第25話 監察官

「やれやれ」

 大邸宅の前に止められた馬車から降りてくると、背の高い男がため息をついた。高そうな黒いスーツに白い手袋。整った顔には丸眼鏡をかけて銀髪は肩まで伸びている。威風堂々としているが歳はまだ20代後半といったところだ。

「憂鬱ですか?」

 護衛らしき軍服姿の中年男が声をかけた。彼の他に護衛は二人いるが、どちらも若く体格が良い。

「まあ、これでもそれなりに敬意はあるからね」

「それは驚きです」

「ふん、言ってろ」

 男は中年の護衛だけを連れて屋敷に入っていった。


「ご、ご主人様、お客様が……」

 半分が機械で出来た老人の元へ老齢のメイド長が慌てた様子でやってきた。

「誰じゃ?」

「それが……監察官様で」

「そうか……」

 老人はため息交じりに立ち上がると杖をつきながら応接室へ向かった。

「ご無沙汰しております、ジョン殿」

 弱々しく部屋に入ってきた老人に、監察官は椅子に座ったままは軽く頭を下げた。失礼な態度だ。

「急な来訪であるな」

「連絡もせずに申し訳ございません。ここになにやら怪しい輩が出入りしているとの噂がありましてね」

「失礼であろう!」

 老人に付き添ったメイド長は声を荒げた。最も長く老人に仕えている者として我慢ならなかったのだ。

「失礼? 国王陛下の温情で生かされていますが、今のあなたにはなんの権力もない。立場では一応わたしのほうが上だということを忘れずに」

 メイド長はさらに文句を言おうとしたが主に止められた。

「よい、この者の言う通りじゃ」

「ですが……」

 メイド長はまだ不満そうだった。

 そう、この監察官は老人ことジョンに叛意ないか調べるために時々この屋敷にやってくるのだが、その態度は毎度失礼極まりなかった。

「それで、今日はそれを言いに来たのか?」

 老人の言葉に監察官はフフンと鼻で笑う。

「怪しい者を集めて怪しいことを企んでいる。いらぬ野望など抱いていないかと王が心配されていまして」

「野望などあるはずもない」

「おやおや、そうですか? まあ余計なことをして、また身内から裏切り者が出るかもしれませんしね」

「……」

 老人は口をつぐんだ。

「まあ……ジョン殿に叛意はないと報告はしますが、王は疑り深いかたなので、いくつか手持ちの企業を取られることは覚悟してください」

「なるほど、それが目的か」

「目的などと人聞きの悪い。嫌ならそれはそれでそう報告するだけですよ」

「……ワシはもう長くはない。好きにすればよかろう。ただ、働く者達に不利益がないように」

「お優しいことで」

 監察官を出された飲み物に手をつけることなく用件を伝えると、すぐに席を立った。

「ウルフとディを呼べ」

 監察官が屋敷を後にすると、老人は今まで聞いたことがないほど冷たい声でメイド長に命令をした。


「敬意は微塵も感じませんでしたぜ」

 馬車の中で中年の護衛は呆れた声で監察官にそう言った。

「あれくらいハッキリこちらの意図を伝えたほうが、あの老人にはわかりやすいだろ? それが私なりの敬意だ」

「そういうもんですか」

 馬車は駅には向かわず街道を進んでいく。

「まだ機関車やスチームカーは使わないので?」

「スチームカーや蒸気機関車はやつの企業が手がけているんだ、なにを仕掛けられるかわかったものじゃないからな。少なくともブリアード・ハブでは乗れないな」

 老人の手持ち企業イザムバード自動機は、スチーム機械関連を幅広く手がけている国内屈指の大企業だ。ブリアード・ハブを出入りする蒸気機関車や街を走るスチームカーはほぼイザムバード自動機の製品だ。

「まあそれも時間の問題か。イザムバード自動機はこの機会に絶対に奪い取る」

 監察官はほくそ笑む。


 街道を進む馬車は陽が落ち始めた頃に急に止まった。

「なんだ?」

 中年の護衛が馬車を操る若い護衛に聞いた。

「敵です」

 若い護衛が答えると車内に緊張が走る。それぞれが武器を手に馬車から降りた。街と街の間の道とはいえ、不自然なほど通行人がいない。ただ馬車を塞ぐようにスチームバイクが止まり、そこにオオカミの仮面をつけた巨漢と赤い眼の美少年がいるだけだ。

「お前達は?」

 監察官は火薬式の拳銃を手に訊いた。

「出入りしている怪しい者達だ」

「やはりな……」

 監察官は銃を構えた。若い護衛の二人はスチームガンを構えている。背中に抱えたスチームタンクから伸びたチューブが繋がれており、連発で金属の矢を発射出来る銃だ。中年の護衛はサーベルを抜いていた。腕には自信があるのだ。

「4対2。そうそう、私もそれなりに訓練は受けていますから、ちゃんと数に入れてくださいね」

 監察官は余裕の表情でそう言った。オオカミの仮面を被った軍服の男は巨体ではあるが武器はバトルアックスだ。銃の前にはなんの事はない。10歳ほどの少年にいたっては素手だ。なんの為にいるのかもわからない。

「ねえオオカミ、ボクがやるよ?」

 少年、ディは口元だけ笑ってそう言う。ウルフは無言でうなずいた。

「どうします?」

 中年の護衛が訊いた。相手は子どもだ。

「かまわん。殺せ」

 しかし監察官は冷たく言い放った。

 若い二人の護衛は命令に従い、スチームガンを少年に向けると引き金を引いた。プシュッという蒸気の音がすると金属の矢が二本、ディに目がけて飛んでいく。一瞬、ディの姿がぼやけた。あまりにも早い速度で避けたのだ。

 あっと思った時にはディは若い護衛の目の前にいた。ディはニィッと笑うと左手を振った。手刀は護衛の喉を切り裂き血を吹き出させた。

 返り血を浴びたディは、まるで瞬間移動のようにもう一人の若い護衛の前に現れる。両手をクロスさせて顔を守るがディの手刀は護衛の胸を突き刺し心臓をもぎ取った。握った心臓を口に当ててチュウチュウと吸うその姿はまさに悪魔。

 怯えて固まる監察官だが、中年の護衛はサーベルでディを斬りつけた。と思ったが、そこにはもうディの姿はない。同時にサーベルを握る手首が宙を舞っていた。

「うわ! うわッ」

 歴戦の護衛が悲鳴をあげた瞬間、その生首が宙を舞った。その横にはバトルアックスを振り切ったウルフの姿があった。手練れの護衛3人は一分も経たずに殺された。

「ま、まて! それほどの力があるならこちら側に来い! 金も権力も思いのままだぞ?」

 監察官は銃を捨て、両手を挙げて叫んだ。

「すまぬが我々に買収は通じない。ディ、やれ」

「うん!」

 数分後、そこにはカラカラに血を吸われた監察官の死体が転がっていた。


「パパ! あの嫌な奴を殺してきたよ!」

 屋敷に戻ってきたディは老人に抱きついた。

「うむ、よくやってくれたのう」

 老人は穏やかな顔に戻っている。

「ウルフ軍曹もよくやってくれた」

「いえ」

「だが、少し計画を早めなければいけないのう。すまぬが博士達にそう伝えてくれるか」

「かしこまりました」

 ウルフは一礼をして部屋を出て行った。

「そうだ! ねえパパ、今度いいもの見せてあげる」

「ほう、なんじゃ?」

「それはね、その時までヒミツだよ!」

「そうかそうか、楽しみにしておるぞ」

 ディの頭を撫でる老人。それはまるで本当の家族のような光景だった。

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