第59話 スノウレディの運命

 スノウレディの工房。主である彼女はこの広い部屋に一人だけで椅子に座り、疲れた顔でワイングラスを眺めていた。

 総て終わった。求められた新兵器を完成させて、運用システムも人員も配置した。これをもっていよいよ最後の計画が始まる。自分の仕事は総て終わり。いつ死んでも問題ない。この時のために用意した高級赤ワイン。グラスに注いだものの、一口も飲んでいない。

 ウルフが死んで一ヶ月が経った。自分にとってあの男は何者だったのか。そしてあの男にとって自分は何者だったのか。

「ふふっ」

 らしくない。そんなことを考える自分に自嘲の声が漏れた。白い細い指がワイングラスに伸びる。

「スノウレディ様」

 グラスに伸びる指先が止まる。いつの間にいたのか、ウルフの忠実な部下だった中年ニンジャ、ヒャクが部屋の薄暗い影に片膝をついている。

「まるで蜘蛛みたいね。いつの間にいたの?」

 振り返りもせずにスノウレディは嫌みを言った。

「お願いがございます」

「なによ?」

 苛立ちを表しながら不機嫌に答える。

「スノウレディ様の仕事が総て終わったと聞きました」

「そうよ。もう私の意思は関係なく動いていく」

「ならば組織に係わるのは辞めて、どこか遠くで静かに暮らして下さい」

「はあ? ここまできてなに言ってるの?」

 あまりにも馬鹿馬鹿しさに怒りより呆れのほうが大きかった。あの時、糞尿に埋もれて死にそうになった時、爆弾テロから身をもって守ってもらった時。総てを、この命も人生も総てジョンに捧げると誓った。このままジョンと共に破滅する。何人もの命をもてあそんだ自分にはそれが相応しい。そう思っている。

「私の人生はジョン様の共にあるのよ。たとえその先がどうなろうとね」

 再びワイングラスに手を伸ばした。

「あなた一人ならジョン様と共に歩むのもいいでしょう」

 再び手が止まる。

「なにが言いたいの?」

「お腹……オオカミの旦那の子がいるんでしょ?」

「ど、どうしてそれを?」

 思わずヒャクのほうに顔を向けた。スノウレディは動揺する。誰にも言っていないし、まだ見た目では全然わからないはずだ。

「情報収集が本業ゆえ」

「でも……」

「オオカミの旦那は一族の総てを背負って子供を願っていました。何人も、何十人もの女を抱いていたようですが、子をなしたのはあなただけです」

「そう……」

「どうか未来を……オオカミの旦那のためにどうか」

 ヒャクは部屋の影から姿を現すと床に頭を擦りつける。妊娠に気づいたのはウルフが対決するその数日前。相手はウルフしかありえない。

 ウルフ。呪われた村の生き残り。ただの快楽のつもりで体を重ねただけの相手。何百年も禁忌を続けて滅びた村。滅び行く一族。その最後の子。

「……わかったわ、でもあんたもついてきなさいよっ!」

 しかしヒャクの返事は予想外の言葉だった。

「申し訳ありません」

「はあ? 私を裏切る気?」

「違いやす。あっしは永遠にあなたに仕えやす。ただ……これからこの街は戦争になります。あなたとオオカミの旦那の代わりに誰かが命を賭ける必要がありやす。あっしはお二人に命を救われやした。だから……」

「あんた……」

「元々……生まれてから誰かの道具、捨て石として生きてきました。それは旦那を倒した影の死神も同じです。我々馬鹿な男どもは死に場所を探しているんです。でも女性と子どもは生きるべきです」

