第15話 夜

 巨大交易都市ブリアード・ハブ。

 白い蒸気と黒い石炭を燃やした煙が混じり、灰色の街グレイタウンと呼ばれている。交易の要所であり世界中から人と物が集まっているこの巨大都市は昼は人と物で賑わうが、夜には魑魅魍魎が跋扈していた。


 厚化粧の商売女が深夜の街を歩いている。年齢よりは若く見えるが、もう30も半ばを過ぎて今日もベッドを共にする相手を見つけられずにやけ酒を飲んで帰路の途中だった。

「チッ、どいつもこいつも景気が悪いねぇ」

 世間と男に対する恨み言を漏らしながら歩いていると、酔い潰れているのか道端で横になっている男を見つけた。

「あらあらお兄さん、そんなところで寝ちゃうと危ないよぉ」

 女は猫なで声で男に近づく。あわよくば懐から財布を頂戴しようと思っているのだ。

「ん?」

 女は異変に気づく。背が小さい? 違う。頭が……頭がない!

「キャアアアアア!!」

 深夜のグレイタウンに悲鳴が響く。彼女の足下には首から上が無い死体が転がっていた。ここ一年ほど世間を賑わしている首無し死体事件の新たな犠牲者だ。


「なんだぁ?」

 洗っても落ちないほど油汚れた作業服を着た中年男が、女の悲鳴が聞こえたほうへ顔を向ける。すっかり酔いが回っているのか目がトロンとしている。

「んんー?」

 男の目線の先を大きな人影が三つ、屋根を飛び渡っている。一瞬月明かりに照らされたその顔は鼻筋が太く上あごが出っ張っている。まるで犬と人間を掛け合わせたような顔立ちだ。

「ありゃー噂の狼男かあ?」

 中年男は目を擦りながらつぶやいた。

 夜の街に現れる狼男の噂はここ最近増えていた。首無し事件の犯人とも言われているが、実際に狼男たちに襲われたという人物はいなかった。


「子どもがこんな夜中に外をうろついちゃーいけないよ」

 暗い裏道でブカブカの軍服姿の少年を見つけた見回りの若い警官は、優しく声をかけた。まだ警察官になって一年。正義感あふれる青年は、家出か虐待から逃げてきたか、そんなことを考えながら少年に近づいた。

「こんな夜中にこの街を歩くと危ないよ」

 それは警官の言葉ではない。少年の口から出た言葉だ。

「え?」

 警官は驚き少年の顔を見ると、色白の女の子ような顔立ちの少年はニィッと笑う。その瞳は赤く輝き、口元は赤黒く汚れていた。血だ。

「ヒッ」

 警官が小さく悲鳴を漏らすと、少年は路地の奥に消えていく。

「あ、ちょっと、キミ」

 追おうとする警官は何かにつまずいた。それは……人。首から血を流した女の死体がそこに転がっていた。

「うわああああああああっ」

 グレイタウンに何人目かの悲鳴が轟いた。


 今夜もグレイタウンには魔物が蔓延っている。そしてここにも。

 闇夜になお暗い影が走る。路地裏を、ビルの上を、人のいない道路を音もなく走る。黒装束に黒頭巾。口元も黒布で隠している。唯一見える瞳は黒く、隙なく周囲を観察していた。

 影の死神。司法が手を出せない悪党や権力者を殺害する正義の暗殺者。数年前には連日噂になっていた人物だ。ある日を境にパタリと現れなくなって、闇に消えた、いや死んだと言われていたが、ここ最近、復活したと悪党の間で噂され、そして恐れられていた。

 影は小一時間ほど夜の街を駆けたが、誰に気づかれることもなかった。

「ふぅー」

 走り終えると影は大きく息を吐き出し呼吸を整える。

「よし、もう大丈夫だ」

 怪我をした脚の回復を確信すると、影はスチームの街に消えていった。

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