第3話 ニンジャの仕事

 夕刻。まだ飲むには早いが正蔵は裏通りのバーに入った。店はそれなりに賑わっている。きっと朝でも昼でも飲んでいる客はいるのだろう。それがこの街の住人だ。

 葉巻の煙がたちこめ、オイルランプで照らされた薄暗い店内。その一番奥のテーブルに向かって歩く。そこにはすでに一人の男が座っていた。

 ブラウンの髪を綺麗に整え、全体的に正蔵より一回り大きい体格に合った高そうなスーツを着ている。髭も綺麗に剃られており、青い瞳にはオイルランプの光が反射している。

「待たせたな、オルソン」

「いや……同じのでいいか?」

「ああ」

 オルソン・ブラウンはバーのマスターに自分の分と合わせて瓶のエールを二本頼んだ。正蔵はオルソンの正面に座ると、乾杯することもなくお互い半分ほど一気にエールを飲み干した。

「あまり長い時間一緒にいるものよくないだろうから、用件を言ってくれ」

 近くの席には他の客はいなかったが、正蔵はやや声をひそめた。

「いつもすまないな。詳しくはこれを見てくれ」

 そう言ってオルソンは手紙を渡した。正蔵はそれを一読すると丸めて灰皿に置いて、懐から取り出したマッチで火を点けた。手紙が燃え尽きるのを見てから残りのエールを飲み干した。

「いつか……昔のように飲みたいな」

 オルソンは寂しい笑顔を見せてそうに言う。

「そうだな。いつか……お互い死ななければな」

 言い残して正蔵は店を出て行った。


 オルソン・ブラウンは正蔵の親友であり、命の恩人である。10年ほど前にこの街に流れ着き、死にかけていたところを救われた。正蔵より2~3つ年上の新人警官だったオルソンは、何者かもわからない異国人の正蔵を家に住まわせ、食事を与え、文字や言葉を教えた。5年前に独り立ちするまで一緒に暮らしていた親友であり恩人だ。

 若く正義感にあふれた警官だったオルソンは、今は警察の治安部に所属している。ただ、その治安部には裏の顔があった。法では裁けない巨悪や権力者などに対するいわゆる裏の仕事をしている。非合法な調査、盗み、そして暗殺などを正蔵に依頼しているのだ。


 そして今回のオルソンからの依頼は、とある大企業の幹部が持ち出した機密文書の奪取とその男の尋問だった。書類は国防に関する事柄らしいが、それを誰に渡すつもりなのかを聞き出すのだ。

 男は現在高級ホテルの最上階に泊まっている。国に対する背任行為をおこなっていることはほぼ間違いないのだが確実な証拠がない。相手は政治家にも顔が利く大企業の幹部だ。もし強制捜査をおこなってなにも見つからなければ大問題になるので、警察は二の足を踏んでいた。

 だからこそオルソンや正蔵のような裏で動く人間が必要なのだ。


 正蔵はスチームバイクに備えていた鞄から着替えを取り出す。上着を脱ぐと中には金属が編み込まれた黒いシャツを着ていた。祖国から持ってきた道具の一つ、特殊繊維と細い金属を編み込んだ半袖シャツだ。

 この国のような新しい科学力では劣るが、そのぶん既存の技術は長年の積み重ねによって進化していた。鎖帷子の究極進化品といっていい、軽く強靱な防刃服で並の刃物は通さない。祖国でも一部の者だけが持っている秘伝中の秘伝の装備だった。

 その上には黒の上下。そして目だけが出ている黒い覆面をかぶる。全身真っ黒で夜闇に紛れるのだ。堅い木と金属を材料に作られた手甲も当然黒塗りだ。

 武器はスチームバイクの底に隠していた片刃の剣。祖国の戦士が使っているようなソリのあるものではなく直刀だ。刃は1メートルほどで、黒い鞘に入っている。持ち手である柄の部分も黒い布がまかれ、柄と刃の間には楕円形の鍔がついており、それも黒鉄製だった。

 ニンジャ刀と呼ばれるその武器を背負い、この国製のナイフを懐に。そして、自分で作った手裏剣……刃先が四つある特殊な投げナイフ。あとは煙玉などいくつかの道具も懐にしまった。


