、なかなかの使い勝手だ」

 ムリョウは柄に組み込まれていた小型の水とスチームタンクのカートリッジを腰のベルトに着けていたものと交換した。そして再びウォーターカッターを飛ばす。ムリョウの要望通り刃先から刃を飛ばす機構に改造された専用カタナだ。金属の鎧でもなければ十分切り裂ける威力を持っている。

「ムリョウ、貴方の準備は終わったようですね」

「おうよ。ところでドムドムはどうなっている? 最近顔を見ないが」

 ムリョウとフレイルは技術者を見た。

「全身手術をしたので、まだ動けないですね」

 技術者が書類を見ながら答える。

「おいおい、そんなに体をいじったのか?」

 ムリョウは半ば呆れ顔だ。

「強くなるために、なんでもやるそうです」

「そうかー、ケンカ屋って感じではなくなったな」

「殺し屋でもないですし、まるでロボですね」

「ロボ?」

「人の命令で動く人型の機械です」

「はは、絵本の話か」

「グレイキングダムに実在しています。重要施設の警護をしているから、いずれ見る事になると思いますよ」

「数年ぶりに外に出てみれば、すっかり変わってしまったな」

 世の中の進歩に驚き半分で呆れていたムリョウであった。


 それぞれの人が様々な思惑を巡らす中、グレイキングダムの闇の中に新たな脅威が動き始めていた。

 わずかなロウソクが灯る地下室。10人、20人、もっといる。子供から老人まで男も女も人種も様々で一様に黒い衣服を着ている。

 香炉からはロウソクの明かりに灯されて紫色の煙があがっている。そして呪文。頭を下げる人々の前に立つ黒いローブの男が深く静かな声で何かをつぶやきながらナイフを掲げる。

 彼は魔術師協会の正魔術師。

 男の前には祭壇があり、若い南方人の女が横たわっている。男はナイフを女の腹に突き立てるとゆっくりと横に引いた。女は意識があるのに暴れもしないし悲鳴もあげない。それが魔術の仕業だとの言葉を信じる会員達。

 一度入り込んだ魔術師協会は瞬く間にその信者ともいえる会員を増やしていった。大テルニア王国の王室も貴族も富豪さえその支配下にあるのだ、それだけのノウハウがある。

 ジョンの時代に徹底的に排除された魔術師協会はこの半年で急速にその魔の手をグレイキングダムの奥深くへ伸ばすのだった。


 そしてもう一人、グレイキングダムの運命を決める人物が入国していた。

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