「前時代的な」

「まったくです」

 中年ニンジャは恥ずかしそうに笑った。

「……でも死ぬのは許さない。ことが落ち着いたら生きて私のところに戻って来なさい」

「……御意」

 馬鹿な約束。でも必要な約束だった。


 翌日。人が行き交い賑わっている機関車の駅。スノウレディは地味な格好に身を包んでいたが、それでもその美貌は人の目についた。

「人狼を二人、先に向かわせています。行き先はまた案内者がコンタンクをとりますので」

 これまた地味な、それでいてちゃんとスーツを着たヒャクが付き添っている。

「そう。手際がいいのね」

「それが得意分野でして。へへ」

「……ジョン様は?」

 スノウレディは直接別れの挨拶をしていない。というよりヒャクがスノウレディを説得する前にジョンに許可を取っていたのだ。

「そのままお伝えしやす。『いままでのこと感謝しておる。ワシのことは忘れて自分の人生を生きてくれ』」

「そう……」

 スノウレディは弱々しくつぶやいた。


 蒸気機関車の発車時刻がやってきた。

「生き残りなさい。絶対に」

「ニンジャは必ず任務を全うしますゆえ」

 短く言葉を交わし別れを告げると、スノウレディは機関車のドアに向かっていく。人々でごった返す駅。スノウレディの姿を殺意の籠もった目で睨む男がいた。30代後半といったところだろうか、ロングコートの胸元には火薬銃を隠している。イザムバード自動機の技術者、つまりスノウレディやファイアボディのもとで仕事をしていた男だ。

 男はゆっくりスノウレディに近づき懐に手を伸ばす。

「おっと、お待ちください」

 いつの間にか真後ろに東方人がいた。ヒャクだ。まるで影のように男の背中に寄り添っている。背中がチクリと痛む。刃物を突き立てられているのだ。

「何故あんな奴の味方をする? あいつがなにをやったのか知っているんだろ?」

「それは、まあ」

「あいつは俺の弟を殺した。殺して脳を取り出して……」

「やれやれ、どこから情報が漏れたのやら」

「いつも油まみれの格好で酒ばかり飲んで。それでも俺にとってはたった一人の家族だ。家族を殺した女が一人で逃げようとしている。そんなことが許されるわけないだろ?」

 早くに両親を亡くし二人で力を合わせて生きてきた。自分は大企業に入り結婚もしたが、弟は工場で働きつづも毎晩のように酒を飲む毎日。けして真面目とはいえないが、それでもちゃんと生きていた。

 それがある日、首無し死体になって捨てられた。世間では一人の殺人鬼の犯行のように言われていたが、イザムバード自動機で技術者として働く男はその真実を知っていた。スノウレディがどんな実験をしているか。そしてその被害者の処理方法を。

「あいつは、あんな人殺しの魔女が生き残っていいわけがない。このまま生き残らせるわけにはいかない!」

「おっしゃる通りですが」

 ヒャクは手に力を込める。

「まあ、お腹の子どもには罪はないってことでどうか」

 ヒャクは申し訳なさそうに言うと、隠しナイフが男の背から心臓を貫いた。男が崩れ落ちて駅が騒動になった頃にはもう、スノウレディを乗せた機関車は駅を離れていた。


「お嬢さん、お隣いいかしら?」

 駅での騒動を知らず窓の外を眺めていたスノウレディに、品の良さそうな老婆が声をかけてきた。指定席なのだから隣に座るのは。

「ふん、白々しい。どっち? 殺し屋? 味方?」

「あらあら、頭の良いお嬢さんね。大丈夫よ、私はニンジャさんに依頼された案内人。周りにも何人か護衛がいるし、ちゃんと私たちの村まで案内するわ」

「村?」

「何年か前にね、ルビニアの兵隊に村ごと消されそうになったのを、あのニンジャさんに救ってもらったのよ」

「似合わないことを」

「ふふ、本人もそう言っていたわ。それで追い込まれたニンジャさんが大きな軍人さんに救われて、その軍人さんはあなたが救ったのよね? そして巡り巡って私たちがあなたを救う。良いことも悪いことも巡り巡ってくるのね」

「じゃあ私もいつかは応報があるわね」

「そうかもね。でもお腹の子に罪はないわ。だから生きなさい。あなたもね」

「……」

 老婆の声はとても優しかったが、スノウレディはまるで母親に叱られた子どものようにうつむいて静かに涙を流した。

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