第28話 吸血少年ディ
貧民街。フーリの自宅周辺よりもっとひどい、グレイタウン最底辺の地区。古く荒れた住居が所狭しと建ち並び、ゴミと悪臭が漂っている。麻薬と暴力と酒の街。それがこの貧民街だ。
その薄汚れた場所に足跡が続いている。裸足で歩かされたパルの足の裏ににじんだ血の跡だ。
「汚い場所でしょ? ここがボクの生まれた場所だよ。親の顔なんて知らない。物心つく前に捨てられて、生きるために色々やってきた。最後は変な研究者に買われたんだ。ボクだけじゃなく、何人もの孤児をひとまとめでね」
パルはディの言葉が聞こえているようには見えないが、ディはかまわず話し続けた。
「名前を忘れるほど頭の中をいじくられて、アルファベットでつけられた番号で呼ばれるようになった。20人はいたボクと同じような孤児も、わけのわからない実験とか注射とかされて死んでいったんだ。生き残ったのはボクだけ。ボクもいつ死んでもおかしくなかった。でもね、そんな時にパパが助けてくれたんだ」
ディはうっとりとした顔をする。
「オオカミを連れて現れて、ボクを引き取ってくれた。暖かい服や清潔なベッド。そして優しさ。パパは全部ボクにくれた。だからボクはパパのためだったらなんでもやるんだ」
ディは足を止める。パルも止まった。
暗闇。でも人の気配がする。何人もの浮浪者が遠巻きに二人を囲んでいた。
「ここでキミは、このゴミたちの相手をしてもらうよ。永遠にね」
パルの耳元でささやく。
「みんなー、この子をあげるよ。好きにしていいよ」
そしてパルの背中を押した。パルはふらふらと歩いて行くと、棒立ちになった。
「ねえ、キミ。ここで汚れきったらボクの彼女にしてあげる。パパの次に愛してあげるよ。アハハ」
ディの笑い声に様子を見ていた浮浪者達だが、それでも出されたものはもらう。それがこの場所でのルール。何人もの浮浪者が集まり、その中の一人が恐る恐るパルに手を伸ばす。子どもかどうかは関係ない。女だ。それも上物だ。
その手が金色の髪に触れようとした瞬間、腕が宙を舞った。雲間から漏れた月の光が黒い影を浮かび上がらせる。全身黒装束に片刃の剣。正蔵がそこに立っていた。
「ヒ、ヒィッ、死神、影の死神だ!」
誰かの悲鳴で浮浪者達はちりぢりに逃げていった。黒装束の殺し屋『影の死神』。彼もまた、この街の都市伝説の一つなのだ。
間に合ったと正蔵は胸をなで下ろす。ビルに戻るとルッソがうろうろしていたので話を聞くと、パルが軍服の少年に連れられて貧民街に向かっていったと聞いて急いでやってきたのだ。
「へえ、あんたが影の死神か。ちょうどいいや、あんたを倒せばもっとパパが喜んでくれる」
ディはニッと笑う。同時に糸が切れた人形の様にパルは膝から崩れたが、正蔵はそれを受け止め壁際にそっと寝かせた。
正蔵はニンジャ刀を構える。すでに子どもとは思っていない。「赤い眼を見た瞬間、意識を失った」ルッソはそう言っていた。目を見てはいけない。正蔵の視線はディの口元に合わせていた。一瞬で相手を洗脳する力を持った化け物。そう思っている。
「きなよ。あんたを殺したあとに、その子を壊してあげる」
子どもとは思えない邪悪さ。まずは目を潰さねば。正蔵は懐に手を伸ばして紙でできた小袋を手に取るとディに投げつけた。
銃はもちろん、投げナイフにも満たない速度だ。ディにとっては止まっているのと変わらない。避けてもいいけど、掴んで投げ返した方がビックリするだろう。そう思って手を伸ばした瞬間、小袋は破裂した。袋内のバネ仕掛けが紙でできた袋を破り、中の目潰し粉を振りまいたのだ。
目が燃えるように熱い。
「なんだよコレ!」
ディは顔についた目潰し粉を両手で拭っている。隙だらけだ。罠かと疑った正蔵は近寄らずに手裏剣を投げると、それに気づいたディは過剰なほど大きく避けた。
