第5話 潜入グリグウッド邸
夜。すでにパルは眠りについた。正蔵は一階でスチームバイクに荷物を積み込みビルを後にした。向かうは町外れにあるグリグウッドの邸宅。その近くまで来るとスチームバイクを停め黒い衣装に着替えた。
懐には手裏剣や煙玉など様々な道具を入れる。そしてスチームバイクの下側にある隠しケースから武器を取り出す。一つは正蔵が作った片刃直刀のニンジャ刀。直刀なのは壁を乗り越える時に足場に出来るからだ。そしてもう一つの武器は、その名をムラサメと呼ぶ名刀。
祖国から持ち込んだ二つの道具。軽量薄型ながら驚くべき防刃能力を持ったくさび帷子とともに祖国から持ち込んだ武器だ。
片刃曲刀は祖国で生まれた武器の中で、もっとも切れ味のよい刃物だ。その中でも国宝級と言って良い究極の刀。それがこのムラサメだった。ニンジャである正蔵が手に出来るようなものではなかったが、様々な縁が重なりこの一振りを若い頃に手に入れた。この国に来る時に、これだけは持ってきたかったものだ。
正蔵は背中にムラサメを背負うと、ニンジャ刀を足場にして大きな壁を乗り越えた。
空には大きな満月。普段は蒸気と霧で曇る街では珍しい。虫の鳴き声しか聞こえない静かな夜。女は顔に包帯を巻いた姿でグリグウッドの邸宅の庭で護衛をしていた。服は動きやすいパンツに、上着は赤い模様の絹の服。手には大きく湾曲した幅広い片刃の青竜刀。包帯が巻かれた顔から覗く片目は白く濁り、もう片方の目は月を見上げていた。
焼かれてすぐに治療を受けたとはいえ、まだジクジクと痛む。それ以上に心が痛い。この顔ではもう女を武器とした工作員にはなれないと思ったからだ。痛む顔と心。ただ夜風だけは心地良かった。
痛みで感覚が敏感になっていたからだろうか、普段なら気づかない空気の動きに気づいた。まるで気配のない黒い影が庭を横切っている。それは忘れもしない、あの黒ずくめの男。顔を焼かれる原因となった相手だ。
女は素早く近づくと、手にした大きな青竜刀を振り上げてその背中に斬りかかった。正蔵はすでに気配を察知していて地面を転がり斬撃を避けると、すぐに背中からニンジャ刀を抜いた。
「キザマ、なぜごんなどごろに!」
女は顔に痛みに耐えながら叫んだ。
「誰だ?」
正蔵の問いかけに女は包帯を剥ぎ取った。顔には酷い火傷の跡。水ぶくれからは所々膿が出ている。
「キザマだ! キザマのせいでごうなった!」
「あの時の女なのか?」
「お前のせいで失敗じた。だから罰をうげたのだ!」
オルソンから聞いていたが、本当にここまで酷いことをするのかと驚いた。これではもう女を利用した工作は出来ないだろう。
「キザマ、まさかグリグウッド様を狙いにきたのか?」
「そうだ」
「ふざけるな! ぞんなことざぜるものがっ!」
「お前にそんな酷いことをした奴を、なぜ庇うんだ?」
正蔵の言葉に女は一瞬言葉を詰まらせ、そして涙をこぼした。
「もう……こんな私を愛してくれるのは、もうグリグウッド様だげだ!」
細い女の体からは想像できないほど鋭く荒々しい斬撃が襲う。体を回転させながら大きな幅広の刃を何度も正蔵に浴びせた。
確かに当たれば一撃で致命傷だろう。しかし正蔵は容易くその攻撃を避けることが出来た。いくら強いといっても正蔵とこの女では戦闘能力が違い過ぎたのだ。
「であっ!」
回転で威力を高めた斬撃を避けると、青竜刀を持つ手首をニンジャ刀で切った。手は青竜刀を握ったまま飛んでいる。
「ううっ」
女は膝を落とし、手首から先がなくなった傷口をおさえる。
「うう……グリグウッド様……もうしわけ……」
ザクッ。正蔵は背中から女の心臓を突き刺した。哀れむ気持ちはある。しかし生かしておけばこれからの暗殺に支障があるからだ。
「すまない……」
力尽きた女に片手で拝むと死体を茂みに隠し、正蔵は邸宅に向かった。
邸宅に入る前に何人かの女の護衛に会ったが、どれも最初の女ほどの実力はなく、気づかれる前に殺すことが出来た。護衛はみんな顔を焼かれた女で、工作に使えなくなったから護衛に回されたのだろう。人を道具としてしか見ていないグリグウッドの悪意が見て取れた。
グリグウッドの大きな屋敷。街中にあるビルとは違い、悪趣味な装飾がそこかしこに飾られている。深夜だからか中の見張りは少なかった。その一人を後ろから襲い、首元にナイフを当てた。
「叫べば殺す。グリグウッドはどこだ?」
正蔵は小声で訊いた。顔の焼かれた中年女。いまでも魅力的な肉体をしている。
「言うものかっ! しんにゅ……」
叫ばれる前に喉を切った。もう一人捕まえて居場所を訊いたが、同じように叫ぼうとしたので首を切った。
なんという忠誠心。果たして洗脳だけでここまでの忠誠心が湧くものだろうか? 正蔵は気味の悪さを感じながら先へ進んだ。見回りは避けて半数ほどの部屋を調べてようやくグリグウッドの居所を突き止めた。
壁の側に椅子とサイドテーブルがあるだけの大きな部屋だ。微かに血の臭いを感じる。グリグウッドが拷問か決闘かを見る部屋だろうか。グリグウッドは椅子に腰を掛けてグラスのウィスキーを飲んでいた。
「本当に侵入者がいたとはな」
グリグウッドは不敵に笑うと立ち上がる。大きい、2メートル以上の巨体。頭は丸いヘルメット。体格の良い肉体とそれを覆う大きなスチームアーマー。胸部と腹部は真鍮製の鎧に包まれ、背中には二つの蒸気タンク。腕にはスチームを利用した機械アームが指先まで覆っている。
「影の死神。そんな奴が数年前に世間を騒がせたいたな。悪人ばかりを狙う殺し屋。黒ずくめで東方の武器を使う暗殺者。まさかまだ生きていたとはな」
ニンジャ刀を構える正蔵に対して、グリグウッドは余裕の表情だ。貧民街から暴力でのし上がっただけのことはある。
正蔵は内心驚いていた。最初の女以外、護衛は音も立てずに殺したはずだ。それを疑いつつも待ち構えていたのは、最初の女との戦闘を他の護衛に聞かれたのかもしれない。死してなおグリグウッドに利する女の情念に背筋が寒くなる。
「俺も影の死神に狙われるほど大物になったということか。まあいい、お前を殺して俺の名を上げさせてもらうぞ!」
グリグウッドはその巨体で襲いかかってきた。
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