第68話 ヒャクと人狼

 競技場地下。妙に広いスチームカー置き場のような場所に侵入した正蔵は違和感を覚えていた。やけに静かでひとけが少ない。もっと見張りがいると思ったが、妙に少ないのだ。罠かとも思ったが、そんな意図は感じられない。むしろ血の臭い。戦いの気配もある。

 戦闘があったのか? フレイルや治安部の暗殺部隊ではないだろう。ならば……ルビニア政府の暗殺者か?

 最も無情にパルを殺害しかねない相手だ。正蔵は足を速めようとした瞬間、殺気を感じて足を止めた。


「使いこなせば人間相手には負けないと言われていますが、はてさて」

 あらわれたのは中年ニンジャのヒャク。ヒャクは右手の義手をいじりながらブツブツと言っている。左右には人狼を連れている。二人はスノウレディの護衛として離脱しているので、ここに残った最後の二人だ。

 普段はほぼ裸だった人狼だが、今は両腕を堅い革ベルトで守り大きな鉈を武器として持っている。胸と首にも革の防具を着けている。心臓と喉元を狙われなければ多少の傷はものともしないのが人狼の強さだ。

「ルビニアの暗殺者が入り込んでいる。パルさんは無事なのか?」

「さっき姿を見やしたが、すこぶる元気でしたよ。今はどうかわかりやせんがね」

 わかりやすい揺さぶりだが、暗殺者の脅威は変わらない。正蔵の中に焦る気持ちが沸いた。

「さあさあ、姫様が襲われる前にあっし達と最終決戦といきやしょう」

 ブシュッ。蒸気の発する音と共に五本のワイヤーが伸びる。義手の指先が正蔵に向かっていく。正蔵はそれを避けるが、ヒャクが腕と指を器用に動かすとワイヤーが蛇のようにウネウネと動き正蔵の手足を切り裂いた。特殊な金属で作られたワイヤーは抜群の切れ味を持っていたのだ。

 傷口は深くないが、成長した正蔵をもってしても避けきれなかった。

「いい反応。オオカミの旦那と戦って強くなったようですな」

 軽口の中に怒りを含んでいた。ヒャクは義手を操作してワイヤーを巻き取ると、中に仕込まれた小型の蒸気タンクを入れ替える。

「さて、おふた方、よろしくお願いしますよ」

「うおおおおおおおおおっ」

 二人の人狼が吠えると左右から挟み込むように迫ってきた。攻撃のタイミングを読めるようになった正蔵だが、それでも人狼の攻撃速度は避けるのがやっとだ。

 それに加えてヒャクのワイヤー攻撃である。左右からの人狼の攻撃を避ける正蔵に再び五本のワイヤーが迫る。人狼の体を壁にしてうまく四本目までは避けた。

「もらった!」

 しかし最後の一本が正蔵の胸を斬った。が、故郷秘伝の帷子が肉体への傷を防いだ。

「斬れていない? 仕込み帷子か?」

 金属のクサビ帷子にしては正蔵の動きは軽い。想像外の防御力を持った布製の帷子。故郷の噂で聞いたことがあった気がする。そんな物まで仕込んでいたのか。

「チッ、いいものを持っていやすね」

 再びワイヤーを戻すヒャク。その間にも人狼の攻撃が続いたので正蔵には反撃の機会が見つからない。人狼に攻撃を当てること自体は容易い。しかし手足に攻撃を当てても、その一瞬の間に反撃される。しかも人狼は二人。戦闘力だけでなく死を恐れない人狼はスチームロボとは比較にならないくらい手強い相手だった。

 正面の人狼が巨大な鉈を振り上げる。正蔵は後ろの人狼の横薙ぎを避けるとその勢いのまま鉈を振り上げる人狼の腕をニンジャ刀で切った。が、浅い。正蔵の斬撃と同時に人狼の蹴りが入った。

 飛ばされる正蔵。それを狙って後ろの人狼が鉈を振り下ろす。ニンジャ刀で弾きつつ体を回して体勢を立て直す。

 そこに5本のワイヤーが襲いかかる。一本、二本は刀で弾いたが三本目が右腕を切り裂く。その虚を突かれて一本が首に絡まる。ワイヤーを引かれる瞬間、左手で素早く腰の小刀を抜いてワイヤーを切った。脅威の強度を誇る特殊ワイヤー相手に名刀ムラサメの切れ味だから出来ることだった。

 その間にも五本目が正蔵の脚を狙う。機動力さえ奪えば! ヒャクの思惑は右足の義足に防がれた。いかに特殊ワイヤーとはいえ金属の義足は切り落とせない。

「その小刀もやっかいですね!」

 ヒャクの言葉には怒気が籠もっていた。


 正蔵は苦戦していた。ある意味ウルフ相手より厳しい戦いだった。個の強さでは人狼よりウルフの方が何倍も強い。しかし人狼には遊びがないのだ。戦いが目的ではなく敵を倒すことだけに専念している。それはつまり隙があれば自らの身を顧みずに倒しにくる。相打ちでもかまわないのだ。

 それに加えてヒャクである。人狼の攻撃の合間にワイヤーでの一撃を狙ってくる。致命傷ではなくとも手足を絡められたら戦いに負ける。唯一助かっているのはヒャクがワイヤー操作に専念して他の術や道具を使ってこないことだ。


 ならば。


 正蔵は懐から煙り玉を取り出し地面に当てると一気に煙りが周辺にひろがる。人狼はすぐに反応した。距離を空けて煙に視界を奪われるのを防いだのだ。

 ヒャクはワイヤーを巻き戻しながら様子を伺う。何が目的だ?