「もうゆるさない!」
次の瞬間、一気に間合いを詰める。ディの手刀が正蔵の胸元を切り裂いた。
速い。尋常ではない速さだ。そして手刀。刃物並の切れ味。黒装束の中に着ていたのが故郷特製のスーパー帷子でなかったら、胸をザックリと切り裂かれていただろう。あるいは手裏剣の牽制や目潰しの効果がなかったら、帷子を着ていても致命傷を受けていたかもしれない。でも。
正蔵は冷静に分析をしていた。獣以上のスピード。刃物のような攻撃。これだけでも危険な存在だが、一瞬で洗脳できる瞳。さらに小一時間は苦しむはずの目潰しからすでに回復している。脅威の回復力まであるようだ。
なるほど、やっかいな相手だ。しかし……。
「ほら! ほら! 逃げるだけ?」
ディは手刀で何度も攻撃する。狙いは喉や腹。正蔵はそれを避けるだけで反撃はしない。
「全然たいしたことないねぇ」
連続攻撃をしても、ディは息切れ一つしない。体力も無尽蔵なのか。一方的な攻撃に得意満面のディだが、まだ気づいていない。正蔵がディの鋭い攻撃を全部避けていることに。子どもの見た目による油断や、速度を知らない不意打ちでなければ、ディの攻撃は直線的すぎるのだ。
そう、身体能力は確かにすごい。しかし戦闘経験や頭脳は子どものままなのだ。
「死んじゃえ!」
ディは正蔵の喉元を手刀で薙いだ。正蔵はバックステップで避ける。ディの攻撃は一撃で致命傷の首か腹ばかりだ。脚を狙って機動力を奪ったり、フェイントをするという考えがないのだ。
「避けるな!」
ディの追撃。再びバックステップ。
「クソッ」
さらなる追撃しようと思った時、何かが足の裏に刺さった。
「なんだよコレ!」
ディは靴の裏に刺さっている金属物を取り除いた。地面に置くと四方向の出っ張りのどれかが上を向き足に刺さる、マキビシと呼ばれるニンジャ道具だ。
「痛っ」
足に気をとられている間に、首に吹き矢の針が刺さっていた。手に収まるサイズの筒から放たれるニンジャ用の吹き矢だ。
「なんだよ! もう!」
矢を抜いて地面に叩きつけると、さらに速度を上げて攻撃をしてくる。確かに速いが正蔵レベルなら避けることは容易な攻撃だ。ディは無茶苦茶に手を振り回して向かっていく。正蔵は今度は一気に駆け抜けて距離をとった。
「逃げたり卑怯な手ばっかりでつまらない!」
もう笑う余裕はなくなり、怒り狂っている。その速度はさらに上がり、さすがの正蔵も牽制のためにニンジャ刀を振るった。
「つーかまーえた」
絶妙のタイミングで繰り出した刀をディは素手で掴んだ。手元からあふれる血も気にしないで掴んでいるニンジャ刀はビクとも動かない。瞬間、正蔵は腰から名刀ムラサメで作った短刀を抜いてディの手首を斬った。
「いたい!」
ディは叫ぶ。正蔵はすぐに距離をとると、まだ刀身を握っているディの左手を振り落とした。
「ふーっ、ふーっ」
荒々しい息を吐きながら怒りに震えるディだが、突然ニヤリと笑った。
「ねえ、その女の子を助けにきたんでしょ?」
残った右手で壁際で横になっているパルを指さす。
「今度逃げたら、その女の子を殺すよ?」
正蔵は素早くパルの前に移動して構えた。
やった。これで勝てる。ディはこれまでにない凶暴な笑顔で正蔵に向かう。が、脚が重い。いや、脚だけじゃない。体全体が重い。それが吹き矢に塗られていた毒の効果だとは気づかぬまま、正蔵の前まで来ていた。
避けるまでもない、常人以下のスピードのディの胸を刀で刺し貫くことは簡単だった。
「な・んで……」
ディは驚愕の顔で正蔵を見上げ、そして崩れ落ちていった。ディはビクビクと震えていたが、すぐに動かなくなった。正蔵はそれを見届けるとパルに駆け寄り、その小さな体を抱えると闇に溶け込み消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます