第72話 女王の日常
空は今日も灰色に曇っている。それがグレイキングダムの日常。鬱蒼とした空と違い地上は活気に満ちあふれていた。
独立宣言からまだ1年と少し、パルが女王ゼノビアとなり半年ほどだがすでに経済は以前の、いや、それ以上の活況を呈していた。
港には世界中から多くの貨物船が寄港している。両手のついた凸の形をしたブリキの体のスチームロボが車輪を走らせて貨物船から荷物を運んでいる。
その間を抜けて船員姿の、それでいて雰囲気の違う集団が小走りに駆けていく。ルビニアから密航してきた者達だ。男達はみな体格もよく、女もよく鍛えられているのか機敏な動きをしている。彼らは人混みに溶け込みながら街へ向かっていった。
スチーム機関車の駅でも多くの人々が乗り降りしていた。大テルニア王国から、ルビニアから、それ以外の国からも商人や移民、スパイに工作員が無審査で入り込んでいた。
人が人を呼び、経済都市国家はますます発展していく。そして経済活動がしやすいように法や税制などの調整も順調におこなわれていた。
自由とチャンスを求めて移民も増え、人口も増え続けている。もはや大テルニア王国の一都市だった頃を超える規模になっていた。
グレイキングダムの中心部、官庁街の中心にある大きなビル。それは今は亡きグレイキングダム初代王ジョンがいずれ自分の為の城として用意したものだった。豪華な作りで防犯も十分に考えられていた。その最上階は王のための執務室。
「ふむ、では任せる」
かつてパルと名乗っていた12歳の美少女は、今は新国家グレイキングダムの女王ゼノビアとして臣下に命じた。髪は綺麗に纏められ、ずいぶん抵抗して簡易になった白いドレスを着ている。右の口元にあるホクロが特徴的で、あと数年もすれば彼女の美しさをより引き立たせるだろう。
パルは小さな体には大きすぎる立派な椅子に座っていた。
「ははーっ」
どこかカエルのような風貌の東方人男は床につくんじゃないかというくらい頭を下げる。経済担当のフロッグである。
乗っ取り工作を潰されてからは、わかりやすく忠誠心を示していたが、それを信じている者はいない。だが、それと能力は別でフロッグが提案、実施、運営する経済対策や移民政策はどれも効果を発揮していた。
「ファイアボディ、新しい路線のほうはどうなっておる?」
「はい! 予定通り順調に進んでおります」
胸元の開いたインナーに白衣姿の南方人女性。黒い肌に豊満なボディの持ち主で
その左腕の義手は蟹のハサミの様な形をしている。まだ20代で若いが天才スチーム機構博士のファイアボディである。
パルに声をかけられて上気した表情になっている。髪やドレスを手配したのは彼女だ。持って生まれたカリスマだろうか、臣下の中で誰よりも女王ゼノビアを心酔していた。庇護欲や母性も加わり、それは直接的に命を助けられたパルの祖父ジョンに向けたものよりも深かった。
ファイアボディは女王補佐兼国土交通の担当を担っていた。蒸気機関車の路線やスチームカー用の道路整備など、スチーム機構を利用したインフラ設備を進めている。
本来はその仕事に集中するべきだが、少しでもパルの側にいるために補佐官も務めているのだ。
「陛下、よろしいですか?」
オルソン・ブラウンである。
旧知の仲である元警察官のオルソンは典型的な西方人の男で、青い瞳にブラウンの髪は後ろに流し、髭は綺麗に整えられている。ファイアボディと同じく女王補佐を務めつつ、治安担当と女王護衛隊長を務めている。
「なんじゃ、オルソン?」
パルは元々近しい人物が敬語で話すのに未だに馴染めない気持ちをかかえていたが、それを表に出すことはなかった。
「他国からの移民も含めて人は増え続けていますが、それに比例して治安も悪くなっています。スパイや工作員もかなり入り込んでいるようですし、そろそろ検問の強化が必要と考えます」
「そうか……フロッグ、どう思う?」
「は、はい、経済と人口のバランスを考えるとそろそろ流入を絞っても問題ないかと。うふぇっうふぇっ」
「ふむ、わかった。オルソン、検問の強化をしてくれ」
「かしこまりました」
実務は臣下がおこなっているがその決定と責任はまだ幼いパルが背負っている。一通り内政の話し合いが終わると、いま最も問題となっている外交に話題が移る。
「やはり外交担当者が欲しいのう」
パルはため息をつく。大きな街だったので内政は元からの役人もいて大きな混乱はなかったが、外交は滞っていた。
当面の自治と戦争回避は出来たものの、そこから先は遅々として進まなかった。元々帰属していた大テルニア王国の一都市に戻るべきだと思うが、この経済大都市を狙うルビニアがそれを許さない。ルビニア王家の血を継ぐゼノビア女王の支配するグレイキングダムは、ルビニアに属するというのがその主張だ。
