第4話 グリグウッド

 何もない村だった。

 大きなベッドで眠るグリグウッドの横で、女はジクジクと痛む包帯まみれの顔を気遣いながら昔を思い出していた。この灰色の街からずっと離れた場所にある小さな村。農業を細々とやっているだけの生活。女は幼い頃に街から逃げるように両親とその村にやってきた。

 何もない、でも平和と幸せがあった。そこで出会った少年と歳を重ね、当たり前のように結婚する頃には村一番の美人として有名になっていた。

 何もない村。でも愛する人がいる村。それだけで良かった。ただ一度だけ、結婚記念としてグレイタウンに観光、そして買い物にやってきたのが間違いだった。多くの人がいる街の中で、女と夫は巨大で凶悪そうな男に捕まり大きなスチームカーに無理矢理押し込められて拉致された。

 それからは地獄だった。

 家畜以下の生活。目の前で愛する夫が日に日に人ではなくなっていくのを見せられながら身も心も穢された。

 家畜以下の生活は夫が死んで一度は終わる。それから本格的な教育が始まったのだ。体術、知識、性技。女工作員として必要な教育を受けた。少しでも逆らえば家畜以下の生活に戻される。グリグウッドがその教育施設に視察に来るまで家畜以下の生活は続けられ、彼に忠誠を見せることで教育生活に戻れた。それを何度も繰り返し、いつしかグリグウッドの命令にはなんでも聞く蒸気ロボットのような人間になっていた。

 ある日、貧民街から連れて来られた幼い男の子を殺せと命令された。なんの罪もない子どもを切り裂き、そのはらわたをつかみ出した。その時の血の温もりはいまでもはっきりと覚えている。罪悪感はあったが、もう逆らう気力はなくなっていた。そして、それで正式にグリグウッドの所有物として認められた。

 自分は死んだと思った。それでも。それでもグリグウッドの命令のまま男を翻弄し、時には殺害する生活にいつしか慣れていった。男どもは誰もが女の美貌を賞賛し、女の体に溺れた。成功が自信となり、美貌を褒められるたびに自尊心は満たされていった。

 しかしその美貌はもうない。仕事に失敗してグリグウッドに顔を焼かれたのだ。

 そんな今夜、初めてグリグウッドに抱かれた。ようやく物から人として扱われたのだ。それだけではない。抱いたあと、グリグウッドはその半生を女に聞かせた。


 グリグウッド。

 貧民街で育ち、子どもの頃からギャングの一員としてあらゆる犯罪に手を染めた男。体格に恵まれ暴力でのし上がり、10代の頃にはすでに自分の組織を持っていた。巨体と筋肉だけでなく、蒸気機関を利用した強化アーマーを手に入れたグリグウッドは、暴力で勢力を伸ばすことに限界を感じていた。

 そして作ったのが美女軍団だ。

 貧民街、寒村、敵対相手の嫁や娘。そして街中でさえ素養のある女を次々に手に入れ、専用の教育施設を作り恐怖と暴力で洗脳していった。何年もかかったその計画は近年ようやく成果を出してきた。諜報やハニートラップでグレイタウンの権力者を次々に籠絡していく。いつしかその手は警察内部にまで伸び、グリグウッドには簡単に手出しできないようになっていた。

 このグレイタウンの裏社会でいま最も勢力を伸ばしているのがこのグリグウッドなのだ。


 ホテルへの潜入から数日後、朝食が終わったころにオルソンがツバメ探偵社にやってきた。

「オルソンではないか。久しいの」

 正蔵と二階の事務所にいたパルが声をかけた。

「こんにちは、お姫様」

「ウチはパルじゃ。姫などと呼ぶでない」

「失礼。パルさん」

「うむ、おぬしらにコーヒーを入れてやろう」

 そう言ってキッチンに入った。いい子だ。三人は来客用のソファーテーブルに座る。オルソンは正蔵の正面に座り、パルは正蔵の隣に座った。

 しばらくは三人で談笑をした。パルが警戒しないようにオルソンのことは役所で働く公務員と紹介している。一通り雑談が終わるとパルは外に遊びにいった。最近は近所の悪ガキたちとよく遊んでいるようだ。パルがいなくなるとオルソンの表情が真剣なものに変わった。

