第26話 フーリ
朝食を終えた正蔵はパルの淹れてくれたコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。
「はぁー、いやですねー、国の偉いさんが血をカラカラに吸われたんだって。やっぱり吸血鬼はいるのかもしれませんね」
新聞には隣の街の外れで全身の血を吸われた上級公務員の死体と、バラバラに刻まれた三人の護衛の死体が見つかったという記事が載っていた。
「影の死神も実在したしのう」
「もー、それは言わないでくださいよー。パルさんだってどこかの姫なんでしょ?」
「ウチはただのパルじゃ」
「俺もただの正蔵ですよ」
「うむ、それでよい」
「ううーん」
いつの間にか言いくるめられていた。
「ウチはフーリのところに行ってくる」
「吸血鬼に気をつけてくださいよ」
「うむ」
パルは最近仲良しになった女友達のところへ行った。正蔵はその姿を見送る。吸血事件も気になるが、それよりオルソンの話していたパルの正体が気になっていた。
パルはどうやらかなり重要な人物らしい。今回の吸血鬼の事件も被害者が上級公務員ということもあって、パルとの関係を考えてしまう。隣町の事件なので関係ないとは思うが、吸血鬼の噂はこの街でも時々聞く。オルソンに会ったときにこの事件についても聞いてみようか。そんな事も考えていた。
「フーリじゃねーか、ここでなにやってるんだよ?」
近所の悪ガキ、ルッソとその仲間がパルを待っているフールを見つけて声をかけてきた。フーリは顔を赤くしてうつむく。男の子が苦手なのだ。
「なんだよ、なんか答えろよ」
ルッソがフーリの三つ編みに手を伸ばした時、小石が頭に当たった。
「いてっ」
振り返るとパルが腰に手を当てて睨んでいた。
「またウチのいない時に、ルッソ、きさま」
「いや、ちょっと話しかけただけだって」
「髪をつかもうとしていたのを見ておったぞ」
「いや、別に……おい、行こうぜ」
体格でも人数でも勝るルッソ達だが、パルの迫力には勝てないようで、そそくさと逃げていった。
「フーリ、待たせたの」
「ううん、ありがとう」
フーリは目に涙を浮かべて微笑む。強くて優しいパルのことが大好きなのだ。
二人はお昼まで遊ぶとスチームタンク交換所のエリンのところまでいって昼食をご馳走になり、また暗くなるまで遊んだ。普段は大人しいフーリもパルの前ではよく笑い、よく話した。いよいよ周りが暗くなると二人は別れを惜しみ、明日の約束を交わして帰路についた。
暗く汚く臭い道。フーリの住む場所は庶民が暮らす地区の中でも貧困層が暮らす場所にあった。パルだって本人の魅力に比べればずっと質素な場所に住んでいる。それでも正蔵のビルに比べてあまりにもみすぼらしい。恥ずかしい。でもそれ以上に嫌なのは……。
フーリが自宅のドアを開けた瞬間、怒声が聞こえてきた。いつもの夫婦ケンカだ。粗暴な父親が鼻血を流している母親の髪をつかんで振り飛ばす。母親も負けずに手当たり次第に物を投げてはヒステリックに叫んでいた。金・酒・浮気。両親の口から出る言葉はそんなことばかり。
下手に口を出せばフーリも殴られる。だからいつもは黙って部屋の隅に隠れている。でも今日はパルと別れたばかりで、あの楽しかった時間をこんな両親に汚されたくない。そう思うと家にはいづらくて、夜の街に逃げた。
夜が深くなるにつれ人は少なくなっていく。一人は怖いので歓楽街に向かった。夜遅くともさすがに歓楽街は賑わっていた。
「おーう、お嬢ちゃん、こんな時間になにやってんだ?」
だが、酔っ払い男に声をかけられて、フーリは逃げ出した。知ってか知らずかパルのいる下町までやって来る。パルの住むビルを見上げたが、こんな深夜に行くことなんてできない。どこにも居場所がない。フーリは裏道で膝を抱えて泣いていた。
「パルちゃん……助けて」
一人つぶやく。だけど返事はない。
どれくらいの時間そうしていたのだろう。女性の声が聞こえた。
「なに? え?」
困惑した女性の声。そして。
「ギャッ」
