第11話 クチバシ

 窓は厚いカーテンで遮られ、わずかに入る陽の光だけの薄暗い部屋。パルは後ろ手に縛られて椅子に座らされていた。

 誰もいないその部屋で待たされていると、貴族の正装姿のクロウとおつきのメイドがやってくる。クロウは目の前までやってくると大げさに頭を下げた。

「ご無沙汰しております。私のことを覚えておられますか?」

「すまぬが覚えておらん」

 怪しげなクチバシをつけた男を一瞥してパルはため息をつく。そして。

「どっちにしろウチはもう、なんの価値もないぞ?」

 自嘲気味にパルは言った。

「今は、ですぞ、お姫様」

「お前はいったい何者じゃ?」

「クロウ伯爵。今はそう名乗っております」

「伯爵? そのような名前の伯爵は知らぬな」

「もちろん偽名です。伯爵というのも……今は違います」

「ふむ、爵位を剥奪でもされたのか?」

「姫ッ!」

 クロウは怒声を上げた。

「確かに政争に負けて爵位は剥奪されましたが、それは今だけのこと。あなたが、あなたの存在が私に爵位を与えるのです。それも伯爵という爵位をね」

「無意味なことを……それで、うちになんの用じゃ?」

 クロウの怒声を恐れもせずにパルは訊いた。

「申しわけないですが少しお時間を頂けますか? 日課がありますので」

 メイドがクロウの椅子をパルの目の前に持ってくると、クロウはそれに座る。そして耳の下にあるダイヤルを回してクチバシを閉じた。

「な、なんじゃ?」

 パルも困惑した顔でクロウと無表情のメイドを交互に見る。しばらくはジッとしていたクロウは3分を過ぎた頃からもがき始め、やがて白目を剥いて死にそうな顔をしている。そして5分を過ぎた頃、ようやくクチバシが開いた。

「カハーッ ハァハァ……」

「く、狂っておるのか?」

 さすがのパルも怯えた表情をしている。

「くふぅ……死との隣り合わせ。これこそが私の弱かった心を鍛えているのですよ。いまの精神力があれば爵位を奪われることもなかった。そう思います」

「う、うむ。お前の趣味にまで文句はいわぬ」

「いえいえ、言ってもらって結構です。いまから姫にもやってもらうのですから」

「なんじゃと?」

 クロウは目線で命じると、メイドは淡々と持ってきた無骨なクチバシマスクをパルにつけた。抵抗虚しくパルはクロウと同じクチバシ姿になった。

「お姫様は初めてだから、1分からやってみましょうね」

 クロウはギリリとパルの耳元のダイヤルを回す。

「や、やめるのじゃ!」

「今はこの試作品しかありませんが、いずれ姫にも専用のマスクを作ってさしあげますよ」

 そしてクチバシを閉じた。パルは恐る恐る息を吸おうとする。しかし鼻と口が圧迫されてまったく呼吸が出来ない。窒息の恐怖。パルはもがき始める。しかし両手は後ろ手に縛られ足をバタバタさせて頭を上下に振ることしか出来ない。息を吐き出すことも出来ない。頭がクラクラする。目の前が暗くなってくる。

 パルは同年代で比べれば遙かにプライドが高く、精神力も強かっただろう。それでもまだまだ子供だ。1分間呼吸ができない恐怖は抵抗する気力を失わせるのには十分だった。クチバシが開いた時にはすっかり怯え、ただ荒く呼吸をすることしか出来なかった。

「私の命令に逆らったり、指示に従わなかったら次は1分10秒です。今の苦しみがあと10秒続く。姫、ご理解頂けましたか?」

 コクコクコクとパルは何度も頷いた。

「姫が粗相をしたようだ。綺麗にしてやれ。それから人形のように着飾ってやれ」

 パルの従順な態度に満足した様子のクロウはメイドに命令した。


 夕刻。まだ陽は明るい。黒装束の正蔵はクロウの屋敷を見上げていた。すぐにパルに危険があるとは思わないが、それでも出来るだけ早く助けたかったのだ。

 クロウの屋敷は小規模な城のように城壁がグルリと周りを囲み、四つ角は一段高い物見の塔になっていた。城と洋館を合わせたような屋敷の前には大きな庭がある。かぎ爪をつかい城壁を登ったが、明るい中では黒装束は目立ちすぐに見張りに見つかった。何人かは倒したが、逃げ出した者が主に報告するだろう。急がないといけない。


 パルはクチバシを外され、白く煌びやかなドレスを着ている。艶のある金の髪も丁寧にとかされており、小さなティアラも乗せられていた。もう拘束はされていない。その必要がないほど恐怖に縛られているのだ。

 長テーブルを挟んでクロウが座っている。

「素晴らしい。とてもよくお似合いですよ」

「……」

 クロウは楽しそうだが、パルはその衣装とは対照的に暗い表情だ。

「さて、色々ありましたからお腹も空いたでしょう? おい」

 すぐにメイドが料理を運んできた。並べられた料理はどれも庶民が食べたことがない豪華なものだった。

「さあ、食べたまえ」

「……」

 パルは震える手でフォークとナイフを掴み丁寧に口に運んだが恐怖で味がしなかった。

 クロウのほうも慣れた手つきで料理を口に運ぶ。貴族だったというのは本当らしく、その所作は洗練されていた。ただそれは口元までで、クチバシの中にフォークを差し込む姿は異様だった。

「失礼します。ご主人様」

 料理を運んでいたメイドがクロウに声をかける。

「なんだ?」

「あの……」

 メイドはパルに目を向けた。

「かまわん」

「はい。賊です。影の死神と思われます」

「やはり来たか。姫、申し訳ないが失礼します。どうぞ食事をお続けください」

 首元のナプキンを無造作に取り机の上に置くと、クロウは立ち上がり部屋を出て行く。パルはそれを見送りながら考える。

 影の死神? いつも遊んでいる悪ガキたちから聞いたことがる都市伝説だ。数年前、警察が手を出せない悪人を何人も暗殺した義賊がいた。まるで影のように音も無く現れて悪人を殺し、また影のように静かに消えていく。そんな伝説の殺し屋がなぜ? 

 疑問に思いながらもパルは正蔵の顔を思い浮かべていた。

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