「お前が戦ったという女、あれはグリグウッドというギャングの手下だ」

「ギャング? それにしては洗練されているように見えたが。国の工作員と言われても不思議じゃないくらいだ」

「そうだろうな。グリグウッドは女を拉致して徹底的に洗脳と教育を施して工作員に育てている。そんな女を使って勢力を伸ばしている奴だ」

「そうか……」

 あの美しい女を思うと正蔵の表情が曇った。

「その女も機密情報を横取りするつもりか、あるいは企業から依頼されて暗殺したのか、そんなところだろ。マサゾウが去ったあとも護衛を二人殺して逃げ切っている」

「すごいな……」

「ああ……」

 しばらく沈黙が続いた。正蔵はすでに察していたがオルソンの言葉を待つ。

「グリグウッドに利用された女を警察が保護していたので見に行ったが、酷いものだ。あんなに滅茶苦茶にされて、それでもまだグリグウッドを求めている」

「そんなに酷いならグリグウッドを逮捕できないのか?」

「難しい……警察内部にも奴の女にハニートラップをかけられた者がいるし、少なくない数の権力者とも通じている。拉致された女達は洗脳されているから、証言も期待できない。あんな巨悪が育っていることに気づいていなかったのは、『俺』の落ち度だ」

「オルソン、自分ばかりを責めるなよ」

 正蔵はオルソンを慰めた俺達、つまり警察組織の落ち度ではなく、オルソン個人の落ち度だと言った。それはつまり、これから話すことに対する責任を感じているのだ。

「奴が……グリグウッドがいる限り、彼女たちが救われることはない。放っておけば奴はさらに力を増すだろう」

「ああ」

「奴は……殺さねばならない」

オルソンは顔を上げ正蔵の目を真っ直ぐに見た。

「……ふっ、まかせろ」

「すまない……俺は」

「いいって」

「すまない。こんなことしかできないが」

 オルソンは鞄から巾着袋を取り出した正蔵に渡した。袋には千ブルンの棒金が10本はあるだろう。結構な重さだ。もしプロの殺し屋に依頼したら、この10倍。あるいは100倍かかるかもしれない。

 正蔵への裏の仕事の依頼は警察の、しかも裏組織。その裏組織でも限られた者しか知らない事だ。使える予算など微々たるものだろう。しかし正蔵にとってはそれで十分だった。むしろ最初は金などもらうつもりはなかったが、オルソンが半ば強引に押しつたものだ。

「奴は巨体のうえ自宅でも普段から武装しているらしい。十分気をつけてくれ」

「任せてくれ」

 オルソンに依頼された暗殺はこれで何度目だろう。最初はオルソンが酒を飲みながら警察が手出しできない権力者の悪行を嘆いていた。そのときは何も言わず、正蔵の独断でその男を暗殺した。

 正蔵にとっては命を助けてくれたお礼程度のつもりだったが、オルソンがそれを知った時、怒りと謝罪の言葉を口にした。正蔵の暗殺がなければ、もっと多くの善良な市民が犠牲になっていた。それがわかっていたから、オルソンは正蔵を逮捕することが出来なかった。

 そして真面目で正義感あふれていた青年警官は、警察の裏組織の道へ進んでいく。今では警察が表向きには出来ない仕事に手を染め、それでも自分では手に負えない時に正蔵を頼った。

 だが正蔵の意識は違った。元はといえば自分が勝手に暗殺をしたばっかりにオルソンを裏の世界に引き込むことになった。そして、裏とはいえ警察の仕事だ。相手はどうしようもない悪党ばかりだったので、祖国の仕事に比べれば気持ちは楽なものだった。

「5年前、マサゾウがこの探偵社を作った時に、もう暗殺の仕事だけは頼むまいと自分に誓ったはずなんだが」

 オルソンは自嘲気味に笑ってそう言う。

「しかたないだろ、お前はこの国を、この街を守る警察官だ。俺のような人間に気を使う必要はないよ」

「マサゾウ……」

 オルソンはそれ以上なにも言うことが出来ない。ただ哀れむような目で正蔵を見ていた。

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