第44話 ルビニアの騎士
白い蒸気と石炭を燃やす黒煙が混じりグレイタウン(灰色の街)と呼ばれるブリアード・ハブでは静かに、しかし確実に事態が動き始めていた。
夕闇を走る大きなスチームカーの後部座席にはジョンとウルフ軍曹が乗っていた。通常より大きいスチームカーとはいえ、巨体のウルフは狭そうにしている。
「ウルフよ、ワシはな、死ぬ前にこの国に一矢を報いたかった。それだけの小さな人間じゃ」
「そんなことは……」
老人の対面に座るウルフは返答に窮する。
「しかしな、孫娘、ゼノビアが生きておったと知り、また良からぬことを考えておる。反面、あの子をそっとしておきたい気持ちもあるのじゃ」
「これから会う人物が、あの少女と関係あるということですか?」
「そじゃ。戦闘になる可能性もある。その心づもりでいてくれ」
「はい」
グレイタウンの端にある高級東方料理店。VIP専用の個室に、半分機械の老人は巨体のオオカミ仮面を連れてやってきた。
待ち合わせの相手もまた異常。ウルフとそう変わらぬ巨体に赤い軍服。黒いマントも着けている。何より異様なのはその頭だ。スッポリと銀色の丸い金属の玉を被っている。金属マスクの左右、ちょうど耳の後ろあたりからは2本のチューブが背中に伸びて小型のスチームタンクに繋がっている。正面にはガラスの大きな一つ目があるが、中は薄暗くて素顔は見えない。これでよく見ることも聞くことも出来るなとウルフは感心していた。
そして護衛らしき後ろの二人も鉄仮面を着けている。前の人物とは違い顔面だけを薄く空いた目と格子の口になっている。この二人も背中に小型のスチームタンクを背負っているが、チューブは左右の腕に伸びている。体は赤く染めた革鎧で、腕は金属の手甲になっており手まで厚く覆っている。両方の腰には小さな革袋。そして左腰にはさらに帯剣している。
「ようこそ陛下」
不気味な丸マスクは大きな胸と、くぐもってはいるが声から中身は女だとわかる。事前に隣国ルビニアの人間だとは聞いている。国境で小競り合いは続いているが、100年も戦争がなければ人の交流もそれなりにある。
特に貿易都市のこの街なら他の地域よりもルビニア人は多いだろう。
しかし、だ。この人物はルビニアの保守派。いわゆる王政復古を狙う組織の人間だ。その狙いがなんなのかウルフにはわからなかったが、きっとこの街を混乱に陥れることだろう。
「久方ぶりじゃのう、フレイル殿」
ジョンは大女フレイルに笑顔で挨拶した。
「生きているという噂はあったものの、本当に生きておられるとは」
「半分死んでいるようなもんじゃ」
「またまたご冗談を。それより陛下がワタクシに面談を求めるなど、どいった事情でしょうか?」
会話こそ穏やかに見えるが、ウルフは部屋に漂う緊張感を感じていた。ジョンとフレイルだけは東方の茶と小菓子が置かれた丸テーブルの対面に座り、ウルフと護衛らしき二人の鉄仮面は立ったままだ。椅子の数は十分あったが、戦闘の可能性があるなら呑気に座ってはいられなかった。
「いや、なに、見ての通り、ワシはいつ死ぬかわからないのでな。だから念のため伝えておいたほうがいいと思ってな」
「なにをですか?」
「孫が生きておった」
「……は?」
「ゼノビアじゃ」
「なんですって!?」
金属マスクの大女フレイルは両手で机を叩いて立ち上がった。ウルフは緊張が走ったが、フレイルはすぐに座り直した。
「し、失礼しました。ですが本当なのですか?」
「ワシが孫娘を見間違うはずがあるまい」
「それはそうですが……」
列車事故で死んだ。そのはずだった。しかし他の人間ならともかく目の前の老人が言うのなら間違いないだろう。大きな丸いガラス越しで表情はわからない。しかし明らかに雰囲気が変わった。
「そ、それでゼノビア様はどこに?」
「それじゃがのう……」
「もったいつけずにどうか!」
「いやいや、ワシはあの子の祖父じゃ。あの子の安全、あの子の幸せを一番に考えておる」
「でしたら、我々が保護します!」
「どうかのう。事故、いや、テロに巻き込まれたのはそなたの国であったと記憶しておるが」
「クッ」
表情は見えないが、フレイルがジョンを睨んでいるのがわかった。パルの乗った列車の爆破事故。いや、爆破事件はルビニア国内で起こったことだ。
「あの子はのう、今は正体を隠して暮らしておる。それなりに安全に幸せにのう」
「ジョン様、それは違います。ゼノビア様は人々の上に立つお方。そのことはあなたも知っているでしょう?」
「そうじゃのう、人には運命がある。あの子は運命の子であろうか。ワシはそれを測っておる」
「おっしゃる意味がわかりません」
「今日はあの子が生きていることを伝えに来ただけじゃ。あの子がどこにいるかを教えるかはまた考えさせてもらう」
「ジョン様!」
フレイルは再び立ち上がる。後ろの護衛も腰の剣に手をかける。ウルフも後ろに手を回してバトルアックスを握った。
「よい」
一人冷静なジョンはウルフを止めた。
「ふむ……」
ジョンは少し考え。そして。
「ゼノビアの安全は問題ない。あの影の死神が守っておるからのう」
「影の死神? 最近また噂を耳にする伝説の殺し屋ですか?」
「そうじゃ。まあそれもあってワシも簡単には会えぬのじゃ」
「そうですか……」
ジョンはしばらくフレイルを観察した。
「またいずれ会おう。その時はゼノビアも同席できるといいのう」
ジョンはゆっくりと立ち上がるとウルフを連れて部屋を出て行った。ルビニアの三人はそれを黙って見送った。
「すぐに……すぐに諜報に調べさせなさい」
フレイルは部下に命令する。総てを失っていた。そう思っていた。今やルビニアには齢90を超えた元国王しか王族はいない。その歳では子どもは望めず、王族と呼べる血筋の者はみな事故や病気、それに暗殺でいなくなった。
王政を復活させる。もはや保守派の希望はなくなりつつあった。それが今、急に希望が現れた。それも祖父であり大テルニア王国の王族でありながら反国家の最重要人物からの情報だ。フレイルはゼノビアことパルの生存を確信した。
「ふふふ、忙しくなりそうね」
一転、不適な笑いを漏らす。ルビニアに王が、真の女王が復活する。それもあのゼノビア様である。絶望の日々を送っていたフレイルに希望の炎が灯された夜だった。
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