小さな断末魔。逃げなきゃ。そう思っても体が動かない。ゆっくりと這いつくばりながら裏道の奥に進む。
「やあ」
その背に声をかけられた。フーリは恐る恐る振り返る。そこには首から血を流した大人の女性と、その女性を片手で掴んでいる美しい顔立ちの少年がいた。少年の口元は赤く汚れている。
「ちょうど良かった。こんな夜中に子どもを見つけるのは大変だからね」
少年は女性の死体を捨てるとフーリに近づいてきた。
「あなた、だれ?」
少女のような顔立ちだったからか、フーリは言葉を出すことができた。
「ボクはディ。ABCDのディだよ」
「ディ……」
「名前じゃなくて番号なんだ。本当の名前はもう忘れちゃった、アハハ」
ディはこの状況に似合わない朗らかな声で話す。
「キミの名前は?」
「えっと、ワタシは……その……」
フーリは口ごもる。同じ歳くらいの子どもなのに。パルちゃんに負けないくらい綺麗な顔なのに。それでも怖い。
「ねえ、ボクの眼を見て」
「め?」
赤い眼。その瞳を見ていると意識が遠のく。
「キミの名前は?」
「フーリ」
フーリの瞳は焦点が定まっておらず、ぼーっとしたまま答えた。
「フーリちゃんか。どうしてこんな夜中にうろついていたの?」
「両親がケンカしていたから」
「そっか、かわいそう」
言葉とは裏腹にディは楽しそうな顔をしている。
「おーい、ジンロー」
少年が呼ぶと、すぐに二人の人狼がやってきた。少年の護衛……というより雑用係としてついてきたのだ。
「この子を運んで」
命令のまま人狼の一人がフーリを抱える。フーリは暴れもせず、おとなしかった。
街の一等地にある豪邸。その一室に半分機械の老人が豪華な椅子に座っていた。部屋はガスランプで明るく照らされている。
「パパ! 約束通り、いいものを見せてあげるね!」
赤目の美少年ディは床に眠っているフーリにコップの水をかけた。
「キャッ」
「あはは、キャッだって、かわいいね」
ディはしゃがんでフーリ見て笑う。ここはどこ? フーリは状況が飲み込めていなかった。さっきまで暗い裏道にいたのに。そこにこの美少年が現れて、その赤い瞳を見ているうちに……。
危ない。そう思った時にはもう遅かった。再びディの赤い眼を見てしまい、意識を乗っ取られる。
「フーリちゃん、立って」
フーリはふらふらと立ち上がる。両手はだらりと下がり目はぼーっと遠くを見ている。
「そうだなー、その汚い三つ編みを引きちぎって」
ディの命令にフーリは右手で片方の三つ編みを握り、一気に引きちぎった。理性のタガが外れていれば、少女の筋力でも十分に出来るのだ。
「どう、パパ、こんな命令も出来ちゃうんだよ?」
ディは自慢げに老人に言った。
「ほう……」
老人は感心したという表情をしているが、その目は笑っていない。
「今は子どもを一人だけだけど、きっと大人になったら子どもも大人も沢山奴隷にできると思う。ボクの命令をなんでも聞く奴隷軍団を作れるよ!」
ディは興奮気味に話した。そして待つ。ご褒美を待つ子犬のように。
「なるほど、やはりお前は特別じゃ。お前こそはワシにとって運命の子だったようじゃの」
「でしょ! うん、そうだよ、ボクは運命の子なんだ!」
ディは喜びはしゃぐ。異常なほどの興奮だ。
「ディよ、ならばお前には従者をつけねばならない」
「従者?」
「家来のようなものだ。ウルフをお前につけてやろう」
「本当? オオカミのおじちゃんは好きだからうれしい!」
ひとしきり喜びを表すと、ディはフーリを見た。頭の右半分、毛を引きちぎったところから血がにじんでいる。右手にはまだ頭皮のついた三つ編みを握っている。
「ボクね、血を吸うほど力が強くなるんだ。そう感じるんだ。だから、ねえパパ、この子の血も吸っていい?」
「うむ、かまわぬ。死体は首を切って街に捨てさせよう」
「やったあ! ありがとうパパ、大好き!」
少年は老人の前で哀れな少女の血を啜った。老人はその姿を何かを測るように見ていた。
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