さらにルビニアは現在は選挙で首長を選ぶ民主主義になっているが、保守派は政治家や経済界、軍の中に多く残っている。ルビニアの王室は年老いていつ亡くなってもおかしくない老人が一人いるだけで、保守派は若いパルを手に入れたがっていた。
経済的な理由と保守派によるゼノビア女王復権、大テルニア王国の国力を削ぐなど様々な理由から干渉している。
一歩間違えば全面戦争という危険をはらんだ大テルニア王国とルビニアという大国二つを相手取る交渉だ。オルソンとファイアボディが補佐しているとはいえ、今はパルが直接交渉するしかない。両国ともパル以外は相手にしないのだ。
いくら優秀とはいえまだ子どものパルにはやはり荷が重い。あと数年すれば対等以上に渡り合えるだろうが、どうしても事前交渉が必要なのが外交である。
その専任担当者が欲しかった。フロッグならある程度対応できるだろうが、そもそも信用できない。ファイアボディは優秀な人間ではあるが、外交の才能とはまた異なる。
さらにこの二人は元々他国からの移民である。いくら移民の多いグレイキングダムとはいえ、西方人の国、ましてや元々は大テルニア王国の国土だった場所だ。自国民ではないという理由で交渉が難しくなるだろう。
その点オルソンなら西方人で誠実だし信頼も置けるが、能力的にとても無理だと断られた。そして幹部にはもう一人、西方人がいるにはいる。
ハデウル。ずっとパルのそばで執事のように姿勢良く立っている白髪で片メガネの初老の男だ。
元は祖父ジョンの忠実な僕である。1000人以上いるジョンの直属の部下はそのままパルの、ゼノビア女王専属の配下になった。国ではないゼノビア女王にだけ忠誠を誓う者達だ。今では正式に組織化してグレイキングダム軍となり国防を担っている。ハデウルはその者達をまとめており、グレイキングダムの国防を担当している。
それ故に信頼はあるしハデウルを含めそれなりに優秀な人物はいるようだが、外交にしろ政治にしろやるつもりはないらしい。
祖父のジョン。裏切り続けられた哀れな廃王への忠誠が自身の意思を持たない兵隊を産み育てた。それがハデウル達女王直下の者達なのだ。
信頼という意味ならパルが最も信頼する人物。福部正蔵がいる。しかし正蔵もファイアボディ達と同じだ。誰よりも信頼出来るが移民であり外交の交渉が出来るとは思えない。信頼だけでなく能力も必要なのだ。
「フレイルならある意味信頼と能力はあるが……」
「ゼノビア様、さすがにそれは」
オルソンが言葉を挟む。
「わかっておる。フレイルに外交を任せると、あっという間にルビニアに取り込まれて大テルニア王国との戦争になるのじゃろ」
ルビニア保守派の実力者であるフレイルはパルがまだ幼かった頃、パル一家の護衛隊長をしていた女騎士だ。テロでパルの一家を守れず、大テルニア王国とのトラブルで顔に大怪我を負い、今は一つ目ガラスのついた大きな丸い仮面を被っている。そういった経緯もありパルに対しての忠誠心は間違いないが、フレイル自身はパルをルビニアの女王にする事が目的だ。とても外交は任せられない。
独立宣言後も経済は活況なグレイキングダム。だが、その政治は日々頭を悩ませていた。
パル達上層部の悩みをよそに街は活況に満ちている。そんな賑やかな街の一角に古い三階建てのビルがある。ツバメ探偵社と名付けられた事務所兼自宅だ。
女王ゼノビアことパルに最も信頼されている福部正蔵は、街が国に変わった今でもそこで探偵という名の何でも屋を営んでいた。
昼食時。二人分の料理を用意する正蔵のもとに恋人のリー・エリンがやってきた。東方人の移民で近所のスチームタンク交換所の娘だ。20代半ばの正蔵より2つ3つ年上の健康的美人。ただ左腕だけはスチーム機構で動く真鍮製の義手になっている。
「マサゾウ、今日は仕事ないの?」
小麦で作った麺を焼いて調理したものを頬張りながらエリンは訊いた。
「夕方まではないよ」
「収入大丈夫? なんならウチで働く?」
「今日はたまたまだだって。普段はもうちっと忙しいよ」
「そうだっけ?」
正蔵がウルフ軍曹と戦って生死の境を彷徨ったとき、寝ずに看病をしてくれたのがエリンだ。傷の治療中の世話から仲が進展して今の関係になっている。元々気安い仲だったのであまりベタベタとはしていないが、長年連れ添ってきた夫婦のような関係だ。
食事を終えてエリンは仕事場に戻る。正蔵はスチームバイクに乗って行きつけの鍛冶屋に向かった。
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