 正蔵のような侵入者を想定していないこの国の建物は凹凸が多く登るのは容易かった。高いホテルでもそれは同じ、軽く最上階まで登ることができた。

 バスルームに人の気配がないことを確認して窓から中に入る。使ったばかりなのか、まだ床は湿っていた。バスルームから部屋を覗き込む。リビングはオイルランプが一つ点いているだけで薄暗い。人の気配はない。護衛はおろか使用人すらいないようだ。

 リビングの端に無造作に鞄が置かれている。中を漁ると機密文書と思われる書類はすぐに見つかり懐にしまう。廊下へと続く部屋の扉の向こうにはさすがに護衛らしき人の気配がある。あとはベッドルーム。扉の前で耳を澄ますと人の気配がある。

 中には……一人。不用心なのか他人を信用していないのかターゲットは一人のようだ。

 楽な仕事だと鍵すら掛かっていないベッドルームの扉をあけた。瞬間、異変に気づく。血の臭いだ。

男はベッドの横で倒れている。オイルランプだけの薄暗い光だけでもわかる。男は喉から血を流し死んでいた。

 その側にはスラリとした女が立っている。長い黒髪をひとつにまとめ、体のラインが出た赤いドレスは腰までスリットの入っている。薄明かりでもわかる、恐ろしくスタイルが良く、そして恐ろしく美しい東方系の女だ。

 愛人か、そうでなければ高級娼婦かもしれない。そう思ったのはつかの間、女はスラリとした脚を伸ばし正蔵の顔を狙う。寸前に避けたが少しだけマスクが切れた。女のつま先には刃物が仕込まれていたのだ。

 軽業師のようにクルクル回りながら、刃物が仕込まれたつま先や指先で喉や目を狙ってくる。強い。そして容赦がない。

 どういう関係かはわからなかったが、どうやらこの女がターゲットを殺したようだ。二撃、三撃と繰り出される蹴りを正蔵は総て避けると、美しい女の顔に怒りの表情が浮かぶ。

 女は蹴り技をやめてサイドテーブルから何かを持ち上げた。

 拳銃だ。女は片手で正蔵を狙いドンッと大きな発射音を響かせて銃を撃った。撃ち慣れているのか素人なら反動で落としかねない銃をしっかりと構えたままだ。

 思ったよりしっかりと狙われて撃たれたが、元々命中率が低い上に撃つ挙動に合わせて避けていたので弾丸は正蔵の横を抜けていった。

「どうかしましたかっ!」

 その音を聞いて護衛が入ってきた。正蔵は煙玉を床に叩きつける。部屋中に煙が充満している間に窓から飛び降りた。落ちながらかぎ爪のついた紐を飛ばして出っ張りに引っかけると、落下速度を殺して地面に降り立つ。そして紐を揺らしてかぎ爪を回収すると、夜闇に消えていった。女は悔しそうな顔で部屋からそれを見下ろしていた。

「お前、何者だ!」

 二人の警備員が長筒の銃を構えて叫んだ。

「チッ」

 女は綺麗な顔を歪ませると、素早く動いて二人の間を抜けた。護衛達は一瞬あっけにとられると、首から血が噴き出した。通り過ぎざま切り裂かれたのだ。女は気にした様子もなくそのまま部屋を出て行った。