 続いてボンッという破裂音と共に煙りが吹き飛ぶ。スチーム爆弾? と認識した瞬間、ヒャクは屈み込んだ。危うく頭の上を金属が通り過ぎる。煙玉で隠れて金属片を仕込んだスチーム爆弾を周囲攻撃。ニンジャらしい小技じゃないかと半ば感心したが、人狼達は対応できなかったようで体中に無数の傷がついていた。

 常人なら命を失うダメージだが、人狼は倒れるほどではない。だが、その耐久力が防御をおろそかにしている。防御よりも迎撃態勢をとっていたからスチーム爆弾のダメージをもろに喰らってしまったのだ。

 致命傷ではないものの、顔や手足に相当なダメージを受けている。まして今は二人の距離が離れている。そう思った時には遅かった。黒い影が右側の人狼の喉に小刀を刺している。並の刃物では通さないはずの防具を貫いて。

「またっ!」

 あの時の小刀。処分しておけば! ヒャクはウルフの胸から抜いた小刀を恨みがましく睨みながらワイヤーを飛ばす。一本切られたので残り四本の斬撃は人狼もろとも切り裂いたが、正蔵はすでにその場から離れていた。

 その正蔵の背後に最後の人狼。武器は捨てている。傷だらけの両の拳で攻撃してきた。軌道の読みやすい鉈より攻撃が当たる。そして速い。あれだけの鉈の攻撃を避けた正蔵はすでに2発肩と胸に拳を喰らう。体捌きでダメージは逃がしたものの、それでも痺れが残るほどの攻撃力だ。

 最初からこうされていたら危なかった。戦いの中での進化に背筋が冷たくなった。しかし間に合った。今ならまだ勝てる。傷だらけの人狼に油断していた。

 右拳を避けた、と思ったが人狼はそのまま正蔵の左腕を掴む。腰の小刀が抜けない。右手のニンジャ刀で切り落とそうとしたが人狼の左腕がそれを受け止める。十分切れ味のある黒いニンジャ刀だが革ベルトと太い筋肉に阻まれて腕の半ばで止まる。

 背中から殺気!四本のワイヤーが動けない正蔵を襲う。


 カチリ。


 義足の装置を動かすと足の裏から蒸気が噴き出す。短時間だが体を浮かせる威力だ。同時に掴まれている左腕の肩を外すとぐにゃりと左腕が異常に曲がる。

 絡みつく二本のワイヤーを避け、残り二本を義足に絡め取る。素早く右手で抜いたムラサメの小刀は空を斬る。人狼がギリギリ手を離したのだ。

 ヒャクはワイヤーを絡められた義足に引っ張られて体勢を崩す。も、倒れ込みながら懐から取り出した吹き矢で毒矢を飛ばした。と同時に目の前に手裏剣が迫る。

 何という戦闘センス。小刀を人狼に投げ、すぐに手裏剣をヒャクに投げていたのだ。相打ちなら! 喉に痛みを感じながら毒矢の行方を追う。だが、毒矢は義足の蒸気に吹き飛ばされた。

 最大の危機を逃れた正蔵。しかしニンジャ刀は人狼の左腕。小刀は右の手のひらに刺さっている。自ら外した左の肩をはめ直し、懐を探る。人狼を倒せるような武器は……。

「ウオオオオオオオオッ!」

 咆哮と共に刀が刺さったままの腕で殴りくる。なんとか避けつつ目潰しを喰らわせる。人狼は一瞬怯むも血走った目で正蔵を睨む。

 何という化物。しかしその一瞬で義足の小型スチームタンクを入れ替えた正蔵は背を向けて駆ける。後を追う人狼。正蔵は捨てられた鉈を拾うと急回転して人狼に向かう。重い。普段ならまとも扱えない武器だ。

 小刀を握った拳が正蔵を襲う。再び蒸気を吐き出す義足。鉈の重さと振り切るタイミングと蒸気による加速は一瞬速く人狼の拳を上回り振り上げた右腕ごと首を刈り取った。

「はぁ……はぁ……」

 ギリギリの勝利。しかしまだ何も終わってはいない。人狼の死体から武器を回収し、義足のスチームタンクを交換すると傷もそのままパルの元へと走って行った。


 戦闘のあと。巨体が二つ静かに横たわる。その先に小さな死体。いや、死体と思われたものはむくりと起き上がる。

「生き延びてしまいやした」

 ヒャクは残念そうでもなくつぶやく。寸前で首の動脈を避けて死んだふりをしていたのだ。

「よく戦ってくれやした……」

 二人の人狼を片手で拝む。

「はてさて後のことは気になりやすが、あっしは約束通りスノウレディ様のもとに行きやす」

 老獪なニンジャはこの戦場を去って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る