 普段の姿に着替え終えた正蔵はオルソンとの待ち合わせであるひとけの無い公園に向かった。そこで書類を渡し、ホテルでの出来事も話す。

「女?」

 オルソンは困惑顔で訊き返した。

「それも手練れだ」

「そうか……わかった、それはこちらで調べてみる。少ないがこれ」

 オルソンは現金の入った袋を渡した。

「ありがとうよ」

 袋はずしりと重い。正蔵が若くして探偵会社を始められたのも、高価なスチームバイクを購入できたのも、この裏仕事の報酬があったからだ。

「ところであの女の子は元気にしているか?」

 別れ際、オルソンは幾分緊張感が消えた声で訊いてきた。

「ああ、いつも元気だ」

「もう一年くらい経つな」

「そうだな。貴族かなにかの子供だと思うんだが……情報は入っていないのか?」

「俺が調べられる限りでは、な。誘拐でも家出でも貴族なら警察には情報がくるはずなんだが」

「ふぅむ……本人も帰るつもりは微塵もないしなあ」

「まあそれならそれでいいじゃないか」

「ははは、警察がそれでいいのかよ」

「貧民街はもっと酷いさ」

「どこの国もそうさ」

「だな……」

「……さあ、じゃあ俺は麗しのパルさんの所に戻るよ」

「お姫様によろしくな」

 裏の仕事をするようになってから、正蔵とオルソンは表だって会うことが少なかった。特に自宅近くや知り合いのいる場所では極力会わないようにしていた。

 だが『もしも』に備えて何度かパルには会わせていた。正蔵になにかあった時、オルソンがパルにしかるべき手続きをしやすいようにだ。


 オルソンと別れてビルに戻ってきたころにはすでに日付が変わっていた。ビルの二階にあがり、オイルランプに火を灯す。

「んん……マサゾー、帰ってきたのか?」

 ソファーで寝ていたパルは眠そうに目を擦りながら訊いてきた。

「パルさん、おこしちゃいましたか」

「かまわぬ。マサゾーのためにご飯を買っておいてやったぞ」

 そう言ってテーブルの上を指さした。

「ありがたく」

「うむ、じゃあウチはベッドで眠る」

「おやすみなさい」

 硬いパンに挽肉を挟んだものだが、それはとてもおいしかった。


 正蔵がパルの買ってきてくれた晩ご飯を食べている頃。周辺と比べて一際高いビル、その最上階。背の高いスキンヘッドの男の前に女が一人土下座をしていた。

 男は西方人でアスリートと見紛うほど全身に筋肉がついた大きな体をしているが、胸部と腹部は真鍮の鎧に包まれ、背中に二つの蒸気タンク。腕にはそれぞれ鎧と歯車で出来た機械アームで包まれているので、さらに大柄に見えた。

「失敗?」

「も、もうしわけございませんグリグウッド様……」

 冷たい男の言葉に土下座をしている女の声は震えている。ホテルの最上階で正蔵と戦ったあの女だ。強気そうだった顔はすっかり怯えきった小動物のようになっている。

「……仕方がない。失敗は誰にでもある」

 寛容な男の言葉にも震えが止まらず女はカチカチと歯を鳴らしている。

「そんなに怯えなくていい」

 巨体の男、グリグウッドは片膝をついて女の頭を金属の右手で撫でる。

「お、お許しを……どうか……どうか」

 何度も謝る女の顔を、撫でていた手が掴む。女の顔は大きな金属の手で覆われた。

「あああっ、どうかおゆるしを!」

 グリグウッドは女の顔を掴んだまま持ち上げた。ガチガチと蒸気機関が駆動する音がする。

「ああ……ああ……」

 怯える女とは対照的にグリグウッドは邪悪な笑みを浮かべた。シュー……顔を掴んでいる手の平に無数空いている小さな穴から蒸気が漏れる音。そして。

「あああああっーー!!」

 高温の白い煙が女の顔を包み込む。手足をばたつかせて暴れるが金属の手は離れない。

「ぁぁぁぁぁぁぁ……」

 女の声が小さくなった頃、蒸気は暗い部屋に溶け込み、ようやくグリグウッドは女を離した。

 女の顔は赤く焼けただれ、左目は白く濁り、前髪は皮膚ごと爛れ落ちていた。あの美しかった顔はもうそこにはなかった。

 グリグウッドは左手で女の顎を持ち上げ焼けただれた顔を見つめる。

「うむ、美しい。理想的な焼けかただ」

 そして満足そうにそう言った。

「あ……あぢがどうございまず……」

 女は息も絶え絶えに、それでも感謝の言葉を口にする。

「こいつを治療してやれ。火傷が綺麗に残るようにな」

 グリグウッドが部屋の奥に声をかけると、顔に火傷の跡がある美女が数人入ってきた。全員同じように失敗の罰として顔を焼かれたのだ。

「治療が終わったらベッドまで連れて来い。たっぷりとかわいがってやるぞ」

 そしてグリグウッドは寝室に入っていった。

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